俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

美醜

2015-10-30 10:10:35 | Weblog
 ある水族館ではナマズの餌に生きた金魚を使っていた。ところが「残酷だ」という非難が相次いだためにドジョウに切り替えたところ苦情は無くなったそうだ。なぜ金魚の生き餌は残酷でドジョウなら残酷ではないのだろうか。1つは金魚がペットとして飼われているからであり、もう1つは金魚は可愛くドジョウは醜いからだろう。
 ドジョウ豆腐という伝説的な料理がある。ドジョウと豆腐を一緒に煮込むとドジョウは熱から逃れようとして豆腐の中に逃げ込む。しかし徐々に水温が上がるから、ドジョウは豆腐の中で茹で上がる。ジワジワと嬲り殺しにする残酷な調理方法であり、他の動物を使ってこんな料理をすればきっと非難されるだろう。
 女性社員がイケメンの男性社員に触られてもスキンシップとして許されるが、中年の醜い男性であればセクハラとして非難される。イケメンが見つめれば熱い眼差しだが、中年男性ならいやらしい目付きと評価される。
 可愛い女性であれば男性上司に甘えても許される。それどころか喜ばれるかも知れない。しかし中年の女性が甘えようとすれば「甘ったれるな!」とどやされるかも知れない。
 「子供は残酷だ」とボヤいた友人がいる。彼は兄弟が多く、お盆などに一族が集まれば子供だけで10人ほどになるそうだ。そんな時に大人気なのが美しい妹だと言う。余り美しくないほうの妹の周囲には子供は集まらない。子供は無邪気に美醜による差別をする。
 私も見た目で差別をする。野球のソフトバンクの内川選手と広島の前田健太投手はどちらも良い選手なのだが、顔が嫌いなために好きになれない。
 美醜に基づく差別を禁じることならできるが好き嫌いまで禁じることはできない。だから美男美女は得をすることが多い。人は第一印象に基づいて判断する。第一印象が良い人の言動は好意的に評価され易いから見た目が良い人は随分得をする。
 医療業界にMRという仕事がある。Medical Representativeつまり医療情報提供者でかつてはプロパー(Propagandist)と呼ばれていた。初めて「プロパーさん」と医師や看護師が呼ぶのを聞いた時はてっきりproperだと思い何の隠語なのかと思った。意外なことに薬学部出身者は1割程度しかおらず、営業成績でトップを競うのは常に美人だと言われている。薬学の知識が足りなくても男性医師が言い寄って来るそうだ。ハニートラップはどんな社会でも通用する。

中国人

2015-10-30 09:30:48 | Weblog
 スコットランド以外に、スペインのカタルーニャ地方やカナダのケベック州などでは分離独立運動がある。その一方で、大国による併合もしばしば見受けられる。アメリカがハワイを併合したのも酷い手口だった。既に独立していたハワイ王国において、様々な策略を使って、全人口の1/3に過ぎない白人にしか選挙権を認めないハワイ共和国が建国され、1898年にこの議会がアメリカによる併合を議決した。形式だけは民主主義だがデタラメだ。流石に酷過ぎたということから1993年になってから米議会は謝罪決議をしたが、ハワイ人の権利が回復された訳ではない。そんなことになればネイティブアメリカン(インディアン)に国を返さなければならなくなる。
 ロシア(ソ連)も同じようなことをした。かつてはトルコ領だったクリミア半島からタタール人を追放して大勢のロシア人を移住させた。こんな歴史があるから昨年の住民投票では「ウクライナからの独立・ロシアによる併合」が可決された。
 中国もまた、ウィグルやチベットに漢民族を送り込みつつある。これらの地域に工場などを作り、現地採用をせずに漢民族だけで運営する。こうやって両地区における漢民族のシェアを高めておけば、将来もし住民投票が実施されても多数派になることができる。
 人口が僅か280万人のモンゴルにおいても同じ手が使えるのではないだろうか。世界一人口密度が低いモンゴルの鉱山や精錬所などに大量の中国人労働者を送り込めば、人口の過半数を占めることは決して難しくない。たった300万人を移住させれば足りる。戸籍を持たない黒孩子(ヘイハイズ)の一部を移住させるだけで充分だ。輸出の8割を中国に依存しているモンゴルはそんな危険に晒されている。そのせいか国民の対中感情はかなり悪いらしい。
 余り報道されないが、アフリカ諸国に対する経済援助において、中国は施設の建設だけではなく運営のための労働者まで送り込んでいる。以前は国内の失業対策かと思っていたが、中国人居住地を徐々に拡大して「民主的に」属国化する狙いがあるのかも知れない。
 昨日(29日)中国は突然「一人っ子政策」を廃止した。これが人民の輸出まで考慮した政策であれば、日本も含めて世界中が中国人によって席巻されることにもなりかねない。13億の中国人民による人海戦術は恐ろしい。

