俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ルール

2015-02-28 10:33:29 | Weblog
 オバマ大統領は20日の一般教書演説で「(中国ではなく)我々が(貿易の)ルールを作るべきだ」と主張した。これこそ西洋的発想だ。
 日本人はルールを「「作るもの」とは考えない。「与えられるもの」であり「守るもの」と考える。話し合いで「決めるもの」でさえなく「決まるもの」と考える。これだから不利な条件を押し付けられる。
 中国の法家の思想においても法とは権力者が定めるものだ。だから権力者にとって都合の良い法しか無かった。
 スポーツのルールを考えれば分かり易い。水泳ではルールに沿う形で日本人が新泳法を考えて成功すれば西洋人はルールを変えて禁止した。スキーのジャンプでは、体の大きい選手が有利になるようにルールを変更する。バレーボールでもブロックが有利になるように、つまり背の高い選手が有利になるように改定された。
 西洋人の発想はいかにして自分達に有利なルールを作るかということだ。どうすれば公平になるかよりもどうすれば有利になるかが優先される。競技者はルールの元では平等だ。ルールにおいて有利に定めれば自分達が有利になる。そのために知恵を絞る。主導権を握るとはこういうことだろう。日本にも「こちらの土俵に引き込む」という言い回しがあるがその精神が忘れられている。
 バスケットボールのダンクシュートに私は何の魅力も感じない。あんなものは背が高ければ誰にでもできる。むしろ3ポイントシュートのほうが高度な技術だ。ゴールの位置を5mの高さにすれば公平になると思うのだが彼らは公平を許さない。テニスのネットでも10㎝低くすれば身長差のハンディは随分小さくなる。体重制の種目以外、殆んどのスポーツは背が高いほうが有利になるように決められている。
 比較的公平なのは野球とサッカーだ。野球のストライクゾーンは個人の身長に基づいて定められるし、サッカーはヘディング以外では身長によるハンディが余り無い。だからこそ日本人にも好まれるのだろう。
 靴に足を合わせることに日本人は世界一長けている。多少小さい靴でも我慢して履く。しかしこれは必ずしも好ましい特性ではなかろう。自分に合った靴を選んだほうが良い。歪んだ憲法であっても日本人は我慢してしまう。我慢するよりももっと良い憲法に改めるべきだろう。ルールは神様から与えられるものではない。自分達の意思で改善すべきものだ。

摂食障害

2015-02-28 09:48:43 | Weblog
 摂食障害が原因で万引をする?そんな訳の分からない記事が26日の朝日新聞に掲載された。「万引きを何度も繰り返してしまうのが病気のせいだとしたら」という文章で記事は始まり、受刑者の「摂食障害という病名すら知らず、自分の万引きの原因とは考えもしませんでした。」という発言を引用している。こんな書き方をすれば誤解を招く。これでは摂食障害者がまるで万引犯の予備軍のように思われてしまう。
 摂食障害はかつては神経性拒食症と呼ばれていた。カーペンターズのカレンさんなど拒食症の末、亡くなった芸能人は少なくない。ガリガリに痩せてまるでミイラのようになってもまだ痩せようとする病気だ。患者の中には拒食と過食を繰り返す症状の人がいたことから摂食障害と呼称が変更された。
 当たり前の話だが、摂食障害が万引の原因になることは無い。何らかの精神的な問題が原因であり、それが摂食障害という病気と万引という犯罪を招く。
 同時に、あるいは継続して起こった出来事は因果関係があるかのように誤解され易い。しかし全く無関係であったり、あるいは両方が第3の原因の結果であるということもある。例えば高度経済成長期に日本人の寿命が伸びた。それと殆んど連動するかのようにテレビの普及率も高まった。この2つのグラフは驚くほど一致する。しかしテレビが寿命を伸ばした訳ではないし、寿命が伸びたからテレビが増えた訳でもない。両者に共通の原因は国民生活が豊かになったということだ。
 様々なビタミン欠乏症がある。ビタミンCが不足すれば歯肉から出血したり壊血病になることもある。歯肉からの出血が原因で壊血病になる訳でもなければその逆でもない。原因はビタミンCの不足だ。様々なミネラル欠乏症においても、特定の症状が他の症状の原因になっているのではなくミネラルの不足が唯一の原因だ。
 エルニーニョ現象が原因で異常気象が起こるという報道をしばしば見掛けるがこれも因果関係を誤解している。何等かの原因があって気象のバランスが崩れて、その結果としてエルニーニョ現象も異常気象も起こる。どちらも結果であって原因ではない。
 短絡的に因果関係を想定する人は因果と相関の違いを理解していない。これは祈祷をすれば雨が降ると信じる未開人と同レベルの知的水準だ。朝日新聞の社員のレベルが低下したと言われて久しいが、この摂食障害の記事は酷い。因果を取り違えることによって摂食障害者に対する偏見を助長している。
 摂食障害の原因は命を奪って食べることに対する罪悪感や嫌悪感と痩せ願望だと思っている。これらと空腹によるストレスが奇行に繋がることはあり得る。しかしこれを因果関係と見なすべきではなかろう。因果関係を理解していないから、万引の原因になるなどといったとんでもない記事を書くのだろう。摂食障害者に対する余りにも失礼な記事だ。多分、摂食障害者などから既に少なからぬ抗議を受けているのではないだろうか。

