よく降った。
一ヶ月分に相当する雨が,三日間で豪雨となって降りつづいた。ラジオで聴いた話である。
二十九日、布団に身体を横たえた時間は恐ろしいほどの雨音と雨量だった。家ごと地中に沈み込みそうな錯覚。ひどい雨、もう三日目だ。そんなことを考えているうちに眠っているのだから、私の神経は結構図太い。だが夜半に何度も目が覚めた。相変わらずバシャバシャバシャと雨の音。寒くて、夏がけを押し入れから引っ張り出す。
身体があたたまって、トロトロ眠り、目が覚めて、用足しに降りると階下も冷え冷えとしている。
夫も階段を降りて来た。四時十五分頃だっただろうか。布団を片づけ、長袖Tシャツの上に半袖を重ねる。寒い。秋のようだ。
洗顔のあと、猫たちの遺影にあいさつをする。それから仏間に坐り、ローソクの火、線香と、心の中の父にあいさつ。日課となっている朝の行事をかかさない。もちろんお水は取り替えるし、泊まりの日はやれないし、外泊はめったにあることではない。
台所であれやこれやしている間に、PCを閉じた夫は雨の中畑に向かう。私が雨具を着込んで外に出るのが五時二十分前後。
豪雨は過ぎたが、冷たい雨の中を少しだけ歩く。それだけで気分が落ち着くのだ。
小雨になったり、雨もあがったりだが、魚野川の水位も堤防間近、あちこち土砂崩れが発生、通行禁止区域も多く、豪雨が去ってみれば、かなりの被害が出ていることが分かった。ここまでは昨日の話。
今日も、監視のヘリが何度となく頭上を飛んでいた。
子供の頃、我が家は小さく、家の土台が道路より低かった。
雨期に大水が出たり、雪下ろしの雪を川に投げ入れると、川がそばにあった我が家は、度々大変なことに遭遇した。
台所の床下に水音が聞こえ出すと、さあ大変。床板を外す。もうかなり上まで上がっている。
私たち子供はおろおろしていた。父は公務員なので、不在時は母が取り仕切る。人手を頼んだり、自分も外に出て川につっかえていた草木、あるいは雪の塊を取り除く。しばらくすると水が退いてゆく。
何日か、いやな臭いが残った。あの頃、そうなのだ、汲み取り式の便所。田舎はどの家もそうだった。汚物を畑の肥料としていた時代。
床下に浸水した水は、裏の畑、田んぼを通り、土地が下がっている河川に流れてゆく。
床上浸水、何日も水が引かなかったことはなかったような気がする。
雷が鳴って、また雨が降り出した。
山のそばの集落の被害が凄くて、車が立ち往生していると、夫とその友人が電話で話している。
雨が勢いを増してきた。
昨日、関東から湯沢に着いているはずの娘と孫たち。
久しぶりに会った、なかよしのみんなと楽しく過ごせたのだろうか。
夕方、こっちに向かって来る。
明日は晴れたらいいな。
今朝のヒマワリとコスモス。
何日ぶりだろう。今朝の青空。緑の田。五時五十分頃。