俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

歴史を忘れた民族

2013-07-31 10:48:07 | Weblog
 また韓国人が世界中に恥を晒した。サッカー東アジアカップで「歴史を忘れた民族に未来は無い」と書いた横断幕を掲げて撤去を命じられた。勿論、こんな国際常識を欠いた者は一部に過ぎない。日本人にもこの会場に旭日旗を持ち込んだ輩や、USJやTDLで馬鹿なことをやって仲間内で喜んでいる阿呆がいるように、彼らも例外者だろう。
 ところで「歴史を忘れた民族」とは誰のことだろうか。韓国人のことと思えるのだが、彼らがそんな自虐的なジョークを使うとは思えない。しかし自国は総て善、敵国は総て悪として、敵にも立派な人もいるなどと言おうものなら吊るし上げを食らう国に歴史が理解できるとは思えない。朝鮮を利した者は善、害した者は悪とする幼稚な善悪二元論と比べて、日本では豊臣秀吉の軍を破った李舜臣や伊藤博文を暗殺した安重根もある程度評価されていると思う。
 日本は実はモテる国だ。世界で最も人気のある国の1つだ。BBCなどの調査で、中国よりも人気の無い韓国と喧嘩をすることは大人気ないとさえ言えよう。
 今後の発展が期待されるASEAN諸国は勿論のこと、天敵とさえ思われていたロシアまで友好関係を結ぼうとしている。モテない国のようにあちこちに媚びる必要はあるまい。付き合う相手を選べるという優位性を生かすべきであり、八方美人型外交は早急にやめるべきだ。
 仮想敵国を作らざるを得ない国は国内に矛盾を抱えている。国民が国内問題に関心を持たないようにするために反日教育に励んでいるに過ぎない。そんなプロパガンダなど相手にせずに是々非々を貫く毅然たる態度を採るべきだ。日本人は謙虚過ぎる、これは美徳ではなく悪徳だ。

続一人1票

2013-07-31 10:11:02 | Weblog
 5月29日付けの「一人1票」で「(知的障害者の)介護をする人に実質的に2票あるいはそれ以上の投票権を与えるべきではない。」と書いたが、このことは危惧ではなく現実だ。
 福岡県の特別養護老人ホーム「ひまわり園」の園長らが、先日の参院選で入所者の名を勝手に使って投票したとして逮捕された。これは起こるべくして起こった事件だ。制度の不備による必然だ。市街地を時速200㎞で走れという馬鹿な法律があれば死亡事故が多発するのと同じくらい確実に起こることだ。
 これは氷山の一角に過ぎない。こんな不正が横行していることは確実だ。こうなることが分かっているのに知的障害者の投票権を主張する人やそれを支援する人がいるのはなぜだろうか。2通りいるだろう。1つは身近に知的障害者がいてその投票権を使おうとする人。もう1つは空想的理想主義者だ。
 私は前者をある程度容認する。困難な境遇に同情できるからだ。敵視するのはむしろ後者だ。彼らは現実を否定するからだ。理想と現実に齟齬があれば、私なら理想を見直す。しかし彼らは現実を否定する。彼らは一時期「進歩的文化人」という名で蔓延っていたがその後、絶滅危惧種になり、今ではこんな形で生き残っている。
 「人の命は地球より重い」とか「人は平等であらねばならない」といったスローガンを彼らは好む。そのスローガンが矛盾を招いても、矛盾しているという事実を否定してスローガンを守ろうとする。絵空事を守るためなら黒を白と言いくるめることも厭わない。自らが信じる正義のためならどんな悪でも許容する。現実よりも理念を重視するという意味ではオウム真理教の狂信者と同質だ。