 ※コメント欄に朝日新聞の記事を掲載していますので参照してください。

相続税

2015-02-26 10:27:46 | Weblog
 今年から相続税が増税されたが親子での相続はともかく配偶者への相続税は不当だと思っている。相続税を支払うために家を手放さざるを得ないケースもある。資産を夫婦の共有と考えればそもそも相続でさえないだろう。仮に共有ではないとするなら、少なくとも妻による無償労働を賃金換算してその分を差引して課税すべきだろう。厚生労働省の試算によると専業主婦の労働は年間304万円に相当するとのことであり50年の労働額は1.5億円に値する。この分を清算した上で相続税を課するべきではないだろうか。この場合、殆んどの妻が非課税対象者になる。
 一昨年、非嫡出子の権利が拡大された。これは司法が違憲としたからであり立法は長く放置していた。これ以上に重大な問題である妻の相続の権利は近々見直されるようだが、長く放置されている。政治家とは本当に働かない連中だ。政争に明け暮れるばかりで必要な法改正を怠る穀潰しの国会議員など半減しても良かろう。
 私の父が死んだ時、息子4人は相続権を放棄した。専業主婦として働いた母とは違って私達はお荷物にこそなれ何も貢献していない。私は母の全額相続を提案し、兄弟3人もこれに同意した。
 妻への相続税が不当だからかどうか分からないが、興味深い脱税策がある。慰謝料が非課税となっていることに付け込んだ脱税(節税?)だ。偽装離婚をすることによって相続税を免れることができる。殆んどの資産を妻に対する慰謝料として渡してしまえば相続税が掛からない。離婚後も元妻と同居していても法的には同居する他人でしかない。但し資産を持ち逃げされる恐れがあるのでその点には注意が必要だ。
 この手口は違った使い道もある。自己破産する前に、偽装離婚する妻への慰謝料として殆んどの資産を渡してしまえば差し押さえできなくなる。つまり借りられるだけ借金をしてから自己破産をしても、先に慰謝料として妻に支払ってしまえば手を付けられないということだ。但しこれは違法スレスレの手口だから訴訟になったらどうなるか分からない。私としては人にお勧めするつもりはない。

