俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

致命的欠陥

2011-03-29 15:46:50 | Weblog
 福島第一原発には致命的な欠陥があったようだ。それは自家発電装置が壊れた場合にどう対応するか、という危機対応が欠けていたということだ。対策は至極簡単だ。すぐ傍を通っている東北電力の電気を使えば済む。こんな簡単な対策を怠っていたと思われる。
 当初、東京電力は自家発電装置さえ復旧させれば大丈夫だと考えていたようだ。ところが人的ミスもあって自家発電装置がうまく稼動しなかった。この時点で東北電力の電気を引いていればずっとマシな結果になっていただろう。しかしそれをしなかった。諦めていたとは思えないから多分「一刻も早く自家発電装置を復旧せよ」と矢の催促をしていたのだろう。
 自家発電が復旧しないことを理解したのは震災発生から1週間も経った18日のことだ。ようやく東北電力の電気を使うことを決めて敷設工事をした。しかしこの時も能天気ぶりを発揮した。「18日中に電気施設を復旧させる」と発表した。復旧する筈がない。水素爆発と発火と放水で電気系統はボロボロの状態だ。幹部連中は電力さえあれば機械は正常に稼動するものと思っていたのだろうか。素人以下だ。
 東電の安全管理意識は素人レベル以下だと考えざるを得ない。天下りの連中に危機管理などできない。とりあえず各原発が外部電力を導入できるように作られているかをチェックする必要がある。特に新潟の柏崎刈羽原発のようなエリア外の原発は危険だ。電力会社は他社から割高の電気を買おうとしないから、東電の柏崎原発は福島第一原発と同じ致命的欠陥を持っている可能性が高い。

安全と危険

2011-03-29 15:30:21 | Weblog
 安全と危険は対立する概念ではない。危険度という指標のみがあって、危険度のごく少ない状態が安全とされる。危険度0の状態から始まって確実に事故が起こる危険度100%までは、白からグレーを経て黒へと至るようにグラデーションを描く。
 過度の安全性の追求は有害だ。傷口を無闇に消毒すれば病原菌だけではなく善玉菌まで殺してしまうためにかえって治りにくくなるそうだ。
 放射能汚染が危険であることは間違いない。しかし原発内の390万ベクレルの汚染水以外は殆どがグレーのレベルだ。それを白か黒かと問うから訳の分からない議論になる。
 私個人としては原発から30km圏外の野菜なら進んで買いたいと思っている。それが復興支援に繋がるからだ。よく洗うだけで放射能は半分以下になるだろう。枝野官房長官の「直ちに健康に影響を及ぼす数値ではない」という発言のとおりであり、菅首相による福島県産野菜の摂取制限発言は暴言だ。菅首相は福島県が東京都の6.4倍も広くて日本で3番目に大きい県であるということや、特殊な地形をしていることを知らないのだろうか。
 理系の発想は単純化し過ぎるし文系の発想は枝葉末節にこだわり過ぎる嫌いがある。菅首相の考え方は福島県産の総てを否定する極めて偏狭な考えだ。ユダヤ人を有害民族と決め付けたヒットラーに等しい。会津若松産の野菜は茨城県東部の野菜よりも安全と思えるのに、県単位のレベルでしか把握できない発想は幼稚とさえ思える。こんな首相で大丈夫なのだろうか。

放射能汚染(2)

