言葉などいらなかった
美しく飾ろうとする
言葉など
そこに行けば
誰もがつかのま
詩人になれる
そこにあふれている
さまざまなものが語りかけ
旋律さえも奏でていた
人は誰もが
カリスマ的なものの一つない
自由な空間の存在に
安堵したに違いない
あまりにも
ゆるやかで あたたかな
その存在に
凍てつく
二月の寒さは
そこにはなかった
(azumi)
「なつかしいよね」
「あったかな人だったよね」
なつかしい人はいなくなった。あの世という地に旅立った。
なつかしい人の思い出話と、この店のオーナーの言葉が重なった。
暗闇を手探りでかきだすようにして、だが、思い直したように、
「がんばろうよ、ね、明日に向かってがんばろうよ」
と、かけ声を放つ友。
店の個室はうす暗く、彼女の表情さえも読み取れない。
ログハウスの二階。狭い窓からは雨の国道17号線。時折、車のライトが鈍い光を落として通りすぎていく。
私たちの居場所がまた消える。
これも寄る年波。
オーナー一人での維持も大変と、あっさり決意したのだという。
この人も九州の出。
夫人の郷里に根を据えて、長い年月が過ぎた。
私たちも、歳月を、こうして語りあって過ごした。
芽吹きの春、芽が膨らむように、枝々が伸び、仲間が増えていった。
仲間展を企画。それぞれの得意分野を発表する場に、ミニ・コンサートやフリー・マーケットが加わっていく。楽しい時代だった。
途中、私が病気にかかっていたことを医師によって知る。軽い脳梗塞だった。 仕事も忙しく、市の検診も受けていなかった。症状は軽いのだが、気がついたのが遅く、完治するまで時間を要するという。
病気は打撃だった。
仲間の一人は、私の病気を理解できず、ギタリストのコンサートの司会を、あなたしか出来ないと頼み込む。話す言葉もなめらかではなくなった、私の心のうちを知るよしもない。なぜか司会担当は私になっていた。何度も断ったのに、引き受ける結果になってしまった。
魚野川沿いのレストランでの、「ギターコンサートの夕べ」は、いい雰囲気の中で開催された。ただ一人、緊張しすぎて時々言葉を忘れた私を除けば。
本来の自分を取り戻す日は必ず来る、と信じていた。
そして、以前と変わらない私になった。
世の中は変わった。
人の心も変化する。
だが、友情は変わらない。
空も、山も、川も、自然の豊かさも。
自分を取り戻した私だったが、神の戒めを再び受けることになった。
春になったら歩きだそう。
山を歩こう。
昨年夏から、休んでいる絵画教室も再開だ。
(追記 あるとき、消化器外科の女医に病歴を問われた。「閉経後の隠れ脳梗塞ね」明るくあっさりと言われた・・・なるほど納得。何年も気がつかなかった訳が分かった)
診療所の欅。 2011・1・ 7
診療所の欅 2011・1・10
診療所の欅 2013・2・23
かつての院長(故人)の家には、樹齢約1500年の欅の大樹がある。
「欅苑」として、越後雪国の典型的な田舎屋造りの料理屋となっている。
東京に出かけて来た夫。東京はポカポカ陽気だったようだ。
帰路、関越トンネルを抜けたら、猛吹雪で大渋滞だったとのこと。
地震もあった。
昨日から寒波が来ている。
目標を持つこと。
今日の自分、明日の自分のために。