千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

冬の道

2014年02月23日 | 日記


あなたが
あなたとして生きるために
あなたが
歩いてきた道のりをふりかえって
歩調をゆるめたり
駆けだしたりすることもいらない

急いで歩いたって
何も見えはしないし
ゆるやかに歩いてみたところで
あなたはかえって戸惑うだろう
あなたが
あなたらしく歩いていない影の軽さに
ためらうだろう
あなたが
あなたとして生きるために
あなたは
今のままのあなたでいい
今のままにあるあなたが本当のあなただ

急いで駆けて
心も身体も炎に包まれたように熱くなっても
全てが鎮まれば
いつもと変わらないあなたにもどる
人の本質は変わるはずもない
あなたが
あなたとして生きるために
あなたは
今のままにあることがいいのだ
                
                        (azumi)


 2月20日(木)
 池田記念美術館絵画展当番日

                  越後駒ヶ岳と八海山




 いけびカフェでラフカディオ珈琲を・・・
 注文したのに、珈琲もワッフルもサービスで無料だった。
 ストーブもそばに置いてくれた。




 珈琲もワッフルも美味しくいただいて、丸みをおびた冬景色を眺望しながらの読書・・・
 じょんのび、まったり、そんな言葉がぴったりのエントランスホールだ。


 遠藤ケイ著「熊を殺すと雨が降る」もやっと206P目・・・
 失われゆく山の民俗・・・作者が真摯に取り組む様に心洗われる思いがする。
 凄い人だ。山を、自然を愛してやまない人なのだ。

 ぼや~っと霞む思考と視野の中に、先輩たちが入ってきた。先輩とは年齢のことではない。ベテランの芸術家というべきか。
 絵画教室の講師と、湯沢で絵を学んでいる人たちが訪れるようだ。

 先輩が言った。あなたの絵、好きよ。純粋で暖かみがある、と。
 ベテランに言われると、恥ずかしくって穴があったら隠れたくなる、正直のところそうなのだ。

 講師もそろって、皆でお出迎え。挨拶を交わす。私は、にこやかに頭を下げるだけ。
 それだけしかできないのだから・・・
 大勢で、講師の作品の説明を聞く。
 合評会が2度あったのだが、来なかった私である。




 じょんのび、まったり気分はどこへやら、人々のざわめきの中、当番交代となった。健康ドリンクの差し入れで喉を潤した。



 2月22日(土)

 友人の店で 歌声喫茶 25名様 満員




 ピアノ調律士を本業とする方のアコーディオン演奏。ギター、その他の楽器が出来る。奥様はアシスタント。







 声を張り上げて歌うのは何年ぶりだろう。
 楽しかったが、声が枯れた。
 腹筋トレーニングをしないせいらしい。
 足上げトレーニングは、自宅リハビリでやっているのに・・・
 筋力不足は、こんなことにも顕著に表れる。





地元「炎の祭典」





おもてなし??





2月22日は猫ニャンニャンの日だった。








 娘から「今日は猫ニャンニャンの日だよね」と、孫の添付写真つきメールが届いた。
 ニャンニャンになりきっているのかな。







詩文 囲炉裏火

2014年02月16日 | 日記




光が刺すように入り込んでいる

梅雨の合間

降りしきっていた雨は 朝になって止んだ

光を遮断して 大きな影が娘の前に現れる

そんな期待はむなしく消える

あの男の姿はもうない

一瞬
見つめ合った
そのことだけで 娘の心に灯が点った




囲炉裏の炎が揺れている
暗い炉地 大火棚に吊された鉄瓶
薪が跳ね 赤い火花を散らす




元祖 女性は太陽であった

平塚らいてう

日本の新しい女性
その生き方

密かに「青鞜」を読み 新しい女に憧れた

寄宿舎のある高等女学校を卒業 
家事見習いの後に
親の決めた相手との婚姻が待っていた

私はノラにもなりたくない

人間として生きたかった

ただそれだけのこと

親に逆らえない自分を知っている





新入りらしき書生が庭を掃いていた

言葉を交わしたわけではない

娘が捉えた男の眼の奥に
隠された光を見た

娘はたじろがなかった

眼の奥で挨拶を交わした

ただそれだけのこと

近づいてくる
確かな予感 胸の高鳴り







だが 男は目の前から消えた
黒い大きな力によって
去ることを余儀なくされた

ただそれだけのこと




歳月は過ぎる

囲炉裏火の炎は
心の奥底に封印したまま
娘は 大家のおかかさまとなって
弱者を庇護し 気丈な女の一生を貫いた








 写真 重要文化財 目黒邸 (魚沼市須原)



