俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

歯原病(2)

2015-12-31 10:40:44 | Weblog
 動物の免疫力や自然治癒力は数億年に亘る進化の賜物だ。たまたまそんな能力を獲得した種が世代を繋ぎ更に進化を遂げた。適応は進化を通じて獲得されるから、進化を促す状態がある程度長期間続かなければ新しい能力は定着しない。
 動物は様々な変異を通じて進化した。現存する動物は総て適応体であり現在の環境に適応している。免疫力も自然治癒力もあくまでこれまでの環境に対する適応でありそれ以外の状況に対しては驚くほど無力だ。
 例えば破傷風という感染症がある。無傷の状態であれば破傷風菌の侵入を許さない防疫機能によって防御されている。皮膚からも目や口からの侵入も容易ではない。しかし傷口から破傷風菌が侵入すれば忽ち危険な状態に陥る。外部にある時とは違って、一旦内部に入ってしまえばそこでの防疫力は余りにも無力だ。
 傷口という言わばありふれた状況でさえ防疫力が無力化される。もし傷口が開いたままであれば破傷風菌以外の様々な病原体の猛攻を受けることになる。だからそれを防ぐために傷口は速やかにカサブタによって遮蔽される。免疫力はそれまでに侵入を許してしまった病原体とのみ戦いその残骸が膿になる。
 傷口と同様に危険なのは消化器だ。毎日大量の異物を受け入れその中には病原体も含まれる。これを防ぐ第一関門が胃だ。胃からは胃壁まで消化してしまうほど強酸性の胃液が分泌され大半の病原体は死滅する。第二の関門は腸だ。腸には全身の6割を占めるほどの免疫細胞が集中しており、胃酸による攻撃を潜り抜けた病原体を総攻撃する。
 動物の体はこうやって病原体の侵入を阻止しているが傷口からの侵入は比較的容易だ。もし自然治癒力が働かない傷口があれば病原体の侵入がフリーパスになってしまう。本来であればそんな異常事態は起こらない。進化を通じてそれは防止される。
 野生動物に虫歯は無い。人類と家畜とペットだけが患う奇病だ。この原因は炭水化物であり、炭水化物だけが哺乳類の歯を破壊する。虫歯は動物の数億年に亘る進化史の中で一度も起こらなかった異常事態だ。だから当然、歯には自然治癒力など備わっていない。
 虫歯だけが自然治癒されないからそれが病原体の侵入口になる。原因不明とされている病気の多くが歯原病なのではないだろうか。原因不明だからこそ不治の病となっている生活習慣病の多くが歯原病であるならこれは朗報だ。原因である歯を治療すれば結果である生活習慣病も治療できるということになる。虫歯からの病原体の侵入についての今後の研究に期待したい。

