羽津城は、15世紀頃、赤堀盛宗が築城した。彼は、藤原秀郷の子孫で、応永年間(1394年~1428年)に、上野国赤堀庄から当地に移って赤堀城を築いた藤原景信の長男だった。赤堀景信の次男は赤堀城を継ぎ、三男の忠秀は浜田城に城を構え、盛宗とともに赤堀三家といわれて、北勢地方で勢力を誇った。
羽津城は、盛宗の後、宗久・宗善・宗慶・宗昌と続いたが、元亀3年(1572年)、六代近宗の時に織田信長に滅ぼされた。羽津山町の正法寺には、六代の過去帳がある。現在、城跡と称しているところは、昔の本丸跡で、土塁が残っている。
[所在地:三重県四日市市羽津町字城山]
<アクセス>近鉄名古屋線・阿倉川駅から東北へ約500m。
▼羽津城の概要
▼羽津城跡碑 ▼本丸跡
▼本丸の土塁 ▼本丸の土塁
2017/04/30 訪城