千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

湯沢へ

2013年09月25日 | 日記

 湯沢に向かうとき、
目標は、娘一家が住んでいたアパートである。
 先にある交差点を右折すると、ほぼ浮かんでくる目的地。
 白いコテージ、岩の湯。フィッシングパーク、土樽自然公園、土樽駅と辿っていくと橋の向こうに毛渡川堰堤がある。水面が緑色で、心打たれる。
 上を通っているのは関越高速道路。



 左側の坂道を上れば、発電所の手前に毛渡川橋梁が見えてくる。
 観光客らしき人の気配すらない。






 橋を戻って、発電所の反対側に行ってみた。
 平票山、仙の倉山、登山口の看板があった。




 橋梁のそばに咲いていた野菊。




 杉林を走ってみたが、道路状態が悪かったので引き返した。
 土樽駅から、またその奥、またその奥へと車を走らせるのは夫。
 昨年の9月も大勢できた道だ。友人と、もっと奥へ、もっと奥へと行ったことがある夫。でこぼこ道で、いささかげんなりしてきた私。途中で引き返すことにした。
 車中で感じたことだが、山中でも平地でも歩いている人が多いのには驚かされた。


 大源太キャニオン、ヴィチーニ。
 この3連休は晴天に恵まれた。この日も、人でいっぱいだった。
 テントが目立った。客寄せのテントなんだろう。大源太感謝祭がまたやってくる。






 大源太湖、山側の遊歩道は立ち入り禁止だった。ロープが張られていたので近づかなかったが、台風18号の大雨で損壊した所があったのだろう。
 ダムサイトに回ったが、やはり遊歩道は立ち入り禁止だった。




 湖面に浮かぶボートも少ない。おだやかに見えた大源太湖だが、さざ波がたっていた。台風の余波か。南風がずっと吹いていた。


 大源太山。
 いつきても、大好きな山。




 「ゲンタ」とは方言で、四角い木材のことを言い、山容が角張っていることから名付けられた。「東洋のマッターホルン」とも呼ばれ、新緑と残雪の美しいコントラストの山容をご覧ください。以前貰ったパンフレットに書いてあった。

 角張って、雄々しい山。
 また来よう。大源太へ。

 奥添地にも行ったが、牧場は見あたらなかった。昔のことだ、父とナラの木を伐採した牧草地に、ナラタケ採りに行った。
 舞子高原の名も懐かしい。壮年男性二人、リモコンで模型のヘリを飛ばしていた。のどかだな~。

 帰路は魚沼スカイラインへ。



 秋の気配を少しだけ感じてきた。


 ナナカマドの色づいた実や、ヤマブドウ採りをしている若人たちの笑い声に。







朝の風景

2013年09月23日 | 日記

 9月13日(金)
 朝の川とキバナコスモス(キク科コスモス属)
 このところ、朝靄が立ちこめている。日の出近くなると、靄は上昇を始める。




 9月17日(火)
 雲が流れている。静止ではなく、一定のリズムを保って、行く先は三国連山か。のどかな朝だ。
 台風18号が去って、稲は豪雨にたたかれていた。




 マルバルコウソウ(ヒルガオ科サツマイモ属)




 初秋から咲き出す、この赤い花も好き。外来種らしいが、決まった川辺に蔓を巻き付けていくから面白い。晩秋の頃まで花が咲く。


 刈り入れした田と、刈り入れができなかった田と。




 9月20日(金)

 萩が咲く庭。






 萩が咲きこぼれる庭は風情がある。
もう一軒あるが、最近朝散歩をしなくなったところだ。


 ヤマボウシの実が、まだ残っていた。台風の雨に打たれて、無惨に落実していたり、青かった果実が色づいたのだろう。




 9月21日(土)

 刈り入れ時期がきた。



 秋桜が咲く庭。
 日の出前の空はどんよりしていて、秋桜がうまく撮れない。昨今、この種の秋桜が減ったように思う。




 9月22日(日)
 日の出 6:35
 散歩の帰り道、やっと顔を出した太陽に遭遇。
それも、雲がかかった状態だ。
そして、太陽が上昇していくと、からっとした晴天になる。



 9月23日(月)
 彼岸の中日。
 おはぎはやめて、いなり寿司を作った。
 そして、湯沢に出かけてきた。
 南風みたいな風が吹いている。
 台風の前ぶれ?

まごまごアート

2013年09月15日 | 日記

 3連休。
 まごたちは用が出来て来れなくなった。
 娘一家との連休を楽しみにしていたのに・・・

 同級会に参加するために、
一人でやってきた娘・・・

 まごたちからのプレゼントを抱えてきた。
 わお~っ!!
 凄いアート作品!!

 押し花アートだ。




 じいじばあばへ
 いつもかわいがってくれて
 ありがとう。

 ずっと
 長いきしてね。
 あるより




 じいじ ばあばへ
 いつまでも
 げんきでね。
 るうより


 あちらのばあばに教えてもらって作ったそうだ。
 私とは違う。
 私、なんにもできない唐変木だ。
 あっ!
 そんな私でも、思わぬ才能の開花に気づいた第一人者かも知れない、なあんて。
 それは・・・


 長いお盆休みだった。
 片づけておいた絵具類を孫が見つけた。
 ばあばの絵の具でお絵かきがしたいという。
 油絵は駄目だ。
 洋服を汚すし、大変なことになる。
 水彩絵の具を思い出した。
 ずいぶん前のことになるが、イタリア旅行土産にいただいたもの。
 筆とセットの土産品だったが、
孫たちがお絵かきを楽しんだ。



 3歳間近、すいのお絵かき。

 せみさん




 女の子




 5歳、なごむ

 小鳥かな?




