俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

男と女

2015-01-31 10:24:39 | Weblog
 男女は違うからこそお互いに引かれ合う。男性にとって女性の性的魅力はバスト・ウエスト・ヒップのメリハリが一番だろう。男性とは違った形態をしているからこそ女性の魅力になる。性器も男女共に変な格好だが全然違うからこそ異性のシンボルとして大切にされる。
 声も男女で異なる。カエルと同様、体の大きい男声は低く女声は高い。違うからこそ、自分とは異なる能力に魅力を感じる。
 男女差を否定したがる奇妙なグループがいる。フェミニストだ。更に奇妙なことに彼女らは男性原理を唯一の価値体系と信じる。競争で勝つことや権力支配を彼女らは肯定して男性的価値体系から女性が締め出されていると非難する。私はこんな男性的価値体系などどうでも良いと考える。競争より協調、支配より共存、度胸より愛嬌を重視する女性的価値体系のほうがずっと優れた社会規範だと考える。女であることの優越性を否定し、男でないことの不満ばかりを強調する彼女らこそ女性性を蔑視して女性を劣等者扱いしているのではないだろうか。
 古事記ではイザナミが「吾が身は成り成りて成り合はざる処一処あり」と言い、イザナギが「我が身は成り成りて成り余れる処一処あり」と答えて「まぐはひせむ」と続く。「まぐわい」をするかどうかは個人の勝手だが男女が相互補完的であることは間違い無かろう。電話ボックスに何人入れるかを競うゲームでは、男だけや女だけのチームより男女混成チームのほうが強いそうだ。凹凸の位置が男女で異なるからだ。
 同質性と多様性については様々な意見があり得る。独裁者であれば同質性を求めるし民主主義者は多様性を好む。私は民主主義者ではなく個人主義者のつもりだが、多様性こそ好ましい。
 人は経験も好みも異なる。だから様々な考え方があり得る。背の高さが違うだけで見える世界が異なるように、男と女は違う世界を生きて違う世界観を持つ。男女は脳の構造も少なからず異なるようだ。
 男性にとって女性は永遠に異質な存在だ。だからこそ興味が尽きない。男女が別の生き物だからこそこの世は限りなく多様性に富む。皆が同じ姿で同じ考えをしていれば全然面白くない。多様で不可解だからこそ常に新しい発見がある。自分と異なる人を劣った人と考えるのはその人の勝手だが、私は異なる人にこそ魅力を感じる。

不正受給

2015-01-31 09:43:15 | Weblog
 日弁連(日本弁護士連合会)が「あなたも使える生活保護」というパンフレットを作成した。その趣旨に文句を言う気は無いが「不正受給は全体の0.53%と非常にわずかです」という文章は許し難い。昨年の生活保護費の総額は約4兆円なのでその0.5%は200億円だ。これは振り込め詐欺とも呼ばれる成り済まし詐欺の昨年の被害総額175億円を上回る。その金額を「非常にわずか」と言えるのだろうか。不正受給は最も広汎に行われている詐欺と言っても良かろう。多分詐欺を行う人は0.1%もいないだろう。ところが生活保護費受給者の0.5%が不正受給者であるとは恐ろしく高い比率だろう。日弁連は0.1%や0.5%なら僅かだから無視して構わないとでも言いたいのだろうか。
 実はもっと重大な問題がある。0.53%とは発覚した不正受給率であり、発覚していない不正受給はこれよりも遥かに多い筈だ。これは氷山の一角に過ぎない。それを推定するためには「ヒヤリ・ハット」とも呼ばれるハインリッヒの法則が参考になる。これは「重大な事故の蔭には29倍の軽度の事故と300倍のニアミスがある」という経験則だ。
 万引を考えてもハインリッヒの法則は納得できる。万引の被害額は売上高の1~5%と言われており、発覚するのはせいぜい被害の1%程度だろう。だから多くの小売店では防犯カメラを設置して自衛せざるを得ない。
 ここでは一応、発覚の10倍の不正受給があるとしよう。その場合の不正受給額は2,000億円だ。昨年1年間での強盗や詐欺などによる現金被害額が1,130億円なのだからこの2倍近い金額になるのだが、これでもほんの僅かな額と言えるのだろうか。
 不正でない受給者でもその使い道に問題がある。一番よく指摘されるのがパチンコだ。働いていないのだから暇を持て余してパチンコ屋に入り浸る受給者が少なくない。風俗店を利用する人もいる。不正とは言えないがこういった不適切な支出は無視できない。これを少しでも是正するために大阪市の橋下市長が生活保護費の一部をプリペイドカードで支給すると発表し、これに対して一部の弁護士は「金銭給付の原則に反し違法」と批判した。問題にされるべきなのはどちらだろうか。
 働けない人に対する支給はともかく、働かない人や非合法収入しか無い人(暴力団員など)に対する支給は絶対に見直すべきだ。グレーを放置すれば限りなく黒に近いグレーの人に悪用されるばかりだ。
 問題はそれだけではない。現役時代に年金保険料を払い続けてやっと支給される年金よりも多額の生活保護費が支払われている現行制度は狂っている。これでは年金保険料など納めずに働けなくなったら生活保護で暮らせと奨励しているようなものだ。過剰な保護が相互扶助である年金制度を破綻させ一方的受益者(フリーライダー)を蔓延らせることにもなりかねない。悪貨が良貨を駆逐するように、年金よりも有利な福祉制度の存在が年金制度を崩壊させる。