2015-10-28 14:15:58 | Weblog
 WHOが26日に「加工肉を1日に50g食べると癌に罹るリスクが18%高まる」と発表した。いつものことながら医学情報のオカルト性には呆れ返る。ベジタリアンによる偏見としか思えない。
 公表されたデータによると、90%以上の人が肉を食べるオーストラリアとアメリカでは癌患者が多く、5%以下の人しか食べないエチオピア、インド、バングラデシュでは癌が少ないとのことだ。
 これらの国の2011年の平均寿命を見てみよう。肉を過剰摂取する国とされたオーストラリアは82歳で世界4位、アメリカは79歳で33位だ。一方、肉を余り食べない、つまり癌に罹りにくい国は、エチオピアが60歳で157位、インドは65歳で138位、バングラデシュは70歳で115位だ。つまり肉食の多い国とは長寿国であり、肉食の少ない国とはことごとく短命国だ。
 WHOとは違って私は、肉食によって寿命が伸びる、などといった軽率な結論は出さない。肉類を充分に摂取できるほど豊かな国だからこそ寿命も長くなると推定する。
 ではなぜ長寿国では癌が多く短命国では癌が少ないのだろうか?癌が老人病だからだ。人が癌に罹るのは細胞のコピーミスが原因だ。正常細胞が変異したものが癌細胞だ。コピーミスはある程度の頻度で必ず起こる。だからコピーの回数が増えるほどコピーミスも増える。つまり長生きすればするほど癌が発生する可能性が高まるということだ。短命の人は「癌適齢期」を迎えるまでに他の病気で死ぬから癌には罹れない。
 医学のオカルト性について私は腹に据えかねるほど憤っている。EBM(Evidence-Based Medicine)が唱えられるのは根拠に基づかない医療が氾濫しているという事実の裏返しだ。
 医療においては「木を見て森を見ず」という事態が頻発する。全体を見ずに部分だけを見るから健康を損なう偽医療が横行している。血圧が少し高いだけで降圧剤が処方されるが、そのせいで脳に充分な血が回らなくなって認知症のような症状を表す患者がいる。藪医者はこれを認知症の初期症状だと思い込んで、効かないだけではなく有害な認知症治療薬を処方する。
 パソコンが普及したせいで誰にでも簡単にデータ解析ができるようになった。以前であれば統計学の知識を持った人しかしなかったことをド素人がやる。だから無茶苦茶な発表が乱発される。癌と食物にしか注目しないからもっと重要な年齢という要因が無視されてトンデモ研究が世に溢れ返る。
 こんな低レベルな研究を無批判で報道するんHKなどのメディアもWHOに負けず劣らず低レベルだ。

哲学の効能

2015-10-28 10:32:16 | Weblog
 哲学は本来、役に立たない学問だ。生きることの意味とか善悪の基準とかいったどうでも良いことを問う。関心の無い人にとってはこれほどくだらない暇潰しは無かろう。ところが哲学はこんな難問を解決するために高度な論理性を要求する。これが非常に役に立つ。日常生活では因果性と相関性は殆んど区別されないし、カラスは黒いに決まっている。哲学を学んだ人はこれらを疑う。すると常識がいかにデタラメなのかが分かる。
 「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」を理解する必要は無いが、「対偶は常に正しく、逆や裏は必ずしも正しくない」ということぐらいは知っておいたほうが良い。巷に溢れるくだらない詭弁は大半がこのことだけで否定できる。
 私が主に攻撃するのはそんな常識だ。ウィルス性疾患の治療は可能か、大日本帝国は極悪の社会だったのか、科学の中にオカルトが混じっていないか、報道は公正か、こういったことに対して哲学的思考法は大いに役立つ。
 哲学を通して学んだ教訓も有効だ。私がカントの「純粋理性批判」を絶賛するのは、この本によって理性の僭越について知らされたからだ。知覚に依存する理性には世界の真の姿を知ることはできない、という事実は重い。乏しいデータから性急に結論を出すこと、主観的な印象に基づく判断、こういった誤りがしばしば生じるのは知恵に対する過信があるからだ。知恵を過信するからこそ、できないことをできると言い、分からないことを分かると言う。老人病とされている病気の大半が老化現象であって治らない。人造物である橋やビルがいつ壊れるかさえ分からないのに地震や噴火がいつ起こるかなど分かる筈が無い。
 天気予報も予報が困難な状況がある。私は天気図や雲の動きなどに基づいて自分で予想をしているからよく分かることなのだが、春と秋の季節の変わり目の予報は難しい。それは他の季節とは違って大気のバランスによって天気が決まるからだ。普段の天気は西から東へと移動するが、季節の変わり目の天気は寒気団と暖気団の力関係によって決まる。予報が難しい時に普段と同じように予報をしていれば外れる確率が高くなる。降水確率だけではなく予報の信憑性もランク付けして発表したほうが良かろう。
 できることとできないことを識別して、できることに全力を注ぐべきだ。永久機関や不老不死およびそれに類する研究など無駄にしかならない。理想を追及することを否定しないが、それが叶わない妄想であれば理想家ではなくドン・キホーテのような狂人になってしまう。

