俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

エイプリルフール(2)

2014-03-31 10:24:47 | Weblog
 明日4月1日はエイプリルフール、ジョークを楽しむ日だ。昔は「嘘をついて良い日」と誤解されていたために迷惑な嘘がしばしばあったものだ。笑えない嘘はジョークではない。当時はジョークを楽しむセンスが欠けていたようだ。昨今では国内でも充分楽しめるジョークが発表されている。昨年最も笑えたのは居酒屋が発表した「ダイオウイカの姿揚げ」だった。今年は誰がどんなジョークを発表するのか楽しみだ。
 今思えばつまらないサラリーマン人生だったが、ジョークのような実話を何度か経験した。
 疑り深い経営者がいた。彼は日に何度も倉庫を開けてはサボっている社員がいないかをチェックしていた。いつものように扉をいきなり開けると目の前にゴリラが現れた。彼はギャーと叫んで這って逃げた。叫び声に驚いて皆が駆け付けるとそこにはイベントのためにゴリラの着ぐるみを着た男が立っていた。
 呪われた職場があった。まず課長が咽頭癌の手術をして顔が曲がってしまった。次に女子社員が白血病で死んだ。その後、係長の妻が乳癌で乳房を失った。更に部長が舌癌の手術で言語障碍者になった。これらがほんの数年の間に相次いで起こった。そして最後に、会社の癌としてこの部門そのものが廃止されてしまった。
 大嫌いな同僚に出世競争で負けた男が私にぼやいた。「あいつは出世のために何でも利用する最低の男だ。出世のために仕事まで利用しやがった。」
 四日市に萬古焼という焼き物があり会議でこれを採り上げる機会があった。ところがプレゼンをした男は何度も「マンコヤキ」と繰り返した。私以外はこの誤読に気付かないようだったので敢えて訂正させなかったが、関東でなら正しく「バンコヤキ」と読まなければ大変なことになるだろう。
 身長160㎝に満たない小柄な部長がいた。彼が幹部会で発言したところ議長に制止された。「そんな大切な話は座ったままではなく起立して発言しなさい。あれ?あ、ご免。立っていた。」
 社長から人件費削減を命じられた人事部長は社員を大量に関係会社に出向させた。その甲斐あって人件費は減ったがそれ以上に諸費(業務委託料)が増えた。多分、文部省(当時)が国立大学を独立行政法人にして統計上で公務員数を減らしたことを真似た悪知恵だろう。
 別の人事部長だが、営業部長に就任した時に彼が真っ先にしたのは自宅に蔵を建てることだった。
 遅刻の多い新人にいつも小言を言っている先輩社員がいた。ある日この社員が遅刻をした。新人はここぞとばかりにイヤミを言った。「先輩でも失敗することがあるんですね。」するとこう答えた。「こんな恥ずかしいことをしょっちゅうする奴の気が知れない。」
 「笑顔を忘れるな」と説教する管理職がいた。ある日、部下を捕まえて言った「ヘラヘラ笑うな。」
 3人でラーメン屋に行った。私のラーメンに大きなゴキブリが入っていたので作り直して貰った。その間、連れの2人は文句も言わずに不味そうにラーメンを食べていた。

価値と価格

2014-03-31 09:36:58 | Weblog
 よく混同されるが価値と価格は全く別のものだ。価値は自分が決めるものであり価格は市場が決める。だから価値判断のできる人は賢い買物をして、できない人は無駄遣いを重ねる。
 多機能の情報端末機の場合、自分が使わない機能が沢山あっても価値は高まらない。要らない機能のせいで価格が高くなった物よりも、自分に必要な機能だけが充実した商品のほうが価値は高い。
 サイズ切れした服は市場では価値が下がるのでバーゲンの対象になるが、そのサイズが合う人にとっては価値が下がっている訳ではない。だからそれは価値ある買物と言えよう。
 鮮度の落ちた野菜であれば商品価値そのものが下がっているから価格を下げざるを得ない。決して「お買得品」ではない。
 粗悪品は元々低価値・低価格の品だ。流行をパクっただけの服は素材も縫製も本物とは全然違う。だからこれは安く売っているのではなく価値相応の価格に過ぎない。
 消費増税の場合、商品の価値は全く同じままで価格だけが上がる。だから誰もが駆け込み購入をする。
 贋の安売りは簡単だが本当の安売りは難しい。価値を維持したままで価格だけを下げるためには仕組みの変更が必要になる。
 大量生産方式を確立したのはフォード社だと言われている。規格を統一して同じ型のT型フォードを大量販売したから高品質の自動車を他社よりも安く売ることが可能になった。
 それまで対面販売だった小売業を革新したのがスーパーマーケットだ。セルフサービス方式を導入することによって人件費を削減し、同時に大量仕入れによるコストダウンを実現したから安売りが可能になった。
 料理の味なら自分で判断できる。だから安くて旨い店なら流行るし、高くて不味い店なら閑古鳥が無く。
 残念ながら物の良し悪しを判別して価値評価をできる人は余り多くない。だから高い商品を良い商品だと思いこむ愚かな消費者を狙った無駄な高付加価値商品が売られている。

