俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

公益

2015-10-17 10:13:07 | Weblog
 倫理に基づいて秩序が生まれることは好ましい。可能な限りそうあるべきだ。公共の場でのマナーはルールではなくモラルに基づいている。しかしそれが可能なのは利害が一致する時に限られる。目的が同じであれば利害も一致しようが、目的が異なれば、どちらも正当性を主張するからモラルでは解決できない。
 夏の屋外プールには、明確に2種類の人が集まる。泳ぎたい人と水遊びをしたい人だ。困ったことだが、水遊びをしたい人のほうが圧倒的に多い。だからどこのプールも水遊びの場所にされ、私のような泳ぎたい人はシーズンオフか朝や夕方の空いている時間に利用することを強いられる。
 ある小売店主が「良い商品を売りたい」と思ったとする。ところが良い商品の定義は人によって異なる。もし無農薬野菜と無添加食品に特化した店であれば私は絶対に立ち寄らない。無農薬や無添加には意外な危険性があり、私はそんな商品を買いたくない。これは独り善がりな「良い商品」に過ぎない。むしろよく売れる商品を充実させた店のほうが「顧客ニーズに応えた良い店」だろう。
 政府は道徳教育を充実させようとしているがそんな余計なお節介はやめてもらいたい。偽善の匂いがぷんぷんする。親孝行を奨励するよりも扶養親族控除額を増額すべきだろう。そうしたほうが、子供に見捨てられて生活保護にしか頼れない不幸な老人は少なくなるだろう。
 教室で道徳を教えるよりも団体スポーツに参加させたほうが有効だろう。そのほうが相互信頼や助け合い、あるいはフェアプレイなどについて多くを学べるだろう。フェアプレイを学ぶために最適の球技は野球だと思う。サッカーやラグビーなどでは、審判の目を盗んだ反則が意外なほど多い。巧妙な反則の一部はテクニックとまで位置付けられている。その点、野球の反則は極めて少ない。選手同士の接触プレイが少なく、ボールのある場所では審判が目を光らせているからだ。盗塁でさえスチール(steal)と言いながらも正々堂々としたフェアなプレイだ。野球におけるアンフェアなプレイはビーンボールと一部のラフプレイだけしか無いのではないだろうか。
 どの企業も「社会に貢献する」ことを社是に掲げる。こんな大層な主張などせずに、良い製品や良いサービスを売り、従業員には充分な報酬で報いてくれれば良い。社会に貢献する前に関係先や従業員に報いるべきだ。
 私はアダム・スミスのように、利己的行動が「神の見えざる手」によって公益に繋がると無邪気に信じている訳ではない。しかし「衣食足って礼節を知る」と言うように、まずは自分達の利益を追及すべきだろう。その場凌ぎではない長期的利益まで考慮すればそれは自ずから公益に適ったものになる。手抜き工事などで一時的に儲けを増やしてもそれが発覚すれば大損害に繋がる。

反対理由

2015-10-17 09:31:28 | Weblog
 ツタヤ図書館の案が住民投票で否決された愛知県小牧市の市長の談話を15日の朝日新聞で読んで呆れ果てた。市長も記者も全然分かっていないと思った。あるいは分かっていながら、それが民主主義の否定に繋がりかねないからわざと無視しているのかも知れない。
 「反対理由は金額か、民間との連携か、デザインか、投票結果だけでは判断できない。」と山下市長は語ったそうだ。一番大きな理由が考慮されていない。だからこそこんな馬鹿な住民投票を実施した挙句、否決されたのだろう。
 図書館の利用者は全国平均で38%だそうだ。つまり62%の人は図書館を全く利用しない。この「多数者」は図書館をどう評価するだろうか。多くの人は。図書館など一部の人に阿る無駄な施設と考えているだろう。
 私自身、大学生の頃は大学の図書館に通ったものだが、卒業後はほんの数回しか利用していない。しかし図書館は必要な施設と考える。私の友人である高等遊民は殆んど毎日図書館に通って、五大紙や地方紙だけではなく英字新聞まで読んでいた。だから私は図書館を否定しない。しかしここ10年間、週刊誌以外の本を読んでいない人にとって図書館など無駄な施設としか思えないだろう。
 全体の6割を占める図書館を利用しない人全員が反対票を投じた訳ではなかろう。しかしその7割程度は反対票だっただろう。つまり有権者の4割が、ツタヤ図書館だけではなく図書館の存在そのものを否定していたということだ。
 住民投票の結果は反対56%、賛成44%だった。もし図書館を不用と考える人を除けば、圧倒的多数の人がツタヤ図書館を支持していたということになるだろう。
 トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭にはこんな言葉が掲げられている。「幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭は不幸さがそれぞれ異なる。」これと同様、賛成する人の意見は一致しているが反対する人の意見は様々だ。だから具体案の賛否を問えば大半が否決される。
 マスコミはこのことをよく知っている。だからアンケート調査では極力、二択を避けて三択や四択を使う。多数決によって選ばれる政治家は、多数決の欠陥と安易に賛否を問うことの愚かさを理解せねばならない。