定跡

2015-01-29 10:21:20 | Weblog
 将棋には定跡がある。序盤戦では最善手がありそれ以外の手を刺せば不利になるとされている。しかしこれはあくまで序盤戦での話であり変幻自在のゲームである将棋の中盤以降での定跡はあり得ない。だから五目並べとは違って将棋には必勝法が無い。
 マニュアルも初心者のためのものだ。最低限守るべきことが定められているだけであり、熟練すればマニュアル以上のことをせねばならない。
 教育も当り障りの無いことだけを教える。間違ってはいないが必ずしも正確ではない。ニュートン力学やユークリッド幾何学でさえ通常の条件では正しいが特殊な条件下では成立しない。
 戦闘にも定跡がある。しかし定跡は序盤戦でしか通用せず、地の利や天の時を利用した作戦が必要だ。但しその作戦が成功してもそれが新しい定跡になる訳ではない。前例主義はたまたま成功した事例を新しい定跡と勘違いしていることが多い。
 第二次世界大戦の陸戦で一部の日本軍は馬鹿の1つ覚えと思えるようなワンパターン攻撃を繰り返したそうだ。彼らは必ず別動隊を使って背後から攻めた。初戦では敵を混乱させて勝ってもそれを繰り返せば誰でも背後を警戒するから奇襲が通用しなくなる。奇襲が有効なのは奇手だからであってそれは定跡にはなり得ない。その点、西洋人は論理的であり「戦争において予測できることはただ1つしか無い。それは、予想しなかったことが起こる、ということだ」とクラウゼヴィッツは語る。
 相手がある戦闘でお互いが最善手を使えば膠着状態に陥る。打開するためには相手の意表を突く1手が必要だ。それは地形や天候などに対応した臨機応変の戦法であり、これが定跡に組み込まれることはあり得ない。前例主義は特殊な条件での成功を定跡と思いこんでいる。実戦において最も有効な当意即妙の策は特殊な条件を最大限に活用するのだから定跡にはなり得ない。