勝敗

2014-03-29 10:02:44 | Weblog
 27日に袴田元死刑囚の再審が決まった。事実上の無罪判決だ。今回の判決で最も注目すべきなのは「証拠を捏造」と認定したことだ。この事件だけではなくこれまでの総ての冤罪事件で捏造が行われている。
 ではなぜ検察・警察は捏造をしてまで犯人にしようとするのだろうか。裁判の目的が事実の解明ではなく勝ち負けだからだ。検察側も弁護側も正義ではなく勝つことだけを目標にする。勝つためなら手段を選ばない。だから捏造してでも勝とうとする。
 従軍慰安婦の強制連行をでっち上げた朝日新聞がいつまで経っても誤りを認めないのは、認めたら負けになるからだ。すぐに嘘であったことを認めずに誤魔化していたから後に引けなくなってしまった。ボヤのうちに消さなかったために全焼するようなものだ。負けないためには嘘に嘘を重ねざるを得ない。醜態であり全くの恥晒しだ。
 アメリカには今でも進化論を否定する人がいる。彼らは神による創造を信じている。彼ら自身、論理的に破綻していることに気付いていても負けを認めない。これまでの経緯を否定されたくないからだ。
 地震予測ができると主張する似非科学者がいる。一旦可能と言ってしまったから撤回できないのだ。だから無駄な研究をしてはデタラメな発表を繰り返す。やめたら負けを認めることになるのでやめられない。これは税金の無駄遣いであるだけではなく科学に対する冒涜であり詐欺に等しい。
 日銀の白川前総裁も自分の舵取りミスに気付いていただろう。しかしそれを認めたくなかった。もしかしたら好転するかも知れないと期待して誤った戦略を改めずに傷を広げた。
 科学であれ歴史であれ裁判であれ経済であれ、大切なのは勝敗ではなく真偽だ。メンツに拘っていれば恥の上塗りをせねばならない。誤ったと気付いた時点で謝っていれば済んでいたのに依怙地になることによって泥沼に嵌る。かつてソクラテスは「議論で負けたほうが誤りに気付いて賢くなれる」と言い切ったが、そんな賢者は余りにも少ないようだ。負けを認める潔さこそ望ましい。

生贄

2014-03-29 09:30:39 | Weblog
 現代人は文明人ではない。今尚、生贄を求める野蛮人だ。凶悪犯罪が起こると大衆は解決を求める。警察・検察は早急に犯人を挙げる。真犯人でなくても構わない。それで大衆が安心するからだ。大衆が求めているのは生贄だ。真犯人ではない。
 冤罪は同時に2つの罪を犯している。1つは無実の人を罰することであり、もう1つは真犯人を放置することだ。罰を免れた真犯人は味を占めて更に犯罪を重ねるだろう。
 イギリスで死刑が廃止されたのは冤罪事件が原因だ。死刑を執行したあとで真犯人が見つかるというとんでもない事件があった。これは究極の冤罪であり取り返しが付かない愚行だ。イギリスは流石に文明国であり、これに懲りて死刑を廃止した。日本でこんなことが起これば事実を公表せずにさっさと真犯人も死刑にして隠蔽したのではないだろうか。
 裁判だけではなく科学においても生贄が見られる。何であろうともCO2による地球温暖化が原因とされている。巨大台風の発生も関東地区の大雪も世界各地での旱魃も、みんなCO2が原因とされる。そんなバカな、と私は思う。これらの原因はCO2ではなく中国共産党だと言っても充分に通用するだろう。中国共産党が推進する大気汚染をこれらの原因と見なしてもCO2と同程度の信憑性があるだろう。生贄で満足していては問題は解決されない。真因が問われねばならない。
 因果に対する人間の判断力はかなり乏しいようだ。「人間はなぜ存在するのか?神様が創ったからだ」という馬鹿げた理屈が数千年に亘って信じられているのだから原因とされるものはその場凌ぎの言い逃れが大半だ。まともな理性があれば更にこう問うべきだろう。「人間を創った神様は誰が創ったのか?」と。私はこう答える「人間の、それもかなり愚かな人間の妄想が作った」と。

