シリア情勢は訳が分からない。アサド政権と西欧的な民主化勢力とIS(イスラミックステート)、更にクルド人。これだけで四竦みだ。これにアルカイダやスンニ派が絡み、米国主導の有志連合やロシアまで参戦して、最早、世界戦争の縮図のようだ。これでは国民は堪らない。もし中国で共産党による独裁体制が崩壊した時にはこれと同様の災厄が13億人民に及ぶと考えればその惨状は想像を絶する。
シリアのことが分からないのは日本のマスコミ各社が自社の社員を派遣していないことも一因だろう。人命尊重という理念からすればこれは当然のことではあるが実は裏がある。雇用関係の無いフリージャーナリストを利用しているからだ。一切契約関係の無い彼らが死んでもマスコミ各社は責任を問われない。しかしフリージャーナリストは少しでも良い記事を書きたいから「自らの意思で」危険地域へと赴く。私は彼らを「使い捨てライター」と名付けた。
シリアなどの中東がこんな酷いことになった原因はアメリカがフセイン政権を倒したからだ。「フセイン政権は大量破壊兵器を持っている」という嘘に基づいて打倒したものの、その後のシーア派を中心とする政府は統治能力を欠いているようだ。フセイン政権の残党がISの中心になっているとも言われている。
民主的に選ばれた筈の政府がなぜ統治できないのか。逆説的な言い方だが、多数派による政府だからではないだろうか。国民の6割を占めるシーア派は「シーア派のシーア派によるシーア派のための政治」を行おうとする。これではシーア派以外の少数派が不満を持つのは当然だ。これは多数決に基づく民主主義の暗黒面の露呈だろう。
フセイン政権は僅か2割に過ぎないスンニ派が中心になっていた。少数派による政権だからこそ勝手なことはできず、シーア派やクルド人の意向も採り入れていたのではないだろうか。再び変な言い方をするが、権力者が少数派だったからこそ妥協に基づく公正な政治が可能だったのではないだろうか。かつてのイラクでの政治力学については欧米の情報偏重の日本にいてはさっぱり理解できない。
翻って日本を見れば、自民党が変な方向に向かっている。元来自民党は多様な意見を包含できる懐の深い政党だったのだがその長所を失いつつある。一強だからこそ「正義は我にあり」と思い上がっているのではないだろうか。数こそ正義という暴挙を許さないためには、これまた無茶苦茶な理屈で民主主義に反するとは思うが、少数派に権力を握らせたほうが却って良いのではないかとさえ考えてしまう。
シリアのことが分からないのは日本のマスコミ各社が自社の社員を派遣していないことも一因だろう。人命尊重という理念からすればこれは当然のことではあるが実は裏がある。雇用関係の無いフリージャーナリストを利用しているからだ。一切契約関係の無い彼らが死んでもマスコミ各社は責任を問われない。しかしフリージャーナリストは少しでも良い記事を書きたいから「自らの意思で」危険地域へと赴く。私は彼らを「使い捨てライター」と名付けた。
シリアなどの中東がこんな酷いことになった原因はアメリカがフセイン政権を倒したからだ。「フセイン政権は大量破壊兵器を持っている」という嘘に基づいて打倒したものの、その後のシーア派を中心とする政府は統治能力を欠いているようだ。フセイン政権の残党がISの中心になっているとも言われている。
民主的に選ばれた筈の政府がなぜ統治できないのか。逆説的な言い方だが、多数派による政府だからではないだろうか。国民の6割を占めるシーア派は「シーア派のシーア派によるシーア派のための政治」を行おうとする。これではシーア派以外の少数派が不満を持つのは当然だ。これは多数決に基づく民主主義の暗黒面の露呈だろう。
フセイン政権は僅か2割に過ぎないスンニ派が中心になっていた。少数派による政権だからこそ勝手なことはできず、シーア派やクルド人の意向も採り入れていたのではないだろうか。再び変な言い方をするが、権力者が少数派だったからこそ妥協に基づく公正な政治が可能だったのではないだろうか。かつてのイラクでの政治力学については欧米の情報偏重の日本にいてはさっぱり理解できない。
翻って日本を見れば、自民党が変な方向に向かっている。元来自民党は多様な意見を包含できる懐の深い政党だったのだがその長所を失いつつある。一強だからこそ「正義は我にあり」と思い上がっているのではないだろうか。数こそ正義という暴挙を許さないためには、これまた無茶苦茶な理屈で民主主義に反するとは思うが、少数派に権力を握らせたほうが却って良いのではないかとさえ考えてしまう。