(遠縁の方の伝記より)
大正十四年二十三歳
土樽尋常高等小学校から南五十沢尋常小学校に転任してきた。
城内の家に帰るときは、三国川を渡り、深沢、田崎を過ぎ、上原から更に上って延々と徒歩だった。どのくらい時間がかかったのか。冬は大変だっただろう。
おじさんは六日町駅からバスに乗り、我が家に来た。戦友会の帰りだと称して、我が家に一泊した。私は子供時代、ませた長女だったので父と対峙するおじさんの話に興味を持った。そして、おじさんが肩にかけてくるカメラである。小さなスケッチブックにも、田舎の子供心に憧憬の念を抱かせた。
父とおじさんはいとこ同士。おじさんは我が家を出た後、徒歩で五十沢の実家に帰る。
父が早世してからは泊まることはなかったが、よく訪れて下さった。
遠縁の方とは年齢も少しずれるが、時代背景は変わらない。
歩いたその道を私は車で走った。
出がけにポツポツ雨が降り出した。
早朝である。すれ違う車、後続車もある。
昨日はおばさんの命日だった。
こんな遠方への感があるが、強い愛があったのだ。おじさんの故郷であり、生家はお墓の近くだ。着いたとき家の庭にいたおばあさんらしき人に声をかけようとしたら、雨足が強まって、傘やお花や水を用意している間に姿が見えなくなった。家の中に入られたのだろう。何度か電話で挨拶を交わしたことがある。
春はおじさんの命日。その日の朝は土砂降りの雨だった。
結局断念したのだ。
声なきお二人に私の一人語り・・・
傘をさして写真を撮る。
左手の奥がさくり温泉健康館、 右手が、おじさんが育った集落。
田の緑が濃い。
帰りの雨の中、車を止めて深沢集落でノウゼンカズラを撮る。
帰宅した頃、雨は小降りになった。
ザッショクノボリフジ(マメ科ルピナス属)
何とも長い花名。
花言葉 貪欲 空想 母性愛
ルドベキア(キク科)
花言葉 公平 公正 正義 正しい選択
前回も載せたが、違う場所でも沢山の花を咲かせている。
台風の影響か、雨が降ったり止んだりの日々である。