戦犯

2015-02-26 09:48:19 | Weblog
 負けたチームのファンは戦犯を咎めたがるものだ。野球ならタイムリーエラーをした選手、サッカーならオウンゴールを献上した選手などだ。阪神タイガースのファンはしばしば贔屓の引き倒しをする。古い話だが昭和48年の「池田の尻餅」はその典型だ。対巨人戦の外野守備で転倒して逆転負けを招いた池田選手は優勝を逃した元凶として非難された。もっと酷いのはコロンビア代表チームのサッカー選手で、ファンによって射殺された。
 敗戦直後の日本にも似た感情があった。戦争に負けた責任を誰かに押し付けようとしていた。この感情があったから敵国の指導者を処罰したいというアメリカの欲求がすんなりと受け入れられた。しかし「戦犯」の意味が日米で全く異なる。日本人にとっては敗因を作った者でありアメリカ人にとってはアメリカに被害を与えた者だ。これでは日本人にとっての英雄が戦犯として裁かれることになる。
 戦犯に対する評価は大きく揺れた。敗戦直後は極悪人であり、その後、殉教者のように敬われ、戦後教育を受けた人は戦争を企んだ悪人と信じている。
 戦犯の処罰はポツダム宣言に基づく。日本が受諾したポツダム宣言の第10項には「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加える」と記されている。捕虜虐待は国際法に背く戦争犯罪(B級戦犯)だ。しかしA級戦犯は「平和に対する罪」、C級戦犯は「人道に対する罪」で裁かれた。これらは刑罰不遡及の原則に背く事後法だ。ドイツの場合、ナチスによる虐殺があったため多くのC級戦犯が処罰されたが、日本ではBC級戦犯と一括りにされた。
 証人の中にはかのラストエンペラー愛新覚羅溥儀のように証人としての適性を欠く人もいた。彼らは自らが戦犯にされることを恐れて明らかに偽りと分かる証言をしている。被告は同時に証人の役割も務めた。潔い被告もいたが、自分の罪を軽くするための泥仕合もあったようだ。
 「平和に対する罪」は事後法であり国際法上、無効だ。ではなぜ有効なのか?勝者による裁きであり、サンフランシスコ平和条約で「極東国際軍事裁判(中略)の判決の受諾」が義務付けられているからだ。
 東京裁判は裁判の形式を取ったリンチに過ぎない。政治的目的を達成するために裁判という形式を借りただけだ。正義(justice)ではなく政治が目的だ。その何よりの証拠は昭和天皇が戦犯でないことだ。天皇個人がどういう人であれ、敗戦国の国家元首が免責されたのは前代未聞の珍事であり、天皇を政治的に利用するために免責されたとしか考えられない。戦後最初の「天皇の政治的利用」はアメリカによって行われた。
 東京裁判は正当な裁判ではない。彼らを殉教者として扱うのは行き過ぎだろうが、戦後の「民主教育」は戦犯について甚だしく誤った知識を植え付けている。

治癒力

2015-02-24 10:23:30 | Weblog
 風邪症候群の原因となるウィルスは200種類以上あるそうだ。ではなぜ同じような症状が現れるのだろうか。原因が異なれば結果も異なる筈だ。なぜ異なる原因が同じ結果を招くのだろうか。
 発想の転換が必要だ。風邪症候群の症状はウィルスが原因なのではなく免疫が原因と考えれば納得できる。病原体に対抗するシステムがワンパターンだから同じような反応が起こる。
 肺炎の初期症状が風邪と似ているのも同じ理由だ。肺炎のウィルスに対しても免疫は発熱や咳といった常套手段で対抗する。これで退治できれば風邪症候群で終わるし退治できなければ肺炎になる。
 有害物や毒物を食べた場合、それが傷害を起こす前にまず下痢や嘔吐が起こる。有害物が様々であっても消化器系が真っ先に取る対応は下痢だ。これによって速やかに排泄しようとする。
 打撲や捻挫をすれば患部が腫れる。これは2種類あるようだ。自然治癒力が働くための腫れと内出血による腫れだ。大晦日のボクシングの世界戦で天笠尚選手は左頬を大きく腫らしてTKO負けを喫した。多分これは内出血だろう。内出血であれば血管が切れているから治療が必要だ。一般の腫れであれば自然治癒力が働いているのだから放置したほうが早く治る。
 民家の火災であれ工場の爆発であれ初期対応は同じだ。まず消防車が駆け付ける。消防車で解決できなければ他の対策が使われる。動物の治癒機能もこれとよく似た仕組みと思える。病原体に対する免疫反応が風邪症候群であり、毒物に対する反応が下痢や嘔吐、筋肉や関節の損傷には腫れだ。これらの自然治癒力によって動物は体を守っている。
 健康保菌者とはどういう状態だろうか。様々なケースが考えられる。まず未発症者だ。潜伏期間の長い病気であれば発症するまでは保菌者であり続ける。第二に考えられるのは発症に至らないほど微量の保菌者だろう。殆んどの人が微量の病原体を持っている。では本来発症する筈の量の病原体を抱えながら健康でいるのはどういう人だろうか。2種類考えられる。病原体に強い人とその病原体に対して免疫機能が働かない人だ。もし後者であれば突然重篤化する前の危険な状態ではないだろうか。長い潜伏期の病気もこの一種かも知れない。あるいは下痢をしにくい体質とは実は有害物を溜め込み易い困った体質であるかも知れない。

