千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

創作 淑乃は今 後編 一

2016年01月29日 | 日記
                                   一

「淑乃ちゃん、ご飯できたよ」
「はあい、ありがとう。今行きます」
 秋の終わりに近く、やわらかな陽ざしが山野を染めている。
 ベランダで洗濯物をたたんでいた淑乃は、ガラス戸越しに返事をした。



 肉じゃがの旨味が漂ってくる。

 数馬は散歩中、近所の田中さんの畑で人参をもらった。その前はジャガイモだった。
 農作業をしている田中さんに声をかけたのがきっかけで、直々もらいものをするうちに部屋まで届けてくれるようになった。
 男同士遠慮なく話せる間柄になれたことが、数馬にとっても田中さんにとっても喜ばしいことだった。茄子、胡瓜、トマトやネギ、葉物類も、老夫婦二人では食べきれないと言っていた。
 老夫婦・・・八十才の田中さんなのだが、骨格からも、温厚な人柄からも老人とは思えないさわやかな印象が伝わってきた。
 定年後、夫婦二人で郷里に帰り、空き屋同然になっていた生家に手を加え、荒れた畑に鍬を入れ、自然農法で作物を育てている。現職時代は機械メーカーに勤務だったと聞き、淑乃との人生に明るい未来が開けたと思った。
 淑乃との暮らし、この地に居を構えたことに、心の底から充足感がわくのだった。
来春からは畑の一部を借りて、教示を受けながら、野菜づくりをすることになっている。いい人に出会えた、と数馬は言う。淑乃も同じだ。目尻の皺の奥の暖かな眼差し、田中さんは信頼できる人だ。



 数馬と淑乃が、湯沢のマンションで暮らすようになって何ヶ月かが経過した。
 見晴らしのいいワンフロアに、和室、トイレ、バスルームがついたシンプルな居住空間だ。フロアは広かった。洗面、キッチンスペースもフロア内にある。
 明るい一隅に、ガラス戸で区切った白い台が設置されている。二人の両親の位牌と写真が安置されていた。四季の風景が見渡せる場所でもある。

 
「美味しそうな匂いだこと」
「蕪漬け、サラダと味噌汁、これだけでいいよね」
「はあい。ありがとう」

 洗濯物を整理かごから選り分けて、低い白地のタンスに収納した。窓からの風景がそそのまま見渡せて、二段式に組み替えられるタンスを持っていて良かったと淑乃は思う。
 数馬は家具類を持たなかった。ガラクタ同然の本箱、ラック類は処分してきた。前のマンションもクローゼットだったし、ここでも同じだ。

 二人で新たに購入したものは、ゆったりと寛げる黒地のソファ、白地のラック類くらいだ。白地の食器棚、食卓も淑乃の部屋にあったものだ。



 淑乃は、地方公共団体の事業所を湯沢に変えてもらった。職場のみんなと離れるのは寂しくもあったが、数馬との生活、仕事の利便性を考えるとやむを得なかった。勤務していた事業所の所長の勧めでもあった。

 洋子と彼の関係は、進展もなくそのままだった。
 彼と母親の間に僅かだが亀裂が生じていたことも否めなかった。両親と息子の暮らし。結婚をしない息子を心配した母親だったが、今は何も言わない。洋子との間柄に気づかないはずはなかった。息子を奪われたくない母親の心理も分からないではなかった。
 洋子も、中学二年になった長女と、小学六年の次女に話せないままだ。
 暗黙の了解を得ることも難しかった。
 このままでいることにする。洋子はそう言った。彼と別れることのできない心情もある。

 洋子とは、時たま居酒屋で会う。
 数馬が、そうしなさい、と言ってくれた。
 燐市の駅前の居酒屋を利用する。
 成長期の子供がいる洋子だ。淑乃は遅くならない時間の電車で帰宅した。湯沢駅から歩いて遠くはないマンションの五Fだった。

 管理費が高くなるので、温泉付のマンションにはしなかった。浴室はあったが温泉の外湯でもある、町の共同浴場をよく利用した。回数券を使えば格安だった。贅沢はしない。無理のないシンプルな暮らしを二人とも望んだ。