 目黒家は戦国大名会津蘆名(あいづあしな)氏に仕え、伊達政宗との戦の後、天正18年(1590)越後広瀬谷の地で帰農したと伝えられる。中世武士の系譜をひく豪農である。
 目黒家の初代善右衛門は、江戸時代初期の慶長年間(1610年代)に上条郷近郷15ヶ村の肝煎役を勤めている。
 尾瀬に源をもつ只見川の上流で、寛永十八年(1641)銀山が発見された。これに端を発した会津と越後の国境争論では、目黒家の二代彦兵衛は越後の代表として江戸に赴き、幕府評定所の幕閣に早期裁断を訴える等大庄屋に並ぶ働きをしている。
(中略)
 江戸時代中期から明治維新に至るまで、糸魚川藩魚沼領の割元庄屋(大庄屋職)の役宅をかねた豪農住宅である。その後の目黒家の活躍もめざましい。
 昭和49年国の重要文化財に指定された。

 ※詩文『囲炉裏火』は、「重要文化財目黒邸」見学後の創作である。



やすらぎ

2014年02月09日 | 日記



深いやすらぎを
生み出してくれたのは
あなたです

深い眠りを
与えてくれたのは
あなたです

私は
少女の日にもどったような
やさしさだけの心で
一日を
ほほえんでいることができました
                     (azumi)




 絵画教室講師のポストカード。窓口で売っている。
 いづれも八海山。

 緑の中に  P100  2005年



 雲動く   F100  1993年



 晩秋八海山  変40  1999年



 絵画展の当番日だったので、朝から忙しかった。八時半までに仕度を済ませた。
 九時前だが自動ドアは開いた。
 ホールでは、ミーティング中だった。
 ストーブで暖まっていますからこちらにどうぞ、と熱いコーヒーをいただく。
 小泉八雲ゆかりのコーヒーだと以前から聞いている。
美味しい。
 かつては、砂糖、ミルクを入れなければ飲めなかったのに、いつのまにかブラック党になっている。友人の店で湧かしてくれるコーヒーのおかげかもしれない。
 何人かの来訪者があって、丁寧にお辞儀をする。
 名士夫人は大変だ。
 この前も来たのよ。あなたが絵をやっていること聞いたことがあるけど・・・
 いいのだ。いつになっても下手くそなままなんだから・・・
 微笑んで、お辞儀をして誤魔化す。

 本でも読もうか。
 ストーブの前で・・・

 十時近くに、女性の二人連れが入ってきた。
 あら、Eさんだ。
 そういえば、年賀状の返信のつもりで案内状を送ったのだった。
 お時間があって、気が向いたらお出で下さいね、とだけ書いて。
 来てくれたのだ。
 嬉しかった。
 二時間もおしゃべりをした。

 長い、長いおつきあいである。
 東京時代の同僚である。部所が違うので、日々言葉を交わした訳ではない。
 彼女のにこやかな笑顔と、おおらかな人間性が好きだった。出身が南魚沼と聞いて、より身近な存在になった。
 私も職場を離れ、彼女と疎遠になった。
 いつの頃だったか、叔父が、新潟県のスキー場のPRに上京するというので駆り出されたことがあった。PR映画だった。叔父は写真家で、スキー場のビデオも撮っていた。塩沢のスキー場が映し出されたとき、彼女が滑っている姿を発見した。
 Eちゃん、故郷に帰ったのだ。驚きよりも、ホッとやすらぎにも似た感情が私の心を支配した。

