nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

宇和島城

2015年04月06日 | 愛媛県の城郭・環濠

 宇和島城は、中世に築かれた板島丸串城の跡に、藤堂高虎が、近世城郭として築いた。標高74mの丘陵の頂きに本丸を置き、それを囲むように二の丸、代右衛門丸、長門丸、藤兵工丸等の曲輪が配置された。城下は、東側に、西側は、海に接しているので海城でもある。元和元年(1615年)伊達政宗の長男の伊達秀宗が10万石で入城し、2代藩主・伊達宗利が老朽化した城の改修に着手し、寛文6年(1666年)に改修を完了した。その後、伊達氏が9代にわたって城主を務め続け、明治維新を迎えた。伊達秀宗は、伊達政宗の長男として生まれたが、伊達政宗の正室・愛姫との間に生まれた次男・伊達忠宗が伊達宗家の後継者となった。徳川秀忠は、幼い時から伊達家の人質として過ごした伊達秀宗の境遇を憐れみ、10万石の領地を与えた。明治の廃城令で建物の大半は撤去されたが、天守閣、大手門などが残された。昭和9年(1934年)天守閣と大手門が重要文化財に指定され、昭和12年(1937年)には、国の史跡に指定された。昭和20年(1945年)の米軍の大空襲により大手門が焼失。昭和24年(1949年)伊達家が、天守閣と城山の大半を宇和島市に寄贈し、現在は、宇和島市が管理している。

 [所在地:愛媛県宇和島市丸之内]

<アクセス>JR予讃線・宇和島駅から徒歩15分 

 ▼丘陵山頂に建つ宇和島城天守閣

宇和島城の概略

宇和島城の略図

桑折氏武家長屋門

 桑折氏は、伊達氏と血縁関係をもち、宇和島藩の家老である。

 

石垣

 

石垣                   城山郷土館

 

石垣

 

本丸櫛形門跡       ▼天守閣

 本丸への唯一の虎口。

 

天守閣(重要文化財)

 藤堂高虎が創建した天守を、江戸時代初期の寛文6年(1666年)に、宇和島伊達家2代伊達宗利が3重3階総塗籠式、層塔型に再建したのが現在の天守閣です。

天守閣よりの眺め

 

宇和島城の井戸

井戸跡

 

2015/04/02 訪城