俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

離職斡旋業

2009-03-31 17:40:00 | Weblog
 転職斡旋業は今では離職斡旋業になってしまっているのではないだろうか。本来の転職斡旋業の場合、転職者を受け入れる企業が成功報酬を支払う。最も極端な例はヘッドハンティングで有能な人材を引き抜くのだから引き抜かれたほうの企業は被害者になる。
 昨今の人余りの状態では求人のニーズは少なく、逆に社員を辞めさせたい企業は多い。
 こんな状態で転職斡旋企業は社員を辞めさせることで稼いでいるのではないだろうか。社員を減らしたい企業と組んでいかにも魅力的な転職先があるかのように錯覚させて離職者を増やすことによって成功報酬を得る。つまり「あなたのキャリアを生かせる転職先はこんなにある」という甘い言葉と「会社都合による退職なら失業保険が11ヶ月支給される」という情報を提供して退職を促す。
 もし本当に転職が容易なら11ヶ月の失業保険は必要ない筈だ。退職者としては割り増しの退職金と長期間の失業保険が貰えるのだから短期的には決して悪い話ではない。しかし企業が払うべき賃金を失業保険に肩代わりさせるというやり方は制度の悪用ではないだろうか。各企業が負うべき負担を保険すなわち税金に振り替えているのだから。
 結局のところ離職によって得をするのは転職斡旋企業であり、損をするのは納税者ということになる。

バリアフリーの罠

2009-03-31 17:23:11 | Weblog
 バリアフリーの家では高齢者の老化が進行し易いそうだ。段差が少ないために足腰が鍛えられず、その結果として筋肉と骨が衰える。筋肉と骨が衰えれば歩くことさえ困難になり寝たきり老人になってしまう。
 屈強な宇宙飛行士でさえ無重力状態で長く生活をするとカルシュウムが溶け出して骨がスカスカになり骨粗鬆症に近い状態になってしまうそうだ。それを防ぐために宇宙飛行士には毎日数時間の鍛錬が義務付けられている。
 若い人でも鍛錬を怠れば筋肉や骨が急激に衰えるのだから老人は尚更鍛錬に励む必要がある。老人のためのはずのバリアフリーが実は老人のためにならないとは何とも皮肉な話だ。
 家をバリアフリー化することが悪い訳ではない。これによって家での事故を減らすことができる。日常生活で鍛えられない分を、宇宙飛行士と同じように、意図的に体を使う場を作って補うことが必要だ。
 人間は安楽を求める。安楽を求めること自体は何ら悪いことではない。但しそれが招く劣化を防ぐために自らの意志で鍛錬せねばならない。このことは体についてだけではなく脳についても当てはまる。脳も鍛えないと本人が気付かないうちにどんどん劣化してしまう。

選挙と金

2009-03-31 17:00:15 | Weblog
 選挙は金が掛かるから政治家には高額な報酬が必要だという考えがある。もし高額な報酬が無ければ金持ちしか立候補できなくなるから選挙で選ばれた人には後払いで高額な報酬を支払うべきだと言う。
 しかしよく考えてみれば奇妙なことだと気付く。なぜ選挙に金を「掛ける」のかと考えれば、金を掛けるに値するビジネスだから、ということになる。
 企業が設備投資をするのはそれに見合う収入なり何らかのメリットがあるからだ。それと同様に、政治家になれば儲かるから政治家になるために多額の投資をする。国会議員になれば公的収入だけで年間約3,500万円の年収が得られるそうだ。
 卵が先か鶏が先かの議論になりそうな話だが、政治家が儲からなければ選挙にも金を使わなくなる筈だ。
 自ら判断せねばならない首長とは違って、党議拘束され十把一絡げの頭数合わせでしかない議員に高額の報酬を支払う必要は無い。国、地方を問わず議員の給料を下げれば自動的に選挙に掛ける金も少なくなり、一般人でも立候補し易くなる。
 議員に払う給料が減り、選挙に掛かる金も少なくなるなら社会にとってもメリットがある。
 公務員の給料を下げるよりも、議員の給料を下げるほうが合理的だ。但し一儲けするつもりで議員になった人が自分達の待遇を下げる法律や条令を作るとはちょっと考えられないが。