 そして、すっかり忘れていたのだが、銀行帰りに私の小さな小売店を覗いてくれたのである。偶然なのだが、まるで必然だったと思いたい私である。
 人生に、数あることではない。
 以後、私やその仲間たちの集いに誘ったりして親交を暖めてきた。

 よもやま話に花が咲いた。
 楽しいひとときだった。

 二人は、本家、新宅の間柄なのだが、気が合って仲間づくり、貯金して旅行、旅行が嵩じて登山に、北海道の山まで登った。それも膝関節症や腰痛などの症状が出て登山はやめたという。



 展覧会の案内状が嬉しかったそうだ。
 大雪だったらどうしょうか迷うけれど、道路も凍結していないので来ました。

 ゆったりと時間が流れていく感じですね。
 冬の風景もいいです。
 こんなひとときを味うことができてよかったです。
 また誘って下さい。




 写真撮影は禁止なのだが、
 OBのF・Yさんの大きいキャンバスを内緒で撮った。
 表題「9月のバルで」

 二月七日。金曜日。



八色の森から

2014年02月02日 | 日記



 1月30日。
 池田記念美術館。
 凍てつくような寒さだった。
 絵画展の搬入日。
 美術館は休館で、暖房は入っていなかった。

 会長、絵画教室の先生、館長、学芸員の挨拶があった。
 一同のキビキビした動きが始まる。
 展示室は二ヶ所。
 力仕事ができないので、夫に同行してもらった。
 小品を運ぶ、ちょっとした用を頼まれる、そんなことだけができる。
 私同様、腰痛の女性がいる。
 腰が痛い、と言っては、椅子に腰をかけていた。
 痛いよりは寒い。どれだけ耐えられるか・・・
 冷え性になったと思う。
 動いた方が身体が暖まるのだが、何をどうしていいか分からない。
 途中、美術館のスタッフが何人も入ってきた。
 さすが、プロである。高い脚立に登る人は驚くほど身軽だし、見守って指示をする若い女性は、隣の作品との位置も寸分違わさない。
 美術館の搬入というものを、初めて目の当たりにした。

 結局、午前中には終わらなかった。
 弁当持参していない人は、食べに帰って午後一時二十分に集合して下さい、との会長の挨拶があった。
 弁当があっても、こんな寒い場所では食べられない。
 帰宅した我が家も寒く、ストーブで暖まった頃には出かけなければならなかった。背中にカイロを貼った。



 OBの人たちの作品はとても大きい。
 素晴らしかった。
 吸い寄せられ、胸に焼きついた作品があった。
 言葉などいらない。
 ただ、じっと作品をみつめているだけで、描かれている人物と静かに対話ができる、そんな絵、大きなキャンバスの絵だった。

 昼食を食べた後の人間のエネルギーは違う。
 またたくまに展示の作業が終わった。
 写真撮影は禁止だが、会場当番日にじっくり鑑賞しよう。



二人

本当は
何も分かっていないの あなたのことは
知っている限りの
あなたの記憶を たぐり寄せてみても
あなたの真実が見える訳じゃないわ
だから
あなたの見えない部分まで
今は 知らなくてもいいの

本当は
少しは分かっているの あなたのことを
知っている限りの
あなたの記憶を たぐり寄せれば
あなたの断片が見えてくるの
人は誰でも哀しいものだわ
だから
あなたの哀しい部分まで
今は 知らないふりをするの

あなたが近づかない訳が分かっているの
人生には どうしても
歩んではならない道というものがあるのよ
あなたのことを知りたくても
あなたのたどった道を追いかけることはできないわ
時は心のままに進んではくれないわ
だから 分かっているの
今のままでいることが 似合っているのよ
二人には
                      (azumi)

 椎名恵的なメロディを思い浮かべながら書いた詩。
 こういう遊び心が、未だ残存しているみたい。
 ピアノで弾き語りができる人がうらやましい。










                    (撮影2012・3・11)  








                    (撮影2009・4・12)

 池田記念美術館は何度も来ているのだが、写真が残っていないのが残念だ。