脂と塩

2015-12-31 09:45:44 | Weblog
 日本人に忌み嫌われている2つの栄養素、脂質と塩分について疑問を持っている。脂質は肥満の元、塩分は高血圧の原因とされているが本当だろうか。
 脂質に対する誤解はカロリー論に基づく。蛋白質や炭水化物のカロリーが1ℊ当り4㎉に対して脂質は9㎉だ。このことだけを捕えれば脂質は高カロリーでありいかにも肥満の原因になりそうに思える。しかしカロリー源としてしか使えない炭水化物と同じ尺度で測ることは余りにも不合理だ。汎用性がある脂質や蛋白質をカロリーという尺度だけで評価すべきではあるまい。実は、脂質に次ぐ高カロリー食品はアルコールで1ℊ当り7㎉ある。しかしアルコールのカロリーは総て消費されて体内に蓄積されることは無い。
 もし米100万円分と現金100万円を持っていれば、汎用性のある現金はすぐに使ってしまうが、米100万円分を使い切ることは簡単ではない。100万円という同じ価値であっても用途が多ければすぐに使い切られるように、用途が広い脂質や蛋白質は先に本来の用途で使われてしまうから余って脂肪として蓄えられる可能性は低い。糖質制限食の実践者はカロリーを殆んど気にせず炭水化物の摂取量だけを制限することによって簡単かつ健康的に減量しているそうだ。カロリー論は根本的に間違っているのではないだろうか。
 塩分が嫌われるのは過去の食生活に対する反省からだ。かつての日本人は塩辛いおかずとご飯に味噌汁という食生活だった。これを改めることによって高血圧症が激減して寿命も飛躍的に伸びたとされている。
 このことは事実だろう。しかしその解釈には異存がある。通説では塩分を減らしたことが奏功したとされているが、全く違った解釈が可能だろう。塩辛いおかずを減らせば人には2つの選択肢がある。ご飯の量を減らすかおかずの種類を増やすかだ。どちらを選んでも良かろうが、特に後者は確実に有益だ。塩分摂取量を減らしたから成功したのではなく、それまでの単に栄養バランスが悪いだけではなく明らかに栄養価の低い食事から脱皮して食材を豊富にしたからこそ顕著な効果が現れたのではないだろうか。塩分を減らしたことではなく、豊富な食材こそ重要な要因だろう。
 世界一塩分摂取量が多いと言われる日本人が世界一長寿なのだから、塩分有害説を見直しても良かろう。確かに塩分を短時間に大量に摂取すれば健康を損なうがこれは根拠としては余りにも薄弱だ。水でさえ過剰に摂取すれば水中毒を起こす。特殊な体質の人以外は塩分を目の敵にする必要などあるまい。

炭水化物

2015-12-29 10:33:36 | Weblog
 野生動物に虫歯は無い。虫歯を患うのは人間と家畜とペットだけだ。炭水化物を常食するからだ。虫歯などの歯周病は動物の進化の枠外にある。農耕を始めて以降の人類に特有の奇病だからだ。だからこそ歯には自然治癒力が備わっておらず歯科医による治療が欠かせない。
 虫歯の原因は炭水化物で日本での主役は米だ。しかしこんな指摘は揉み消される。日本人には白米信仰があり白米を冒涜することは許されない。今年、和食がユネスコの世界無形文化遺産に登録されたこともあり、米食を否定すれば非国民扱いされかねない。
 しかし彼らは和食がなぜ認められたかを知ろうとしない。和食が評価されたのは新鮮な素材の多様さであり、決して米を主食とする食事が評価された訳ではない。
 かつて陸軍の軍医だった森鴎外は白米偏重の食事に拘ることによって多くの兵士を脚気に罹らせた。鴎外ほどの博覧強記の人でも盲信するほどに日本人の白米信仰は根深い。
 米の否定は日本人にとっては最大級のタブーだ。これが殆んど無意識のレベルにまで浸透しているところが恐ろしく、知らない内に情報操作をしているような事例もある。炭水化物60%、蛋白質20%、脂質20%が栄養バランスの取れた食事として推奨されているが、これは明らかに炭水化物過剰だ。実はここで言う炭水化物には食物繊維(セルロース)が含まれている!
 通常、炭水化物とは糖質と澱粉質を指す。ところが化学においては食物繊維も炭水化物に含まれる。つまり人間が殆んど消化できない食物繊維を炭水化物に含めて摂取を奨励している。なぜ医者でさえ誤解をするような妙な表記を選ぶのだろうか。これは誤解されることを狙った玉虫色の表記だろう。無知な大衆には安価な穀物を腹一杯食べさせ、知識のある人には食物繊維を勧めるという二枚舌なのではないだろうか。もし日本人の多くが糖質制限食を始めれば米・パン・麺類が余って肉・魚などが足りなくなる。こんな事態を避けたいという意図が隠れているようにも思える。悪意など微塵も無く単に米食文化を守りたいだけなのかも知れないが、悪意が無くても捏造が現れるところに白米信仰の恐ろしさを感じる。最も迷惑なのは無邪気な嘘であり間違った信仰はカルト教団と同質だ。無宗教の筈の日本人における最大の邪教は白米信仰なのかも知れない。