 数馬は定年後、しばらくは家事や野菜づくりをしながら暮らすつもりでいた。

 田中さんに出会えたので、ずうっとそんな日々が続くかも知れない。
 仕事を探そうなどと考えてくれなくていい。のんびりと暮らせばいい。淑乃はそう思っている。時々は、日帰りドライブや音楽会、町のイベントにも参加してみたい。

 数馬が、掃除、洗濯、キッチン、家事全てやりたいと言って聞かないので、淑乃は面食らった。何だか生活の一部を剥奪されたような気になった。洗濯はしたい。料理も時々はしたい。せめて洗い物だけでもさせて欲しい。そんなやりとりの後、適当に分担というところで落ち着いた。



「美味しい」
「でしょう。僕の料理は格別のはず」
「愛情がこもっているから、と言いたいんでしょう」
「当たり前だのクラッカ~」
「古い、古い」
「後は桑名の高楊枝・・・」
「それも古いし、ちょっと違うんじゃない?」
「あっ、そうか。武士は喰わねど高楊枝、か。武士は貧しくて食事ができなくても、あたかも食べたように楊枝を使ってみせる。武士の清貧や体面を重んじる気風を言うんだったね」
「さすが数馬さん!あっぱれなご意見・・・私は分かんなかった、というより覚えていない」淑乃は首を竦めた。
「淑乃ちゃんは分かんなくていいよ。集会所は六時半からだったね」数馬は、壁のボードに止めてあるチラシに目をやった。
 地域の集会所でミニ・コンサートがあるという。
 田中さんがチラシを持ってきた。

 「ギターの夕べ」

 若いギタリストの演奏。
 田中さんの親戚の青年で、技術を高めようとあちこちで研鑽を積んでいるらしい。

「六時半、早いわね」
「ローカルだからこんなもんだろう」
「そうね。山が近いから夕暮れも早いしね。五時には夕飯だって言ってた方がいるわ。高齢の方だったけど」
「そうかもしれないね。現に今日の僕らだって、コンサートに合わせて早めたけどね」
「田中さんのお手伝いするって、早くしたんじゃない?」
「そうなんだ。早く行って、手伝おう」

 集会所は遠くない場所にあった。
 建物全体に明かりが点いていた。
 室内から音合わせ中のギター音が聞こえてくる。
 田中さんがいた。
 奥さんと思われる女性も、甲斐甲斐しく動いている。集会所の台所でお菓子やお茶の用意をしているようだ。
 淑乃は田中さんの奥さんに挨拶をした。
「初めまして、村越です」
 笑顔の奥さんが近づいてきた。
「どうも、どうも、お話はうかがっております。田中がいつもお世話になって」
「こちらこそ、お世話になっているのは私共です」

 田中さんと数馬、男同士、話しが弾んでいるようだ。

「お手伝いしますが、何をしたらいいんでしょう?」
「いえ、いえ、お手伝いなんて、近所の方がお茶請けの漬け物を持って来るって、お家に取りに戻ったところです。漬け物が上手なんですよ。お菓子と果物は用意してあるんですけどね」
 田中さんの奥さんは、しっとりとした気品が漂っている女性だ。年齢不詳、白髪とグレーが混じった髪を簡単に束ねていた。若くも見える。言葉使いも丁寧だし、この地の人には思えなかった。着ている洋服もシンプルだ。淑乃はひと目で好感を抱いた。

 集まった人たちは地域の高齢者がほとんどだった。
 それも十人ほど。田中さん夫婦、数馬たちを加えると十四人くらいだ。
 茶果の用意に納得した。

 青年のチューニングが終わって、早速演奏が始まった。

 アルハンブラの思い出
 アランフェス協奏曲
 禁じられた遊び

「皆さん、こんばんは。お忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございます。村山謙といいます。ここの田中さんの親戚です。隣の市から来ました。挨拶は下手ですので、最初に三曲弾かせていただきました。『アルハンブラの思い出』はご存じの方もいらっしゃるでしょう。タレガという人の作曲です。『アランフェス協奏曲』は難しかったでしょうか。ロドリーゴ作曲です。ご存じの方もいらっしゃるようですね」
 数馬が笑みを浮かべながら拍手した。
「『禁じられた遊び』はご存じですよね。映画で大ヒットしましたね。元々は『愛のロマンス』というスペイン民謡でした」
 集まった人々から、ほお~っというどよめきが起こった。
 「次ぎは皆さんもご存じの歌謡曲も交えて演奏します。演歌はできるかどうか。弾ける曲があったらやってみます。では、おつき合い願います」
 緊張感がほぐれて、村山青年はやさしい表情になった。田中さんの親族の顔だった。

