千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

(十六歳の創作)  微風

2011年08月24日 | 日記


 十

 「勇さ~ん、行くわよ―」
里子が白球をラケットで投げる。勇が返す。里子がまた返す。
里子もテニスの心得はある。上手いとは云えないが、せいいっぱい球を打ち返す。汗がほほを伝って流れ落ちる。
八千代がショートパンツになって、二人の熱戦を見守っている。
十回、十五回、二十三回、二十八回。二十八回目になってようやく戦いが終わった。里子が打ち損じたのだ。
「ふう~っ」里子がため息をつく。勇も寄ってくる。
「里子さん、だいぶ上手くなったじゃないか」
「そうかしら」
「フォームがきれいだ。運動神経が発達しているのかな。スタイルもいいし」
「あら、お兄さま、先生みたいな事いってる。ね、里子さん、お兄さまったらえらそうな口を聞いてね」
八千代は里子に相づちを打つ。
「何いってる、この八千代野郎め」
勇がゲンコツでなぐるまねをすると、八千代は悲鳴をあげてベランダの方に駆けて行った。
「八千代のやつ、いつもこんなんだから」
「でもかわいいんでしょう」
「そうだね」
「八千代さんのような妹がほしくなる」
「八千代が聞いたら喜ぶな」
「まさか」
「人間ってさ、自分にないものが欲しくなってしまうんだな。僕だって姉や兄貴がたまらなく欲しくなる時がある」
「同感!」
「さ、向こうへ行こうか。氷あずきでも食べよう」
「ありがとう」
「君、すごく汗が出ている。ハンカチは?」
「さっきテーブルの上に置いてきちゃったの」
汗の吹きでた顔を、少し赤面させながら里子は答えた。
「撲のを貸そうか」
勇はトレーニングパンツの後ろポケットからタオルを取り出した。
「だって・・・」
「大丈夫、まだ汗は拭いてないんだ。僕はと・・・」と、ポケットからハンカチを出した。大分汚れが目だっている。
「ごめんなさいね」
「レディーファーストだからね」
「あら」 勇のタオルは心地よい香りがした。母親の由起子の気配りを感じた。
勇はバスケット部の選手のせいか身長がある。博一よりかなり高いだろう。
二人が芝生の方まで歩きかけたとき、屋敷の玄関の方から白いワンピースの少女が庭に入ってきた。
「勇さ~ん」
里子は気まずいものを感じた。勇と肩を並べて歩いている自分に気恥ずかしさを覚えた。里子は勇を見上げた。勇は少し眉をしかめた。
ワンピースの少女はつかつかとそばへ寄ってきた。
「庭にいるって聞いたものだから、こっちへ来たの。少し相談したいことがあって」言いながら、少女は里子を選別するようにじろじろ見た。
「この方、どなた?」
「紹介しよう。こちらは野村里子さん、高一、美子さんと同じだね。こちらは幸田美子さん、撲の親戚、いとこではないけど」
「よろしく」美子は気どって軽く頭を下げた。
「野村里子です。よろしくお願いいたします」里子は深々と頭を下げた。
「二人でテニスをなさっていたの?」
「はい」
「勇さん、強いでしょう。私なんかいつも負けていてよ。今度は二人で仕返ししましょうよ」
「ええ」 里子は笑ってうなずく。

