千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

いつまでも

2014年03月30日 | 日記

 いつまでも
 きらめきを持って
 生きたいなどと
 はちきれそうな
 心で云ったのは誰だったんだろう
 あらゆるものが
 見せかけのきらめきだと気がついたとき
 心は
 ただしぼんで
 小さく 小さくなってゆく

 何も
 本物なんて
 探す必要はないのさ
 真理を
 見いだそうとしたら
 くたびれてしまうよ

 きらめきは
 一瞬の灯(ともしび)
 そう
 かすかな灯の中に
 一瞬をきらめくほうが
 私に似合っていそうな
 そんな気がした
 今

                       (azumi)




 雪解けが進んでいる。
 二日晴天が続けば、もう雨、連日のようにこの繰り返しである。




 フキノトウが顔を出し始めた。
 たんぼ道のあちこちに、表皮にくるまれた赤ん坊のような頭があちこちに見える。

 雪に覆われていた山も、ところどころ雪崩れて表層が見えだした。




 いつも、いつでも、
ずうっと、ずうっと、
雪国に暮らす私たちが待ち望んでいた春がやってくる。


 キクザキイチゲが、こんなところで仲良く花開いた。




 北側の庭も、大分雪が溶けた。

 ヤブコウジの実。




 冬に赤い果実をつける。
 夏に、白か淡いピンクの花が咲くのだが注意して観察したことがない。他の植物で隠されている場合が多い。
 鉢植えのマンリョウと同じサクラソウ科(またはヤブコウジ科)らしい。

 遠藤ケイが、テレビ番組で、二月に坂戸山登山をしている。
 雪の間からヤブコウジの実を見つけ、正月の縁起物とされていると云った。
 センリョウ(「千両」、センリョウ科)、マンリョウ(「万両」)、カラタチバナ「百両」と並べて「十両」とも呼ばれていると・・・

 落語のことも云っていた。

 「寿限無」

 じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ
 かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ
 うんらいまつ ふうらいまつ
 くうねるところに すむところ
 やぶらこうじの ぶらこうじ
 パイポパイポ
 パイポのシューリンガン
 シューリンガンのグーリンダイ
 グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
 ちょうきゅうめいのちょうすけ

 もともとは、落語の前座咄(ばなし)の代表作。
 生まれた男の子に、ぜひともめでたい名前を付けて欲しいと、男(ちなみに名字は杉太とのこと)がお寺の坊さんに頼んだ。めでたいことがらをめいいっぱい重ねられたこの名前、便利なこと、不便なこと多々あった。最後に井戸(関東地方の話では川になっているところも面白い)に落ちた「寿限無寿限無……長久命長 助」を助けようとしたのだが、名前が長すぎて助けられなかったという笑えない話。

 よく聞くが、舌がまわらない。
 まわらないどころか、つっかえて途中で降参だ。

 雨足が強くなった。

 お粗末様!


 春の陽気に誘われて、
 浮き浮き、楽しい日記を書きたいものだ。


春を告げる花

2014年03月26日 | 日記

 3月25日



 キクザキイチゲ(キンポウゲ科イチリンソウ属)が咲いた。
 川に面した、陽当たりのいい南側の庭で・・・
 一輪、ぱっと花開いていた。

 可愛いらしくって、心が弾んだ。

 友の店から帰ったときだった。トートバッグからデジカメを取り出すのももどかしかった。

 前日も庭を見回ったのに、全然気がつかなかった。

 これからが楽しみな季節である。

 北側の庭も、ずいぶん雪が溶けた。
 燐家の屋根からの落雪で、地面が覆われて見通しが悪いのだが、雪解けも進むだろう。

 北側の庭で、早く咲くのはヒトリシズカ、そしてショウジョウバカマ・・・
 後は次々と顔を出していく。雪の下には、ヤブコウジの赤い実が残っているかもしれない。
 芽が出なくなった植物もある。
 何年か前のことだが、ヒトリシズカの大株をざっくり盗掘されたことがある。 悲しいほどに残念だったが、どこかの庭でスクスク育ってくれていることを願う。



 友の店では、予約が入ったらしく忙しそうだった。
 インスタントのコーヒーを出してもらう。断って、あちこち写真を撮った。

 隣室のギャラリーでは、春を感じる作品が展示されていた。



 箒にまたがった魔女が下りたところは・・・
 ひまわりや花が咲き乱れる丘の牧場。目映い太陽。母牛と仔牛たち。
 ブーツの形をした森のお家には誰が住んでいるのかな。可愛いテーブルクロスの食卓には、オムレツのお皿が五つ・・・アレレ!風かな!テーブルクロスが風に吹かれて、お皿が落ちちゃうよ。アレレ!腸詰めらしきものもあるよ。何の腸詰めかな~。子供たちが「森の学校」で学ぶ教材になるかもしれないね。


 タペストリー




 ミニ・リース




 流木の小枝と浜辺の貝殻を使ったアート作品。




 車を駐車する音、ドアを開閉する音、女性たちの声が聞こえたので、「いらっしゃったようよ。また来るね」、と店を出た。
 注文はパスタのカルボナーラだそうだ。こんなときは大変だ。手伝う女性がいるのだが、一人のときだってある。
 ご苦労様!そして、ごちそう様でした。



 春彼岸と重なった3連休に、娘と孫たちが来た。
 雪の予報だった。
 大したことはなく、寒さだけが厳しかった。
 気温の変動に戸惑う昨今ではある。


 ふきのとうは顔を出さないのだが、雪解けの早いところで摘んできたものを少しいただいた。
 早速、ふきのとうみそを作った。
 熱々のご飯で食べた。美味しい!








