俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

大学生

2011-10-28 15:13:36 | Weblog
 大学生という立場は勉学に励むために良い環境とは思えない。立場が不安定過ぎるからだ。
 金銭面で不自由だ。同世代の人が働いて自活しているのに彼らは親の脛を齧り続けている。親の負担を減らすと共に経済的自由度を高めるためにはアルバイトに励まざるを得ない。しかし当然ながら勉強する時間は削られる。
 将来を考えれば不安が一杯だ。就職を考えねばならないし結婚もどうなるか分らない。人生設計をする義務が生じる。
 大学生と比べて隠居老人は勉学の条件に恵まれている。年金さえあれば働かなくても収入が得られるから金銭について悩まずに済む。
 将来を考える必要も無い。死ぬまで生きるだけだ。健康にさえ留意すれば良い。
 老人には大学生のような純粋さは無いがそれを補うほど豊富な人生経験がある。どちらが優位か甲乙付け難い。
 老人の弱点は記憶力の低下だろう。新しい知識を習得するために時間が掛る。しかし充分に時間を掛けさえすれば問題は解決する。
 気楽な老人学究徒と比べて大学生は恵まれていない。もっと勉学に励める環境さえあれば学者を志す人のレベルが上がり有能な学者も増えることだろう。

珍名

2011-10-28 15:01:54 | Weblog
 最も変わった名前の知人は「平照」だ。ペーテルと読む。誰も読めなかったし奇をてらった名前だと思っていた。
 大学生になって様々な外国語を学んでから初めてこの名前の意味を理解できた。この名前はピーターやペトロやピョートルに通じる由緒正しい名前だ。国際人になることを期待して付けられた名前だろう。
 森鴎外も子供に国際的に通用する名前を付けた。杏奴(アンヌ)や類(ルイ)という名前だ。
 王貞治氏は3人の娘の名前に「理」の字を使った。理香・理恵・理沙と名付けたので結婚して姓が変わっても「王」の字が残る。王という姓に対する物凄いプライドを感じる。素晴らしい拘りだ。
 最近では変な名前が多い。月と書いてルナと読ませたり、海と書いてマリンと読ませたりしている。こんな命名には思い入れが感じられない。単に「格好良さ」を狙った独り善がりの軽薄な命名だと思う。与えられた名前は一生背負わねばならない。こんな低レベルな言葉遊びは慎むべきだろう。

インフルエンザ

2011-10-28 14:44:04 | Weblog
 関東ではインフルエンザが広まっており学級閉鎖もあるそうだ。ワクチンの接種を始める時期が迫っているがこんなデータがある。
 2009年秋から2010年春にかけて新型インフルエンザが騒がれた。当初はワクチンが不足して医療関係者や老人などが優先的に接種されたがその結果は酷いものだった。60歳以上ではワクチン接種後に死んだ人が121人、インフルエンザで死んだ人は70人だった。インフルエンザよりもワクチンのほうが危険だった。
 接種後に死んだ121人についてワクチンの副作用との因果関係は明らかにされていない。しかし重病の人に接種することは考えられないから比較的元気な人だけが接種した筈だ。仮に50%が副作用による死亡だったなら60人が薬害の犠牲になったことになる。一方、インフルエンザに罹って死んだ70人の多くは寝たきりなどの病弱な人で仮にインフルエンザに罹らなくても近々他の病気で死ぬ可能性が高かったと思われる。
 インフルエンザワクチンの有効性は疑わしいが副作用は確実だ。厚生労働省は「ワクチンを接種すれば感染しても軽症化できる」と根拠の無いことを言っているが、こんな危険で有効性の疑わしいワクチンを接種すべきではなかろう。
 どんな薬もその本質は毒であり、毒(薬)をもって毒(病)を制しているのが実情だ。メリットとデメリットを秤に掛けて薬を使うかどうか決めるべきだ。
 結局、このワクチンは大量に残って廃棄やキャンセルとなり多額の医療費が無駄遣いされた。政府とマスコミは新型インフルエンザの危険性を煽ったが国民はワクチンの危険性を察知したのだろう。ワクチンを奨励したマスコミはこの事実を報じていない。

