俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

直感

2011-02-25 15:26:57 | Weblog
 あくまで草野球レベルでの話だが私は上手い外野手だった。試合が始まってしばらくすると相手チームは私の守備位置のセンターを露骨に避けて、流すか引っ張るかのバッティングに切り替えた。ジャストミートしてセンター方向に打つと相手チームからは歓声ではなく落胆の声が聞こえた。
 私の守備範囲は広かった。決して足が早い訳ではないが、なぜか打球の落ちる位置が分かって、打った瞬間から落下位置へほぼ一直線で走れた。
 なぜこんなことが可能だったのか私自身分からない。物理的に考えれば、センターの位置で打球を見て一瞬で落下地点を予測するなど不可能な筈だ。
 イチロー選手ともなるともっと凄い。打った瞬間から背走に背走を重ねて殆んど振り返らずに後ろ向きで捕球する。落ちる位置と時刻をピンポイントで予測しなければこんなプレイはできない筈だ。しかしこれが現実なのだから理屈は現実を後追いしてでも説明せねばならない。
 なぜ落下位置が分かるのか。勘ではない。明らかに知覚に基づいている。人間の直感的判断力は科学で解明されているよりも遥かに優れている。直感は神秘的な力ではなく意識されない総合的判断力なのだろう。
 自転車や一輪車の乗り方を言葉で説明することは難しい。体で覚えるしかない。脳と体が一体となって反応しなければすぐに転んでしまう。たかが歩行でさえ実は複雑な運動だ。ロボットに二足歩行をさせるためには数十年を要した。無意識の領域に隠れている潜在能力を生かせれば人はもっと賢くなれるだろう。

切手

2011-02-25 15:12:06 | Weblog
 梅田の格安チケット店でテレフォンカードと切手の安売りが目立つ。50度数のテレフォンカードが300円で、切手は額面の90%以下で売られている。全国百貨店共通商品券の底値が98%であることと比べれば随分安い。
 テレフォンカードの底値は400円だと思っていた。1通話当り8円なので固定電話と同額になるからだ。300円となれば1通話当り6円となるので公衆電話から掛けたほうが安いという逆転現象になっている。
 切手の安売りは郵政民営化以降目立ち始めた。職員が販売ノルマを消化するために自分で買った切手をチケット店に売っているという噂もあるが、どうやらそれだけではなさそうだ。古い記念切手が大量に出回っているからだ。どうやら相続と関係がありそうだ。故人が持っていた切手を相続した人が売り払っているように思える。
 かつて切手を集めていた高齢者は少なくない。私もその1人だ。昔の少年誌には必ず切手の通信販売の広告が掲載されていたほど多くの人が切手を集めていた。
 しかしこの退蔵されていた切手が出回ると困ったことが起こる。郵便事業会社の営業収入は約1.8兆円だ。もし総額2兆円と言われる退蔵切手が使われたら一年分の収入がまるまる吹っ飛んでしまうことになる。
 郵便事業会社は退蔵切手対策を練る必要がある。しかし数十年に渡って売り越していたことのツケを短期間で解消することは不可能だろう。

弱者の驕り

2011-02-25 14:57:24 | Weblog
 阪神・淡路大震災の被災者は世界史上最も模範的な被災者だっただろう。震災後に略奪も暴行も殆んど起こらなかった。火災に対しては被災者同士が協力した。消防車が来れない状態だったから被災者がバケツリレーで消火したそうだ。なぜこんな非常時でも善意が守られたのか。それは誇りを持っていたからだろう。
 普通に考えれば被災者は弱者だ。弱者は権利を主張する。援助されることを要求する。しかし阪神・淡路大震災の被災者はそうではなかった。弱者である筈の被災者が弱者の立場に甘えずにお互いに助け合った。
 翻って現代社会を見れば情けないことが多い。弱者が最弱者と同等の権利を要求する。働ける若者が生活保護を申請し、軽度の障害者が障害者としての特権を振り翳す。車道上の弱者として歩道走行を許された自転車は歩行者を邪魔者扱いする。保護された弱者が保護の恩恵に感謝せず笠に着て勝手に振舞う。まるで特権階級だとでも思っているような横柄な態度だ。
 弱者として保護されることは特権が与えられるということではない。自転車が歩道を走れるのは車道上での弱者だからであり、歩行者の権利を奪って良いという意味ではない。弱者が最弱者に対する思い遣りを欠いた社会は醜悪だ。たとえ弱者であろうとも自分達よりも更に弱い最弱者に対する配慮を怠るべきではない。

子ども手当(2)

