俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

毒物

2015-09-29 10:19:57 | Weblog
 日本人の自殺手段として首吊りが圧倒的に多い。毎年、総自殺数の半分以上を占める。以下は、ガス、飛降り、薬物、水死、飛び込みとなっており、近年、その順位に変動は無い。
 ガス自殺の中では、自動車の排気ガスと練炭などによる一酸化炭素中毒が多い。当たり前の話だが、ダイオキシンや煙草を使った自殺は皆無だ。
 日本の自動車は殆んどがガソリン車であり、ディーゼルエンジン車でなくしかも環境基準適応車であってもその排気ガスは殺傷力を持っているということだ。練炭などの一酸化炭素も殺傷力があるからこそ自殺手段として選ばれている。
 ではかつて「史上最悪の毒物」とまで言われたダイオキシンに殺傷力はあるのだろうか。もし本当に殺傷力があれば、密室で焼肉や焼き鳥を食べながらでの集団自殺がありそうなものだが、そんな事例は無い。もし成功したとすればそれはダイオキシン中毒ではなく炭火による一酸化炭素中毒だろう。勿論、煙草を使った集団自殺も不可能だ。
 自殺の手段を見ればダイオキシンや煙草の有毒性が低いことが分かる。それにも拘わらずこの2者は有毒物の代表であるかのように扱われた。焚火や路上喫煙を禁止するよりも自動車の排気ガス規制をするほうがずっと有効だ。マスコミが排気ガスの問題を避けるのは大スポンサー様の御機嫌を損なわないためだろう。ドライブほど社会にとって有害な趣味は無い。己一人の快楽のために毒物を撒き散らしている。これよりも焚火や路上喫煙のほうが悪いことのように扱われるのは不当な評価だ。
 ダイオキシンや煙草よりも睡眠薬や農薬のほうが有毒であり、これらは実際に自殺手段として使われている。多くの人がこれらを有毒物として認識しているが、無差別に撒き散らされる排気ガスの有毒性は軽視されている。だからこそ排気ガスの検査数値を操作したフォルクスワーゲン社の罪は重い。ガソリン車ではそんな偽装は多分行われていないだろう?

給付金

2015-09-29 09:49:37 | Weblog
 財務省案の還付金制度に対して公明党は異常とも思えるほどの敵意を示している。代案とされている帳簿式での軽減税制は到底使い物にならないほど欠陥だらけであり、これは軽減税率の実現ではなくそれを口実にして現行の給付金制度の拡充を目論んでいるのではないかと私は勘繰っている。
 現在の給付金の正式名称は「臨時福祉給付金」であり、この制度は民主党政権下の2012年の民主・自民・公明の3党合意に基づく。2014年4月の消費増税に合わせて、低所得者を救済するための「簡素な給付措置」として導入された。
 ところがこれは実に妙な制度だ。対象とされるのは住民税の課税対象外の低所得者約2,200万人で今年は一人当たり6,000円が給付された。
 納税していない人に限って給付するとは何という奇妙な制度だろうか。貧しくて納税できない人に給付するのなら理解できるが、納税しない人にまで給付されている。つまり脱税している人が給付対象者になっている。暴力団員や売春婦や麻薬の密売人などによる非合法収入は絶対に申告されない。あるいはパートタイマーで働きながら水商売でアルバイトをしている女性も少なくない人が脱税をしているだろう。
 その一方で、私の母は年金収入しか無いが給付対象外だ。それは私の扶養親族だからだ。厚生労働省のホームページを見れば対象外として「課税されている方に生活の面倒を見てもらっている場合」と記されている。私の企業年金は税制上給与所得とされて課税対象になっているから、私だけではなく私の母まで給付対象外にされてしまった。まるで親を扶養することが悪徳であるかのような線引きだ。増税によって負担が増えるのは万人共通なのだからこんな妙な線引きをするよりも、新生児から寝たきり老人まで一律4,000円ほどバラ撒いたほうがマシだろう。
 私が疑っているのは宗教関係者だ。宗教活動は非課税だ。では宗教法人の従業員の場合はどうなっているのだろうか。よく分からないが、少なからぬ人が無報酬扱い、あるいは過少申告されているのではないだろうか。宗教団体の会計処理は極めて不明朗であり実態は把握されていない。これを悪用して多くの創価学会会員が住民税を免れているのであれば、公明党が給付金に拘る理由が納得できる。創価学会会員の利益を最大化するためだ。勿論、創価学会会員が脱税しているという証拠を私は持っていない。しかし昔から「坊主丸儲け」と言うように、宗教関係者に対する課税は甘い。9・6・4(クロヨン)や10・5・3(トーゴーサン)どころでは無かろう。宗教関係者に対する課税がまともなものになればかなりの税収増になるだろうが、政治家はこれに手を付けようとはしない。宗教団体は製薬会社と並ぶ社会の癌だ。