ギリシア

2011-10-25 15:22:41 | Weblog
 ギリシアはユーロ圏から追放されるべきだろう。ギリシアはユーロ圏に留まる資格は無い。財政状態を偽ってユーロ圏に入った国だ。まるで粉飾決算をして上場した企業のようなものだ。
 スロバキアやドイツが怒るのは当然だ。イソップ寓話の「アリとキリギリス」のキリギリスそのもののような国だ。勤労者の1/4が公務員だそうだ。年金は50歳から支給されると言う。資源に恵まれたブルネイ以外の国でこんな制度は維持不可能だろう。
 20歳から50歳で50歳から80歳までの年金財政を支えるためには年金保険料を所得の30%以上に設定しなければなるまい。ところが年金保険料どころか所得税も付加価値税(日本で言えば消費税)もまともに徴収されていない。脱税が横行している。放漫経営が国家レベルで行われている最低レベルの国だ。
 こんな国がギリシアと名乗ることも許し難い。ヨーロッパ文明の礎となった古代ギリシアと今のギリシアは場所こそ同じだが全く別の民族の国だ。長くトルコ領であったギリシアの先住民は殆んど残っていない。北海道がアイヌ国と名乗るような僭称だ。

平野

2011-10-25 15:11:34 | Weblog
 平野に人は集まる。殆んどの都市は平野にある。関東平野や大阪平野があるから首都圏も関西圏も栄えた。
 初めて関東平野を見た時は少なからず感激した。地平線の見える土地を見たのはその時が初めてだった。
 飛行機からメコン平原を見た時には驚いた。カンボジアからタイに掛けて広大な平野が広がっていたからだ。
 戦前に満州を訪れた人は東北平原にすっかり魅了されたそうだ。日本の本州全土に匹敵するような広大な平野を見れば農民でなくても魅了される。
 人は平野に引かれるが、その平野が実は危険であることが続け様に実証された。
 東日本大震災の時、リアス式海岸では高台に逃れられたが仙台平野では津波から逃れる場所が無かった。水は遥か奥地まで押し寄せたそうだ。
 タイの大洪水では都市部が際限無く水没した。大きな平野であることが災害を拡大した。
 平野より盆地のほうが安全なのかも知れない。日本では長い間、飛鳥や奈良や京都のような盆地に都を作った。これは先人の知恵なのだろうか。

風邪薬

2011-10-25 14:59:08 | Weblog
 風邪薬は風邪を治療する薬ではない。風邪の症状を一時的に緩和するだけだ。問題を解決するのではなく、問題を先送りするだけだ。
 風邪薬を飲めば症状は緩和される。多くの人はこれを薬効と勘違いするが実は一時凌ぎに過ぎない。発熱や鼻炎などを抑えているだけなので病は更に悪化する。症状だけを緩和して病状を悪化させている。これは青白い顔色を化粧で誤魔化すよりずっと悪い。
 風邪薬は最も典型的な対症療法だ。治療ではなく単に「風邪の諸症状の緩和」だけを狙ったその場凌ぎの薬物だ。諸症状を緩和することによって何が起こるか、風邪そのものの悪化だ。熱を下げることによって免疫力は低下し病原菌の働きは活性化される。その結果として風邪は悪化・長期化する。
 風邪薬は薬ではない、ただの毒物だ。人を一時的に幸福にさせる麻薬にも等しい有害物だ。風邪薬を飲むよりは麻薬を使ったほうがマシだろう。麻薬なら不快感を解消するだけで体温を下げないから風邪という病に対しては毒にも薬にもならないだろう。しかし風邪薬は体温を下げることによって風邪を悪化させてしまう。

かくあり

2011-10-21 15:33:46 | Weblog
 「かくあり」に対して「かくありたい」がある。「かくあれ」や「かくあるべし」という考え方もある。私は「かくあり」を重視する。
 100mを11秒で走る人が「10秒で走りたい」と考えたとする。他の2つは「10秒で走れ」と「10秒で走るべし」となる。「かくあれ」や「かくあるべし」は現実を踏まえた考え方ではない。「かくありたい」という願望を持つのは個人の勝手だが「かくあれ」や「かくあるべし」は理想というよりも妄想に近い。
 100mを10秒で走れない人にはどんな選択肢があるだろうか。なぜ10秒で走りたいのかが問われるべきだろう。オリンピックに出たいのなら他の種目に転向することもできる。人より早く走りたいだけなら野球やサッカーの選手になれば俊足選手として通用する。モテたいだけなら全く別の選択肢もあるだろう。無理なことは早めに諦めることが大切だ。「夢は必ず叶う」という言葉は大嘘であり人を不幸へと導く。
 倫理の世界では「かくあれ」や「かくあるべし」が横行する。現実離れした「かくあれ」や「かくあるべし」は無意味だ。非現実的な理想は妄想に過ぎない。理想は現実的でなければならない。
 「かくありたい」と思うことは健全な欲求だ。これを否定する気は全く無い。しかしなぜ「かくありたい」と思うのか、その素性を問うことが必要だ。その素性は必ずしも健全なものとは限らない。