2011-02-22 15:54:05 | Weblog
 子供優遇策は二重・三重になっているから不当だ。
 まず納税者として扶養控除を受ける。次に公務員や大企業労働者には扶養手当がある。そして更に子ども手当が支給される。なぜこんな三重の優遇が認められるのだろうか。子ども手当の支給と同時に公務員の扶養手当は廃止されるべきではないだろうか。政治家もマスコミも所得制限についてしか指摘しないが、公務員による重複受益こそ問題とされるべきだろう。
 企業の扶養手当は正当だ。企業が自らの懐を痛めて支給しているからだ。しかし公務員の扶養手当は不当だ。扶養控除があって扶養手当があって更に子ども手当を受け取れば三重取りになる。財源は総て国民の税金と国債だ。
 これまで公務員の扶養手当が過少であると問題になったことは無い。少なくとも私は知らない。それなりに支給されている。公務員には子ども手当を支給すべきではない。もし支給するなら子供の扶養手当を廃止すべきだ。お手盛りの三重優遇策は厚かまし過ぎる。
 公務員は国民の税金にたかるウジ虫のようなものだ。もしウジ虫でないのなら矜持を示して欲しいものだ。三重優遇策の特権を享受するような甘えは許されない。

役人の奴隷

2011-02-22 15:31:59 | Weblog
 先日「老人の奴隷」というやや過激な記事を書いた。しかし実は現役世代を食い物にしているのは老人だけではない。政治家を含む公務員こそ老人以上に悪質な搾取者だ。今では信じられないような話だが戦前までは政治家も公務員も薄給だった。
 戦前の政治家はボランティアに近い位置付けだった。戦後になってから厚遇され、今では日本の国会議員の報酬は世界一高額となり、政治家を家業とする人々まで現れる始末だ。
 戦後すぐの公務員は薄給だった。勤務時間が短く責任も問われない楽な仕事だったからそれ相応の給料だった。
 政治家と公務員が高給取りになったのは両者が結託したからだ。政治家と公務員がグルになってお互いの待遇を良くした。決算発表も株主総会も無いから簡単に自分達の給料を上げ続けた。
 給食のオバちゃんや市バスの運転手が7・8百万円の報酬を得ているという事実は比較的広く知られている。これは「現業手当て」が加算されるからだ。気楽な事務仕事よりも苦しい仕事と見なされている。しかし「気楽な事務仕事」に対する過大な報酬こそ見直されるべきだろう。
 さすがにやり過ぎたということに気付いた政治家が見直しを主張し始めた。名古屋の河村市長であり大阪の橋下知事だ。
 ビートルズにTaxmanという作品がある。これはお馴染みのレノン&マッカートニーではなくジョージ・ハリスンの作品で最後の言葉が痛烈だ。「お前達は他の誰のためでもなくただ私(Taxman)だけのために働いている。(You're working for no one but me.)」
 民間の労働者は税金を納めるために働かされているようなものだ。企業による搾取は労働者と協調的でさえあるが、役人による搾取は全く一方的でありかつ悪質だ。搾取という言葉は資本家に対してよりも役人に対してこそ使われるべきだろう。

競争

2011-02-22 15:18:03 | Weblog
 中国のバス乗り場の映像を見ると呆れ果てる。我先にと乗り込もうとするから降りようとする人と押し合いになって大混乱に陥る。
 誰にでも分かることだが、先に「降りる」という流れを作ってそれから「乗る」という流れを作ればこんな馬鹿な騒動は起こらない。あるいは乗り口と降り口を別にするだけで問題は解決する。
 中国人だけではない。関西人も同じようなことをする。今でも一部の駅では乗車ホームと降車ホームが別になっている。降車する前に乗り込もうとする人が跡を絶たなかったからだ。
 似たことが災害時にも起こる。大きなホールで火災が発生した時に出口へと殺到した群衆が出口を塞いでしまって避難できなくなるということがある。このように利己的な行為が却って損を招くことはしばしば見受けられる。
 魚の乱獲もその一例だろう。日本近海のイワシやスケトウダラなどは獲り過ぎたために激減してしまった。将来を考えないエゴが漁業を衰退させてしまう。
 自由競争が秩序を招くという考えは幻想に過ぎない。秩序ある競争を心掛けなければ己の身の破滅を招く。秩序ある競争を促すのがマナーだ。マナーはルール(規則)とは違って罰則が無い。しかしそれを自主的に守らなければ結局自分達が損をする。法的な罰則が無くても自業自得という罰が待っている。

質と量

2011-02-18 15:34:59 | Weblog
 大きな人は細胞の数が多いのだろうか、それとも個々の細胞が大きいのだろうか。確証は無いが多分両方なのだろう。
 デブは皮下脂肪や内臓脂肪といった余計な物を蓄えているから重くなっている。脂肪細胞を除いた一般の細胞の数は普通の人と違わないだろう。但し細胞が多少肥大しているかも知れない。
 背の高い人は細胞も多いのだろうか。むしろ個々の細胞が大きいから背が高いように思える。背の高い人も低い人も骨の数は変わらない。個々の骨の長さの違いだ。
 脳の場合は細胞の多寡が重要だ。認知症の人の多くは脳細胞が減っているそうだ。
 赤ん坊の肌は柔らかい。これは細胞が小さいからだろう。
 女性の肌は木目細かい。歯も小さい。これも細胞が小さいからではないだろうか。
 小さな物の集合体は肌触りが良い。カシミヤやアルパカが心地良いのは繊維が細いからだ。二枚重ねのトイレットペーパーのほうが使い心地が良いのは薄い紙を重ねているからだ。
 小さい人の細胞が小さいなら肌触りが良いだろう。小柄な女性が男性に好かれるのは肌触りの良さもその一因ではないだろうか。