ネオテニー

2015-09-27 10:12:43 | Weblog
 サンショウウオの一種のアホロートル(ウーパールーパー)のようなネオテニー(幼形成熟)が人類を作った。類人猿のネオテニーが人類だ。人類はあらゆる動物の中で最も未熟な状態で生まれる。妙な言い方だが、未成熟で生まれるからこそ高度に成熟できると言える。
 岸田秀氏は「人間は本能の壊れた猿」と言う。しかし本能が壊れているからこそ自由であり得る。本能が健全であればルールは予め決まっている。弱い動物を食え、発情期には交尾せよ、これらが本能だ。本能が壊れていなければ人為的なルールなど必要無い。丁度、疑問を持たずに呼吸をするように、本能に従うだけで万事上手く収まる。人間以外の動物も「学習」をするが基本は本能だ。本能に背くような行動はしないし、できない。
 iPS細胞もES細胞も、あるいは幻のSTAP細胞も人工的な未分化細胞だからこそ万能細胞たり得る。一旦分化して特定の細胞になってしまえば他の細胞にはなれない。つまり未分化や未成熟であれば巨大な可能性があるということだ。
 男女の脳は生まれつき異なる。女児の脳のほうが成熟して生まれる。保母や小学校の教師を含めて子育ての経験のある人は異口同音にこう語る。男児は乱暴で我儘でルーズだ、と。女児は生まれながらに社会的動物だ。それは出産・授乳という動物的役割があるからだ。出産・授乳に対応する本能が欠けていれば種が滅ぶから、女児の脳にはあらかじめその機能が備わっている。生まれつき特殊なソフトウェアがインストールされている。勿論これは100%確実なことではない。男児と同じくらい未成熟な状態で生まれる女児もいる。これは男性脳を持った女性であり、その特性を理解して育てる必要がある。
 男児の脳には何も無い。獣以下の状態で生まれる。女児は生まれつき人間だが男児は人間ではないどころか獣以下だ。育成されて初めて人間になる。
 男児には様々な可能性がある。未成熟だからこそ良い可能性も悪い可能性もある。つまり聖人の可能性も極悪人の可能性もあるということだ。
 ロックは人の心を白紙(タブラ・ラサ)と考えた。しかしこれはあくまで男児の脳だ。女児の脳には予め協調性などが刷り込まれている。女児であれば放置してもある程度のレベルに達するが、放置された男児は人間以下の動物にもなり得る。凶悪犯罪者の大半が男性であるのは男女の脳が先天的に異なるからだ。男児に対する初等教育は女児以上に重要だ。

傷みと痛み

2015-09-27 09:32:42 | Weblog
 日本語ではどちらも「いたみ」という言葉を使うので混同され易いが傷みと痛みは明確に区別されねばならない。
 切り傷が一番分かり易い。痛みを感じなくても傷口があれば傷んでいることが分かる。治りかけの時には最早、痛みを感じないが、傷口が開かないように充分に気を付ける。それは痛みが無くても傷みがあるからだ。
 関節痛は完全に混同されている。傷みがあるから痛むのだが、痛みが無くなっただけで傷みも無くなったと思い込む。痛みを感じなくなっても傷みが完治していない状態で普通に使い始めれば傷みが悪化して再び痛み始める。
 最悪は痛み止めだ。傷みを放置したまま痛みだけを消す。軽症であれば痛みを抑えている内に自然治癒力が働いて傷みも治るが、重度の傷みの痛みを薬で抑えて無理をすれば取り返しのつかないことにもなりかねない。昔、甲子園球場では、痛み止めを注射して肩や肘の痛みを抑えて熱投をした投手がいたが彼らの多くはは投手としての能力を失った。痛みの原因は炎症であり炎症を放置したまま痛みだけを消して投球をすれば炎症は悪化する。傷みと痛みを区別できなかったことが招いた悲劇だ。今ではこんな登板は禁じられている。
 頭痛についても同じことが言える。痛みが無くなっても安心できない。二日酔いや生理痛のような原因が明白な一過性の痛みであれば、痛み止めで症状を抑えている内に勝手に治る。しかし脳腫瘍などが原因であれば手術しなければ治らない。薬で痛みが消えても安心すべきではない。痛み止めは痛みを感じにくくするだけであって治療薬ではない。
 多くの病気は痛みや不快感を伴う。殆んどの患者は痛みや不快感の緩和を望み医者も患者の希望を叶えようとするから却って病気を悪化させてしまう。これがヤブ医者によるヘボ治療だ。風邪の諸症状の緩和に代表される対症療法は治療ではない。中でも解熱剤は最悪だ。折角、自然治癒力が働いて病原体と戦っているのに、体温を下げてしまえば病原体が生存・増殖し易い環境を作ることになり治癒しにくくなる。、