2011-03-29 15:11:01 | Weblog
 アメリカ、中国、韓国など約10ヶ国が福島・茨城・栃木・群馬に加えて千葉県産の食品を輸入停止にしている。シンガポールではなんと愛媛県産の野菜と果物まで輸入停止にされた。中国では長野県と埼玉県から訪れた日本人2人から基準値の30倍に当たる6マイクロシーベルト/時が検出されたとして病院に送られたそうだ。
 我々はこれを過剰反応と考える。しかしこれと同じようなことを国内でもやっているのではないだろうか。福島県というレッテルで差別をしていないだろうか。例えば会津若松市は福島第一原発から約100km離れている。約70km離れている北茨城市よりも遠い。しかも会津若松市と原発との間には阿武隈高地と奥羽山脈があるので大気中の放射線量は茨城県南東部よりもずっと少ない。それでも会津若松産の野菜は福島県産として出荷制限を受けている。
 政府の理屈では産地表示が県単位だから一律に出荷制限せざるを得ないとのことだが、それなら急遽「会津産」という表示を認めたらどうだろうか。風評被害を防ぐためにはこんな木目細かい対応が必要だ。
 仮に「会津産」という表示が認められても直ちに出荷できる訳ではないが、放射能パニックが収まった時点では「会津産」は「福島産」よりも安全な野菜と評価され得る。
 「直ちに健康に影響を及ぼさない」と繰り返すだけではなく、県単位よりも細かく安全な地域と危険な地域を明確にすべきだ。それが風評被害を防ぐことに繋がる。

言論統制

2011-03-25 15:59:28 | Weblog
 今回の原発事故で東電叩きが起こらないことが不思議でならない。
 これまで不祥事を起こした企業はマスコミによって徹底的に叩かれた。ミートホープなどは倒産したし「白い恋人」の石屋製菓や赤福は販売停止を余儀無くされた。ATMのシステムトラブルを起こしたみずほ銀行は頭取と常務が謝罪した。
 ところが大災害を起こした東京電力は謝罪の記者会見も行わないし厚かましくも一方的に計画停電を勝手に実施する始末だ。
 この違いは何か。東京電力はキー局の大スポンサーだからだ。マスコミは大企業には甘い。政治的権力者なら批判するが経済的権力者には弱腰だ。この体質は改めようが無い。せめてミニコミが大企業批判を心掛けねばならない。
 かつてJRの体質を批判したことがある。この時にはJRの社員と2ちゃんねるから猛烈な抗議を受けて炎上してしまった。大企業は従業員や関係者が多いだけに下手な批判は反撃を受け易い。
 それでも懲りずに大企業批判をしようと思う。マスコミがスポンサー様の意向に沿う形でしか報道しないのだからそんな企業と利害関係を持たない一般人が批判しなければ大企業による言論統制が敷かれ続けることになってしまう。
 幸い私は関西在住なので東京電力とは何の繋がりも無いし被害者でもないから客観的な立場に立てる。
 なお広告費が多い業種は①自動車メーカー②薬品メーカーだそうだ。私はこれまで何度も全く専門外の薬の有害性について書いているが、これは薬品メーカーによる洗脳に憤慨しているからだ。

放射能汚染

2011-03-25 15:43:17 | Weblog
 農作物が放射能に汚染されて食べられないということはその土地に住んではいけないということを意味する。
 人はその土地で生活する。農作物と同等に被曝する。土が汚染されるカドニウムなどとは違って放射能は空から降って来る。野菜と同様、人間も汚染される。
 牛乳が危険な土地に住む人の母乳も同様に危険だろう。母乳の危険情報も早急に発表すべきだろう。
 もし茨城県や栃木県の野菜が食べられないのならその土地は人の住めない土地だろう。野菜と同様に人間も被曝するからだ。人間のほうが野菜よりも長く被曝するから一層危険だ。
 もともと食品の安全基準には放射能は無かった。今月の17日に泥縄式に作られた暫定基準に過ぎない。そんないい加減な基準で農作物は廃棄されている。
 食の安全を守ることは大切だ。放射能汚染などされていないほうが良いに決まっている。しかしそれは消費者としての立場だ。政府が危機感を煽っているのは多数者である消費者の側に立つことによって責任逃れを図っているからとしか思えない。
 安全性が大切なのは食品だけではない。住民の安全こそ最優先だ。もし農作物が危険なら住民はもっと危険だ。20~30km圏に続いて今すぐに避難勧告をすべきだろう。住民が減れば電気の使用量も減るので停電も減らせるだろう。
 福島・茨城・栃木・群馬の4県は放射能汚染地域として政府に認定されたようなものだ。菅首相はいつ避難勧告をするのだろう。

