壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

読書とは

2013年01月22日 | 備忘、メモ

読者は、すでに自分の内側に存在していることしか、書物から読み取ることはできない。書物は、読者が自分自身の中にあるのにもかかわらず、書物の助けなしには発見できないようなものを見つけるために、いわば視覚的な道具に過ぎない。(マルセル・プルースト)


studygift

2012年05月25日 | 備忘、メモ

学費支援サイト、「studygift」が話題になっているようです。詳細は知りませんが、要は、自分の学費のため、ネットを使って募金をしている、ということでしょう。

募金というのは、自分以外の誰かのために行うもの、というイメージがあります。自分(の身内)のために行うのは、あざといと感じるからです。

とはいえ、今までも、難病の子どもの治療のため、親や関係者が街頭に立つ、という募金は、たまにニュースになるから僕も知っています。ニュースにならないだけで、他のタイプの自分(の身内)への募金もあるかもしれません。

studygiftの利用者は、本当に学費を支援してほしければ、街頭に立つ、という方法も考えられたはず。

街頭に立たず、ネット利用というのは、なぜか? なんか裏を感じます。「studygift」、その後、どうなっているのでしょうか?



田原総一朗氏のブログより

2012年04月26日 | 備忘、メモ

以下、田原総一朗公式ブログより。

40年前、僕はテレビ東京の社員だった。
当時は東京12チャンネルといった。
僕はディレクターとして、たくさんのドキュメンタリーを撮った。
なかには、いまではとても撮影が許されないであろうという内容の
作品もあった。

たとえば、当時大人気のジャズピニスト山下洋輔さんが
「ピアノを弾きながら死ねればいい」と言った。
それを聞いた僕は、
「それならピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうじゃないか」
と考えた。

(中略)また、高橋英二さんという「七人の刑事」にも出演していた、
有名な若手俳優がいた。
ガンで余命半年と言われた高橋さんから、「俺の死ぬまでを撮ってくれないか」
と頼まれたのだ。

(中略)ドキュメンタリーを撮ることは、基本的に危ないことである。
危険を覚悟しないといけない。僕はそう考えている。

(中略)三里塚闘争では、最初、農民のほうが強かったから、取材班は
農民の側から撮っていた。
農民の側から撮っていると、空港公団や警察が悪者に見える。

ところが、機動隊が本気になり催涙弾などを使うようになると、
みな一斉に機動隊側から撮り始めた。
自分たちの方に催涙弾が飛んできて危なくなってきたからだ。

すると、それを境に、世間の見方が180度変わった。
テレビに映るのは鋤や鍬といった武器を持った農民や彼らの横にいる
過激派になった。
そのため、今度は農民のほうが悪いという雰囲気になったのだ。

当初、成田空港の建設は無理だと言われていた。
ところが、テレビが機動隊の後ろから撮るようになったとたん、
やっぱり農民の反対は問題だと世論が変わったのだ。

テレビが怖いのは、どこから撮るかによってどうにでも見えてしまう
ことだ。(引用終わり)

う~ん、確かにこんな側面はありますね。テレビは怖いですね。


『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿著)

2012年04月20日 | 備忘、メモ

『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿著)を読書中。20代の研究者による若者論です。喋っているような、大人世代に対する揶揄調と、自己ツッコミが文体の特徴。多くの文献を渉猟した、確かな分析です。

このタイトル、逆だと思いますよね。
  絶望の国>国民は不幸
  希望の国>国民は幸福
これが一般的な図式です。なぜか? この解説は、主に元京都大学教授の大澤真幸氏の研究より引用されているのですが、「なるほど」と思いました。つまり、こういう図式です。

A)未来があると、「頑張ればもっと良くなる」と感じるがゆえに、現状に不満を感じ、不幸だと思う。
これとは逆に、
B)未来がないと、「頑張ってもしかたない」と諦めるがゆえに、現状を肯定し、幸福だと(無理にでも?)思うようになる。

「現状を幸福だ」と思うのは、年代でいうと高齢層が多いとか。確かに高齢層は、平均余命で見ると、若者ほど時間的な未来はないですよね。

ナショナリズムのくだりは、新たな認識を多く得られました。人々に「国民」意識が芽生えたのは明治期でなく、階層が除かれ、メディアが発達し、文化や考え方やらが津々浦々で均一化した昭和期というのです。