犯人

2015-12-29 09:44:37 | Weblog
 犯罪の現場に居合わせた人が容疑者扱いされることはある程度やむを得ない。しかし弁解できる人間でさえ冤罪があるのだから、弁解されない医学や科学の現場では冤罪や濡れ衣が氾濫してオカルトの世界になってしまっている。相関、無関係、取り違えの3種類の間違いがあると思う。
 相関とは結果に過ぎない2つの事象を因果関係と誤解することだ。かつてテレビが普及すれば寿命が伸びると言われたことがあった。テレビの普及率と日本人の寿命のグラフがぴったり重なったからだ。テレビの普及によって国民に正しい知識が広まるなどとまことしやかな説明もあったが、どちらも結果に過ぎない。日本人が豊かになったから健康になりテレビを買う余裕も生まれた。
 エルニーニョ現象が異常気象の原因と説明する人が少なくないがエルニーニョ現象も結果の1つに過ぎない。何らかの原因があって様々な異常気象が起こりその1つがエルニーニョ現象だ。原因ではないのだから仮に無理やりエルニーニョ現象を解消しても気象は正常化しない。もしかしたらエルニーニョ現象がガス抜きの役割を果たしているかも知れないから却って酷い異常気象を招くということもあり得る。
 かつて「スイカの種を食べたら虫垂炎なる」と言われた時代があった。盲腸でスイカの種がしばしば見つかったからだ。しかしこれは無関係だった。
 「卵を食べればコレステロール値が高まって危険」というデタラメが今年ようやく公式に否定された。やはり今年発表された「加工肉は有害」という眉唾物の話より遥かに重要な情報だと思うのだがなぜか余り話題にならなかった。マスコミは危機を煽ることしか考えないようだ。
 取り違えほど酷いことは無い。これは消火のために駆け付けた消防士を放火犯扱いするような愚行だ。破損した血管を修復するコレステロール、病原体と闘うための発熱、有害物を排出するための下痢、関節を治癒するための炎症etc.etc.、例を挙げれば切りがない。正しく働いている自然治癒力の妨害が医療の名の元で行われて対症療法と呼ばれている。これは許し難い犯罪的行為であり、考えているだけで腹が立つ。総ての対症療法を否定する訳ではないが、緊急時以外は極力避けるべきだろう。
 結果があるからには原因があるが、安易にたまたまその場に居合わせた人を犯人と決め付けることなど絶対にしてはならない。冤罪があれば真犯人が放置される。

