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霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

鞘当て

2007年11月05日 19時59分56秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。私は二万もするヘッドホン衝動買いしてしまった。ただ、値段が値段なだけに性能は非常に良い。

お陰様で、以前爆熱ノートPCを使っていた時と同じ格差社会が我が霧島家に発生してしまった。先日お亡くなりになられたノートPCの液晶画面は、私のデスクトップPCと比べ明らかに、かつ物理的に大きい。その上デスクトップの液晶が1024までしか対応できなかったのだが、ノートは1024どころか二段階上の解像度まで対応しておった。

今回、ヘッドフォンを買ってしまった訳だが、高級品である故に性能も良い。一方、我がデスクトップPCのスピーカは6年ぐらい前に2980円で買った超安物であり、ノートPCもDELLにしてしまった為驚くほど酷い音しか流れてこない。その上テレビの音響装置がそろそろ寿命らしく、頻繁にステレオになったりモノラルになったりする。

この二万もするヘッドフォンは現在当家最強の音響設備なのだ。こんなにちっさいのが他のあらゆる音響より高性能というのはちょっと嫌な話である。



ところで、首都圏在住の人は電車に乗る機会が多かろう。乗り換えの為に駅の中を歩いたりもするだろうと思う。私も電車通勤だから二回ぐらい乗り換えるし横浜駅周辺は買物に行く機会が多く結構電車に乗る。乗るのだが、よく「右側通行にご協力ください」という表記を見るし、逆に「左側通行」とか書いてある駅も見かける。

現在の道路交通法がどうなってるのか知らんが、日本の歴史上では伝統的に左側通行が正しいとされている。何でそうなったかと言うと、江戸時代は侍が偉かったからである。

最近の人は時代劇をあまり見ておらぬから知らぬかもしれんが、鞘当てというのがある。侍が腰に差した刀は当然鞘にしまいこんである訳だが、その鞘を何かしらの理由で、例えば自分の刀の鞘でガチャリと当ててしまうと鞘当てになる。これは重大なマナー違反というか、対応の仕方を間違えれば真剣勝負どころか無礼討ちで首チョンパである。

日本が伝統的に左側通行なのはここに理由がある。江戸時代、刀を差して歩いておるのは侍だけ(例外はあるが)であり、侍にとって鞘当ては非常に嫌な行為なのだ。これを避ける為の左側通行なのである。刀は左腰に差すから、左側通行だと物理的に鞘当てする余地がないという次第だ。


んでこの鞘当てだが、私は子供の頃からずっと不思議に思っておった。確かに、鞘に何かをぶつけられると中に入っておる刀身が暴れ、鞘の中の部分にガツガツ当たってしまう。だから、鞘が鋼鉄製だと確かにマズイ。しかし、刀の鞘は鉄製ではない。一般に木製である。

洋画に出てくる剣士が剣を抜くとやたらとシャキーンシャキーンと五月蝿いが、あれは鉄の剣を鉄の鞘から取り出すからあんなに音が鳴るのだ。一方、日本の鞘は木製であるからあんな音は出ない。だから時代劇でも抜刀時に物凄い音が響くという事はない。まぁ時代劇はともかく、アニメとかだとシャキーンシャキーンと鳴っている事は多いがな。

要は、刀は鋼鉄であり鞘は木だから鞘当てされても大して嫌な事が起きる事はないという話だ。にも関わらず、江戸時代において鞘当ては非常に重く見られるものであった。確かに鉄鞘が存在しなかった訳ではないが、稀である。

そこで、先日ふと思い当たるものがあった。刀という武器は、現代で言えば短機関銃と拳銃を足して二で割ったようなものだ。んで、銃という奴は、実は割と簡単に誤作動するのである。例えば、先日こんな事件があった。

こういう事件は沢山ある。こんなんとか。普段銃に接する機会の少ない我々は、銃というのは非常に安全なものだと勘違いしておる。じゃあ実際のところどうかと言えば、安全装置が解除されておる状態でかつ薬室に弾が入っており撃鉄が起きている銃を床に落とすと、高確率で暴発する。

とは言え、暴発してばっかりという訳ではない。取り扱い上注意すべきいくつかのものに気を配っておけば、落としたりしても大丈夫だ。100%ではないにせよ大丈夫と言ってよいレベルである。


で、本題の鞘当てに戻る。この鞘当てという行為、現代でいうと「自分の銃を他人が叩いた」というものだろう。そう考えると、確かに嫌だ。何せ安全装置をかけておいても、稀に暴発が起こる機会である。それに激しい衝撃を与えられた場合、誰でもムッと来ると言うか、精神衛生上非常によくない

もしかしたら鞘当ても、そんな経緯で生まれたものなのかな、とそんな事を考える秋の午後であった。しかし、恋の鞘当てなんて言葉が生まれるところからすると、鞘が当たった当たってないだと大喧嘩する武士は「大人気ねーな」とか町民から思われておったのかもしれんな。