年金(2)

2011-02-18 15:16:23 | Weblog
 年金とは何か?年金保険と言われるとおり年金とは相互扶助を目的とした国営保険制度だ。保険だから損をする人も得をする人もいる。
 年金保険の本質は長生きのリスクを減らすことだ。長生きすれば現役時代に貯えた金も底を尽きかねない。その不安を解消するために年金保険制度がある。
 60歳で退職させられた人が80歳まで生きるとする。毎年200万円が必要なら4,000万円が必要になる。現役時代にそれだけの金を貯えることは難しい。その不足分を補うのが年金だ。
 積立方式の年金が本人の積み立てた分を受け取るだけなら年金保険に加入するメリットは殆ど無い。無駄の多い国による資産運用よりも自分で運用したほうが有利だし、仮に失敗しても諦めがつく。
 年金のメリットは早く死んだ人が積み立てた分を生き残った人が受け取れるということだ。逆に言えば早く死んだ人は積み立てるだけで受給できないということもあり得る。年金保険で得をするか損をするかは分からない。しかし長生きすればするほど得をすることは確実だから「長生きのリスク」を軽減できる。
 このように年金制度は積立方式でも充分にメリットがある。実際に大半の企業年金は積立方式だ。賦課方式という手厚過ぎる企業年金制度を採った日航やGMは経営破綻した。賦課方式は拡大を前提としたネズミ講だからだ。
 積立方式に不満を持つ貪欲な人々は後の世代を犠牲にしてでも自分達だけは得しようとして賦課方式を主張する。賦課方式の矛盾が明らかになれば税金まで食い物にしようとする。
 貪欲な人は恐ろしい。

減税

2011-02-18 15:00:36 | Weblog
 インフラ整備が不充分な時代には多額の税金が必要だ。戦後20年ぐらいの間は道路も水道も電話も発電所も学校も足りなかった。これらを整備するための税金は国民のために使われた。インフラが整備されたら補修費だけで済むから減税できる筈だった。
 減税できなかったのは無駄な公共事業を続けたからだ。スーパー林道とかダムとか箱物などの無駄遣いを続けたからだ。公務員の人件費も肥大した。
 無駄を無くせばいよいよ減税が可能になる筈だ。しかしそうはならない。逆に増税が必要だと言う。年金支給額が毎年1兆円ずつ増えるからだそうだ。
 国とは満腹中枢が壊れた肥満児のようなものだ。何でも口実にして税収を増やそうとする。
 富裕層の高齢者に対する年金にまで税金が使われている。古い話だが、当時日本一の金持ちと言われた松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助氏は「なぜ私が年金を貰うのか」と驚愕したそうだ。大金持ちにとっては端金に過ぎない年金のために庶民の税金が使われるのは不合理だ。
 インフラ整備がほぼ完了した現代人が敗戦直後以上の税負担を強いられるのは全く理不尽であり政府が無駄遣いを止めないからとしか考えられない。年金を含めて無駄を減らせば減税は絶対に可能な筈だ。
 税金を使う側の公務員と政治家が金持ちで、徴収される庶民が貧しいという社会など独裁政治国か奴隷制度国以外ではあり得ない話だ。また金持ちの老人の年金のために若年層が重い負担を強いられるのは常識外れの異常な制度だ。

平和ボケ

2011-02-15 16:23:51 | Weblog
 2月11日には関西でも雪が積もった。ニュースでは様々な映像が放映されたが奈良公園の鹿の映像が秀逸だった。
 鹿が頭上の葉を食べる。葉を食いちぎられた枝はバランスが崩れて大きく揺れる。枝に積もっていた雪が鹿に降り注ぐ。鹿は雪まみれになる。鹿は何が起こったのか分からずしばらく立ち竦んだが、その後、水から上がった犬のように体を振るって雪を振り落とした。
 私はこの映像を見て大笑いした。雪を被った鹿のキョトンとした姿が何とも可愛かった。
 しかし真面目に考えれば笑って済ませる問題ではない。野生動物なら想定外の事態が起こってもすぐに反応する筈だ。葉を食べたら雪が降って来たことに対して野生の鹿なら瞬時に反応していただろう。異常事態に対する反応の遅れは命取りにもなりかねない。奈良公園の鹿には危機意識が欠けている。
 翻って我々日本人を顧みると鹿と同様に訳の分からないことに対して「固まって」しまう。どう反応すれば良いのか分からない時には動けなくなる。
 確かにじたばたするよりも静観すべきなのかも知れないが余りにも反応が遅い。これが台風一過に象徴されるような被災を耐え忍ぶ国民性の現れなのか平和ボケなのかはよく分からない。