仁術

2015-01-29 09:44:43 | Weblog
 Lサイズ婦人服の専門店は固定客を対象にしてそれなりに収益を上げられる事業だ。この店が売上を飛躍的に拡大しようとすれば店舗を拡張して普通サイズも扱うことを選ぶだろう。しかしもっと良い手がある。太った女性が増えれば対象顧客が増えるから現状の店のままでも売上が増える。店舗ではなく市場が拡大するからだ。
 医療の対象は病人だ。病人だけが相手では市場は限られる。市場を拡大するためには対象者を増やす必要がある。それに利用されたのが「未病」という概念だ。病識が無い人でも近い将来重い病気になると脅されれば「健康な病人」が続々通院することになる。血圧や血糖値の基準値は見直す度に引き下げられ、今では中年以上の日本人の殆んどが生活習慣病患者に仕立て上げられた。
 風邪の患者もドル箱だ。現代の医療では風邪を治療することはできない。だから解熱剤や鎮痛剤などの対症療法薬が処方される。これらの薬は不快な症状を緩和するだけであり風邪を却って長引かせるだけではなく危険な副作用まである。私は風邪をひいても放っておく。薬によって自然治癒力が妨害されなければ2・3日で自然に全快する。風邪について様々な民間療法があるのは、どんな民間療法を使っても薬よりも有効だからだろう。ゼロはマイナスよりもマシだということだ。
 精神科の市場も限られていた。従来のビジネスモデルは重症患者を一生隔離すること、つまり少数の重症患者に頼り切っていた。これでは市場が小さい。まず狙われたのが鬱病だ。欝は心の風邪と訴えて気軽に立ち寄れるようにした。この戦略によって鬱病患者が激増した。しかしこれも頭打ちになった。次に狙われたのは認知症だ。認知症には早期発見・早期治療が有効と訴えて大勢の認知症候補者を集客した。しかし本当に薬で認知症を治せるのだろうか?認知症は薬の投与ではなくむしろ断薬こそ有効だろう。例えば降圧剤によって無理やり血圧を下げれば充分な血液が脳に届かなくなって知的障害が起こり得る。これは断薬によって簡単に治療できる。しかしこれは元々認知症ではなかったから治るに過ぎない。医原病(薬原病)なのだから原因を断ち切れば治る。本当の認知症であれば現時点では治療不可能だろう。
 これではまるでマッチポンプだ。本当の認知症は治せずに医原病の認知症紛いを治しているだけだ。火付けの犯人が火事の恐怖を騒いでいるようなものだ。認知症の啓発活動よりも医原病の除去こそ優先課題だろう。
 成人から老人までの市場を拡大した医療は更に子供に狙いを定めつつあるようだ。注意欠陥・多動性障害(ADHD)治療薬などの子供に対する投与が激増しているそうだ。子供の主観的時間は早く進むからじっとしていられないのは当然のことだろう。こんなことまで精神病扱いをして投薬するとは、最早医療は仁術ではなく魔術的な話術と詐術を駆使した錬金術へと変質したと言わざるを得ない。

イスラム国

2015-01-27 10:15:02 | Weblog
 日本のマスコミは平気で「イスラム国」と呼んでいるがこの呼称が適切とは思えない。イスラム教に対する偏見を助長するからだ。
 エジプト政府は世界中のメディアに「イスラム国」という名称を使わないように要請している。イラクやシリアでは「ダーシュ」と呼ばれている。欧米ではISISあるいはISILと呼んでいるようだ。日本でも当初はISISと呼んでいたがいつからこんな宗教差別的な呼称を平気で使うようになったのだろうか。日本のマスコミはエジプト政府の意向を無視している。
 「固有名詞だから仕方が無い」と言い訳するかも知れない。しかし誤解を招きかねない固有名詞は通常使われない。絶対承認されることは無いだろうがもし「風邪薬」という薬が発売されたらそのとおりに呼ぶだろうか。あるいはどこかの国のテロリストが「中国」と名乗ったらそう呼ぶだろうか。オウム真理教は仏教の一派だったが彼らが「真仏教」と名乗っていたらそう呼んでいただろうか。キリスト教原理主義者がテロを起こしても日本のマスコミは「キリスト教テロリスト」とは呼ばない。単に「テロリスト」あるいは「原理主義者」と呼ぶ。このギャップは一体何なのだろうか。
 フランスのシャルリー・エブド社に対するテロの時も日本のマスコミはイスラム教に対する偏見を隠そうとしなかった。と言うよりもそれが偏見であることにさえ気付いていなかった。偏見の根は深い。
 日本人はキリスト教的偏見には寛大だがイスラム教的慣習には不寛容だ。アジア人でありながら欧米は正しくアジア・アフリカは誤っているという偏見に凝り固まっている。それは欧米的価値観を普遍的なグローバリズムだと思っているからだ。私は日本的慣習も欧米的慣習もイスラム圏での慣習も同等に尊重されるべきだと考える。日本のマスコミによるイスラム教差別の姿勢は改められるべきだ。
 私はかなり頑固な無神論者だが個々人の宗教的慣習を否定しない。それは生活の根本でもあるからだ。他人の生活様式にまで干渉することは余りにも傲慢だ。これは異教徒を人間と認めないかつての欧米による帝国主義の原理だ。彼らはキリスト教徒以外を人間とは認めなかった。だから平気で侵略をして虐殺を繰り返した。
 マスコミが「イスラム国」を非難する度に日本に住むムスリム(イスラム教徒)は不快な思いをする。テロリストを「イスラム国」と呼ぶことによってイスラム教に対する偏見を植え付けていることをマスコミは反省してこの呼称を自重すべきだろう。イスラム文化に対する冒涜であり国内の少数者に対する侮辱だ。
 昨日(26日)自民党は「イスラム国」と呼ばないと申し合わせたそうだ。これが守られるなら、自民党のほうがマスコミよりも差別の害毒について敏感だということにもなろう。偉そうに他者を批判しているマスコミの国際感覚は自民党以下だ。