電車

2013-07-29 10:12:35 | Weblog
 都会に住んでいると余りにも当たり前過ぎて気付かないが、電車を日常的に利用できるかどうかは大きな違いだ。早く正確で安全で安い、こんな便利な乗り物は他に無い。
 電車を利用できない私は毎日プールまで往復50分、自転車に乗っている。夏は汗塗れになる。もし電車が使えたら往復20分程度で天気も気にせず、車内では本も読める。
 自転車事故の可能性はかなり高い。被害者になるだけではない、最近では加害者として高額の賠償金を命じられることもある。電車で事故に会う可能性は0ではないが、加害者になる恐れは全く無い。
 都会人に電車の有難さを気付かせるのは事故で不通になった時だ。その時になって初めて電車の便利さに気付く。70年代のスト権ストや遵法闘争の時も大変だった。スト権を得るためにストをするというのだから明らかに矛盾している。しかしそれが毎年のように行われていた。ストの前日は会社に泊り込んだりして大騒ぎをしたものだ。年に数日のストのために、ストをしない近鉄沿線の地価が上がったぐらいだから、当時の人は電車の重要性を理解していた。
 田舎の生活環境について「車が無ければ生活できない」とよく言われるが、実は都会とは「電車があるから生活できる」環境だ。都会生活はそれほどまでに電車に依存しており、最近の都会人はその恩恵を忘れている。
 大阪在住時の昼間にタクシーを利用したことが2度だけある。どちらも約束の時間に遅れそうになった時だ。そして2回共失敗した。渋滞のせいで却って遅れてしまったからだ。余談だがフィリピンでは交通渋滞のことを単にtraficと言う。taraficがtrafic jamと同義語であるということだけで交通渋滞がいかに日常的か分かるだろう。渋滞と無縁であることも電車の大きな長所だ。

上書き保存

2013-07-29 09:44:52 | Weblog
 少し古いが梓みちよさんの「メランコリー」という歌がある。その1・2番のサビの部分はこんな歌詞だ。
 「♪腕から時計をはずすように、男とさよならできるんだって♪」「♪恋人連れてるあの人に、平気で挨拶しているなんて♪」
 昭和51年のヒット曲だからこんな歌詞だが現代風に言い換えれば「女の恋は上書き保存」ということだろう。性格に男女差があるように記憶の仕方にも男女差があるようだ。
 子供の頃から、女子の記憶力と男子の記憶力とは質的に違うと感じていた。女子は社会科や英単語などを断片的にバラバラに記憶していたからだ。私は理科や数学に代表されるように「なぜ」を絡めて理屈付けてようやく記憶できた。英語も単語のままではなかなか覚えられず文章にして覚えたものだ。この記憶力の違いを「女はガリ勉するからだ」と勝手に決め付けていたが誤りだった。女は上書きして覚える、が正しかったようだ。
 生殖において男女の役割は大きく異なる。女性はせいぜい1年に1回・生涯30回程度しか受精できないが、男性は、相手さえいれば、1日3回・年間1,000回・生涯50,000回ぐらい授精することができる。この違いが記憶メカニズムの違いになっているのではないだろうか。
 男は授精した相手を時系列的に覚えねばならない。女にとって重要なのは、雌ライオンと同様に、直近の相手だ。そして女性にとって最も重要なことは男を選別することだ。男の微妙な違いまで識別して貴重な卵子を無駄遣いしないことが必要だ。男性が粗雑で、女性がデリケートなのはこれが一因だろう。
 男女は違った方向に進化して違った動物になっている。それを方向付けるのが生殖における役割の違いだ。

老春

2013-07-27 13:57:33 | Weblog
 独身の老人には寂しい老後が待っていると思い込まれている。社会との関係を失って孤独な死を迎えるというイメージがある。もしかしたらこれは大間違いなのかも知れない。
 退職した老人には充分な時間がある。生涯独身だった老人なら妻子に使わなかった分、金銭的にも余裕があるだろう。金と時間があれば何でもできそうだ。
 大学生は、時間はあるが金が無い。また単位取得、アルバイト、就職準備といった拘束もある。独身老人ならこれらの支障とは無縁だ。青春ではなく老春を楽しめるのではないだろうか。
 独身老人はロマンスを楽しむことができる。既婚者なら妻に対する裏切りになるが独身者なら何の問題も無い。肩書きも無いただの老人だから世間体を気にする必要も無い。孫ほど歳が離れていようが、多少ケバかろうとも構わない。老春を謳歌できる。息子や娘から「年甲斐もなく」と非難されることも無い。財産はあの世まで持って行けないのだから使い切れば良い。
 老人は美しくないからモテない。しかし老人には知識も経験もある。これに金が加われば、若さと馬鹿さしか持ち合わせていない若者に負けるとは思えない。
 フィリピンにはこんな欧米人が大勢いた。毎日ゴーゴーバーで遊んでいた。多分、大半が年金生活者で、本国で慎ましく暮らすことよりも物価の安い国で楽しく暮らすことを選んだのだろう。
 私は多分、彼らよりも金銭的には恵まれている。EDにならないうちに国内で彼らのような生活を楽しもうと思う。これは独身老人の特権だ。将来の夢は遊び呆ける不良老人になることだ。母の世話から解放され次第、是非とも実現したいと思っている。