労働者

2014-03-27 10:06:05 | Weblog
 日本の技術者が退職後に中国や韓国に渡るケースが後を絶たない。これが日本からの技術流出になっていることは確実だ。しかし彼らに愛国心が無い訳ではない。むしろ日本の社会制度の犠牲者だ。
 技術者の価値は何か、当たり前の話だが技術力だ。ところが国内ではその技術力を生かせない。日本の企業が同業他社の退職した技術者を雇うことを紳士協定として禁じているからだ。これは引き抜き合戦を防ぐために有効であり、先端技術の担当者を過剰に優遇せずに済むというメリットもある。しかしこれは国内でしか通用しないマナーであって国際的に通用するルールではない。だから外国企業が退職者を雇って数年あるいは数か月で使い捨てにする。技術者こそ被害者だ。
 日本のルールは妙に高齢者に厳しい。アメリカでは認められていない定年制は問題にさえされず高齢者差別が横行している。定年後の移籍の自由さえ無いのなら老人に自由は無い。
 労働力確保のための外国人実習生も奇妙な制度だ。言葉も文化も違う外国人を雇うよりもずっと良い労働者が眠っているのに軽視されている。定年後の元気な老人こそ優良な労働力だ。これを活用すれば外国人に頼る必要は無い。
 老人は外国人実習生よりも多くの面で優れている。日本語が通じる、経験が豊富、経歴が明確等々、優越性は無数にある。流石に跳んだり跳ねたりすることは苦手だろうが通常の作業であれば決して見劣りしない。
 私自身は働かない老人だ。働かないのは能力が余りにも低く評価されているからだ。学生アルバイト以下の待遇で働こうとは思わない。正当に評価されるなら少しぐらいなら働くだろう。
 今働いている老人の多くは現役時代に充分に稼げなかった人だ。そんな落ちこぼれの人ではなく悠悠自適の人こそ人材だ。こんな人を活用できれば輸入労働者に頼る必要など無い。

カロリー

2014-03-27 09:38:43 | Weblog
 子供であれば食物摂取の目的は3つある。成長と新陳代謝とエネルギー源だ。大人は最早成長しないが、新陳代謝とエネルギー源の2つが必要だ。これをカロリーという一元論で考えることは、エネルギー論を猿真似した誤った考え方だ。
 機械であればエネルギーは動力としてしか使われないから一元論が通用する。しかし動物にとっての栄養は単なるエネルギーではなく部品交換の意味も併せ持つ。食物はエネルギー源であるだけではなくメンテナンスのための重要かつ唯一の素材だ。蛋白質と脂質と各種ミネラルは新陳代謝のための素材であり触媒だ。カロリー主義はこの視点を全く欠いている。
 必須アミノ酸と必須脂肪酸があるのに必須炭水化物は無い。これはどういうことだろうか。これらが新陳代謝のための必須栄養素だからだろう。生体の再生産のために使われる栄養素は体の一部になるのだから置換されて残りカスになった老廃物は排泄される。この過程において重量はプラスマイナスゼロになる。
 肉食動物の栄養の流れは分かり易い。栄養は代謝とエネルギー源の両方に振り分けられる。栄養が充分であれば代謝もエネルギーも満たされるし、不足であればどちらも満たされない。
 雑食動物の場合、少し複雑になる。炭水化物をエネルギー源にできるからだ。必要なエネルギー量を炭水化物で満たせれば、蛋白質と脂質の使用を代謝に限定することができる。
 人類はずっと食料に恵まれない動物だった。パワーもスピードも足りないのでいつも飢えていた。だからこの雑食という戦略が有効に機能した。蛋白質と脂質の不足を、炭水化物がエネルギー源となることによって補っていた。ところが突然、食料に不足しないという状況が到来した。これが肥満という文明病を招いた。
 西洋人の肥満の多くは蛋白質と脂質の摂取過剰が原因だが、日本人の場合は蛋白質と脂質が不足した状態での炭水化物の過剰摂取だ。だから西洋人型の肥満ならカロリー制限が有効だが、日本型の肥満でカロリーを制限すれば蛋白質と脂質が更に不足するということになる。
 カロリー制限をするなら代謝に必要な栄養素を別枠にする必要がある。代謝のために必要な栄養素を確保した上で、それ以外のカロリーを制限しなければ無意味だ。カロリー制限という一元論は西洋人には有効であっても炭水化物依存型の日本人には有害だ。