治療法

2015-01-27 09:37:21 | Weblog
 治療が有効であるのは原因に正しく対処した時だ。原因を明かさないままでの対症療法は殆んどが無効か有害だ。感染症であれば感染の予防、栄養障害であれば食生活の改善、毒物であれば解毒剤が有効だろう。対策は原因に対応せねばならない。原因を無視して対症療法で対応すれば放置するよりも悪い結果を招くことがある。
 陸軍医でもあった森鴎外は脚気を感染症と信じ込んでいた。当時としては最高レベルの感染症対策を行ったが25万人の兵士を脚気に罹らせて27,000人を病死させた。脚気はビタミンB1欠乏症だから白米食の陸軍とは違って麦飯を採用していた海軍では脚気は広まらなかった。
 和歌山砒素カレー事件では当初食中毒と思われたために下痢止めや嘔吐止めが処方され被害者67人中4人が死亡した。毒物が原因なのだから胃洗浄などが有効な治療法だっただろう。
 平成23年の「焼肉酒家えびす」での腸管出血性大腸菌O-111による集団食中毒ではユッケなどを食べた181人が発症し5人が死亡した。この事件でも下痢止めを処方された患者の死亡率・重篤化率が有意に高かったと言われている。
 これらのよく知られている事例においては誤った治療によって被害が拡大した。よく知られていない話を含めればこんな事例は無数にあるだろう。日本の医療の現場には誤診と誤治療が蔓延している。治療が有効なのは原因に正しく対処した時であり、訳の分からないままでの「とりあえず薬」は危険極まりない。
 精神病や認知症の原因は解明されていない。症状は様々であり原因も様々だろう。抗精神病薬は当り外れが大きいそうだ。効く人もいれば全く効かない人もいる。これは当然のことだろう。原因が異なるからだ。
 懐中電灯が点かない場合、幾つかの原因が考えられる。電池が切れているか電球が壊れているか接触が悪いかなどが原因だろう。馬鹿の1つ覚えのように電池交換しかしなければ懐中電灯さえ直せない。人体は懐中電灯よりも遥かに複雑で多様だ。原因を無視した対症療法とはこんな馬鹿げた治療法だ。