 高齢者のリクエストを受けながらの演奏で、歌い出す人もいた。
 演奏会が終わると円座になって、お茶やお菓子、漬け物を食べた。
「りんごもどうぞ。上田の秋映です。完熟すると黒っぽくなるけど甘いですよ」田中さんの奥さんが淑乃の前に皿を置いた。
「上田って、りんご狩りにいらっしゃったんですか」淑乃は聞いた。
「そうじゃないの。私の郷里からよく送ってくるのよ。サンふじはもうちょっと後ね」
「奥さん、上田のご出身なんですか」
「そうよ」田中さんの奥さんは屈託のない笑顔で答えた。

 後片付けが済んだら、ちょっと家に寄ってくださいね。淑乃は田中さんの奥さんから言われた。

 信州の小諸に近い方がいた。淑乃は写真でしか記憶のない母の面影を偲んだ。

 村山青年は田中家にも寄らず早々と帰った。
 集まった人たちも異口同音に、「ギターの夕べ」はよかったと語った。

 手早く後片付けも済んで、電灯の消えた集会所を後にした。
 大半が集落から集まった人たちだった。
「いいものを聴かせてもらってありがとうね」
「久しぶりに声を出した。気持ちいいもんだね」
「田中さん、ありがとや」
「よかった。よかった。ありがとうね」
 皆が高齢者だ。集会所でギターを聴くなんて初めて、という人ばかり。
 口々に挨拶を交わして自宅に帰っていく。

「さあ、どうぞ、どうぞ、土曜日だから時間もたっぷりありますよ」
 田中さんの家は、古いがしっかりした家構いだった。定年で帰郷してから手を入れたと聞いている。藁葺きをトタン屋根に改築したようだ。両親は、田中さんが定年を迎える以前にこの世を去っている。
 広い玄関、居間と座敷が続く。この地方独特の造りだ。太い柱と梁、雪の重みに耐えられるように作られている。

「おじゃまします」
 数馬と淑乃が正座して挨拶をすると、
「堅苦しいことは抜きに、膝を崩して無礼講といきましょう」田中さんは笑いながら言った。
「お母さん、酒にして」と台所の奥さんに声をかけた。
「はあ~い。お酒は?最初はビ~ルですか~」
「村越さん、ビールからでよかったかな」
「いやあ、困りました。お宅におじゃまするつもりじゃなかったから」村越はもぞもぞと落ち着かない。何か持ってくるんだった。淑乃に救いを求める目だ。田中さんに無礼を詫びた。
「いいから、いいから。いつもの間柄じゃないですか」
 田中さんの奥さんが入って来て、四人分のグラスを置く。手早に盛り合わせた漬け物皿を置くと、ビール瓶を持ってきた。
「今日はありがとうございました。乾杯といきましょう」
 田中さんも奥さんもにこやかな笑顔だ。
「こちらこそお招きいただいて、乾杯しましょう」
 淑乃も、「ギター演奏会よかったですね。乾杯しましょう」と言った。
「僭越ですが、打ち上げ、反省会でいいですよね。田中さん」数馬も口を添えた。
「謙は酒飲まないし、口下手でねえ。子供の頃から楽器が好きでね。上達しましたよ。打ち上げも反省会も頭になかったです」田中さんは頭を掻いた。
 四人はビールのグラスを少し上に持ち上げて静かな乾杯をした。
「ああ~、美味しいこと」奥さんは満面笑顔で言った。
「お母さんは、これで結構強いからね」
「お父さんったら嫌ですよ。そんなに飲んではいません。あっ、可笑しいですよね。お父さん、お母さんなんて」
 田中さんの奥さんはくすぐったそうに言った。
「そんなことないですよ。お父さん、お母さんがお似合いです。仲良しのご夫婦そのものです」淑乃は本当にそうだと思った。
 数馬も相づちを打つ。
 田中さんも照れたように言った。
「いつまでも若くいようって二人で決めたんですよ。おじいちゃん、おばあちゃんと言い合っていたら、すぐ年寄りになりますからね」
 田中さんは、数馬、淑乃、奥さんにビールをつぎながら言った。
「大きい子供が二人いるんですよ。娘は五十五、息子は五十三、どっちも独身です。二人とも家庭は持ちたくないそうです。もうあきらめましたがね」
「娘は東京で婦人服のデザインをやっています」奥さんも言う。
「息子はIT企業とか、今どきの職業はさっぱり分かりません。私たちは定年で社宅を出ました。故郷にお母さんを連れて来ましたが、良かったのかどうか、聞いたことはありませんが・・・」田中さんは目を細めた。
「ここに来て良かったですよ。自然は豊かだし、皆さんはいい方だし、幸せです」田中さん夫婦は温厚だ。お互いを認め合い、支え合って生きている。