小さな目標

2009-03-24 15:34:46 | Weblog
 野球の先発ピッチャーならまずパーフェクトゲームを目標にする。フォアボールを出せばノーヒットノーランを目標にする。ヒットを打たれたら完封を、点を取られたら勝利を、という風に目標はだんだん小さくなる。
 人の一生もこんなものかも知れない。子供の頃には末は博士か大臣を夢見た人も現実的な目標に切り替えて無名の個人として一生を終える。
 社長になると張り切って入社した人も、せめて部長にとか、何とか定年まで無事に勤め上げたいとか、どんどん小さな目標に修正する。
 このことは健全な精神を保つためには必要なことだろう。人間は何らかの目標が無ければ生きて行けない。達成不可能な見果てぬ夢を求め続けるのはラ・マンチャの男ドン・キホーテだけだ。現実的な目標を定めなければ妄想の世界へと向かい妖しげな新興宗教の狂信者になってしまいかねない。それほど人間の心は脆い。現実を受け入れることは決して恥ずかしいことではない。理想は現実的でなければならない。
 目標は決して誰かから与えられるものではない。自分で設定すべきものだ。誰かが目標を与えてくれることを待っていれば根無し草になってしまう。何もできない。小さな目標を設定することを馬鹿にしてはならない。こうやって定められた小さな目標がそれぞれの生きがいに繋がるのだから。

日本人の名前

2009-03-24 15:18:21 | Weblog
 ゴルフの石川遼選手の「遼」という名前は西洋人には発音しにくいそうだ。英語の辞書を引くとryで始まる語はryeしか見つからない。この語は決して「リェ」ではなく「ライ」と読み、ライ麦のことだ。つまり英語には「リャ・リュ・(リェ)・リョ」で始まる単語は無い。日本語のリューマチに当たる単語はrheumatismで「リューマチ」ではなく「ルーマチズム」と読む。
 因みにlyで始まる単語はryより遥かに多いがどれも「リ」か「ライ」と読む。
 松坂大輔投手の「大輔」も馴染みにくい音らしくDice-Kと読み替えている。
 一方、城島健司捕手の名前は英語にぴったりだ。George Mackenzieと呼ばれているそうだ。多分、最初から英語で呼ばれることを想定した名前ではなく全くの偶然だろう。
 逆に意図的に3人の娘を「愛・舞・魅衣」と名付けた人がいる。勿論「I my me」から取っている。ところがこんな短い名前は思わぬ所で困った事態を招く。舞ちゃんが林さんと結婚してしまった。披露宴で名前を呼ばれるまで「早や仕舞い」になってしまったことに本人は全く気付かなかったそうだ。

鎮痛剤

2009-03-24 15:04:32 | Weblog
 これまでに解熱剤(2月7日)や下痢止め(2月17日)を有害だと書いたが、鎮痛剤もこれらに負けず劣らず有害だろう。
 薬は基本的には毒物だ(20年2月20日付け「薬のリスク」参照)。メリットとデメリットとを秤に掛けてメリットのほうが大きければ「薬」とされているに過ぎない。しかし解熱剤や下痢止めと同様に、その場しのぎの対症療法に過ぎず、その結果として、より悪い結果を招く薬物も「薬」として使われている。
 鎮痛剤は痛みを鎮めることだけが薬効だ。痛みの原因を治療する効果は全く無い。鎮痛剤は痛みを誤魔化すだけだ。薬の効果が切れれば同じように痛み始める。但し薬で誤魔化している間に、自然治癒能力が働いて治ることがあり得る。しかしこれは決して薬が効いた訳ではない。
 宗教もハイネが指摘したように「苦しむ人のための精神的な阿片」だろう。嘘で塗り固めた希望を与えられても何ら根本的な解決にはならない。それどころか嘘に基づいて不自由な生活を強いられて、本来楽しめる生活(食欲や性欲を満たすことなど)を犠牲にすることにもなりかねない。
 鎮痛剤に頼らず、痛みの本当の原因に勇気を持って立ち向かうことが必要だろう。

WBC

2009-03-24 14:56:55 | Weblog
 私もつい先程までテレビで観戦していたが、とりあえず勝てて良かった。しかし侍ジャパンの9試合のうち5試合が韓国戦というのはどうにも戴けない。他はキューバと2試合、アメリカと中国がそれぞれ1試合ずつだけだ。
 できればベネズエラやメキシコ、あるいはプエルトリコやドミニカやオランダとの試合も見たかった。同じカードはせいぜい2戦もあれば充分だ。
 日本人は高校野球でトーナメント方式に馴染んでいるが、プロ野球の優勝チームの勝率が6割を超えることが滅多に無いことからも言えるとおり、野球は勝ったり負けたりする種目だ。決勝はベスト4かベスト6あたりでのリーグ戦のほうがもっと楽しめただろう。