世論

2015-01-25 10:07:54 | Weblog
 極東国際軍事裁判(東京裁判)を受諾することはサンフランシスコ平和条約で定められている。だから日本の政府はこれを否定できない。そのことに付け込んでいるのが中国の習近平国家主席だ。ことあるごとに南京大虐殺を持ち出して日本の謝罪が不充分だと咎める。彼らは強欲だ。
 こんな嘘が定着したのは日本の学者とマスコミの怠慢が原因だ。事実に迫ろうという気概があればこんな嘘をのさばらせることは無かっただろう。当時20~30万人の住民がいたと言われている南京でどうやって30万人を虐殺したと言うのだろうか。白髪三千丈にも等しい誇張した表現がまるで史実のように定着させられてしまった。
 日本のマスコミは政府批判が許されている。政府が国民から隠蔽しようとしていることを暴いても構わない。同様に、政府が言いたくても言えないことを国民に知らせることもマスコミの重要な役割だろう。彼らはこの責任を怠った。
 歴史は事実に基づかねばならない。自虐も美化も歴史を歪める。歴史は科学と同様、事実を積み上げてこそ意味がある。事実に基づかなければ反省して将来のために資することはできない。
 日中戦争にせよ日米戦争にせよ、事実より先にイデオロギーがある。先に結論があるから我田引水ばかりが目立つ。
 日本史の最大の謎は卑弥呼の邪馬台国ではない。なぜアメリカと戦ったのかということこそ解明されねばならない。10倍の国力を持つアメリカとの無謀としか思えない戦争をなぜ始めたのか?このことについて、東京裁判の受諾を義務付けられている政府は何も言えないが、学者やマスコミも本気で解明しようとはしない。私は当時のマスコミの責任こそ重大だと考える。言論統制もあっただろうが、日清戦争と日露戦争で奇跡的に勝った日本軍を神の軍隊と祭り上げ、国民に3度目の奇跡を期待させたのは新聞とラジオだろう。国際連盟を脱退した松岡洋右は帰国時には熱烈に歓迎されたそうだ。マスコミがそんな世論操作をしたからだろう。
 戦勝に酔う国民とそれを煽るマスコミ、これが日米戦争へと繋がったと私は考える。事実に基づいて謙虚に反省しなければ歴史から教訓を得ることはできない。恐ろしいのはマスコミによる世論操作とそれに乗せられる思慮の足りない民衆だ。

骸骨の夢(2)

2015-01-25 09:32:32 | Weblog
 ずっと前に書いたことがあるが、大学生の時にこんな夢を見た。
 大学の教壇には骸骨が立っていた。彼は骨をカチャカチャ鳴らしながらこう言った。「肉を捨てよ。肉はお前の足枷だ。お前を閉じ込める牢獄だ。肉を捨てて骨になればもっと賢く道徳的になれる。」
 これは当時受講していた古代ギリシャの哲学者エピクテトスの倫理学に対する印象がとんでもない形で映像化されたものと思われる。エピクテトスの倫理学はキリスト教道徳の基礎になったとも言われているのでキリスト教批判でもある。
 大半の宗教は欲を捨てることを要求する。欲に引き摺られることによって人は悪事を行う。しかし欲は諸悪の根源なのだろうか。欲を失った人間は腑抜けのようなものだろう。欲を失うとはエネルギーを失うようなものだ。欲に引き摺られることは愚かだが欲を制御することこそ望ましい生き方ではないだろうか。欲があるからこそ食事も音楽も学問も楽しめる。欲に仕えるのではなく欲に奉仕させるべきだろう。人が去勢されれば煩悩から解放されるのではなく悦びを失うことになるだろう。
 フロイトは心的エネルギーをリビドーと名付けその本質を性欲としたが、エネルギーをわざわざ性欲に置き換える必要は無かろう。私は欲こそ心的エネルギーそのものだと考える。
 この夢での説教者は骸骨だ。骸骨とは死のシンボルだろう。つまり少なからぬ道徳家は「生」ではなく「死」の側に立っているのではないだろうか。思索者の多くは陰鬱な人だ。陰鬱な人が陰鬱な人のための理想を説く。彼らの理想は諦念であり解脱だ。しかし生とは欲でありエネルギーに他ならない。生を否定し「あの世」を賛美する者が欲を否定し従順であることを求める。
 従順な家畜であるよりは野生の獣でありたいと思う。I want(したい)ということを行動原理に据えなければ自由は無い。周囲の影響によって求めさせられていることと真に自分が欲することとを峻別することがその第一歩であり、「汝自身を知れ」を「汝の欲を知れ」と言い換えても良かろう。