育児休暇

2015-12-27 10:46:50 | Weblog
 出典が分からないために正確な話ではなくて申し訳ないが、中国か朝鮮に非常に優秀な将軍がいた。戦えば連戦連勝で敵国からも恐れられていた。ところがある日、任務を放棄して田舎に帰ってしまった。母が重病を患ったからだ。将軍を失った軍隊は負け続けた。
 正確な話を知っていれば教えてほしいのだが、大体こんな粗筋だ。これは忠と孝について考えさせられる話だ。将軍は忠よりも孝を選んだがそのために多くの兵士が殺され国は危機に瀕した。私はこれを賢明な選択とは考えない。
 こんな話を思い出したのは自民党の宮崎謙介衆院議員が育児休暇を取ると発表したからだ。このことの是非を問うためには議員という仕事をどう位置付けるかが重要だ。もし議員が常在戦場とも言うべき激務であれば寸暇を惜しんで働くべきだろうし、「気楽な稼業」であれば労働者としての権利を行使すべきだろう。
 この件に関して谷垣幹事長の発言が興味深い。「出産や育児の休暇は雇用主と雇用されている人との関係で規定されている。国会議員はそういう身分関係と違う。(朝日新聞12月22日)」私は谷垣幹事長とは逆に「そういう身分関係」だと思う。雇用主は国民であり国民が是非を判定すべきだろう。
 宮崎議員は育児休暇が夫としての義務あるいは権利であると堂々と主張すれば良い。しかし「公僕として粉骨砕身働く」とは言えない。仕事と家庭の両立という崇高な理想を唱えるべきだ。このことに対して判断をするのは雇用主である有権者だ。
 サラリーマン時代「仕事よりも家庭が大事」と公言して憚らない先輩がいた。労務関連の仕事に長く従事していたこともあり、周囲のワーカホリック気味の人々とは多少違った発想をするしその飄々とした仕事ぶりもあって一目置いていた。ところがたまたま一緒に仕事をすることになるや、とんでもない人だと分かった。面倒な仕事は総て他人に押し付けるし徹底的に責任逃れを図る。家庭を大切にする人格者がなぜこんなに卑怯なのかと驚いた。しかし考えてみればこれは当然のことだ。家庭を守るために仕事上では自分を守らねばならない。家庭というegosを守りたいegosistだった。
 終身雇用を前提とするサラリーマンと不定期雇用者である政治家は立場が異なる。終身雇用であれば雇用期間中に様々なライフステージを迎える。結婚・育児・介護といった状況に多くの人が遭遇する。企業側が雇用し続けたい人材であればこそ、企業にとってはデメリットであるこれらのライフステージを許容する。要らない人であればこの際、切り捨てたいということが本音だろう。
 育児休暇の是非を決めるのは我々ではない。京都3区の有権者だ。家庭と仕事の両立を図る立派な人と考えるなら当選させれば良いし、片手間仕事の無責任な政治家と考えるなら落選させれば済むことだ。これは実際の仕事ぶりを知っている選挙区の有権者が判断することであって、仕事ぶりを知らない余所者がとやかく言うべきことではなかろう。政治家の育児休暇の問題は一般論にはせず、個々に判断すべきでありそれを決めるのは雇用主である有権者だ。

歯原病

2015-12-27 09:52:24 | Weblog
 虫歯は文明病だ。不自然な生活をしているからあらゆる動物の中で人類だけが虫歯を患う。サメは歯の再生力(自然治癒力)を持っているから歯を傷めても何度でも生え替わる。しかし哺乳類の歯には自然治癒力が備わっていない。虫歯にならないのだからそんな能力など必要なかった。
 人類だけが虫歯になるのは、動物の進化を無視して不自然な食物を常食しているからだ。野生動物の食物は植物と動物であり所謂「炭水化物」(食物繊維は含まない)を食べる動物は鳥か昆虫だけだ。どちらも歯を持っていない。人類は歯がありながら炭水化物を食べるから虫歯になる。
 子供の頃「甘い物を食べると虫歯になる」と教えられたと思うがこれは正確ではない。「炭水化物を食べると虫歯になる」が正しい。虫歯の原因になるのは炭水化物だ。このことは考古学によっても裏付けられている。農耕以前の人類には虫歯が無かったとのことだ。農耕によって米や麦などの穀物に頼るようになってから虫歯という奇病に人類が悩まされることになった。
 実は人類以外に虫歯を患う動物がいる。それは家畜とペットだ。本来であれば摂食しない筈の炭水化物を人類と同じように大量に摂取するから人類特有の奇病を彼らも患うことになってしまった。
 口腔内には約100億個の細菌が棲んでおり、大半の病気は経口感染する。動物の体はこれらの侵入を防ぐために胃と腸に防疫機能を備えている。ところが口腔内に傷口があれば防疫システムが備わった消化器を経由せず直接体内に病原体が入ってしまう。動物の進化においては手つかずのままだった新たな感染経路が虫歯などの歯周病によって作られてしまった。本来起こる筈の無いことが起こったのだから人体はこれに殆んど抵抗できない。農耕を始めて以降の人類だけが持つ歯周病の傷口から侵入する病原体に対抗できるシステムなどどの動物にも備わっていない。口腔から直接病原体が侵入するような異常事態は数億年に亘る進化史の中で初めて起こったことであり、それに対応できる防疫体制を作るような進化などこれまで一度も無かった。だからこそ人類だけが生活習慣病などの奇病を患うことになる。これを「歯原病」と呼んで差支え無かろう。原因不明のまま対症療法に終始している生活習慣病の多くは歯原病だろう。生活習慣病が不治の病となっているのは、医学と歯学が分断されているからではないだろうか。
 私は肥満の原因は炭水化物だと考えている。汎用性のある蛋白質や脂質とは違って炭水化物はエネルギー源にしかならない。しかも安価であるために大量摂取され勝ちだからエネルギーとして使い切れない分は脂肪として体内に蓄積される。
 虫歯と肥満、そして歯原病の原因となる炭水化物の摂取量を減らして、蛋白質と脂質と野菜を食生活の中心に据えるべきだと私は考える。ご飯やパンに依存する食事は断じてヘルシーではない。糖質制限は減量のためだけではなく、歯の健康、更には歯原病の防止のためにも有効だろう。