再生力

2015-10-28 09:46:52 | Weblog
 ヒトデやイモリほどではないが人間にも再生力が備わっている。多少の怪我であれば自力で修復できる。胃で起こっていることはもっと凄い。胃酸が胃壁を溶かす以上のスピードで再生するからこそ胃が消化されずに済んでいる。まるで、右足が沈む前に左足を出す水上歩行術のような凄技だ。
 怪我が治るのは自然治癒力に依存する。医療にできることはその補助と一時凌ぎだけだ。切り傷であれば傷口を縫合して出血を防ぐ。あとは自然治癒力によって癒着することを待つ。骨折すれば骨を正しい位置に戻して固定する。やはり待つだけだ。
 関節痛であればしばらくは酷使を控える。この間、極力、鎮痛剤は使わないほうが良い。鎮痛剤は治療薬ではなく痛覚を麻痺させるだけだ。実際には傷んだ状態のままなのに痛まなければ傷が治ったと勘違いして通常通りに使って患部を悪化させかねない。鎮痛剤を使わない痛み止めもある。オフセット鎮痛と呼ばれている。これは現状よりも強い痛みを与えることによって現在の痛みを感じにくくさせる。いきなり42℃の湯に浸かれば熱く感じるが44℃の湯に入った後であれば熱く感じないのと同じ錯覚だ。より強い痛みを感じさせることによってそれまでの痛みを忘れさせる。勿論これは知覚上での錯覚であって治療効果は全く無い。この錯覚を利用した有害なマッサージもある。
 老人の慢性関節痛は怪我ではなく劣化だ。だから自然治癒力は働かない。それなのに藪医者は、鎮痛剤で痛みを和らげることを治療だと思い込んでいる。たとえ痛みが緩和されても関節は傷んだままだから劣化が進む。こんな偽医療は患者のためにならない。
 白髪を染めれば皮膚や毛髪を傷める。眼鏡を使えば水晶体の調節力が衰える。柔らかい物しか食べなければ咀嚼力が低下する。鎮痛剤もこれらと同じように、現在の快適さを求めることによって将来の不具合を招く。
 怪我や病気であれば治せるかも知れないが老化は治せない。そんな現実を認めないから対症療法に頼り続けて健康を害する。老化を誤魔化す薬は一時凌ぎに過ぎない。
 老人の関節痛に有効なのは鎮痛剤ではなくリハビリだ。関節の劣化は治らないが筋肉を鍛えれば関節の負担を軽減できる。筋力が弱いと外部の力が直接関節に掛かるが、筋肉と関節で力を分散させれば関節の負担が減る。かつて横綱千代の富士関は肩の脱臼癖を克服するために筋肉の鎧を身に纏った。野球では「投手の肩は使い減りする」と言われているが、使い減りするのは関節の軟骨だ。だから投げ込みよりも筋力トレーニングのほうが有効だ。それと同じように、関節に負担を掛けない水中ウォーキングなどによって筋肉を鍛えることが関節痛の対策として有効だろう。