 先ほどから言おうと思って口に出来なかった淑乃だが、床の間の書に目を留めた。



     「山雨欲来風満楼」

「この書、何と読むんですか」

「『山雨(さんう)来たらんと欲(ほっ)して風(かぜ)楼(ろう)に満つ』山雨がやって来る前には 貴方へ風が吹き付ける。変事が起きる前は なんとなく形勢が穏やかでなくなることの譬。論語ですかね。表装はまだですよ」と田中さん。

 娘さんが書をやっているのだそうだ。洋服のデザインもだが、趣味の書道歴も長い。
「美しい文字ですね。女性らしく洗練されたものを感じます」
「さあ、どうですかね。私にはよく分かりませんけど」
 田中さんの奥さんはビールを勧めた。
「ありがとうございます。いいお嬢様をお持ちなんですね」
「とんでもないです。ただね、子供たちを束縛しないで自由に生きなさいって言っているんです。自由奔放はよくないけれど、自分の人生は自分で責任を持ちなさいって、私もお父さんもそれでいいと思っているんですよ。淑乃さん、あなたと同じくらいかしら」
「同じくらいだと思います。お会いしたいですね」
「十月に来たばかりだから、何時来るかしらね。あちこち飛び回っている娘です。淑乃さんのように素敵な女性だといいんだけど・・・」
「よして下さい。おっちょこちょいで欠点だらけです。娘さんは奥さんに似て、品のある美しい方じゃないんですか」
「あらら、ご冗談を。私、八十才なんですよ」
 田中さんの奥さんは若く見える。
 数馬も「お若いですね」と言った。
 奥さんは困ったような顔になった。

 淑乃は話題を変えた。
「そうそう、私の母も小諸あたりなんですよ。土地の名も変わっているはずですけど、奥さんは上田ご出身でしたか」
「集会所で、何か思いに捕らわれた顔をなさっていましたね。お父さんと帰りに寄っていただこうと話していたんですよ」
 立ち上がると暖めた煮物を持って来た。そして、冷えたビールもだ。
 田中さんは、数馬と焼酎を飲み始めていた。
「上田が故郷です。お母さんも小諸の方でしたか」ビールを勧めながら奥さんは聞いた。
「私が小さかった頃、あの世に旅立ちましたからよく覚えていないんです。父が療養所にいて、そこの看護婦だったようです。母の家族も亡くなっているんです。戸籍謄本で分かったのですけど、どんなとこなのかな~と思って・・・」
「そうでしたか。小諸、東郷、上田と近いんですよ。佐久、軽井沢も近いですしね。ここも好きですが、信州のあの一帯はなだらかな山が裾野まで広がって景観がいいです。今度二人でお出かけになっては?」
「そうですね」
 そうだ、数馬と信州までは行ったことがなかった。いつか訪れてみたいのだが。観光地は何処も混み合うと辟易していた数馬と淑乃だった。