採点

2015-12-25 10:22:41 | Weblog
 新国立競技場はA案に決まった。別にB案を支持したい訳ではないが、これを決める手続きに疑問を感じる。結果は610点対602点だったとのことだがたった一人の意向で覆せるほど小さな差だ。各審査委員の持ち点は140点だったのだから誰かがB案に9点加点あるいはA案から9点減点していれば結果は逆になっていた。
 採点に頼るスポーツの大半は最高点と最低点をカットし、更に個々の審判の採点を公表する。このことによって不正を防いでいる。スポーツ施設の評価をする人々がスポーツにおける採点方法を知らないとは思えない。なぜ最高・最低のカットや7人の審査委員のそれぞれの採点を公表するというスポーツでは当たり前のことを怠るのだろうか。審査委員の個人批判をしたい訳ではないから匿名でも構わない。個々がどんな評価をしたかのほうが項目別の評価よりも重要だろう。歪な評価をして公正な評価を損なった人がいなかったかどうかが検証されるべきだろう。
 昔から体操やフィギュアスケートなどの採点で揉めることは多かった。だからこそ先日の羽生結弦選手の世界最高得点のスコアシートはまるで機械で測定したかのように詳細かつ厳密だった。
 ボクシングも必ずスコアシートが公開され、疑惑の判定を繰り返す審判は追放される。WBCでは更に公開採点制度を採用して4ラウンドごとに途中経過を公表している。
 タイムや距離を競う種目であれば結果は一目瞭然だから余り揉めない。しかし採点においては必ず主観が入り、しかも配点は任意だからしばしば困ったことが起こる。
 5人の面接官が2人を面接して10点法で採点する場合、4人が一方に10点、他方に9点を付けたならこの時点では50対46だ。ところがたった一人が5点対10点と逆に評価すれば合計点は55対56と逆転する。採点を単純に合計すれば極端な採点をする人の意向が反映され易くなる。
 もっと単純に2人の面接官が2人を面接した場合、一方が10対9、もう一方が8対10と評価すれば合計点は18対19になってしまう。単純に合計することはしばしば不公平を生む。決して不正工作が目的ではなくても、自分の意向を通したいと考える人はわざと極端な採点をするものだ。
 スポーツの採点ではこれまでに何度も問題が生じたからこそ様々な工夫が加えられ単純に加算するような原始的な方法は採用されていない。公正な評価をするために工夫に工夫を重ねて築き上げられたスポーツ界独自の優れた仕組みを採り入れようとしないような人々にスポーツ施設の評価を任せて良いものだろうか。