機動力

2014-03-25 10:09:55 | Weblog
 機動力の優れた軍隊は強い。世界史上最大の領土を獲得したモンゴル帝国の主力兵器は馬だった。アジア全土だけではなく東ヨーロッパにまで領土を拡張した。
 ではなぜその最強のモンゴル軍が日本を攻略できなかったのだろうか。神風が原因ではない。機動力が使えなかったからだ。馬の強みは自ら移動できる兵器であることだ。陸続きであればこの強みが生かせるが海を渡るならこの長所が生かせない。馬は神経質で臆病な動物だ。馬を船で運ぶためには人間の10倍のスペースが必要なのではないだろうか。11万人の兵士を運ぶか、1万人の兵士と1万頭の馬を運ぶかの二者択一において後者を選ぶことは難しい。従って船で運べる馬の数は限られていた。これでは実力を発揮できない。元は負けるべくして負けた。所詮、陸続きの土地でしか通用しない戦法だった。
 こう考えれば日本にとって何が最も危険かは自ずと明らかになる。海を渡れる兵器だ。そしてそれはその600年後に実際に現れた。黒船だ。黒船は高速で移動して破壊力の高い大砲を持ち、当時の日本の大砲では破壊できない強固な装甲を備えていた。正に動く要塞だ。今度は日本が負けるべくして負けた。
 そして黒船から更に進化した戦艦を破ったのは皮肉なことに日本軍の航空隊だ。当時世界最強の戦艦だったイギリスの「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」が空爆によって撃沈され、航空機という更に機動力の高い兵器の時代を迎えた。
 航空機の弱点は人間だ。人を乗せるから戦闘に特化できない。仮に技術的に可能であっても搭乗する人が耐えられない速度や機動力を持たせることはできない。この弱点を克服するためには人を乗せなければ良い。現代の最先端兵器はミサイルと無人機だ。人工衛星によるレーザー攻撃もあり得る。これらの共通点は人がそこにいないということだ。
 こうやって歴史を辿れば兵器の進化の方向性が理解できる。

糖質

2014-03-25 09:37:57 | Weblog
 子供の頃、私は甘いものが大好きな普通の子供だった。卵焼きにまで砂糖を入れたがるぐらいに甘い=旨いと思っていた。ところが20歳頃に突然、甘いものが大嫌いになった。甘さが嫌いなだけではなく匂いだけでも気持ちが悪くなった。長年これを飲酒による嗜好の変化だと思っていたが、最近ふと気が付いた、体に不必要あるいは有害だから嫌いになったのではないか、と。
 成長期の子供には炭水化物が欠かせない。炭水化物は成長のための必須栄養素だ。だから子供は甘いものが大好きだ。味覚が未発達だからではなく体が求めるからだ。ところが20歳を過ぎて成長を終えるとそれは有害物に変わる。成長のためのエネルギー源が成長に使われなければどうなるか、贅肉にしかならない。
 生体を維持するために必要なカロリーは呆れるほど少しで充分なのではないだろうか。象にせよ牛にせよ、殆んどカロリーの無い草だけを食べてあの巨体を維持している。最近でこそ牛に穀物を与えているがこれは太らせるためだろう。不自然なまでに太らせて肉を増量するために使われているのが穀物だ。
 勿論、牛の場合、消化管内の共生微生物がセルロースを分解してそれを吸収するのだから、人間がその真似をすれば栄養不足で死んでしまうだろう。
 14日に厚生労働省はカロリーに基づく食事摂取基準を見直してBMI目標値を提示した。読売新聞によると「運動による消費量の把握は困難」だからこれまでのカロリー量ではなく「体格数値を見て調整することを勧めている」とのことだ。これは嘘が得意な厚労省らしい誤魔化しではないだろうか。これまでの大原則だったカロリー論、つまり炭水化物と蛋白質が1ℊ当り4㎉、脂質が9㎉としていた基準が、実はその算出根拠も必要量も根本的に間違っていたから、一旦摂取基準を白紙に戻して時間稼ぎをしているように思える。
 私はこれまで基準にされていたカロリー主義を根底から疑っている。例えば蛋白質は4㎉/ℊとされているがこれは質の違いが考慮されていない。大豆の蛋白質は消化吸収されにくいからこそ豆腐や納豆や味噌などに加工されている。吸収率の違いを無視しても問題にならなかったのはこれが科学ではなくただのオカルトに過ぎなかったからだろう。機械ならエネルギーが満たされれば充分だが生体にとって最も重要なのは体の再生産のための栄養素でありカロリーではない。カロリー換算は誤った一元論だろう。近日中に更に根本的な問題に踏み込んで書こうと思っている。