相対的貧困率

2015-02-24 09:41:45 | Weblog
 2012年の日本の相対的貧困率は16.1%でOECD加盟国ではアメリカに次いで2番目に高かったそうだ。随分実感と違うとは思っていたが、思わぬところでこの統計のトリックに気付かされた。韓国紙の中央日報日本語版は21日にこんな記事を掲載した。
 「韓国はOECD加盟国のうち2番目に低賃金労働者の比率が高いことが分かった。(中略)中位賃金の3分の2未満を受ける低賃金労働者の比率は25.1%と把握された。これはOECD平均の16.3%を大きく上回り、米国(25.3%)の次に高い。(中略)日本は14.3%」
 この記事に基づくなら日本は格差社会ではなく世界有数の平等社会だ。最初は誤報かと思った。相対的貧困率は中位の半分以下の所得しか無い人の割合でこれが16.1%と報じられているのに、中位の2/3未満が14.3%しか占めないということはあり得ない話だ。
 また統計のマジックに騙されていたことに気付いた。韓国のデータは労働者の賃金を比較しており、日本で広く喧伝されているデータは全世帯での比較だ。全世帯だから私のような年金生活者や子供や専業主婦まで含めて世帯収入を家族数で割った数値だ。ワーキングプアを問題にするなら韓国のように労働者だけを対象にすべきだろう。
 日本の相対的貧困率が高いのはワーキングプアが原因ではなく働いていない人が多いからだ。つまり高齢者が多いことが原因だ。しかし多くの高齢者はフローが少なくてもストックがある。だから決して貧困を意味しない。
 先日も「中流」で騙されかけた。格差社会を問題視する記事だったが、その根拠とした内閣府による昨年の調査結果を見れば、自分を中流と考える人が93.1%を占め、下流と考える人は僅か4.6%だ。これなら充分「一億総中流社会」と言える。格差だ、貧困だ、と騒ぎ立てる人はデータを勝手に解釈しているだけだ。これではシングルマザーのような本当に困っている人が見えなくなる。
 昨年の11月に安倍首相は「エネルギー価格の高止まり」という明らかに間違った発言をしたし、民主党の岡田代表は16日の代表質問で「格差拡大」を連発した。主張は事実に基づかねばならない。結論を正当化するために都合の良いデータを拾い集めるのは朝日新聞だけの手口ではないようだ。
 マスコミ、政治、医療といった職に就いて理性的であるべき人が正しい根拠に基づいて合理的な判断をしようとしないのは全く困ったことだ。日本人は論理学を必須課題に位置付けて国民全員が基礎から学び直す必要があるようにも思える。

