その一
淑乃は思う。
我が身の来し方を。
雪に閉ざされ、灰白色となった越後の山々、人々の暮らしを。
つましく生きてきた我が身を。
紫野(むらさき野)を思い浮かべ、
我が子に紫乃(しの)と名付けたかったという母。
紫野とはどこのことなのかと模索した。
祖母に反対され、「淑乃よしの」と命名した経緯を教えてくれたのは叔母だった。
拾遺集に平兼盛の歌がある。そして、歌合で壬生忠臣と「恋」の歌で競ったと囁いたのも叔母だ。
淑乃が苦手な短歌を叔母は嗜む。
しのぶれど 色に出にけり 我が恋は
ものや思ふと 人のとふまで
(拾遺集 平兼盛)
(知られまいと秘め隠していたのだが、顔色に出てしまったことだ、私の恋心は。思い悩んでいるのかと、人から尋ねられるまでに)
村上天皇のとき、天徳内裏歌合で平兼盛と競った歌人は壬生忠臣。
恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか
(拾遺集 壬生忠臣)
(恋しているという噂が、もう立ってしまった。誰れにも知られないように、心ひそかに思いはじめたばかりなのに)
競い合ったが、この二首はどちらとも甲乙付けがたく、判者は判定に困った。 天皇が兼盛の歌を口ずさんだので勝敗は決まった。忠臣は悲観して悶死したとの逸話は定かではないという。
叔母多恵は感受性の強い女性として成長。読書を好み、想像力も豊かだった。
母光代も原因不明の病に冒され、淑乃が物心ついた頃、黄泉の国へと旅立った。
父も後を追うように、静かに息を引き取った。肺結核の後遺症だったが虚弱な体質も機縁していた。
淑乃は祖父母に育てられた。祖母は母光代のことを、明朗闊達な人間だとしてあるときは褒め、生い立ちが計り知れないと貶した。父の療養中に、入院患者と看護婦として出会った二人は恋に落ち、雪深い越後にやって来た。祖母にとっては息子を奪われた女としての認識が強かった。父は病気の再発を畏怖していた。 二人の未来に自信が持てなかった。虚弱な父を、半ば強引に奮起させたのは母である。父の健康管理に励み、休職中だった県職の職場復帰をさせた。祖父母の農業を手伝う姿は何の屈託もなく従順な仕事ぶりだった。家庭内におだやかな空気が流れるようになり、順風満帆な日々だった。
淑乃が生まれた。
父も母も、祖父母も淑乃を慈しんだ。
紫乃という名を付けたい。
母光代は望んだ。
この家を支えてくれる、しっかりとした明るい名前の方がいい。
男児を望んでいた姑の反対に、
あっさりと、淑乃の名前を口にしたのも母だった。
淑乃はいい名だ。
清らかで女らしい名前だ。祖母は笑みを浮かべた。
だが、母の病魔は、家庭に影を落とすようになる。頭脳の切れがよく自慢の嫁であったはずの母は、潤沢を失っていく。祖父母は鈍重になった母の悪口をいうようになった。
叔母はいう。
まだ小娘で気がつかなかったが、本棚の書籍と並んでいたのは詩集だったと、後年伝えてくれた。雪国の暮らしの中で、息子夫婦に先立たれた祖父母は、自分の娘多恵と孫淑乃を育てるのが手一杯だった。光代の本棚の本はいつか消えた。 祖父は土建会社に勤務する傍ら、農業にも勤しんだ。息子の遺族年金が家計を助けた。
淑乃の母光代は詩心があったのではないか。
恋する年頃になった叔母多恵は思った。
どんな人生を経たのか、越後の地を離れたことがない多恵にとって、品格が漂よっていた兄嫁は都会の香りがして、ひそやかに憧れていた。
兼盛の和歌を知ってから、勝手な憶測が渦を巻く。若い娘にありがちな推測だった。
紫野は、紫の花がこぼれるように咲く草原なのか。信州にあるのか。
紫野(むらさきの)という地名が京都にもあるようだ。
義姉光代は兄と親しくなる以前、好きな男性がいたのではないか、忘れがたかった男性との思い出が紫野につながるとしたら・・・
娘心の連想である。
もっともらしく思えてくる。平安の和歌を無理にでもこじつけようとする。
高齢の親族がいるのみと、兄夫婦の結婚式や葬儀には、親族の列席はなかった。
頭が切れる人で、明るくて、誰とでも親しみやすく話せる人だったと、母光代の評判はよかった。
淑乃が高校を卒業するとき、町役場で母の戸籍を調べたことがある。
信州小諸近くの村、祖父母、両親も他界、兄弟、姉妹もなかった。
越後で入籍したとき、すでに天涯孤独だったのだ。
叔母多恵は、
幼くして両親を失った淑乃を、妹同然に可愛がってくれた。
淑乃も姉のように慕った。
「淑乃ちゃん、私は淑乃のほうが好きだよ。穏やかな感じで、つつましく清らかなさまは名前に合っている。名は体を表すってほんとだね」
淑乃も自分に合う名前だと思う。
名前とは、いつ知れず自分にぴったりと馴染んでくるものだ。
両親のことは忘れてしまう他なかった。
やさしい姉、多恵がいて、家を切り盛りする祖父母がいる。
育ててもらった恩は生涯忘れてはならないと思う。
母がなぜ、「紫乃」と名付けたかったのか、あるいは「紫野」はどこの紫野だったのか、母の心の奥底に潜んでいる扉を開けたくもあった。
幼すぎて、朧にしか浮かんでこない母の顔・・・
写真に残っていても、なぜか面影は瞼から遠のいていく。
叔母多恵が結婚。四人の子育てに追われている間に、祖父母が相次いで倒れた。祖父はくも膜下、祖母は心筋梗塞だった。
神奈川で働いていた淑乃は、看護のため郷里に戻った。
以来、祖父母の看護と介護の日々がつづく。仕事もパートでしか働けなかった。
祖父母を看取った淑乃は、
結婚の機会を失った。
心にあたためた恋は封印した。
そして、いつか忘れてしまうのだ。
祖父母の家屋敷は、叔母の一家が譲り受けるものだとして、遺産相続は一切拒否した。かねてから申し込んでおいた町営住宅(後に市となった)にようやく納まることができた。小さな仏壇には両親の位牌を安置、毎朝の供養は欠かさない。
淑乃は今、
心の旅を始めたくなった。
母の軌跡を辿りたいのではない。
紫野、あるいは紫乃を探す旅は、もういい。
淑乃は今、
自分の足で歩こうと思った。
降り止まぬ雪空に思いを馳せる。
遠い日に見果てぬ夢があったように・・・
(つづく)