nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

羽津城

2017年05月02日 | 三重県の城郭・環濠

 羽津城は、15世紀頃、赤堀盛宗が築城した。彼は、藤原秀郷の子孫で、応永年間(1394年~1428年)に、上野国赤堀庄から当地に移って赤堀城を築いた藤原景信の長男だった。赤堀景信の次男は赤堀城を継ぎ、三男の忠秀は浜田城に城を構え、盛宗とともに赤堀三家といわれて、北勢地方で勢力を誇った。

 羽津城は、盛宗の後、宗久・宗善・宗慶・宗昌と続いたが、元亀3年(1572年)、六代近宗の時に織田信長に滅ぼされた。羽津山町の正法寺には、六代の過去帳がある。現在、城跡と称しているところは、昔の本丸跡で、土塁が残っている。

[所在地:三重県四日市市羽津町字城山]

<アクセス>近鉄名古屋線・阿倉川駅から東北へ約500m。

羽津城の概要

羽津城跡碑        ▼本丸跡

 

本丸の土塁        ▼本丸の土塁

 

2017/04/30 訪城 


茂福城(もちふくじょう)

2017年05月02日 | 三重県の城郭・環濠

  平維茂の子孫、平貞冬が、越前朝倉よりこの地へ来て城を築き朝倉を名乗った。保々西城の朝倉備前守と同族である。

 永禄10年(1567年)にいたり最後の城主、茂福掃部輔盈豊は、織田信長の武将、滝川一益に不信を持たれ、長島城へ誘いだされ殺害された。城主を失った茂福城兵は滝川勢と激しく戦ったが攻め落とされたという。

 滝川一益は目代として山口氏を置き治めさせた。

[所在地:三重県四日市市茂福町字里の内]

<アクセス>近鉄名古屋線・近鉄富田駅から南南西へ約1Kmまたは、霞ケ浦駅から北北東へ約1Km。

      JR関西線・富田浜駅から西北へ約700m。

茂福城の概要

茂福城(主郭の北西角)

茂福城(主郭の北西角)

茂福城(主郭の北西角)

2017/04/30 訪城