名誉毀損

2013-07-27 13:33:34 | Weblog
 国に対する名誉毀損罪は成立するのだろうか。もしそれが可能なら私は朝日新聞社を告訴したい。
 朝日新聞はこれまでに何度も重大な誤報をしている。その中でも特に問題なのは「従軍慰安婦の強制連行」と「教科書検定で『侵略』を『進出』と書き換えさせた」だろう。この2件は国の名誉を損なうだけではなく、日中・日韓関係を悪化させる原因ともなっている。サンゴにKYという文字を書き込んだ事件では自作自演がバレて社長が辞職したが、これらはもっと重大であり、幹部が総退陣してもまだ足りないほど悪質な犯罪だ。
 朝日新聞社はこれらが誤報であることを「曖昧な形で」認めている。決して明確には認めないから、今でもかつて誤報と認めた記事が蘇る。これは白黒付ける必要がある。どこまでが正しくどこからが誤報かを明らかにしなければいつまで経っても幽霊が蘇る。誤報はマスコミにとって宿命だ。どれだけ慎重であっても誤報は避けられない。ここで重要なのは誤報に対する対処だ。誤報と認めたなら不良品として回収する責任がある。
 美白化粧品で健康被害を起こしたカネボウ化粧品は自らの非を認めて不良品を回収している。ところがその責任を追及する朝日新聞は自らの過ちを曖昧にしたままだ。厚かまし過ぎる。かつての三菱自動車より遥かに酷い悪質なリコール隠しだ。新聞にとっては情報が商品だ。不良品を売り付けてそのことを隠蔽することは組織的犯罪だ。言論は自由でありどんな意見であろうとも許されるが、マスコミによる事実歪曲が認められている訳ではない。これは言論の自由を騙った犯罪だ。国民に誤報という不良品を売り付けて、それによって国際関係を悪化させた責任が問われるべきであり、自浄力が無いのだから司法の力を借りてでも決着を付けるべきだろう。この際、産経新聞あるいはその関係者が原告になることが、言論の責任を明確にするために有効だと思う。それによって新聞の信頼性も高まるだろう。

困った隣人

2013-07-25 10:30:28 | Weblog
 「向こう3軒両隣」とか「遠くの親戚より近くの隣人」とか言われるように、日本人は近所付き合いを肯定的に捕らえる。この国民性は農家の助け合いが育んだものだろう。
 しかしこの価値観は外国では通用しない。当たり前の話だが殆んどの戦争は隣国との争いだ。ヨーロッパでの戦争はフランス・ドイツ間が深刻であり、これを防ぐためにEUが構想されたほどだ。
 中国はもっと極端だ。戦国時代以来、遠交近攻という戦略がしばしば使われている。遠くと交わり近くを攻めるという意味だ。例えばABCDの4ヶ国が東西に一列に並んでいれば、AとC、BとDという形で同盟関係が結ばれることが多い。前者はBを挟み撃ちにするためのものであり、後者はCを攻めるためのものだ。もしAC連合がBを滅ぼしてAがBを支配すれば、今度はAがDと同盟を結んでCを攻めようとする。仁義を欠いているように思えるがこれが中国の伝統的戦略であり、この戦略に忠実だった国が生き残った。
 大中国にとって近隣国とは冊封体制に組み込んで隷属させるか占領するかのどちらかでしか無い。前者が北朝鮮であり後者はチベットやウィグルなどだ。共存共栄という理念は中国には無い。このことは歴史を見れば明らかだ。こんな隣国と仲良くすることは難しい。勿論、縁を切る必要は無いしそんなことはできないが、「隣国だから仲良く」という理屈は中国人には通用しない。
 中華帝国化しつつある中国との関係はできるだけ浅くすべきだろう。政治的にも経済的にも火種を抱える中国と深く関わることは危険が多過ぎる。隣に住む人が連続放火・殺人犯になった時、最も被害者になり易いのはその隣人であることを自覚すべきだ。
 