ゼロ戦

2015-09-26 10:26:26 | Weblog
 ゼロ戦は人命を軽視した欠陥機だと長い間信じていた。神風特攻隊のような酷い戦法を使った日本軍だから、人命よりも戦闘力を重視しても不思議ではない。しかしこれはアメリカによる悪意あるプロパガンダによって洗脳されていたのではないかと最近になって考えるようになった。
 ゼロ戦の長所は当時としては画期的な機動力だ。小回りが利くから敵機は不利な位置に追い込まれた。短所は防御力の脆弱さだ。装甲が貧弱だったために被弾には弱かった。このことから機動力のために安全性を犠牲にしたと戦後になってから非難された。
 これは欠陥だろうか。1つの設計思想ではないだろうか。画期的な新素材でも開発されない限り、装甲を厚くすれば機体が重くなって速力も機動力も劣化する。戦闘力と防御力は相反することになる。厚い装甲以外に安全性を高める方法は無いだろうか。徹底的に機動力を高めれば被弾しにくくなるから安全性が高まる。
 戦車は頑丈だが重くて遅い。ゆっくりと攻める時には地上最強の兵器だがスピードに欠ける。その弱点を補うのが装甲車だ。戦車ほど頑丈ではないし武器も貧弱だがそれなりに戦闘力が備わっており使い勝手が良い。ゼロ戦は装甲車であり、米軍機は戦車だったのではないだろうか。戦車と装甲車とどちらが優れているかを比較することが無意味であるように、ゼロ戦と米軍機の比較も余り意味が無かろう。これは設計思想の違いだ。
 レース用の自動車も自転車も徹底的に軽量化を図る。軽くすることによって速力も機動力も高まるからだ。レースにおいてさえ軽量化が重視されるのだから、戦闘機が軽量化を図るのは当然のことだろう。
 野球の捕手は重装備だが打者はヘルメット以外は最小限のプロテクターしか装着しない。これは安全性を軽視しているからではなく機動力を重視するからだ。
 新幹線は正面衝突に耐えられるほど頑丈には作られていない。これも安全性の軽視ではない。衝突に耐えられるほど頑丈に作るよりも衝突しない仕組みを作るほうが利巧だろう。ATSやCTCなどの安全装置を備えることによって今のところ新幹線の衝突事故は起こっていない。
 実は装甲を厚くしたゼロ戦も作られたそうだ。しかし性能が著しく劣ることからパイロットに嫌われたらしい。分厚い鎧兜で身を守れば歩兵の戦闘力は却って低下する。亀のように丈夫な甲羅で身を守る動物は稀であり大半の動物は俊敏な動きによって身を守る。戦闘という状況において、防御力を高めることは必ずしも安全性の向上には繋がらない。装甲の薄さを人命軽視に結び付けたのは悪意あるプロパガンダだろう。
 戦後の占領時にアメリカは日本に航空機の製造を禁止した。これは日本の航空機技術の高さを恐れたからなのではないだろうか。航空機産業から閉め出された優秀な技術者は自動車や電車の技術開発に携わることになり、このことが日本の自動車と電車の技術を世界一にまで高めた。