社説

2015-01-23 10:21:53 | Weblog
 昨日(22日)朝日新聞が恥ずかしい社説を掲載した。これまでの従軍慰安婦記事の捏造に対する反省は口先だけで、実は全く反省していないということを公表したようなものだ。
 数研出版が高校の教科書から「従軍慰安婦」という言葉を削除することを非難しているが、現時点で明らかになった事実に基づくなら、これは教科書に掲載するに値しないから削除されるだけのことだ。「強制連行」が事実でなければ、多くの国が行っている売春婦帯同に過ぎずわざわざ特記する必要は無い。実際の話、売春婦を帯同したほうがその地域にとっては有難い。一番迷惑なのは「現地調達」だ。戦後の日本や朝鮮戦争時の韓国では、米軍が兵士の性欲を放置したために多くの民間人が犠牲になった。日韓の政府は大慌てで米軍のための売春施設を作らざるを得なかった。現地調達の米軍と比べれば日本軍による売春婦帯同のほうがずっと人道的だ。
 笑って良いのか怒るべきなのか分からないのは「訂正の経緯と理由を丁寧に説明すべきだ」という言葉だ。出版社には説明する義務など無い。衆知のとおり朝日新聞が歴史を改竄していたことを自供したから訂正せざるを得なくなったということだ。朝日新聞社こそ加害者で数研出版は被害者だ。商社が産地偽装をしたせいで食品メーカーが商品を回収させられる事件のようなものだ。メーカーに責任が無いとは言えないが一番悪いのは偽装をした商社だ。同様に誤った情報を32年間に亘って垂れ流し続けた朝日新聞が一番悪い。数研出版に謝罪すべきだろう。
 産地偽装をした商社ならメーカーに謝罪をして然るべき賠償をするだろうが、出版社に対して不良情報を売り続けていた朝日新聞社は損害賠償をするどころか訂正させられる被害者である出版社を非難する。加害者が被害者を非難するなど前代未聞のことだ。朝日新聞社とは一体何様のつもりなのだろうか?
 往生際が悪過ぎる。こんな恥の上塗りを重ねるよりはさっさと大往生して欲しいものだと、長年の朝日新聞購読者の一人として私は思う。

癌予防法

2015-01-23 09:45:32 | Weblog
 劇的に癌による死亡者数を減らす方法がある。癌が進行する前に死なせてしまう有害物を使えば癌による死亡者数を減らすことができる。エボラ出血熱のような死亡率の高い疫病も有効だ。
 ブラックジョークから始めてしまったが、これに近いことが医療の現場で行われている。高血圧症や糖尿病などの生活習慣病の患者は長期間薬漬けにされる。薬理効果によって検査数値は改善される。しかし問題なのは、10年後などでの総死亡者数を見れば治療者群と非治療者群で殆んど差が無いことだ。データによっては治療者群の死亡率のほうが高いこともある。これはどういうことだろうか。
 目先の病気しか見ないからこんなことになる。例えば降圧剤によって血圧は下がり高血圧症は治まる。ところが2種類の弊害が生じる。副作用と血圧低下だ。
 薬は劇物だ。人体に異常反応を起こさせるために作られている。だからメリットがあっても必ずデメリットを伴う。降圧剤の効能は種類によって異なるから一概には言えないが、癌が増えるということはほぼ共通しているようだ。これは薬という毒物の宿命だろう。
 血圧低下によって何が起こるか。何度も書いていることだが知的障害が起こり得る。血圧低下によって脳に充分な血液が回らなくなるのだからこれは起こるべくして起こることだ。他にも目や腎臓などのように多くの血液を要する臓器もダメージを受け易い。あるいは脳梗塞も増やしているようだ。血流が弱くなれば血管が詰まり易くなる。トイレの排水量をケチると下水管が詰まり易くなるのと同じだと言えば余りにも失礼な喩えかも知れないが、淀みにはゴミが溜まるものだ。
 生物は進化の過程で多くの自助能力を獲得した。血管が細くなれば血圧を上げるという機能も進化の賜物だろう。こんな機能を浅知恵で妨害すべきではない。運動をすれば呼吸が早くなり汗をかく。これを病気と考えて薬で抑えてしまえば健康を損なうのと同じことだ。
 目的を達成するためには手段が必要だ。ところが手段が自己目的化すれば弊害が生じる。癌を減らすために他の病気で死ぬというのは論外にせよ生活習慣病を緩和するために健康を害する人は少なくない。降圧剤による知力低下も、血圧を下げることしか考えないからそれが招く医原病に気付かない。副作用は思わぬ所に現れることが多いのでその因果関係に気付かずに毒を盛り続ける。治る訳が無い。
 デフレを克服するためにインフレを利用しても構わない。しかしインフレは手段であって目的ではない。これを混同するから原油価格の低下がデフレを招いて景気を悪化させるといった馬鹿げた理屈が登場する。産油国ならともかく、エネルギーを輸入に依存する日本にとって原油価格の下落は100%確実にプラス要因だ。