「信州にラベンダー畑ってありますよね」
「ラベンダー畑、苺狩り、ブドウ狩り、りんご狩り、なんでもありますよ。ラベンダー、今こそブームですけど、昔はなかったような気がします」
 田中さんが横から口を出した。
「富良野のラベンダーで有名になったんですよ。国鉄のカレンダーですっかり有名になって、観光客が押し寄せたそうですから」
「そうでしたね。子供たちが小学校、中学校だったかしらねえ。忘れたけど、信州でも栽培されるようになったんじゃなかったかしら」
「忘れっぽくなって困ったもんだ」田中さんは苦笑した。
「それは僕も同じですよ。一つ忘れて、また一つ思い出す。その繰り返しですよ。これからもお互いに、旧態依然でもいいけれど、ゆるり、ゆるりと、日進月歩でいきましょう。あせらず、のんびり人生好きですね~」
 田中さんは目を細めて、数馬に握手を求めた。

  奥さんは上気した頬を指で軽く叩きながら、淑乃を隣の部屋に誘った。電灯を点けると客間らしき部屋が明るくなった。床の間と仏壇が目に入る。
「親ばかですね。こっちの掛け軸も見せたくなって・・・」
 床の間には、掛け軸と季節の花が壷に活けてある。りんどうの紫が目に染みた。

「あら~。こちらも素晴らしい書ですね。読めないけど、凛としていて、のびやかな書。躍動感があります」



      見賢思齊馬焉

「『賢(賢を見ては齊(ひと)しからんことを思う』すぐれた人に出会ったら、その人のようになることだ。これも孔子の論語のようですけど、後に続く言葉があるんですよ」奥さんは床の間からメモ書きを探した。「『見不賢而内自省也』お父さんのように読めないけど、劣った人を見たら、自分にも、それと同じように悪い点はないか反省してみることだって書いてあります」
  奥さんは、自分を可笑しがって笑った。少し酔いがまわったようだ。


「いい人たちね~」
「いい人たちにめぐりあえて幸せだな~」
「ほんとね」
「淑乃ちゃんとの今が最高の幸せかな~」
「私も」

 真っ暗になった夜道を、土産にもらったりんごの袋をぶらさげながら、二人は身体を寄せ合い、手を組んで歩いた。

                                つづく




梓川の思い出と・・・

2016年01月13日 | 日記

     『孤高の人』



 暮れに大阪の娘一家と電話をしたときのことだ。
 ハッチャンと電話口で話した。
 「新田次郎の『孤高の人』、読んだことありますか?」
 「あんなに名高い本なのに、読んでいなかったの・・・」
 「正月、持って行きますよ」
 わお~っ!である。

 ブログ、「晩秋の里」でも少し書いたが、カウンター越しに友と語らっていたとき、常連客らしき男性たちが店に入ってきた。画家のIさんと、知人のWさんだった。Wさんは八海山屏風岩に何度も挑み、アルプスや白馬など信州の山々に登った話しをした。話しのついでに、新田次郎、西村寿行の作品を熱っぽく語った。
 「新田次郎、『孤高の人』が懐かしいね」友人は言った。
 私は相づちを打てなかった。大分読んだはずだった。だが『孤高の人』は読んでいない。好きな作家が変わったのだろうか。遡って思いを巡らせてみても、何も浮かばない。文庫本の文字が小さかった時代だ。

 ハッチャンは、約束通り本を持ってきてくれた。

 12月31日は、雪を待っていた孫たちの期待に応えたように雪が舞い降りた。

 ハッチャンは、登山靴にアイゼンをつけて坂戸山を登った。地元の人たちが長靴を履いて登っていることも、登山道の斜面や階段を滑らないようにスコップを使って踏み固めている人がいることにも驚いていた。娘宛に届いた携帯写メールの雪景色は綺麗だった。