偏愛

2015-10-26 10:36:07 | Weblog
 偏愛気味の映画が2つある。どちらも古い作品で「シベールの日曜日(1962年)」と「あの胸にもういちど(1968年)」だ。
 「シベールの日曜日」は日本の評論家にも高く評価された作品だ。とは言え年間ランキングでは「アラビアのロレンス」などに負けて3~5位ぐらいが定位置だった。ところが、残念ながら出展が見つからないが、「過去30年の名作」では堂々の第一位に輝いた。年間トップではなかった作品が歴代トップになるとは誠に奇妙な現象だ。まるでミス日本で3位だった人が世界大会で優勝するような逆転現象だ。これは相対評価と多数決が招いた矛盾だ。候補作品が広がると票が割れ、その結果として一部の評論家が熱烈に支持する作品が上位に浮上する。私と同様に偏愛する評論家が少なくなかったのだろう。
 「あの胸にもういちど」は、主演男優がアラン・ドロンということと甘ったるいタイトルのせいで少なからず誤解された作品だと思っている。眠っている夫の元を抜け出して深夜に大型バイクで恋人の元へと疾走して早朝に事故死するという話なのだが、その後のアメリカン・ニューシネマの「イージー・ライダー(1969年)」や「バニッシング・ポイント(1971年)」などの先駆だったと私は評価している。原作はノーベル賞作家のピエール・ド・マンディアルクの`La Motocyclette'であり、マリアンヌ・フェイスフルが演じたヒロインは「ルパン三世」の峰不二子のモデルになったと言われている。
 映画を観た後で原作も読んだが映画のほうが面白かった。こんな例は珍しく、他に1例だけある。黒澤明監督の「赤ひげ(1965年)」だ。心を病んだおとよという少女の余りにも拙い愛情表現に堪らない魅力を感じてすぐに山本周五郎氏の原作「赤ひげ診療譚」を読んだが、おとよは最後まで登場しなかった。狐に摘まれたような気分だったが、それから数年後にようやく謎が解けた。おとよのモデルはドストエフスキーの「虐げられし人々」のヒロインのネルリだった。ドストエフスキーの大ファンの黒澤監督が原作を無視して勝手に挿入した物語だった。

気楽な稼業

2015-10-26 09:53:32 | Weblog
 野党とマスコミには意外な共通点がある。それは「気楽な稼業」であることだ。どちらも正義の味方気取りで理想論を唱えていれば役割を果たせる。責任は問われない。
 野党であれば減税と年金の増額と公共施設の無料化などを公約できる。勿論こんなことは不可能だ。何らかの増収策が必要だ。安易な増収策は、未来の人々や外国人からの搾取だが、これは既に自民党政権が実施している。だから民主党は政権を奪うために埋蔵金という幻想をバラ撒いた。しかし実際にはそんなものでは賄えなかった。だから急遽、公約違反の消費増税を主張した。
 与党の仕事は大変だ。政策を実現せねばならない。できもしない薔薇色の未来を約束してしまえば辻褄合わせに翻弄させられる。好き勝手なことを放言していれば済んだ野党とは立場が違う。民主党の最大の不幸は与党になってしまったことだ。野党のままでいればそれなりに支持層を固めることができていただろう。
 マスコミの立場も野党に似ている。だからマスコミと野党は相性が良い。民族対立があれば話し合いで解決せよと言い、児童虐待があれば貧困が原因だと宣う。こんな姿勢には腹が立つ。児童虐待よりも貧困の解消のほうがずっと難しい。もし与党の政治家がこんなことを言えば貧困対策が求められるがマスコミは知らんぷりを決め込む。貧困対策は政治の問題でありマスコミの仕事ではないと平気で言う。何もする気が無いなら偉そうに言うなと思う。
 朝日新聞で旭化成建材を非難する記事を読む度に不愉快な気分になる。旭化成建材の偽装は今のところ一個人によるものだ。それに対して朝日新聞が行った捏造は組織的かつ会社ぐるみでの虚偽報道だ。どちらの罪のほうが重いだろうか。これでは強盗殺人犯がコソ泥を非難しているようなものだ。
 建造物の偽装は人命に関わるから重大だと考える人もいるだろう。しかし情報の捏造が招いた殺人事件がある。先日韓国で、日本統治時代について肯定的な発言をした老人が殴り殺されるという事件があった。韓国の対日感情を悪化させたのは朝日新聞だ。日本の暗黒史を嬉々として報道する朝日新聞は韓国では「日本人の良心」と評価されているらしい。そんな朝日新聞とは違った主張をする日本国政府は嘘つきであり、日本による植民地支配について少しでも肯定的な発言をすれば民族の裏切り者とされる。そんな背景があるからこそこの撲殺事件が起こった。
 朝日新聞の罪は原発事故に似ている。福島第一原発の事故で死んだ人は今のところいない。しかしそのために生活を破壊されて亡くなった人は大勢いるし、少なからぬ国民の健康に悪影響を及ぼしているだろう。朝日新聞の捏造記事は日中韓の国民感情を歪めた。これは金銭では償えない大罪だ。
 あれほど悪質な捏造を行っても朝日新聞社は潰れない。何と気楽な稼業だろうか。出版不況と言われて久しいが、廃業が続出する訳ではないのは、どんなに酷い誤報をしても責任を問われない気楽な稼業だからではないだろうか。通常、自由には責任が伴うが、野党とマスコミには自由と無責任という特権が与えられている。しかし言論の自由には本当に免責ということまで含まれているのだろうか?我々は騙されているのではないだろうか?
 

