昨日(29日)は土用の丑の日だったが今年も鰻を食べなかった。絶滅が危惧されるようになった数年前から自粛している。私は種の絶滅を極端に嫌う。それは連綿と繋いだ系統樹を断ち切ることだからだ。祖先から受け継がれて地球が滅ぶまで続く筈だった生命連鎖の破壊になるからだ。これは個体を殺すこととは比較にならないほど重大なことだ。先祖から受け継がれた数十億年の生命の営みの断絶だ。江戸時代の「お家断絶」どころの話ではない。
鰻がこんなに減ってしまったのは成魚も稚魚も獲ってしまったからだろう。成魚が大幅に減少してしまった時点ですべきことは稚魚の保護だっただろう。ところが日本では全く逆に成魚の不足を稚魚の養殖(捕獲)によって補おうとした。成魚も稚魚も獲ってしまえば絶滅の危機を迎えるのは当然のことだ。こんな簡単な理屈は誰にでも分かる。
漁業資源は共有物だ。しかし獲った瞬間から私有物に変わる。漁民にとっては所有者のいない紙幣が泳いでいるようなもので、先を争って捕獲に励むことになる。自分が獲らなければ他人の物になるだけだ。これは共有地が荒れ放題になるのと同じことだ。消耗品の共有はもっと難しい。無価値なものであれば共有できるだろうが価値のある物なら早い者勝ちになってしまう。
紳士協定によってこの危機を乗り切ることは難しい。何しろ紙幣が泳いでいるようなものなのだから、たった1匹でも多く獲ろうとする。もし日本の漁民が獲らなくても中国や台湾の漁民が獲ってしまうだけだ。国際条約によって捕獲禁止にするしか無かろう。
食べることまで禁止にすべきとは思わないが「土用の丑の日、鰻を食うべし」に近いキャンペーンは当分の間、慎むべきだろう。一番悪いのは絶滅危惧種を捕獲して金を稼ごうとする人だ。獲る人さえいなくなれば自然に増えるだろう。私は危険ドラッグを買う人よりも売る人のほうが一層悪いと思う。良からぬことで稼ぐ人は良からぬことに金を使う人よりも罪深いと考える。今後10年ぐらいは「土用の牛の日」として牛肉奨励の日にしてはどうだろうか。
鰻がこんなに減ってしまったのは成魚も稚魚も獲ってしまったからだろう。成魚が大幅に減少してしまった時点ですべきことは稚魚の保護だっただろう。ところが日本では全く逆に成魚の不足を稚魚の養殖(捕獲)によって補おうとした。成魚も稚魚も獲ってしまえば絶滅の危機を迎えるのは当然のことだ。こんな簡単な理屈は誰にでも分かる。
漁業資源は共有物だ。しかし獲った瞬間から私有物に変わる。漁民にとっては所有者のいない紙幣が泳いでいるようなもので、先を争って捕獲に励むことになる。自分が獲らなければ他人の物になるだけだ。これは共有地が荒れ放題になるのと同じことだ。消耗品の共有はもっと難しい。無価値なものであれば共有できるだろうが価値のある物なら早い者勝ちになってしまう。
紳士協定によってこの危機を乗り切ることは難しい。何しろ紙幣が泳いでいるようなものなのだから、たった1匹でも多く獲ろうとする。もし日本の漁民が獲らなくても中国や台湾の漁民が獲ってしまうだけだ。国際条約によって捕獲禁止にするしか無かろう。
食べることまで禁止にすべきとは思わないが「土用の丑の日、鰻を食うべし」に近いキャンペーンは当分の間、慎むべきだろう。一番悪いのは絶滅危惧種を捕獲して金を稼ごうとする人だ。獲る人さえいなくなれば自然に増えるだろう。私は危険ドラッグを買う人よりも売る人のほうが一層悪いと思う。良からぬことで稼ぐ人は良からぬことに金を使う人よりも罪深いと考える。今後10年ぐらいは「土用の牛の日」として牛肉奨励の日にしてはどうだろうか。