計画停電

2011-03-25 15:23:51 | Weblog
 一民間企業がインフラの決定権を持つべきではない。欠陥企業の東京電力が一方的に停電を決めているがこれこそ政府が管理すべきことだろう。こんな暴挙を許すべきではない。政治主導をタテマエとする民主党政権は官僚支配以上に不合理な企業支配を放置すべきではない。
 無駄な電力は少なくない。無駄な電力を温存して必要な電力を止めることなど言語道断だ。電力の必要性仕分けをすべきだ。
 暖房、エスカレーター、2~4階へのエレベーターなどは原則的には停止されるべきだろう。パチンコ店の営業も自粛して貰いたい。これらの対策だけでそれなりの電力が削減されるだろう。更に0時から7時までの深夜・早朝のテレビ放送もやめるべきだ。テレビ放送が無くなれば消灯時刻も早くなり二重の節電効果が得られる。飲料の自動販売機も大半を速やかに撤去すべきだろう。
 停電は問答無用の独断専行だ。斑模様になっている停電対象地域の設定について東電からは何の説明も無いがこれには作為的なものを感じる。与党議員によるゴリ押しが通っているという噂さえある。電力不足には特定地域の停電ではなく全地域での節電で対応すべきだろう。必要な電力と贅沢で無駄な電力とを一刻も早く仕分けるべきだ。
 非常事態と言いながらテレビ局は深夜放送を続けている。かつて石油ショックの時には真っ先に深夜番組が打ち切られた。対応が甘い。
 政府は計画停電を否定して具体的な節電命令を下すべきだ。それができないなら菅内閣は中身の無い土管内閣であり国民の生活を守ろうとしない傍観内閣だ。

決死隊

2011-03-22 16:02:09 | Weblog
 福島第一原発では多くの人が命懸けで働いている。自衛隊、消防隊、そして電力を復旧させようとしている東電従業員および関係者の方々。それと比べて東京で安穏に暮らし多分神頼みさえしていない東京電力の患部、じゃなかった幹部には腹が立つ。
 テレビで見ていて決死隊の多くが20代の若い人であることが気になった。こんな仕事こそ老人がやるべき仕事ではないだろうか。 
 多分、多くの人が気分を害する乱暴な主張だとは思う。しかし決死の仕事は老い先短い老人に任せても良いのではないだろうか。これから子作りや育児に励む若い世代ではなく既に授精能力さえ失った老人に任せたほうが合理的ではないだろうか。
 放射線被曝によって10年後に亡くなるという縁起でもないことを想定するなら、30歳の人なら平均寿命の80歳まで40年を残して死ぬことになる。60歳の人なら10年寿命が短くなるだけで済む。
 引越しや大掃除で一張羅の服を着る人はいない。もう捨てても惜しくない古着を使うだろう。命懸けの仕事に将来がありまだ人生を充分に満喫していない若者を使うべきではないと私は大真面目に考えている。
 しかしこれは机上の空論かも知れない。自衛隊の放射能防護服は鉛などを縫い込んでいるために22kgもあるそうだ。こんな重い服を着たら老人は機敏には動けない。危険性が増すことになるかも知れない。