爆買い

2015-02-22 10:05:13 | Weblog
 中国の春節を迎えて中国人観光客による爆買いが話題になっている。電気炊飯器や温水洗浄便座などの家電が特に目立つらしいが、百均の中国製品もよく売れているそうだ。中国人がわざわざ日本で自国製品を買うとは奇妙な話だが、流通業者の差だろう。日本では品質管理が徹底されているし、ネット通販以外では消費者を騙そうとする悪徳業者はとっくに淘汰されている。粉ミルクにせよ化粧品にせよ中国で売られている商品は危険な物が少なくないが、日本でなら安心できる商品が安く買える。
 中国で良品を買うことは思いの他、難しいようだ。市場には粗悪品が氾濫しており贋物も横行している。これはバリで経験したことだが、贋物衣料品店の店員は偽のナイキの商品を持ってこう言った。「この『✅』デザインのシャツが一番人気だ」彼らはデザインとロゴマークの違いさえ理解していない。中国人も同様だろう。
 関東では飲食店を紹介する本がよく売れるそうだが、大阪人であった私達はこう言って馬鹿にしたものだ。「関東は不味い店ばかりだからそんな本に頼ることになる。大阪の飲食店はどの店でもそこそこ安くて旨いからそんな本は要らない。」中国人にとって日本の小売店は大阪の飲食店のようなものだろう。
 「日本人とユダヤ人」でイザヤ・ベンダサン(山本七平氏)は「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる」と指摘したが、中国では安全も水も非常に高く付く。空気でさえ自己負担で浄化しなければならない。
 日本に住む中国人が財布を落としたところ「財布拾太」と名乗る人が宅配便で送り届けてくれたそうだ。日本では遺失物の75%が持ち主に返却されると言う。新聞では犯罪が連日報じられるが日本人の大半が善良だ。日本では悪人こそ例外であり、人を見たら泥棒と思うのは過剰な警戒だろう。日本が世界で最も快適に生活できる社会であることを知らないのは日本人だけだろう。

匙加減

2015-02-22 09:34:18 | Weblog
 「幸福な家庭はどれも皆似ているが、不幸な家庭の不幸さはそれぞれ異なる。」(トルストイ「アンナ・カレーニナ」より)
 正常なものはワンパターンだが異常には無限の多様性がある。好天は一種類だが荒天は様々だ。健康な状態は同じようなものだが病気は様々だ。
 病気は多様だ。様々な病気があると言いたい訳ではない。同じ病気でも様々な症状や障害が現れる。風邪の症状が人様々であることはよく知られているが病気とは多様なものだ。病気が多様であるのは原因が多様だからだけではなく人が多様だからだ。多くの人にとっては重要な栄養源である小麦や卵でさえアレルギー反応を起こす人がいるのだから元々危険物である薬が薬害の原因になるのは当然のことだ。これを少しでも減らすためには一律の医療ではなく患者一人一人に対応した木目細かい医療が必要だ。
 日本の医療は大人と子供以外は殆んど区別しない。体の大きさや年齢も考慮されない。代謝機能が衰えている老人であれば化学物質が蓄積され易いのにその匙加減ができる医師は殆んどいない。厚生労働省が定めた標準治療しか行われていない。アルコールでさえ個人ごとに許容量が異なるのに、遥かに危険な医薬品の処方量を均一にしようとするのは個体差を無視した危険極まりない暴挙だ。
 千差万別である患者に画一的な治療を施すことは危険だ。食物アレルギーで亡くなる人もいるのだから薬の副作用で多くの人が亡くなっているという現実を認めて早急に改善されねばならない。医療によって救われた命よりも医療によって失われた命のほうが多いのではないだろうか。
 欧米では広く使われている薬が日本ではなかなか承認されないことをドラッグ・ラグと言い、日本はOECDから何度も改善勧告を受けているが一向に改められない。厚労省は人種の違いがあると釈明するが人種ごとの違いよりも個人差のほうが大きい。一方では人種の違いを口実にしてもう一方では個人ごとの違いを無視するのは二枚舌行政だ。一律の標準治療を医師に押し付けるのではなくあくまで基本に過ぎないことを認めて医師による匙加減を奨励すべきだろう。医療における平等とは画一的治療のことではなく患者に合った治療をすることだ。靴に足を合わせるべきではないように、薬の量は患者の体質に合わせて決められるべきだ。匙加減という言葉は元々医療用語であり料理用語ではない。匙加減のできない医師は医師ではない。