標準治療

2014-03-23 10:00:16 | Weblog
 医師はそれぞれの学会が決めた標準治療を行わねばならない。これは諸刃の剣だ。標準治療が正しければ誤った治療を排除できるが、誤っていれば誤った治療しかできないということになってしまう。
 私は医師ではないので個々の標準治療が具体的にどう定められているのか知らないが、この制度のせいで医療が歪められていることは間違い無かろう。糖尿病患者はこう治療せよ、高脂血症なら、風邪なら、とガイドラインが定められていれば、医師はそれを疑うことさえ許されない。背けば医師法違反に問われ、従っていればたとえ患者がそのために死んでも責任を問われない。薬害エイズ事件で個々の医師の責任が問われないのは彼らが何も疑わずに標準治療に従っていたからだろう。
 これは思想統制のようなものだ。お上の指示には無条件で従わねばならず指示に背けば厳罰が待っている。こんな仕組みになっているから誤った治療法が見直されない。疑うことが許されない医師は次第に気力を失い惰性だけで治療をするようになる。
 勿論、長所もある。悪徳医師が贋薬によってボロ儲けをすることを防いでいることは間違い無い。
 かつて地動説は異端とされた。それは専門家が決めた定説である天動説に背くからだ。では専門家とは何者だったのか?聖職者と占星術師だ。こんな連中によって科学が否定された。
 では現代のそれぞれの学会を構成するのはどんな人だろうか。従来の治療法こそ最善と信じて疑わない人達だ。こういう専門馬鹿は新しい治療法を認めようとしない。医学界はこんな連中によって支配されている。疑うことが許されない社会だから権威主義が跋扈する。医学は科学でないどころか学問でもないようだ。だから内科医は風邪に対する解熱剤のような有害な医療を漫然と続けている。医療の民主化が急務だ。そして標準治療を徹底的に見直す必要がある。標準治療こそ医療の進歩を阻害する癌だ。

穀物

2014-03-23 09:30:41 | Weblog
 穀物は多くの地域で「主食」にされている。沢山の長所があるからだろうが、その中でも最大の長所は保存性が高いということだろう。米であれば古々米でも商品価値がある。こんな便利な食材は殆んど無かろう。ここで翻って、なぜ腐敗しないのかを考える必要がある。腐敗とは食材自らが劣化するのではなく腐敗菌が食べることによる化学変化だ。つまり腐敗菌が好む食材が腐敗し易いということだ。
 では腐敗菌はどんな基準で食物を選ぶのか?当然、栄養価の高い物を選ぶだろう。最も栄養価の高い肉や魚が腐敗し易いことからもこのことは明らかだ。それなら腐敗しにくいとは実は栄養価が低いということではないだろうか。水分の少なさも要因だろうが、それにしても米は余りにも傷みにくい。肉を乾燥させて水分ゼロにしても米のように常温保存することはできまい。
 昔、小学校の家庭科の授業で「澱粉、蛋白質、脂肪が三大栄養素」と習った。これが家庭科ではなく理科の授業だったら私は問い質していただろう、澱粉(炭水化物)にはどんな有効性があるのか、と。炭水化物はただのエネルギー源ではないだろうか。もしそうなら蛋白質と脂質だけで充分ということになる。入手が難しくて高価な蛋白質と脂質が足りなかったから安定的に収穫できて安価な炭水化物に頼っていたのではないだろうか。肉食動物は米や麦になど見向きもしない。炭水化物とは重労働に耐えるために必要なエネルギー源だったのかも知れない。しかし重労働から解放された現代人にとっては過剰なエネルギー源ではないだろうか。
 最近、糖質制限ダイエットが流行っているらしい。従来のカロリー制限食よりも効果的らしい。折しも14日に厚生労働省が「食事摂取基準」を見直してこれまでのカロリーではなくBMI(体重÷身長÷身長)を基準とすると決めた。お役所は間違いを認めたがらない体質だから、間違っていたカロリー論をウヤムヤのままに済し崩しにするつもりなのではないかと勘繰りたくなる。現代日本の食料事情なら蛋白質も脂質も充分に摂取できるのだからわざわざ炭水化物によってエネルギー過多になる必要性は全く無かろう。まるで炭水化物の塊のような穀物類は栄養バランスの悪い食品であり、保存技術の発達した現代においてはこれに依存しないほうが好ましいと思える。