工事ブーブ

2014年03月16日 | 日記

 コウジブーブって、なあに?

 舌の回らない孫が、変わった車両を見つけると、
「こうじブーブ!」、「こうじブーブ!」と、目で追いながら喜んでいたっけ。

 三月十二日(水曜日)



 この除雪車は大きい。
 大きくてたくましい。

 目の前に鎮座している姿は威風堂々として見える。

 聞けば、冬期間、雪降る夜明け前から稼働しているのだそうだ。

 この日は、嘘みたいな小春日和。
 雪原の雪に触れると柔らかな粗目雪で、このままいくと雪解けが始まるのでは、との期待感を持つ。

 だが、まだまだ春はやってこない。
 春を告げる季節風が吹いて、
ようやく安堵するのだ。



 向こうで幼児たちのはしゃぐ声がする。
 保育園の裏庭で遊んでいる。

 雪が溶けて、園児たちのお散歩が始まる。
「ナゴ君、お元気ですか」
 顔見知りの保母さんが声をかけてくれたが、さて、今春はどうだろう。

 下の子の出産準備のため、娘は二歳の長男を故郷の保育園に入れた。
 昔はなかったので、里帰り出産保育制度がありがたかった。

 工事ブーブ・・・
 パワーショベル、コンクリートミキサー車、クレーン車、ダンプカー。
 見つけると、こうじブーブ、こうじブーブと、目を輝かせていた。






 春霞なのだろうか。八海山はぼう~っと霞んで見える。
 午後から曇り空になった。

 雪国では、丸一日快晴という日は滅多にない。





 3月16日(日曜日)
 枯れたと思ったターサイの葉が青々と伸びてきた。
 やっぱり春なのだ。

 地下茎を伸ばして、春を待つ野草たち。




 心なしか川の流れも、水緩む春の気配が感じられる。

 今、午前中と一変して、
冷たい雨模様となってしまった。

 三寒四温。
 まだまだ、油断できない雪国の春、である。


季節の風景

2014年03月09日 | 日記




 山はとてつもなく深遠な奥行きを秘めて、自然が豊かである。多種多様な樹木や植物がその起伏激しい大地に群生し、そこに多種多様な動物や魚、昆虫、苔、菌類までが同居して棲み暮らしている。近くが隆起した岩盤の山があり、地層が捩れた山があり、暗い森があり、明るい谷があり、清冽な水を吐き出す沢や、川がある。そのいたるところに命が宿っている。山はそれ自体がひとつの宇宙であり、一個の生命体を構成する一員として組み入れられてきた。
 人は山に生き、山に生かされてきた。








 山は原始の力をとどめて、豊饒である。だが、その豊かさは意外に脆い側面がある。多岐にわたる動植物がギリギリの本能を謳歌しながら、あるいはギリギリのところで抑制し合いながら絶妙のバランスで維持している山の自然は、ちょっとの変化や狂いで均衡が崩れてしまうことがある。変化や狂いは棲息している生物に直接に影響を及ぼす。それは人為的な操作でも起こりうる。




 しかし自然は自らが持つ復元力、可逆性によって崩壊から再生に立ち上がる。 だが、それは長い時間がかかる。人間の一生にとらわれた時間の概念をはるかに超えた悠久の時の流れが必要になる。山の動植物は種の単位で耐えて再生を待ち、自らも元の繁栄を取り戻していくが、人間はその時間を待てない。自然の圧倒的な破壊力の前にただうろたえ、成す術もなく立ち尽くすしかない。




 あるいはまた、これを渡りに舟と、さらなる開発の手を伸ばしていく愚行を繰り返す。
 文明都市の思想は自然を蹂躙して、物質的な繁栄や豊かさ、機能性と合理性の人間中心の社会を手に入れようとする。それは、さらに人間社会を自然から隔絶させ、自然から学ぶことを忘れさせる。そして、人工的な社会の強迫概念に追いたてられて、身も心も病んでいく。
 かつて、山と共に生きる人の暮らしがあった。山の自然の豊かな営みと時間のうつろいに逆らうことなく、過酷な生活に素朴な喜びと感謝を捧げて生きる人たちがいた。境遇を恨まず、強く、たくましく生きる人たちがいた。