美味しい肉

2011-10-21 15:21:36 | Weblog
 小学生の頃、少年誌で人食い人種に対するインタビューの記事を読んだ。「女の肉は脂が多くて旨くない。男の肉は筋が多くて食べにくい。子供の肉と怠け者の男の肉が旨い。」とのことだった。本当にインタビューをしたのかどうか眉唾物の記事だが妙に印象に残ったので今でも覚えている。
 牛肉も同じような状況だ。メス牛は搾乳や出産などの利用価値が高いので食用とされるのは主にオス牛だ。種牛とされる一部のオス牛以外は去勢されて雌ホルモンまで与えられる。狭い牛舎に閉じ込められて満足に動くことさえできない状態で飼育される。不健康な飼育環境なので病気にならないように大量の抗生物質が投与される。薬漬けのメタボ状態のオス牛が食用になっている。
 こんな不自然な牛肉が流通している。多分、子牛の肉が一番旨いのだろうが、ある程度育てたほうが肉の量が多くなって経済的価値が高まる。「豚は太らせてから食え」と言うように牛は育ててから食べたほうが合理的だ。
 しかしこんな肉で満足すべきだろうか。箸で切れるような軟らかい肉はいかにも不自然だ。

オゾンホール

2011-10-21 15:06:17 | Weblog
 今春、北極圏でもオゾンホールが見つかった。オゾンホールができると紫外線量が増える。
 紫外線は主に2つの病気をもたらす。皮膚癌と白内障だ。但し日本人は西洋人ほど怖がる必要は無かろう。感染症や放射能ならどの民族でも同じぐらい危険だろうが、紫外線の危険性は人種によって大きく異なる。白人は太陽光の少ない環境に適応した亜種だからだ。
 アフリカで誕生した人類はヨーロッパ、アジア、アメリカへと拡散した。その内のヨーロッパへ移り住んだ人類はその地の環境に適応した。白い肌と青い目だ。
 紫外線は有害性だけではなく有益性もある。足りない紫外線を少しでも多く吸収すべくメラニン色素を減らして白人になった。
 北部ヨーロッパは昼でも薄暗い。暗い場所でもよく見えるようにするために目の遮光度を減らしたから青い目になった。
 これらの変化は弱い光に対する適応なので強い光に対しては不適応となる。
 人種差別をすべきではないが人種による違いは理解して尊重すべきだ。実際にそういう人種的特徴を持っているからだ。その意味でオーストラリアは白人が住むために適した場所ではない。オゾンホールの影響で南半球は紫外線が強い。オーストラリアの白人に皮膚癌や白内障が多いのは人種的特性を考えれば当然のことだ。民族特性に適った土地に住むほうが安全だ。

和食

2011-10-18 15:26:05 | Weblog
 国際的な和食の筆頭は寿司だろう。日本を代表するに相応しい料理だし、世界の食文化の常識を覆すだけのインパクトのある料理だ。
 第二の国際食はラーメンだろう。カップラーメンが先行して地均し役をしたので本格的なラーメンを受け入れられる土壌が世界中に整えられている。今後国際食として定着することは間違いない。
 ラーメンは中華料理ではない。中国の地方料理に似たものがあるがもはや全く別の代物だ。札幌の味噌ラーメンや博多のとんこつラーメンなどの形で独自の進化を遂げた料理だ。
 第三の国際食は意外なことにカレーライスになりそうだ。よく知られていることだがカレーライスはインド料理ではなく西洋料理として日本に伝わった。出汁文化とは全く異質なスパイス料理であるにも関わらず、あるいは全く異質だからこそ、国民に圧倒的に支持された。ルーツであるインドのカリーの研究と並行して出汁やコーヒーを使うなどのカイゼンも加えられた。こんな日本式のカレーライスがインド・タイ・台湾・中国などで「和食」として広まっているそうだ。
 異文化の受け入れ方として、そのまま受け入れる方法と独自のアレンジをする方法がある。本物志向の人にとってはアレンジは邪道だろうが、ことラーメンとカレーライスに関してはアレンジすることで成功している。料理においても日本独自の「守破離」の精神が生かされている。