知る責任

2015-10-25 11:25:15 | Weblog
 新しい法律や制度が作られる度に「分からないから悪い」という論法を使う人がいる。安保関連法にせよTPPにせよマイナンバー制度にせよ、国民が理解していないという理由で否定しようとする。分からないのは政府の責任だろうか。充分に報じないマスコミと碌に調べない国民こそ悪いのではないだろうか。
 安保関連法案のために国会は過去最長の95日間延長されたが、くだらない議論に終始して本質的な問題点は何も解明されなかった。国民に至っては、採決を巡る馬鹿騒ぎしか覚えていない。こんな国会を何百日延長しても審議は尽くされないし国民の理解も進まない。
 「分からない」ことは恥ずかしいことだ。分かるための努力をしていないからだ。憲法について尋ねられて「分からないのは学校や政府が悪いから」と答える人はいない。しかし安保関連法などを否定する人は大半がこれと同じ論法を使っている。分かるべきことを分かっていないのは怠慢が原因であり他人のせいにはできない。
 憲法が分からないのは政府や学校や憲法そのもののせいではなく自分の責任だ。同様に、安保関連法やTPPやマイナンバー制度が分からないのも己の責任だろう。
 言論統制のある国であれば政府が都合の悪い情報を隠蔽する。中国では「天安門事件」をネットで検索することさえできないそうだ。この場合、分からないのは中国共産党のせいだが、言論が自由である日本において、分からなければ自己の不勉強を咎めるべきであり、少なくとも政府のせいにはできない。
 旭化成建材の杭工事がどこで行われたかについて非常に中途半端な形で公表された。こんな中途半端な公表は却って疑心暗鬼を招くだけだ。これは「エボラ出血熱の患者が全国にいる」とだけ公表するようなものであって、不安を煽られた自治体も建設業者も振り回されている。不安を拡散させないためには早期に実名を公表することが必須だ。中途半端な公表は風評被害を生むだけだ。
 あるいは業界がグルになって誤った情報を発信していることもある。目に余るのは医薬品業界だ。有害な総合感冒薬によってどれほど儲けているのだろうか。それを批判しないし批判できないマスコミも悪い。国民がこのことを分からなくてもこれは国民のせいではない。最も悪いのは欲に目が眩んで報道を自粛しているマスコミだ。
 例外はあるが基本的には、分からないのは自分が悪い。言論が自由な日本では何でも自力で調べることができる。しかし困ったことには、自分が分かっていないということを分からない人がいる。こんな人は碌に調べもせずに誰かが言ったことをオウム返ししているだけだ。憲法の条文を自分で読まずに聞き齧りだけで良い・悪いと放言する人が余りにも多過ぎる。