 三人はベランダから居間に入った。
「おばさま、こんにちは。またおじゃましてよ」
「美子さんいらっしゃい。どうぞ、どうぞ」
居間では、由起子と八千代がソファに腰を下ろして雑誌を読んでいたところだった。
「おばさまも聞いて。もうじき夏休みでしょう。八千代さんと勇さんを軽井沢の別荘にお誘いしたいの。おじさまは別荘をつくらないけど、うちのパパはあの通り社交家でしょう。軽井沢と琵琶湖に別荘を持っていることは、おばさまも知っているでしょう。
今夏は、パパとママが琵琶湖に行って、私は軽井沢を使ってもいいんですって。町子さんも、友達二、三人誘うわ。だから勇さんも友達誘ってほしいの。ね、おばさま、いいでしょう?」
「私はいいも悪いもありませんよ。ただね、若いものばかりではね」
「そのことなら大丈夫、ママの妹、若いけどおばさんが監視役で行くから。ね、いいでしょう。おばさまのおゆるしを得てからじゃなきゃ。ママにも言われたし」
「私はいいわよ。でもね。うちの子供たち・・・」
「ね、、八千代さん、行きましょう。あなた軽井沢知らないでしょう?とってもステキよ、ね」
八千代は返答に困って、兄を見上げる。勇もむっつりした表情だ。
「二人とも行きたくないのね。どうして?聞かせて。まさか私を嫌いなんじゃないでしょうね。勇さんだってデートして下さったりしたのに・・・」
美子は一人で、ズケズケと物を云う。
勇は呆れていた。里子が変に誤解しないでくれればと思った。
里子も黙って聞いていたが、美子は嫉妬深く心の狭い人間であることが感じられた。里子に対してあてつけるようなものの言い方に思えた。
「とにかく僕は辞退しよう。撲の友人も、別荘で遊ぶような者は一人もいないんだ。悪いけど、皆バイト探しにてんてこ舞いしているよ。撲がたった一人で、君たちの仲間に入ったってつまらないだろう?」
「そんな事・・・」と、言いかけて、美子はあわてて口ごもった。勇には次に何を言おうとしているか、よくわかる。
「その方の別荘にいらっしゃるんじゃなくて?」
里子は口を開いた。
「私は別荘など持つような身分じゃありません」とっさにでた言葉だった。
「あら、そうなの」美子は改めて、里子をジロジロながめた。洗いざらしの白と黒の格子のワンピース。
「じゃ、仕方ないわね。では、おばさま、またおじゃまさせていただきます」
美子はベランダから出て行った。明らかにプンプンしている態度だった。
「美子さんを怒らせてしまったわね」
由起子は勇を見ながら小さく云った。
「仕方ないさ、行きたくもないのに、自分一人で我が儘すぎるよ。あんなのにかまっている必要ないよ」
「あたしも、すっごく美子さんが嫌になった。ママは?」
八千代の声を由起子がたしなめた。
「そんなこと、うかつに口に出すものではありませんよ」
「里子さん、驚いただろう。ああいうやつもいるんだから。うわべだけ着飾って・・・」
勇の問いかけに、里子は苦笑した。

 お手伝いが、氷あずきを運んできた。
冷たい氷あずきが、口の中で甘く溶けていった。
「里子さん、こんな言い方は失礼なんだけど、ああいう人に反感を持ちませんか」
由起子のまっすぐな問いに、里子はうなずいた。
「はい、持たないといっては嘘になります」
「そうでしょう。私もあなたくらいの時、金持ちのお嬢さんを見ると、気どっているわって、むかむかした気持ちになったものよ。やっと生活しているような貧しい家で生まれたものだから、ねたましくてならなかったの。でもね、どんなに貧しくても心だけは清く持ちたいって、そう思っているうちに心の中のねたみや嫉妬がなくなってしまったの」
「私もおばさまと同感ですわ。私の家も生活は安定してきましたけど、貧乏は慣れているし、心だけは清く持ちたいと、いつもそう思って来ました」
「里子さんは人から好かれるようね」
「そんなことありません」
「お母さん、里子さんはさ、中学の時ずっと委員をつとめたんだって。クラスの人気者だったらしいよ」
「あら、誰から聞いたの?」
里子はこんなことを誇らしげに話したりはしない。
「関根って知ってるだろう。君のクラスだったんだってね。バスケット部に入ってきたんだよ。ぐうぜん君の話が出て、時々聞かせてもらっているよ。関根君に君のことを」
「関根さんが?」
スポーツはやっていたが、ガリ勉型で女の子などかまったこともない関根が―
人は信じられないものだと、里子は思った。
「里子さんってうらやましいわ」
八千代がわざとつまらなさそうに云った。
「頭がよくて美人で、人から好かれて・・・」
里子は笑いたくなってしまった。
なぜだか知らない。よい人ばかりに囲まれて、ほめられて、うれしいのかも知れない。とうとうこらえきれずにふき出してしまった。何がなんだか、おかしくて仕方がなかった。庭に出て、みなに背を向けて笑っていた。
「里子さん、何があんなにおかしいのかしら」
「箸が転んでもおかしいっていうじゃない」
由起子と八千代が後ろで何か云っている。
このとき、里子は幸福感に包まれていた。

                    つづく。


 朝の一品 ステックブロッコリーの辛子和え



 朝の庭花 ホトトギス(ユリ科ホトトギス属)



 朝の庭花 ミズヒキソウ(タデ科)




 蝉の声が以前と違う。
少し弱々しい。鳴きやんだと思ったら、代わって虫の声。
一日晴れたが空の色も薄く、雲は刷毛を薄くなぞったような秋の色に近い。
動いていると汗ばむし、北側の窓辺に立つと秋の風が足下を通り抜ける。
夜明けも遅く、日暮れも早くなった。
 秋はどこまで来ているのだろうか。ふっと思う。