ウィン・ウィン

2015-09-26 09:42:49 | Weblog
 安倍首相は24日に自民党の両院議員総会で、50年後にも人口1億人を維持するという目標を掲げた。現在の出生率1.42では勿論のこと、目標とされた1.8でもこの人口は不可能だ。以前から言われている移民の増加を見込んでいるのだろうが、単純労働者の受け入れによる人口増を目論んでいるのであればとんでもない話だ。若年労働者を日本が収奪してしまえばその国では労働人口が足りなくなる。こんな他国を犠牲にした繁栄ではなく共存共栄が図られるべきだろう。具体的には難民の受け入れだ。
 ヨーロッパでは中東からの難民の大量流入に音を上げて難民の押し付け合いが始まっている。こんな時こそ国際貢献をすべきだ。紛争に加担するよりもずっと好ましいことでありこれこそ「積極的平和主義」だろう。「義を見てせざるは勇無きなり。」
 人口減少の解決は他国からの収奪ではなく、国から溢れた人の受け入れによって実現すべきだ。このことによって関係国も関係者も総てが利益を享受できるウィン・ウィンの関係が可能になる。
 ついでにと言えば失礼だが、中国の黒孩子(ヘイハイズ)も受け入れてはどうだろうか。黒孩子とは中国の一人っ子政策のために戸籍を持たない子供だ。違法に2人目の子供を持てば罰される。だから生まれていないことにされている。その数は数千万とも数億とも言われているが「闇の子」だから把握されていない。戸籍が無いから学校に行けない。学校に行かなければまともな就職もできず犯罪者になることも少なくない。こんな中国人民にとってはお荷物である黒孩子をできる限り幼い内に日本で引き取る。人身売買と非難する人もあろうが、有償でも良かろう。中国人としての記憶が無ければ本人も日本人と信じて日本人として育つ。
 ビジネスにおいても国際関係においても、一方的に利益を得る関係は長続きしない。両国にとっても当事者にとっても好ましいことが選ばれるべきだ。廃棄物から資源を得る方法があるように、人口減少の解決は収奪によってではなく、余剰人員の引き取りによって実現されるべきだろう。
 同様に、資源に恵まれない日本は他国では利用しない資源を積極的に活用すべきだ。ヒンズー教徒が食べない牛肉、ムスリム(イスラム教徒)が食べない豚肉、多くの西洋人が食べない鯨やタコを食べることは食文化の棲み分けであり、他文化圏から文句を言われるべきことではない。
 但し私は無理に人口を維持する必要は無いと考える。国としてのGDPが減っても一人当りのGDPが増えれば充分だろう。

ディーゼル車

2015-09-25 11:10:06 | Weblog
 日米ではガソリン車が多く、ヨーロッパではディーゼル車が多い。以前からこのことが不思議で仕方が無かった。
 私は自動車について詳しくない。正直な話、嫌いと言って良い。それは大気を汚染するからだ。物品の移送に使うならともかく、個人の移動のために自動車を使うなどもってのほかであり、ドライブほど社会に有害な趣味は無いと思っている。こんな意見は少数派だ。少なくともマスコミで紹介されることは無い。これは薬害問題と同じ構造だろう。製薬業界と並ぶ大スポンサー様である自動車業界をマスコミは批判できない。
 そんな私でも、ディーゼル車のほうがガソリン車よりも燃費が良く、軽油のほうがガソリンよりも安いということぐらいは知っている。日本でディーゼル車が普及しないのは、1999年に当時の石原慎太郎都知事が痛烈に批判したように大量の粉塵を放出することと、窒素酸化物の排出量が多いことだろう。日本ではディーゼル車は環境破壊の元凶と位置付けられていた。
 日本での常識がヨーロッパでは通用しない。ヨーロッパではディーゼル車が低公害車と位置付けられている。このギャップは何なのだろうか。
 私はこれを日本のガラパゴス化ではないかと心配していた。ガソリン車に拘り、ハイブリッドなどの特殊技術に現(うつつ)を抜かしている間に、ヨーロッパでは画期的な技術革新があったと思った。ディーゼルエンジンの見直しが急務であり、トヨタの販売台数がフォルクスワーゲンに抜かれたことに象徴されるように、日本の自動車産業が凋落するのではないかと恐れていた。しかしこれは杞憂だった。
 フォルクスワーゲンが、排ガス試験の時だけ窒素酸化物の排出量を抑える特殊なソフトウェアを使っていたと知って驚愕した。これは、窒素酸化物の排出量を抑える技術が未開発か、あるいはとてつもなく高コストだからだろう。このことはディーゼル車メーカーが共有する秘密であって、検査数値を誤魔化して時間稼ぎをしている内に新技術を開発すれば良いと企んでいたのだろう。クリーンディーゼル車などSTAP細胞と同じ幻の技術に過ぎなかった。
 スズキは2011年9月にフォルクスワーゲンとの技術提携の解消を申し入れ、今年の8月にようやく決別した。スズキが怒ったのは当然だ。フォルクスワーゲンには環境技術など無く擬装技術しか無かったからだ。
 こんな大規模な擬装事件は前代未聞空前絶後だ。日本のメーカーがクリーンディーゼル車を作れなかったのは技術の遅れではなく、そもそも現時点ではディーゼル車を低公害車にする技術など開発されていなかった。違法ソフトウェアによって擬装されていただけだった。
 これで世界の自動車市場は激変する。ディーゼル車が駆逐されてガソリン車や次世代エネルギー車が我が世の春を謳歌することになるだろう。