空白域

2011-03-22 15:45:16 | Weblog
 朝日新聞には震災の被災地図が毎日掲載されている。この地図には奇妙な空白域がある。福島県の南相馬市からいわき市の間の約60kmには僅か2ヶ所しか被災地が無い。その2ヶ所とは福島第一原発と第二原発だ。
 本当に被災していないのなら喜ばしいことだが実際には今なお情報さえ集まっていないのではないだろうか。
 阪神・淡路大震災の時、しばらくの間、神戸の震度が不明のままだった。発生から数時間経ってから震度7が表示されたと記憶している。このように本当に酷い被災地の情報は届きにくい。
 今回の震災発生から10日以上経っても情報が集まらないのはなぜだろうか。住民の多くが避難したからだろうか。それ以上に原発事故のせいで救援隊が立ち寄れないからだろう。そのために福島県の安否不明者数は歪に多い。この地域の被災者は見捨てられた。
 この空白の60kmが本当に被災地でないのなら原発施設は一般家屋よりも脆弱であったということであり、被災地であるならこの地域は原発事故のせいで見捨てられているということになる。憶測で語りたくない。正しい情報が欲しい。
 農作物の放射性物質汚染は福島県だけではなく茨城・栃木・群馬・千葉にまで広がっている。放射能汚染は政府の発表よりも酷いのではないかと不安を感じる。
 しかし私は汚染された農作物を積極的に購入してよく洗ってから食べたいと思っている。貴重な農作物を廃棄したくない。自衛隊や消防隊の方々が浴びた放射能と比べたら微々たる量だ。人に勧める気は全く無いが、これぐらいの犠牲なら自らの意志で受け入れたい。

復旧作業

2011-03-22 15:28:43 | Weblog
 東京電力は電気系統の復旧に躍起になっているが「なぜ今頃になって」と思うのは私だけではあるまい。復旧作業の重要性を疑う訳ではない。電気系統の安全システムが復旧しなければ原発は危険な状態のままだ。しかし12日に1回目の爆発が起こる前、あるいは14日に2回目の爆発が起こる前に今と同じぐらい本気で取り組んでいれば遥かに安全に簡単に復旧できた筈だ。
 水素爆発や火災を起こし、更に海水浸しになった設備の大半は使い物にならないだろう。こんなボロボロになってから復旧しようとするよりも初期に適切に対応していれば被曝の危険性も遥かに少なかった筈だ。
 邪推でしかないが東京電力の幹部の面々は12日と13日の土日は休日だったのではないだろうか。事態の深刻性を理解せずに現場任せにして休んでいる間に事態がどんどん悪化して手を付けられない状態になってから大慌てで復旧を厳命しているのではないだろうか。 
 当初からちゃんと復旧作業に取り組んでいれば放射線の中で、放水作業を中断させてまで復旧作業を急ぐ必要は無かっただろう。
 自衛隊や消防隊の発表は具体的であり現場の状況が良く分かるが、東京電力による発表は抽象的で誤りも多い。今でもまだ状況を把握していないのではないだろうか。18日中に電気系統を復旧させると発表したが22日現在まだごくごく一部しか復旧できていない。それどころか今頃になってから部品を発注しているという不手際ぶりだ。通電実験による事故まで起こしているようだ。全く泥縄仕事だ。

悪循環

2011-03-18 15:49:00 | Weblog
 今回の大震災の被災者数を見ると福島県の安否不明者数の多さが目立つ。18日付けの朝日新聞朝刊によると死者574人に対して安否不明者は3,507人だ。総数での死者5,694人、安否不明者19,607人と比べて明らかに歪だ。こうなった一因は原発事故にある。
 一部の地域には原発事故のせいで救援隊が立ち寄れない。本来なら救えた人が見殺しにされてしまった。これでは原発に殺されたようなものだ。
 15日には岩手県と宮城県からは震災発生後90時間以上経過してからの救出という嬉しいニュースが相次いで報じられた。福島県からは無い。
 支援物資のトラックも福島第一原発から30km以内には入れない。そのために原発からの避難者は他の避難者以上に不自由を強いられている。避難した入院患者の死亡も続出している。救援のボランティアも福島県を避ける人が少なくないそうだ。
 震災の報道は半分ほどが原発事故に割かれたために伝えられなかった情報は少なくなかろう。
 17日のヘリコプターによる投水や18日の消防車による放水ではパニック映画でのヒーローの登場のようにワクワクして映像を見つめた。しかしこの期待感は不安の裏返しでしかない。こんな事態を招いたことこそ問題だ。
 このように原発事故は直接被害以上に多くの間接被害を生んでいる。こんな悪循環の元となった原発を放置すれば同じような悲劇が繰り返されるだろう。