    (遠藤ケイ著「熊を殺すと雨が降る」あとがきより)





 ここ何日かの寒波。重く、張り付いたような雪である。
 久しぶりの朝陽。
 朝食の卵焼きが後回しになってしまった。









 おから。
 こんな日々の人気メニュー。
 おけらじゃなくておから!
 安価で美味しいのだ。
 昨今は、パック詰めのおからがスーパーで売っている。
 半パックで、椎茸、人参、竹輪、ネギと炒め煮、大皿に山盛りできる。
 卯の花の煎り煮。
 早春を思う一品。

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
   (手のひらを太陽に やなせたかし作詞 いずみたく作曲)

 3月11日がやってくる。
 いろんな思い・・・
 驚愕と、悲しみと、祈りと、願いと、憤怒の3月11日がやってくる。

ぼくらはみんな 生きている
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 人はみな、手をつなぎあわなければならない。

フーのきの森

2014年03月02日 | 日記


 ばあば、ね。
 僕が大きくなったら、遊ばせてあげたい場所だったんだって。

 フーのきの森?
 なあに、どこにあるの。

 魚沼市須原
 絵本の家「ゆきぼうし」
 訪れた日 2009・5・30(土)



 僕が5歳になったばかりの頃だ。

 ばあばは、友だち大勢で、ここで作品展やコンサート、フリーマーケットなどを何度もやったから、懐かしい場所だったんだって。



 森からおじさんが登ってきたの。
 懐かしくて、胸がいっぱいになって、おじさんに声をかけたの。
「お久しぶりです。Azumiです」って。
 そしたらおじさんは、
「分かりませんね。年取って忘れっぽくなりましたから」という返事だった。
 ばあばは、心が萎む思いだった。
「奥さんなら覚えているかも分かりません。二階で子供たちに絵本を読み聞かせているところですから、終わったら声をかけてみて下さい」
 おじさんはそう言ってくれた。

 おじさんに、フーのきの森に下りて写真を撮らせてもらってもいいかと尋ねたら、
「どうぞ、どうぞ」と、快い返答があった。
「ここは、誰もが自由に、森の自然と遊ぶ場所なんですよ」
 懐かしい、おだやかな表情。

 ばあばが写真を撮っていると、
「ヒメサユリが咲きましたよ」と、おじさんの声・・・



 季節にふさわしい、可憐で清楚な花。

 難病にかかり、体育教師を辞めて、この地に移り住んだ経緯も聞いていた。
「azumiさん」、「azumiさん」と、やさしいまなざしで語りかけてくれたことも、ばあばのお友だち皆が知っている。

 ばあば、大丈夫だよ。今度行ったら、おじさんは思い出してくれるよ。
 ばあばだって、そういうことあったでしょ。




 秋、
斜面の花壇の合間が客席、下の広場が野外コンサート会場となった。
 ばあばが司会担当・・・

 今でしょ! 間違い! 嘘でしょ! 信じられない!!

 駐車場、絵本の家、雨で急遽、須原集会場でもやったし、この話ほんとだよ。



 この森はね、
須原駅近くの国道252号線を横断したゆるやかな斜面にあるの。
 下の方に下りていくと、田んぼが見える。
 上は、絵本の家「ゆきぼうし」、駐車場、広場、おじさんたちが住む「大塚山荘」があるの。道路は須原スキー場へとつづいているんだって。



 ターザンロープに登ってみたいな。
 森の中を探検してみたい。

 「フーのき」って、「朴の木」のことなんだって。
 大きな葉っぱで、白い大きな花が咲く。
 秋になると、クルクル巻いた落ち葉の上を歩く感触が何とも言えないんだって。

 丸太の椅子、ベンチ、展望台、ブランコ、ターザンロープなどは、ボランティアの協力で作られたらしい。
 いろんな木の名前も書いてあったそうだよ。



 1Fはギャラリーになっている。ここで作品展をやったの。

 手前は藤棚があって、その下に木のテーブルと椅子、持ち寄った料理を食べた。



 竈に火をくべて、おじさんが栗や胡桃を焼いてくれた。
 思い出しただけで、懐かしがって目を潤ませているばあば。

 ばあば、暖かくなったらみんなで行こうよ。
 約束だよ。
 忘れないでね。

 僕は、『(お話ヤギさん)2011・9・11』に登場した「ある」です。
 もうすぐ四年生です。誕生日も四月です。

 

 追記

 浦佐のグローブクラブの常連の方から、大塚中(あたる)さんがお亡くなりになっていたことをお聞きしました。病気と闘いながら平和運動をなさっていた中さんが偲ばれます。この物語では私は忘れられた存在に過ぎませんが、仲間たちと展示会のために須原まで通った何年間は決して忘れることが出来ません。静かに進行してきたご病気のためだと思っています。やさしくあったかな眼の中さんでした。azumiさん、azumiさんと声をかけて下さった中さんのことは仲間たちも知っています。
     心からご冥福をお祈りいたします。

                        2016・8・15