ナンシーのお腹が目立ってきた。
キャットフードと猫缶を与えすぎて太ったかな、と思っていたがそうではなかった。
生後六ヶ月を過ぎないと成猫にならないと、油断していたのが甘かった。兄妹でも成猫たる行為をする。動物は、人間社会よりもはるかにオスでありメスなのである。猫は、親子も兄妹もないことを改めて認識させられた。そうと分かったときは、ナンシーの出産が近づいていた。
猫は人前で子供を産むことを嫌がる。本にもそう書いてあった。
ナンシーがどこで子供を産むのか。父親はシドなのか。
その日、平成某年6月4日、ナンシーは朝から落ち着かなかった。
連休も過ぎたのに、我が家は炬燵がまだあった。シドと何やら相談しているような様子。頼りにしているわよ、分かった、とでも言っているような二人。だが、何かシドは頼りなさそう。
こうなったら、兄妹であろうが構わない、私も支援体制だ。家族みんなで見守った。その日は土日だったかも知れない。
ナンシーは夕方近くに第一子を産んだ。私たちの前で。目の前というより隣の部屋で。一人しか生まれないのだろうか。生まれた子供を丁寧に舐めて、つながっていた臍の緒を噛みきり、胎盤も呑み込んで、またもやさしく舐め続ける。
長女が、子猫のための屋根つきの猫部屋を段ボールで作ってあげていた。その中にナンシーは子猫をくわえて運んだ。誰が教えたのでもない。子猫が誕生したときからナンシーは母になっているのだ。
最初の出産から一時間近く経過。陣痛が始まって第二子出産。産道は緩んで第三子は三十分後。第四子も同じ時間帯。
この出産の光景はみんなが感動した。
感動も何もないように、落ち着かないでいたのがシドである。
子供たちを愛しそうに舐めてあげていたナンシーは、私たちのことが気になりだした。生まれたばかりの子猫をくわえて、どこかに運びだそうとする。四人をどこに運ぶというのだ。
押し入れの衣装箱を片づけて、猫部屋をそっと奥に入れてあげた。居心地が悪そうにしていたナンシーは、どうにかあきらめてくれた。
一、二度、子猫を二階に運ぼうとした。母親は四人の出産で疲れている。ナ
ンシーのための気配りしをてあげるべきだった。
生まれた順番に、イチロー、トシチャン、ラブ、元気、という名前が決定した。
子供たちの離乳が済んで、食事の仕方を教えてあげるまでナンシーは子供たちを見守る母だった。
シドが家長であることもわきまえて、子供やシドの前に食事を摂らなかった。
その謙虚さも感動した。
ナンシーの話はまたいずれまた。
今日はシドの命日。
平成十七年八月二十八日午後十七時十分永眠。
夕方近くになって、猫たちが眠っている観音堂に出かけた。
いつまで続くか分からないが、とにかく気が済むまで。
恩師の寺で預かっていただいていることに感謝。
今朝の一品 ヘチマと卵のスープ
霧にかすむ朝