明治期さえ、徴兵制では対象年齢層の10%未満しか兵に取られなかったとか。(以下引用)「日清戦争の頃で5%、明治末から大正期にかけても約20%。みんながみんな、軍隊に行っていたわけではなかったのである」。これは、精鋭主義だからとか。体格や運動神経などで選別されたんですね。

徴兵者の割合が増えていったのは、昭和期。いよいよ戦争が泥沼化していく頃です。国家総動員するため、メディアなどが利用される。残ったものも「銃後」として食料生産や軍需工場の労働力に駆り出される。この流れは、戦後の「会社主義」につながっていきます。

著者は、「明治維新から1930年代までが「ナショナリズム1・0」だとすると、(国家総動員が始まった)1940年前後から「ナショナリズム2・0」とも言える現象が始まる」と述べます。「明治維新」や「終戦」といったピンポイントの区切りがあるわけではないんですね。この辺も、認識を新たにできた点です。

ぼくの故郷(近畿圏)には、忠魂碑があります。碑板には、犠牲になった村人の名前が彫ってある。最初は西南戦争。2人が没している。鉄道もない古い時代に、こんな田舎から遠く九州まで出征したんだ、と驚いたことがあります。もちろん日清、日露、日中、太平洋と時代が下るにつれ、犠牲者数は多くなっています。

サッカーのワールドカップの応援の盛り上がり。「一度も会ったことがないはずなのに、「日本人」というだけで仲間という意識を持てる。(中略)「日本」や「日本人」というのは、「僕たち日本人」とみんなが想像することで成立しているのである」。これについて、著者は、こんな例え話をします。

「海外旅行から帰ってきて、飛行機が成田空港に着いた。(中略)多くの人は「日本に帰ってきた」と思うだろう。ちょっとホッとするかもしれない。(中略)成田出身の人は別だが、多くの人は成田に縁もゆかりもないにもかかわらず」

仮の話、明治時代の人を海外旅行に連れて行く。帰国時、成田でどう思うか? 確かに周囲が日本語を喋っているから、「日本だ」とは思うだろうけど、しみじみ「日本」に帰ったとは感じないでしょう。たとえば世田谷の旧粕谷村にある「別れの一本杉」、啄木が「言うことなし」と詠んだ山。そんなものを目にし、やっと「母国(=故郷?)」に帰ったと感じると思う。

太平洋戦争での、大陸からの引き上げ兵は、舞鶴の港で、どう感じるか。これは、しみじみ「日本に帰った」と感じるでしょうね。ナショナリズム2・0です。

以上はメモ。長くなりました。まだ読書中ですので、後日、改めてまとめる(かもしれません)。



オバマと菅、『ブラック・スワン降臨』より

2012年04月20日 | 備忘、メモ

『ブラック・スワン降臨』(手嶋龍一著)の阿部重夫氏による解説より。

「万全の情報などほとんどない。すべては一回性の出来事で、「想定外」といった言い訳はありえない。手嶋氏が言う「インテリジェンス・サイクル」とは、情報の不完全性のなかで、なおジグソー(パズル)の全絵図面を透視して決断する方法論である。」

場合によっては、独断でもいい。その決断が間違っていたとき責任をとる覚悟があること。それがリーダーということですね。

さて、同書は、ビンラディン殺害の命令を決断するオバマ大統領を評価し、東日本大震災を前に的確な指揮ができない菅首相を対比させ、前者を高く評価、後者を低く評価しています。

一つ、考慮に入れておくことがあると思います。前者は事前に計画されたことを実行する決断であり、後者は(防災訓練をしていたとはいえ)突発的な出来事への対応ということです。オバマ大統領は「よし、作戦実行ッ」の指示(調印?)だけで済みますが、菅首相はそうはいかないでしょう。

そうはいかないから、あれこれ指示を出す。が、現場が凍り付いてしまっている。動かない、情報を上げてこない。総大将よろしくデンと構えているわけにはいかない。怒鳴るのも仕方ないでしょう。ま、誰かを怒鳴り役にさせる、という手はあったかもしれませんが。

ところで、この解説に「ゼフの法則」という言葉が出てきます。何だろう。検索してみると、同書の解説関連で3~4件ヒットするだけで、一般的な解説がされているサイトはありませんでした。どんな法則だろう?興味があります。