 なごむは、お絵かきよりも工作が得意。あるもそうだ。
 るうが、お絵かきが得意なことは知っていた。

 お絵かきと称して、点やグチャグチャな線しか描けなかったすいが夢中になった水彩のお絵かき・・・
 翌日もお絵かき・・・
 次の日も・・・

 親たちも、私も、子供たちの未来を夢みて心を膨らませる。
 自分がたどり着けなくても、、健やかに、たくましく、創造性豊かな子供に育ってほしいと。





ヤマボウシ

2013年09月08日 | 日記

 生きていてもいいですか



 どきっとするようなタイトル・・・
 中島みゆき、7作目のオリジナルアルバムからタイトル表紙を借用。
 はかなく実を落としてしまうヤマボウシに重ねてみた。
 このことは、先回のブログで書いた。
 というのは単なるいい訳で、オレンジの実に合う色がほしかったのである。
 黒・・・生きていてもいいですか
 ヤマボウシの実を置いた。ぴったりだと、そのとき思った。
 パソコンを買い換えたとき、フォトの記録が消失してしまった。




 校庭のヤマボウシの木の下から拾ってきた。
 何となく、実が成る頃かなと、ヤマボウシ目当てに散歩に出た。
 あった~。
 心が躍った。
 大切に包んで持ち帰る。
 洗って、写真撮りをしてから口に含んだ。
 ざらつくのが気になるが、甘くておいしかった。
 たくさんあれば、ジャムにもなりそう。



風にとけていったおまえが残していったものといえば
おそらく誰も着そうにもない
安い生地のドレスが鞄にひとつと

みんなたぶん一晩で忘れたいと思うような悪い噂
どこにもおまえを知っていたと
口に出せない奴らが流す悪口

みんなおまえを忘れて忘れようとして歳月流れて
突然なにも知らぬ子供が
引き出しの裏からなにかをみつける

それはおまえの生まれた国の金に替えたわずかなあぶく銭
その時 口をきかぬおまえの淋しさが
突然私にも聞こえる

エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答えを誰もが知っているから 誰も問えない

流れて来る噂はどれもみんな本当のことかもしれない
おまえは たちの悪い女で
死んでいって良かったかもしれない

けれどどんな噂より
けれどおまえのどんなつくり笑いより、私は
笑わずにいられない淋しさだけは真実だったと思う

今夜雨は冷たい
行く先もなしにおまえがいつまでも
灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
ひとつずつ のぞいてる
今夜雨は冷たい

エレーン 生きていてもいですかと誰も問いたい
エレーン その答を誰もが知ってるから誰も問えない
エレーン 生きていてもいいですかと問いたい
エレーン その答を誰もが知ってるから誰も問えない
                      (中島みゆき「エレーン」)

 しんみりと心を打つエレジー(哀歌)である。
 実在の、名もない娼婦の死がモチーフになっていると聞いた。




 ヤマボウシとは、比叡山延暦寺の「山法師」に因んだ命名とか。
 中央の丸い花穂を坊主頭に見立て、4枚の白い花びらを白い頭巾になぞらえている。

 ヤマボウシ(ミズキ科)



 比叡山といえば、
五木寛之「親鸞下」を読み終わるところだ。

 先年、大阪の娘夫婦と、娘婿の実家がある、大阪でただ一つの村、千早赤阪村に出かけた。弘法大師、楠木正成のゆかりの寺「観心寺」なども案内していただいた。京都にも。秋、古寺と紅葉が見事だった。
 旅を終えて、「観心寺」をネットで検索していたら、五木寛之の「百寺巡礼」の途中で書いたらしい文章が目に止まった。
 いつか読んでみたいと思っていた。

 書店で「親鸞」の文庫本に出会ってしまった。
 時間がかかるが、読み出したらやめられなくなる私である。
 三浦しをんは、一通り読んだので休読。
 「親鸞 激動篇上下」と続く。
 歴史に詳しい訳ではない。作家の描く親鸞に惹かれていくのである。
 生身の人間味に。


九月の雨

2013年09月01日 | 日記

九月に降る雨は
深い秋を迎えるべく
音もなく 静かに
季節の終わりを
洗い尽くす 

恋に疲れた人は
肩先で深い息をはき
かなしみの心を
九月の雨にそっとたむける

そぼ降る雨に濡れて
はかなく首を垂れたつゆくさが
一日だけの花の命を
かぼそげに川面に散らす

九月に降る雨は
音もなく ゆるやかに
やがて来る
秋の歓喜を
心静かに待てと
ささやきつづける
                           (azumi)

 身の引き締まるような涼しい朝だ。
 霧雨のような、細かい雨が心地よかった。
 めざし帽に、長袖のシャツの上にダウンベスト。
 濡れるのが気になる雨ではない。
 初秋。
 そんな言葉が似合う、九月一日。九月最初の日曜日。

 雨なのでデジカメは持たずに出た。
 雨の朝に似合う野の花は、やはりツユクサだろうか。
 花は毎日一輪ずつ咲くのだそうだ。朝開いて午後しおれ、次の日にはまた新しい花が咲く。畦道のそこかしこに咲いている。

 午前十一時頃撮った写真






 昨夜、TV「NHKスペシャル」で、(よみがえる関東大震災首都破壊90年目の警告・・・)の衝撃的な映像を観た。


 一昨日、朝の鰯雲。













 昨今の異常気象は、テレコネクションのメカニズム、地球規模で連鎖して起こる異常気象だという。
 地球のエネルギーバランスが崩れているのだそうだ。


 昨日の朝の風景



 朝霧が昇る



 おだやかな秋であってほしいと、切実に思う。