俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

副作用の連鎖

2016-10-27 10:26:00 | Weblog
 延命策において重要なことは栄養補給と鎮痛だろう。この条件が満たされないと延命策の不備が患者を死や苦痛へと導く。ところが困ったことにこの二者が対立することがあり得、実際に私はこれに苦しめられている。
 私の食道は癌細胞によって塞がれてしまった。これは同時に三大療法である手術・抗癌剤・放射線による治療が不可能なレベルにまで進んでいるということだ。医療に可能なことはステントと呼ばれる金属を装着して強引に飲食物の通路を作る延命策だけであり私もそれを受け入れた。
 しかしこのことによって問題は一向に改善されずここから新たな問題が始まる。ステントを装着するまで私も気付いていなかったが、ステントの装着によってそれまでの癌細胞と正常細胞の争いだった戦場に新たにステントという異物が参戦して三竦みの戦いに変質する。「食べること」が殆んど唯一の課題だった争いが質的に変わって「痛みを抑制すること」が最大の課題になる。
 痛みの原因が癌細胞なのかステントなのかはこの時点ではどうでも良くなる。原因が分かっても治療できないからだ。この時点で最も重要なことは痛みの原因を除去することではなく痛みを感じにくくすることだけだ。既に延命策が選択されているから今更原因療法には戻れない。痛みを感じにくくする対症療法以外の選択肢は残されていない。しかし痛みを感じる中枢神経が麻痺させられても痛みつまり苦痛から一時的に解放されるだけであってこれがまたまた新しい問題の原因になる。その1つが思考力の低下であり脳機能が低下した状態のままで生きることは結構辛い。
 意識が半分失われて自分が眠っているのか起きているのか分からないような状態で生き続けることは苦しい。私は久し振りにコーヒーを飲んで少しでも覚醒しようと試みている。
 漢方薬ならともかく、西洋医学で使われている鎮痛剤と人間との付き合いは意外と短くせいぜい100年程度だ。物によっては10年程度の使用歴しか無い。それと比べればコーヒーとの付き合いは1000年以上に亘る。長所も短所も分かっているから効能と副作用も充分に理解されている筈だ。
 しかしコーヒー程度では問題は解決できないだろう。薬の問題は全く一筋縄ではいかぬものだ。鎮痛剤は単に知性だけではなく全身の中枢神経を狂わせる。少なくとも生理機能と運動機能の障害を招くことは明らかだ。最も基本的なたった2つの生理機能でさえこの毒牙から逃れることはできない。便秘と尿漏れは多分不可避だろう。特に便秘については薬の副作用としてほぼ確実に現れるから当初から下剤が処方されるが多くの人が苦しめられる。尿漏れに対してはそれに対応するパンツやパットが市販されているが惨めな思いをしている人が少なくなかろう。
 運動機能の低下は自転車の使用において顕著に現れる。何かの拍子にすぐに転倒してしまう。小さな文字の本を読む時以外には必要ではなかった老眼鏡はすっかり読書のための必需品になってしまった。昨日久し振りに少し長い会話をして発声力まで衰えていると気付い時には流石に驚いた。これらを鎮痛剤の副作用に含めることに異存はあるだろうがその可能性はかなり高い。抗癌剤と鎮痛剤の副作用は体の隅々にまで及んでおり、発病以来9か月で9年ほど老いたようにさえ思える。

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