メディアの責任

2015-10-25 10:45:22 | Weblog
 不良品を売った企業は徹底的に責任を問われる。旭化成建材であれエアバッグのタカタであれディーゼルエンジンのフォルクスワーゲンであれ、容赦なく追及される。そのダメージは大きく企業の存続が困難になることさえ少なくない。それと比べてマスコミは余りにも無責任ではないだろうか。
 かつてイレッサという抗癌剤が発売された時、マスコミは「副作用の無い夢の新薬」ともて囃した。それを鵜呑みにした患者の多くが副作用のために亡くなった。
 一時期、食品添加物が目の敵にされた時代があった。それを信じた人々は無添加の加工食品を買い求めて少なからぬ人が食中毒を患った。
 マスコミは発表されたことをしばしばそのまま垂れ流す。その発表内容が間違っていることが後で分かっても「そう発表したということは事実であり事実に基づいて報じただけだ」という逃げ口上を使って自らの責任を認めない。内容が事実かどうかを予め検証する義務は無いのだろうか?
 もしかつての豊田商事のような大規模な詐欺集団が「元本保証、年利1割」という金融商品を売り出した時にそのまま報じることは詐欺の共犯に該当するだろう。同様に、有害な薬をあたかも良薬のように報じたり、総合感冒薬の危険性について全く触れないことも詐欺の片棒を担ぐ行為ではないだろうか。
 マスコミは「言論の自由」という言葉を好んで使う。問題のある報道が批判されれば「言論弾圧だ」と抗議する。しかし自由であり得るのは自ら責任を負う場合に限定される。企業活動が自由であるのはその結果に対して責任を取るからだ。自由と責任は表裏一体であり、責任を取らない企業は犯罪集団として罰されるべきだろう。
 これまでに多数の誤報があったが、責任を取ったと思えるのは名誉毀損の裁判で負けた時ぐらいしか無いのではなかろうか。それ以外については責任逃れに成功している。
 一昨日(23日)朝日新聞が14日に報じた「トルマリンで殺菌するシャワーヘッド」の記事に疑問を挟んだが、お墨付きを与えた検査機関として名を挙げられた「東京顕微鏡院」が、朝日新聞よりも早く22日に自社のホームページで釈明した。「殺菌・滅菌効果の有無に関する評価には関与しておりません。」これを受けて朝日新聞デジタル版は24日に「水が電気分解される」という部分だけを取り消した。肝腎の「水を通せば殺菌」は取り消されていない。トルマリンによって「細菌を破壊する」という最も根本的な間違いについては頬かむりをして、科学的認識不足に問題を摩り替えようという魂胆なのだろうか。欠陥記事に対する危機意識は相変わらず低い。これ以上マスコミを甘やかすべきではなかろう。なお私が購読している名古屋本社版ではこの訂正記事は見当たらない。

悪い薬

2015-10-23 10:23:41 | Weblog
 薬は毒だとしつこく書いているが、良い薬もある。不足している栄養素を補給する薬と病原体(病原菌と寄生虫)を殺す薬だ。これらは比較的有害性が少ない。しかし前者は過剰摂取による障害を招き得るし、後者の人体への有害性は皆無ではない。これらが良い薬であるのはデメリットと比べてメリットが圧倒的に大きいからだ。
 この逆が悪い薬だ。20日の厚生労働省の発表に拠ると、便秘薬として使われている酸化マグネシウム製剤による死亡例が2012年以降で4例あるそうだ。便秘の解消のために命を賭ける人は絶対にいない。これは典型的な悪い薬だ。
 隠し切れなくなるほど広がるまで報じられないが薬害は非常に多い。病気が原因なのか薬害なのか判別しにくいケースも少なくないが、多くは大スポンサー様に遠慮して報道を自粛している。
 医療について少しでも学べば風邪の治療薬など無いことが分かる。市販されている薬は総て対症療法薬であり風邪の諸症状を緩和するだけだ。試験などのために一時凌ぎが必要な人が使用することはやむを得ないが、大半の人は風邪薬で風邪が治ると信じている。これは大衆の無知に付け込んだ詐欺のような行為だ。風邪薬のせいで死ぬ人もいるのにマスコミは殆んど報じない。公園などでの遊具による事故より遥かに危険なのに情報の重要性を無視している。薬は煙草や食品添加物よりも危険だ。
 老人は多くの病気を抱えていると言われるがその大半は病気ではなく老化現象だ。老化現象は病気ではないから治せない。若年層の関節痛は怪我だから自然治癒力が働いて治るが、老人の関節痛の大半が劣化だから治らない。若返りが不可能である限り、劣化した関節が修復されることは無いし、劣化した内臓や頭髪が蘇ることも無い。治らない患者を薬漬けにするとは全く酷いことをしている。だからこそ治療効果など全く無く副作用だけがある薬によって多くの老人が医原病患者にされている。こんな人工的な病気は薬の服用をやめれば治る。
 老化現象に対して副作用の強い対症療法薬を処方して医原病患者にし、その医原病の対症療法薬を処方しているから悪化するばかりだ。毒物中毒患者に毒を盛ることが老人医療の名の元で行われている。政府や厚生労働省は医療費の抑制について言及するが、それ以前に、こんな無駄のレベルを超越した有害な贋医療を排除することが急務だろう。これは医師による殺人だ。