流行

2015-12-25 09:40:16 | Weblog
 周囲の価値観が変わるとすぐにそれに順応する人が少なくない。敗戦後はアメリカ式の民主主義が正しく戦前の日本は悪と決め付けられた。最近は「同性愛は正常」と言わなければならないらしい。では同様にロリコンやスカトロジーも正常と言わなければ性的少数者に対する差別になるのだろうか。こんな、価値観の押し付けにはうんざりする。
 韓国では日帝による植民地支配は絶対悪であり日本による統治について少しでも好意的に評価すれば糾弾される。従軍慰安婦は総て日帝の犠牲になった無垢の少女であり、朝鮮人が仲介したことや売春婦が少なからずいたことなどを認めれば告訴される。
 日本でも韓国でも国民の意思によって言論の自由が破壊されつつある。
 これは「多数決が正しい」という妄想が生んだ社会現象だろう。多数者が正しいのだから少数者は間違っているという無茶苦茶な理屈だ。異端者を許さない宗教裁判のようなものだ。世論こそ絶対であり世論に背く者は糾弾される。
 ミシュランの3つ星は絶対価値でありそれに疑いを挟んではいけないらしい。しかしラーメンやお好み焼きの評価をフランス人に任せて良いとは思えない。日本人が評価すべきことであり、それ以上に自らの評価を重視すべきだろう。
 ファッションであればそれにある程度従わなければ時代遅れと見なされる。それでも時流に流される必要などあるまい。一時期のミニスカートの大ブームは滑稽でさえあった。流行と言うよりもマインドコントロールされた状態に近かった。
 昭和50年代の服は流石に古臭くて着られないが、思想はそうではない。18世紀のカントどころか紀元前のプラトンでさえ全然陳腐化していない。
 多数決によって真理が分かるという迷信は早急に否定されるべきだろう。多数決によって分かるのはあくまで現在の状況であってそれは価値を意味しない。仮にAKB48のほうがサザンオールスターズよりも人気があってもAKBのほうが優れているという意味にはならない。
 比較的自己主張があるのは味覚だろう。甘さ辛さは勿論、香りや食感に対する好みも人それぞれだ。日本人の多くがコリアンダー(パクチー、香菜)を嫌う。これをどう評価すべきかは各自が決めるべきことであって、料理研究家が決めることでも多数決で決めることでもない。思想は味覚以上に根本的なものであり自分が拠って立つ根拠だ。頑固であるべきではないが、時流に流されたり空気を読んでそれに従うべきことでもない。時流に流された人々が多数派となって少数派の口封じをするようであれば言論の自由は失われる。

新聞販売店

2015-12-23 10:36:36 | Weblog
 日本の新聞は宅配によって支えられている。駅やコンビニなどで売られる部数などほんの一部に過ぎない。店頭売りが多いと思えるスポーツ新聞でさえ宅配率が60~80%だ。朝、自宅で新聞が読めるからこそ人々は定期購読をする。ネットの普及によってその有難味は薄れたがこれが便利な仕組みであることに変わりは無い。しかし新聞社別の販売店の存在は全く時代遅れだろう。川上によって川下が支配されるような流通システムは独占禁止法に背くのではないだろうか。
 ある出版社の本しか扱わない書店などあり得ない。どこの出版社の本でも扱ったほうが絶対に有利だからだ。今時メーカーによって扱い品目が制限されているのは新聞販売店ぐらいだろう。
 もしそれぞれの販売店が朝・毎・読・産・日経の5大紙と地元紙を自由に扱えれば宅配の効率が格段に高まる。勿論、淘汰も発生するがそれぞれの販売店の収益性は大きく向上するから、軽減税率のような姑息な手段を使わなくても大幅な値下げさえ可能になる。
 ではなぜそんな合理化が行われないのだろうか。新聞社が妨害をするからだ。既に出来上がっている業界秩序を破壊されたくないからだ。新聞社はテレビ局やラジオ局も押さえているから、そんな合理化があり得ることさえ庶民は気付かない。新聞社が新聞販売の合理化を拒んでいる。その地域では強い地元紙を含めた有力紙が販売店を系列化することによって他紙の拡販を阻止している。この制度が新聞の公正な競争を阻害している。既に販売網が備わっていれば大新聞社でも簡単には参入できない。かつて読売新聞が愛知県で販売網を築こうとした時の中日新聞社の妨害工作は凄まじかった。両社は品質ではなく廉売や景品付き販売によって読者を得ようとする低レベルな競争に終始し漫画のネタにさえなった。先に販売網を押さえた新聞社は他社の参入を徹底的に妨害する。前近代的で不自由な競争だ。大半の道府県で地元紙のシェアが歪に高いのは販売網を支配しているからだろう。
 もし新聞販売が自由化されれば読者は今よりも自由に新聞を選べる。私の住む伊勢のような田舎では産経新聞を読めないがそんな不便も無くなる。沖縄では琉球新報と沖縄タイムスの2紙がほぼ独占しているが、こんなガラパゴス化した新聞は淘汰されて沖縄県民の意識さえ変わるだろう。
 マスメディアの欠陥をマスメディアは批判しない。従って誰も批判しない。批判されない権力は必ず腐敗する。マスメディアが権力者以上に腐敗していることは間違いなかろう。不良品を散々売っておいてその回収も賠償もしないのは新聞社だけだ。何とも気楽な稼業だ。販売店の自由化は腐り切った新聞社の体質を改めさせるための第一歩になるだろう。