変態

2015-09-24 10:27:31 | Weblog
 私にとって、カエルになりたくないオタマジャクシという寓話は悩みの種だった。2008年の2月15日に「カエルになった夢」という記事を書いたがこれは本当に見た夢だ。私は散文的人間であり物語を作る詩人的能力を欠いている。それほど寝ても醒めても気になっていた。勿論これは大人になりたくない少女の象徴だ。少女のままでいたい少女が幼い心でどれほど苦しんでいるのかを考えれば居たたまれない気分になった。
 私は高校時代に新聞記事を読んで摂食障害について初めて知った。少女にのみ起こる神経性拒食症という奇病を知って驚いた。咄嗟に2種類の患者をイメージした。生命体を食べることに罪悪感を覚える心優しい少女と、大人の肉体を不潔と感じる潔癖な少女だ。どちらの少女にも魅力を感じた。
 最近、心境の変化が生じた。私自身が老人になりつつあるからだ。誰だって老化したくない。この気持ちは大人になりたくない少女と同じようなものではないだろうか。
 非現実的な例え話だが、犬に転生した人は絶望するだろうか。私なら犬として精一杯生きようとする。鎖に繋がれた番犬であっても生きることを楽しめる。飼い主が散歩に誘ってくれれば尻尾を振って大喜びするだろう。永遠に続く無よりは犬に転生するほうがずっと好ましい。
 成人が老人に転生しても生きたいと思うように、少女も大人の女性に転生すると考えればどうだろうか。そもそも大人の女性を醜いと思うのは彼女の主観に過ぎない。大半の人は大人の女性を美しいと感じる。カエルでさえオタマジャクシではなく大人のカエルに性的魅力を感じる。
 人は同世代の異性を美しいと感じる。身近な存在であることも一因だろうが、それほど主観的なものだということだ。小学生にとって20歳はオバちゃんと思えるかも知れないが30歳にとっては違う。大人の男性に少女嗜好があるのはロリータ・コンプレックス(所謂ロリコン)の語源となった小説「ロリータ」の作者の出身地のロシアと、AKBなどのジャリタレが蔓延る日本だけではないだろうか。カエルは変態するが児童ポルノも少女性愛も変態趣味だろう。
 女性の性的魅力のピークがいつであるかの意見は様々だ。ジャリタレのファンもいれば30代のグラビアアイドルや40代の熟女好きもいる。見掛けの好みは人様々だろうが、精神的成熟度も考えれば30歳前後がピークだと私は考える。
 少女性愛を、大人の女性に相手にされない男の歪んだ性欲と決め付けることは乱暴過ぎる。大人の女性に魅力を感じないからこそ付き合いたいと思わない人も少なくなかろう。少女性愛者を劣等者だとは思わないが、良い趣味ではなかろう。