ぷに子

2013-07-25 09:57:55 | Weblog
 最近、若い女性の間でちょっと太めの「ぷに子」がブームになっているらしい。CanCamの特集記事が火付け役になったようだが、これは良いことだと思う。日本の若い女性は痩せ過ぎている。最貧国並みの栄養しか摂取していない。これまでマスコミは痩せることを煽り過ぎていた。病的な細さを美しいと評価するなど女性の人権を侵害していると思えることを平気でやっていた。痩せることを煽って痩せるための記事で儲けるというマッチポンプ役を務めていた。
 美しさは主観的なものだが社会通念によって変動する。それだけに不健康な体型を美しいと評価すべきではない。健康であることが美の前提であるべきだろう。女性のほうが男性よりも協調的だ。言い換えれば感化され易いということだ。マスコミが煽れば女性は過剰反応してしまい勝ちだ。
 西洋人と比べて日本人は小柄だ。実際に直接会えばそうではないにも関わらず、写真や映像などの二次元媒体で映像化するとどうしてもずんぐりむっくりのちんちくりんであるかのように見えてしまう。そのために芸能人は痩せることが求められた。そんな「画像用の美女」がいつの間にか視聴者・読者の美のモデルになってしまった。
 西洋人のように背が高く足が長ければ「美しく」なfれる。小柄な日本人は「可愛く」しかなれない。可愛さで満足すべきなのに西洋の基準で美しくなろうとした。しかし背の低さは克服できない。そこで選ばれたのが「痩せる」という戦略だ。足の長さや身長は変えられないが体重なら自力でコントロールできるからだ。
 手段はしばしば目的化する。美しくなるために痩せようとした筈なのに痩せること自体が目的になってしまって、今では多くの女性が醜く痩せている。
 一旦、痩せていることが美しさの基準になると悪循環が起こる。芸能人はますます痩せてミイラのようになり、視聴者・読者はそれを真似てガリガリに痩せ細る。まるでデフレスパイラルのような悪循環だ。「ぷに子」のブームがこの悪循環を断ち切ってくれることに期待したい。

鰻(2)

2013-07-24 11:00:58 | Weblog
 「料理」が文化だ。料理は料=材料と理=調理に分解できる。つまり素材を加工することが料理であって、素材だけでも加工だけでも文化とは言えない。
 中国人は多くの野生動物を食べ尽くしたと言われている。これは恥ずかしい歴史だ。日本人も鰻を食べ尽くすような蛮行をすべきではない。10年ぐらいは鰻食を自粛して種の保存を図るべきだろう。
 鰻料理が食文化であっても鰻そのものは文化ではない。鰻料理のために磨いた技術で他の素材を調理できれば新しい食文化を作ったことになる。
 では蒲焼の技法でどんな料理が可能だろうか。アナゴやサンマ以外に興味深い代替品があることを知った。ナマズとナスだ。
 どういう訳か日本人は余りナマズを食べない。私もまだ食べたことが無い。多分、独特の臭みがあるのだろう。しかしタイやブラジルなどでは普通に食べられているのだから試してみる価値はある。成功すれば新しい食材の開発にもなる。
 ナスの蒲焼は群馬県のある食堂の名物料理になっているそうだ。レシピもネット上で公開されている。
 土用の「牛」という切り口も面白い。牛肉なら鰻に負けないスタミナ食であり、夏場を乗り切るための栄養補給というコンセプトにも適っている。バレンタインデーのチョコレートのように、業界一体となって訴求すれば充分な成果が期待できよう。あるいは私の大嫌いな農林水産省が、食資源の保護と畜産の振興を狙ってキャンペーンをするなら、私も協力してみようと思う。

投票

2013-07-24 10:35:41 | Weblog
 参議院選挙が終わった。12月28日付けの「参院選」で民主党の議席が半減すると書いたがそれ以上に酷い惨敗だった。
 今回も私は投票しなかった。仮に投票したとしても結果は同じだ。1票差で当落が決まった人は日本中に一人もいないのだから、私が投票してもある候補者の得票が10万票から10万1票に変わるだけだ。こんな子供騙しのくだらない儀式には参加したくない。
 今回から成年後見人制度の対象者も有権者になった。これで1票の価値は更に下がった。我々の1票は認知症の老人と同等の価値しか無い。自分の息子さえ分からない状態の人がどうやって政治的判断をするのだろうか。周囲の人の言いなりになるだけだ。
 私は社会の趨勢とは逆に投票権を制限すべきだと考えている。簡単な試験をしてその合格者にのみ権利を与えるべきだと考えている。例えば「政党名を2党書け」とか「参院選以外の国政選挙は何か」といった政治的に中立で小学生でも知っていることを尋ねてそんなことも知らない人の票を無効あるいは1/2票に換算すべきだと考えている。
 投票率を見れば52.61%と辛うじて半数以上が投票に参加した。なぜかその内の白票などの無効票がどれくらいなのかは全く発表されないが、投票率がもっと下がることに期待している。もし投票率が慢性的に30%ぐらいにまで下がれば選挙制度そのものを見直さざるを得なくなる。棄権者の内、積極的投票忌避者が何%ほどいるのか知らないが、サイレントマイノリティがサイレントマジョリティに変われば見直しの必要性が認められるだろう。