呼吸と脈拍

2015-02-20 10:10:03 | Weblog
 日本糖尿病学会と日本癌学会の合同委員会の発表によると「糖尿病の人はそうでない人に比べて1.2倍癌になり易い」とのことだ。高血糖が起こす慢性の炎症とインスリンの増加をその原因として挙げているが一番大きな原因を無視している。それは薬漬けが招く医原病だ。
 糖尿病などの生活習慣病の患者の多くは長期間薬を飲み続ける。それも、治療のためではなく検査数値を安定させることを目的とした薬だ。これの有害性は発癌性があると言われている食品添加物よりも遥かに大きい。食品添加物は有害にならないように必要最小限しか使われていないが、薬は体に異常反応が起こる量を毎日服用させられる。そうしなければ効かないからだ。緊急時ならともかく自覚症状の無い人にまで長期間飲ませるべき物とは思えない。
 血糖値や血圧などを下げても病気を治療できる訳ではない。原因を無視して結果だけを誤魔化しても無意味どころか却って有害だ。体は何らかの必要があって血糖値や血圧を高めているのであり、結果に対する対症療法は早急にやめるべきだろう。
 血糖値や血圧などは測定器を使って初めて計測される数値だから煙に巻かれているに過ぎない。呼吸や脈拍のように誰にでも分かる数値のことを考えればこの対症療法の無意味さは明白だ。スポーツをすれば呼吸も脈拍も早くなる。これは「異常な」状態だが、これを薬で抑えたらどうなるだろうか?有害であることは誰にでも分かる。これと同じようなことが医療の名の元で行われている。
 呼吸や脈拍の乱れは自分で分かる。だからスポーツが原因であり休憩すれば治ると誰でも知っている。ところが血糖値や血圧は検査によって初めて分かる。だから有難いご神託のように誤解されて神官(医師)の指示に無条件で従う。
 医師は知ってか知らずかこのことには触れないが、癌の最大の原因は薬、特に生活習慣病の薬だろう。God's handsを持つ天才外科医は滅多にいないがDeath's hands(死神の手)を持つヤブ内科医は巷に満ち溢れているようだ。

理念

2015-02-20 09:33:06 | Weblog
 商品を安く買って高く売り、従業員を低賃金で長時間酷使すれば最大の利益が得られると机上では計算できる。しかしこれは絵に描いた餅に過ぎない。
 販売で成功するためには良い商品を仕入れねばならずそのために仕入れ値はある程度高くなり、競合企業に勝つためには販売価格を抑えねばならない。これが良い競争社会だ。中国人が日本で爆買いをするのは、中国の小売業が未だこのレベルに達していないからだ。
 従業員を低賃金で酷使すれば辞めてしまって経営が成り立たなくなることをすき家が実証した。適正な賃金でそれなりに厚遇しなければ事業を継続できない。
 奴隷のように扱き使うという言葉があるが、実は奴隷は決して扱き使われていなかった。日本の歴史には奴隷制が無いので分かりにくいが、家畜を考えれば類推できる。家畜を酷使する人はいない。酷使して駄目になれば自分の財産が減るからだ。家畜も奴隷も財産だからこそ大切に扱われる。アメリカで奴隷解放が大問題になり南北戦争に至ったのはそれが私有財産に対する侵害という根本的問題だったからだ。
 最も過酷な労働を強いられたのは資本主義の勃興期だろう。産業革命時のイギリスや殖産興業が国策とされた時代の日本などでは搾取と呼べる状況があった。財産である奴隷とは違って労働者は代替可能だから極限まで酷使された。しかしこんなやり方は長続きしない。然るべき条件に落ち着くものだ。
 労働条件が改善されたのは決して資本家が革命を恐れたからではない。労働者を繋ぎ止めるために徐々に労働条件を改善せざるを得なかったからだ。企業に対する不満はその企業に向かう。資本主義体制打倒に向かうことは無い。資本家が恐れたのはサボタージュやボイコットだ。
 抽象的な理念が革命のエネルギーになることは無い。革命は具体的目的に基づいており理念は後付けだ。明治維新にしても「尊王攘夷」というスローガンは多分後付けで、実際は薩長連合と徳川幕府による権力争いだろう。だからこそ「攘夷」という理念は消し飛んでしまった。明治維新によって権力を握った新政府もやはり歴史を捏造した。徳川時代を悪しざまに言うことによって自分達を正当化した。
 中国の易姓革命も王朝の交代に過ぎず社会の変革を伴うことは殆んど無い。日本の「大東亜共栄圏構想」も後付けであり、アジア人解放戦争とは考え難い。アメリカという猫に追い詰められた窮鼠による反乱だろう。