癌の感染

2015-09-24 09:42:23 | Weblog
 癌は感染症ではない。それにも拘わらず感染し得る。それは医原病であり抗癌剤の拡散によって起こされる。
 抗癌剤の毒性は強い。中には発癌性のあるものまで使われている。この抗癌剤が体内で充分に分解されずに排泄される。だから癌そのものではなく抗癌剤が感染する。排泄物だけではなく唾液や血や汗などの分泌物にも抗癌剤の成分が含まれる。当然、食器やタオルなどによって感染することもあり得る。
 医師は抗癌剤に触れることさえ嫌がり、手に付けば即刻、石鹸で水洗いをするそうだ。こんな危険物が患者を通じてバラ撒かれている。合成保存料や煙草や排気ガスなど問題にならないほど危険なのではないだろうか。
 これは意外な盲点だろう。癌は感染症ではないから患者が隔離されることは無いが、薬の筈の抗癌剤が有害物として拡散すれば感染症のように広がる。薬害の被害者になるのは患者本人だけではない。
 抗癌剤の毒性が強いのは典型的な「毒を以て毒を制す」薬だからだ。細菌のような侵入者であれば抗生物質などによって退治できる。しかし癌細胞は外部からの侵入者ではなく自分の細胞が変異したものだ。だからこれを退治するためには、癌細胞だけではなく正常細胞まで攻撃せざるを得ない。抗癌剤は健康な人を病人に変えるほど有害だ。癌細胞が丈夫であれば正常細胞ばかりが破壊される。細胞と細胞の我慢比べになる。
 これは殺虫剤(農薬)の役割と似ている。害虫を殺すためには有毒物を散布する必要がある。虫にも人にも有害な毒物が使われている。できるだけ人間に対する有害性が低い物が選ばれてはいるが、人間に無害な物であれば一部の虫しか駆除できないから、様々な虫に対応するためにある程度有害な毒物を使用せざるを得ない。抗癌剤とは癌細胞を殺すために使われる細胞破壊薬であり、必ず正常細胞にも悪影響を及ぼす。残留農薬に神経質になる人がなぜ抗癌剤による汚染には無頓着なのだろうか。
 抗癌剤を使用中の患者から分泌される化学物は感染症患者の吐瀉物に近い有害物なのではないだろうか。感染症とは違って癌の潜伏期間は長い。そのために因果性が気付かれにくいが、抗癌剤が毒物であることは誰もが認めることだ。看護する人は毒物の危険に晒されているがこの危険性を指摘する人は殆んどいない。薬は総て毒性を持つが抗癌剤の毒性は桁違いだ。癌が感染しなくても抗癌剤が感染毒となり得る。
 

外国人

2015-09-22 10:14:34 | Weblog
 埼玉県熊谷市でペルー人による悲惨な連続殺人事件があった。安価な労働力として安易に輸入された外国人だが、とてつもなく高く付いた。外国人労働者の受け入れはこんな危険と隣り合わせになっている。
 私は決して外国人を排斥したい訳ではない。日本が世界一治安が良い国であることを強調したい。日本より治安の良い国はバチカンだけではないだろうか。その一方で移民や難民の母国は大半が治安の悪い国だ。その差は歴然としている。
 アメリカの共和党の大統領候補のトランプ氏が妙に人気を集めている。これは氏がアメリカ人の本音を語っているからだろう。アメリカでは決して言論が自由な訳ではない。差別に類する言論には厳しい弾圧がある。トランプ氏はメキシコからの移民をボロクソに言う。客観的に正しいとは思えないがアメリカの白人が感じている不満を代弁している。だから人気があるのだろう。
 日本では人口を維持するために移民を増やすべきだと主張する人がいる。しかし彼らが求める移民は安価で扱き使える単純労働者であって、カルロス・ゴーン氏のような経営者ではない。こんな輸入労働者は使い捨てにされるから、たとえ本人に優れた資質が備わっていても、犯罪者になる可能性は高い。
 私は人口維持のための移民奨励には大反対だ。低賃金労働者を輸入によって賄うなど奴隷貿易のようなものだ。こんな人種差別的な政策など認められない。
 逆に、日本政府が拒み続けている難民の受け入れは必要だと考える。難民問題は国際社会が協力しなければ解決できない。日本も然るべき負担をすべきだろう。難民対策として特定の居住区を作るべきだと考える。これは外国人を隔離するためではない。特にムスリム(イスラム教徒)を同化しようとすることは避けたい。彼らの文化を尊重すべきだ。かつて台湾や朝鮮で行われた同化政策に悪意は無かったと思うが、野蛮な民族を感化しようと考えたことは確実だ。難民の文化を尊重して日本のあちこちにシリア村やバングラデシュ村が生まれても良かろう。横浜や神戸の中華街のようなものだ。
 難民や移民は難しい問題を伴うが、短期間の移民であれば大歓迎だろう。最近では中国やタイなどからの旅行者による爆買いがGDPを押し上げる要因にまでなっているが、世界の富裕層を誘致したほうが低賃金労働者の輸入よりずっと良かろう。余り考慮されていないアラブ諸国の王族の誘致なども含めて、観光事業の活性化にもっと積極的に取り組むべきだろう。そのことが世界各国からの難民の雇用にも繋がる。