千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

ナンシーの出産

2011年08月28日 | 日記



 ナンシーのお腹が目立ってきた。
 キャットフードと猫缶を与えすぎて太ったかな、と思っていたがそうではなかった。
 生後六ヶ月を過ぎないと成猫にならないと、油断していたのが甘かった。兄妹でも成猫たる行為をする。動物は、人間社会よりもはるかにオスでありメスなのである。猫は、親子も兄妹もないことを改めて認識させられた。そうと分かったときは、ナンシーの出産が近づいていた。
 猫は人前で子供を産むことを嫌がる。本にもそう書いてあった。
 ナンシーがどこで子供を産むのか。父親はシドなのか。

 その日、平成某年6月4日、ナンシーは朝から落ち着かなかった。
 連休も過ぎたのに、我が家は炬燵がまだあった。シドと何やら相談しているような様子。頼りにしているわよ、分かった、とでも言っているような二人。だが、何かシドは頼りなさそう。
 こうなったら、兄妹であろうが構わない、私も支援体制だ。家族みんなで見守った。その日は土日だったかも知れない。
 ナンシーは夕方近くに第一子を産んだ。私たちの前で。目の前というより隣の部屋で。一人しか生まれないのだろうか。生まれた子供を丁寧に舐めて、つながっていた臍の緒を噛みきり、胎盤も呑み込んで、またもやさしく舐め続ける。
 長女が、子猫のための屋根つきの猫部屋を段ボールで作ってあげていた。その中にナンシーは子猫をくわえて運んだ。誰が教えたのでもない。子猫が誕生したときからナンシーは母になっているのだ。
 最初の出産から一時間近く経過。陣痛が始まって第二子出産。産道は緩んで第三子は三十分後。第四子も同じ時間帯。

 この出産の光景はみんなが感動した。
 感動も何もないように、落ち着かないでいたのがシドである。
 子供たちを愛しそうに舐めてあげていたナンシーは、私たちのことが気になりだした。生まれたばかりの子猫をくわえて、どこかに運びだそうとする。四人をどこに運ぶというのだ。
 押し入れの衣装箱を片づけて、猫部屋をそっと奥に入れてあげた。居心地が悪そうにしていたナンシーは、どうにかあきらめてくれた。
 一、二度、子猫を二階に運ぼうとした。母親は四人の出産で疲れている。ナ
ンシーのための気配りしをてあげるべきだった。

 生まれた順番に、イチロー、トシチャン、ラブ、元気、という名前が決定した。
 子供たちの離乳が済んで、食事の仕方を教えてあげるまでナンシーは子供たちを見守る母だった。
 シドが家長であることもわきまえて、子供やシドの前に食事を摂らなかった。
 その謙虚さも感動した。

 ナンシーの話はまたいずれまた。


 今日はシドの命日。
 平成十七年八月二十八日午後十七時十分永眠。
 夕方近くになって、猫たちが眠っている観音堂に出かけた。
 いつまで続くか分からないが、とにかく気が済むまで。
 恩師の寺で預かっていただいていることに感謝。

 今朝の一品 ヘチマと卵のスープ



 霧にかすむ朝