多・空くじ

2015-12-23 09:44:47 | Weblog
 昔の日本には頼母子講(たのもしこう)や無尽(むじん)と呼ばれる仕組みがあった。例えば住民10人が毎月1,000円ずつ出し合って順番に誰かが10,000円を得る。これはギャンブルではなく相互扶助だ。お金に困っている人に無利子で貸し付けつつ社会の連帯を図るシステムだ。沖縄には今でも模合(もあい)という制度があり多くの人が参加しているそうだ。
 これを金利で考えればこれがいかに優れた仕組みか分かる。仮に毎月会合をすれば、最初に取得する人は勿論、9番目に取得する人も得をする。9,000円を収めた時点で10,000円を取得できるからだ。たった一時のこととは言え、収めた以上の配当が得られる。しかし10番目だけは流石に何のメリットも無いが、社会貢献と割り切れば良かろう。寄付よりは負担が小さい。
 あるいは後の人ほど受け取り額を多くすることも可能だ。1番目は9,910円、2番目は9,930円とすれば10番目は10,090円受け取れる。救済という意味は薄れるが、訳の分からない金融工学よりもずっと納得できる。
 優れた仕組みがあればそれを活用しようとする人も現れる。不利な「10番目の男」を引き受ける見返りとして寺銭を得るのが胴元の役割だ。仮にそれが1回10円であれば、毎回の配当は9,990円となり、10番目の胴元は10か月目にようやく9,990円を得る。しかし寺銭の累計額が100円あるから90円得することになる。この程度の報酬なら妥当だろう。
 宝くじや富くじはこれとは全然違った仕組みになる。最初からゴッソリ寺銭を抜き、当りも輪番制ではなくランダムにする。つまり誰が得をするのか分からなくすることによって全員が幸運を得られるかのような幻想をバラ撒く。しかし配当率50%未満のギャンブルなどぼったくりバーのようなものだろう。
 宝くじは{買わなきゃ当たらない」と大々的に宣伝して射幸心を煽るが、この理屈は正しいのだろうか。論理的には間違ってはいないが詭弁に近い。同じような発想をする国家元首がいた。北朝鮮の金正日総書記だ。彼は「飛行機に乗らなければ航空機事故に遭わない」と考えて、モスクワまで24日掛けて列車で移動した。たとえ論理的には間違っていなくても行動としては気違いじみている。これは「飛行機に乗れば航空機事故に遭う」と誤謬推理をしたからだろう。同様に宝くじのCМに乗せられて宝くじを買う人の多くは「買えば当たる」と信じている。これは彼らの知的レベルの低さの現れだ。愚かな人を騙すことほど簡単な金儲けは無いが、それは詐欺師の手口であり国がやるべきことではなかろう。