nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

大州(おおず)城

2015年04月07日 | 愛媛県の城郭・環濠

 鎌倉時代末期に伊予国守護として国入りした宇都宮豊房が、元弘元年(1331年)に築いた城は、237年南伊予支配の拠点の城郭であったが、その後乱世を反映し、大野直之、小早川隆景、戸田勝隆らが相次いで城主に成りましたが、文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すると近世の城郭として整備を開始し、慶長14年(1609年)に淡路の洲本から脇坂安治が入城し、この二人によって大州城は、近世城郭の完成をみる。大州は、かって「港」を意味する「津」を用いて大津と呼ばれていたが、脇坂安治が地名を大津から大州に変更した。そのために城の呼び名も大津城から大州城となった。その後、元和3年(1617年)に米子から6万石で加藤貞安が入城し、以後加藤氏が12代250年余りにわたり大州藩主として治政をおこない明治維新を迎える。明治の廃城令で、城内の大半の建築物は解体されましたが、地元住民の要望により本丸の天守閣・櫓は一部保存された。しかし天守閣は老朽化のために明治21年(1888年)解体されたが、平成16年(2004年)に地元の企業・市民の寄付等で伝統工法の木造で四層四階の天守閣が復元されました。

[所在地:愛媛県大州市大州903] 

アクセス>JR予讃線・伊予大州駅から徒歩約20分。

大州城

 大州城には天守閣に従う2基の格調高い櫓をはじめ4基の櫓が現存する。

大州城と城下町の略図

 

 

 

天守閣(右)と高蘭櫓(左)  ▼左から高蘭櫓、天守閣、台所櫓

 

高蘭櫓(左)と天守閣(右)

大州城の模型

天守閣からの眺め

 

2015/04/02 訪城

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坂(とさか)峠の戦   永禄11年(1568年)

 安芸国の毛利氏の援軍を得た、中伊予(道後)の河野氏が、土佐国の一条兼定の援軍を得た西伊予(大州)の宇都宮氏が、鳥坂峠で激突。宇都宮氏側が敗れ、土佐国の名門一族の一条氏が滅亡。そして、土佐に長宗部氏が台頭し、伊予国侵攻が始まる。