ちひさきもの

2009-03-21 14:20:24 | Weblog
 日本人は道具を小さくすることが大好きだ。ラジオ、オーディオ機器、携帯電話などは日本のメーカーが小型化したと言って差し支え無かろう。
 自動車も小さくて燃費の良い製品をトヨタやホンダが作った。
 WBCの真っ最中の野球でさえ自らスモールベースボールと名乗っている。華やかだが水物のホームランではなく、ヒットとフォアボールに機動力を絡めて手堅く点を取り、堅い守りで最小失点に抑えて競り勝つのが日本式の野球だ。
 盆栽という世界に類を見ない文化も日本らしい。どの民族も木を大きく育てようとするが日本人だけが小さく育てた。日本人の心性は清少納言の言うとおり「ちひさきものはみなうつくし」ということなのだろうか。
 一方、日本人が大きな物を作ると必ず失敗するようだ。第二次世界大戦での巨大戦艦大和などはその典型だろう。作っている当事者がこんな陰口を叩いていたそうだ。「世界に3大無用の長物あり。エジプトにピラミッド、中国に万里の長城、日本に戦艦大和」と。実際、余り役に立たなかった。
 世界最大の面積を誇る伝・仁徳天皇稜も大失敗作だろう。普通なら王朝が代わっても誰の墓かぐらいは伝承される。始皇帝稜などはそうだ。しかし王朝が代わっていない(ということが通説)にも関わらず誰の墓なのか分からないのは余程、地元人民の怒りが大きかったからだろう。もし尊敬された人の墓なら地元の人がお参りを欠かさないだろう。

安重根

2009-03-21 14:08:26 | Weblog
 昨日(3月20日)の試合には勝ったが18日の試合では侍ジャパンは韓国の奉重根投手に抑え込まれた。この「重根」という名前は安重根にちなんだ名前と考えて間違いなかろう。
 安重根は明治の日本政府の要人・伊藤博文を暗殺した人物として歴史に名を残している。彼を英雄や義士と見るかテロリストと見るかは立場によって意見が分かれるところだが、奉重根投手にこの名を付けた両親に対しては良識を欠いた人と考えざるを得ない。
 息子にこの名を付けるということは「伊藤博文暗殺は正しい行為」であり「日帝による朝鮮の植民地支配を断固許さない」という政治的主張に他ならない。こんな名前を付けられた息子は可哀想だ。「反日」という名前を付けられたようなもので、日本人と友好的に付き合うことは難しくなる。
 とは言え、最近の日本人は歴史や地理を余り勉強していないので「安重根って誰?」とか「伊藤博文って誰?」とか言われるかも知れない。せめて「重恨」と書き間違えるようなことは無いように願いたいものだ。

定額給付金

2009-03-21 13:48:10 | Weblog
 定額給付金は今世紀最大の愚策だと思っている。こんなやり方で2兆円も使うよりマシなやり方は幾らでもあるだろう。とは言え個人として給付金を拒否するつもりは全く無い。国民としての権利を放棄する理由は無いし、痩せ我慢をする必要も感じない。
 このことに関して昨日(3月20日)の朝日新聞には奇妙な記事が掲載されていた。「経済気象台」というコラムの「定額給付金とモラルの退廃」という記事だ。6割が反対でありながら「受け取らない」と答える人が数%しかいないというアンケート結果に対して、筆者は「評価しないなら受け取らないのが筋であろう」と指摘しこれを「まさにモラルの退廃である」と決め付けていた。
 なぜ評価しないなら受け取ってはいけないのだろうか。なぜ権利を放棄すべきなのだろうか。
 こんな馬鹿げた理屈が通るなら、現在の年金制度に不満があるなら年金を拒否すべしということになり、失業保険制度に不満なら失業保険を受給してはならないということになる。制度に反対なら拒否すべしというのは政治的姿勢であり、政治的に無力な庶民に強制すべきことではない。現行法に従うことは決してモラルの退廃ではない。
 私はモータリゼーションには反対で、ドライブなどといったエネルギーの無駄遣いを断固許さない立場に立つが、物流でトラックの使用を禁止して大八車を使えなどと主張するつもりは無い。原則反対であっても必要なものは認められるべきだろう。
 ルールはたとえ不合理であっても守らざるを得ない。ソクラテスが言ったとおり「悪法も法」であり愚法も法であり誤法も法だ。法に従うことを「身勝手なご都合主義のいい加減な態度」と決め付ける朝日新聞の偏見に満ちた記事には呆れざるを得ない。とは言え所詮、蟷螂の斧のボヤキでしかないが。