 午後から、他のみんなと正月料理を手伝ってくれた。
 何と言っても、トオル君の調理の腕に頭が下がった。

 みんなが帰って静かになった我が家・・・

 昨日、やっと『孤高の人』を読み終えた。

 加藤文太郎という、実在、実名の人物を主人公とした「山岳小説」の力作を・・・

静かな深い感動が押し寄せた。

 六甲の山々を歩き、ヒマラヤ征服の夢を心に秘め、日本アルプスの山々を、ひとり疾風のように踏破していった“単独行の加藤文太郎”。加藤文太郎は、その強烈な意志と個性を切り開いていった。学歴はなくとも造船技師にまで昇格した。昭和初期、暗雲が忍び寄ってきた時代背景もある。

 初めて組んだパーティーの、厳冬の北鎌尾根で消息を絶った。

 愛しい妻と生後2ヶ月の愛娘を遺して。

 雪に喰われ、凍傷で動けなくなった足。足を引きずり、吹きだまりの中に胸まで入って、そこを、ほとんど手の力で這い出した。
 帰路の目的地に近い第3吊橋を見た・・・

 加藤文太郎の遺体は天上沢第3吊橋付近で発見された。4月に入ってからであった。


 八ヶ岳、上高地、梓川、乗鞍岳が文中にも登場する。


     梓川の思い出とともに・・・

 某年8月15日  PM11:45アルプス11号 新宿駅発
   8月16日           AM 5:05松本着
                   新島々AM5:45着
 バス乗車AM6:05
 上高地   6:00?着(メモの記載なし)

 同行者 H・S(友人・女性)

 登山を止めて、上高地を散策するという友人を残し、1人登山。

 バス乗車  (時間不明)
 乗鞍畳平着  8:45
 
 乗鞍岳登山は、途中までバスを使った。

 剣が峰の頂上まで二時間歩いた。一人で登る女性を見かけてホッとした。
 山歩きでの挨拶とルールは守ったはずだ。バスを使うなど、本来の登山ではなかったが、その頃の私には山仲間がいなかった。妹を誘って霧ヶ峰を歩いたり、もっと以前は仲間たちと東京近郊の山歩きをした。芯が強く、弱音を吐かない健脚な自分がいた。若かったのだ。登山経験のない友人を誘ったことをあとで詫びた。

 乗鞍岳最高峰剣が峰3026M

 頂上の剣が峰は風が強かった。さすが3000M級の山である。
 その風が心地よかったことを覚えている。


     剣が峰頂上着 10:45

 下山 バス 上高地着 15:40

 予約してあった中日新聞山荘泊まり。満客で、女性は女性同士固まって、楽しく語らい、就寝した。湿気のある布団は心地よいものではなかったが、上高地に来た満足感があった。

 8月17日
 起床AM6:00
 朝食AM6:30

 上高地散策7:20~11:50



 上高地の朝はすばらしい。
 澄みきった大気と
 梓川の清冽な流れ・・・
 そして美しい自然と小鳥のさえずりと。
                    (メモより)



 帰りを急ぐ友と松本駅で別れた。
 一人、松本市内見学。

 PM11:45アルプス11号乗車。

 8月18日
 AM5:05新宿駅着。


     『神々の山嶺』



 「神々の山嶺」を読むきっかけになったのもハッチャン・・・
 子供たちが待ちきれなくて、父親より先に魚沼に来た。
 「神々の山嶺」に心酔しているハッチャンと、つられるように読んだ作品のことを娘が話した。

 ハッチャンはお盆休暇に入る前に西穂高に登ってきたのだ。日に焼けて、山男になっていた。

 家の中が静かになってから書店に出かけた。
 1ヶ月近くを夢中になって読んだ。

 ひたすら、エヴェレストの羽生丈二(はぶじょうじ)を思い、深町誠を思い、岸涼子を思った。
 感想を書くことも出来ない。他の本も読めない。その後、直木賞作家の本を何冊か読んだが、つまらなかった。




 「神々の山嶺」が映画化されるそうだ。娘夫婦から聞いた。
 新聞の正月版でも、大きな広告が載っていた。

 羽生丈二   阿部寛
 深町 誠  岡田准一
 岸 涼子 尾野真千子

 羽生丈二は、背は高くないが強靱な身体をしていた。日に焼けた真っ黒な肌と鋭い眼光、顔の皮膚も剥がれて野獣の臭いがする男なのだが・・・

 封切りを待っていようか。