俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

女性の肌

2010-07-30 14:44:31 | Weblog
 痴漢を擁護するつもりは全く無いが、若い女性の肌に触ることは気持ちが良い。滑らかで柔らかく適度な弾力性がある。男の毛むくじゃらでゴツゴツした硬い肌とは全然違う。なぜ女性の肌はこういう方向に進化したのだろうか。2つの理由が考えられる。
 最初に考えられるのは「男に好かれるため」だろう。異性に好かれる身体的特長を持つことは種族内淘汰において有利となる。逆に、そういう特長を持たなければ容赦なく淘汰されてしまう。それは美貌と同じ効果を持つ。
 もう1つ考えられるのは「触られることが気持ち良い」からだ。触られることが快適だからこそ他人が触りたくなるような肌へと進化した。花が虫を集めるために蜜を備えるようなものだ。もし触られることが不快なら、他人が触りたくなるような肌を持つことは本人の利益に背くので触った人が不快と感じるような肌へと進化していただろう。
 あくまで俗説だが、女性のほうが性感度は優れていると言われている。男の性感が性器などに限られているのに対して女性は全身が性感帯だとも言われている。多分、全身ではなく「全肌」と考えるべきだろう。
 マッサージも女性のほうが好きだ。男は局部のマッサージが好きだが、女性は全身のマッサージでうっとりとする。女性の甘い食べ物とマッサージに対する愛好ぶりは、男にとって最も理解し難いものだろう。

世襲の公務員

2010-07-30 14:27:59 | Weblog
 意外と知られていない話だが、郵便局の80%が特定郵便局だ。特定郵便局の局長は世襲されている。
 日本郵政グループは一応民間企業の形を取っているが実際には国有企業であり、日本新党主導の郵政改革が実施されれば完全に国営事業に戻る。
 特定郵便局という制度は郵便事業の創業時に生まれた。前島密が国営の郵便事業を始めようとした時、鎌倉時代から続いてていた民間事業の飛脚と競わねばならなかった。資産が充分とは言えない明治政府は各地の有力者と手を組んで特定郵便局を設けて郵便局網を築いた。今で言えばボランタリーチェーンのような仕組みだ。
 こうして国は郵便事業を独占し、様々な法律を定めて郵便局を保護して民間企業が参入できないようにした。特定郵便局長という地位のメリットはかなり大きいようで特定郵便局が閉鎖されたという例は殆ど無い。
 この仕組みが明治以来、現在も続いており訳の分からない「世襲の公務員」となっている。亀井静香氏の支持団体である全国郵便局長会(略称:全特)とはこの特定郵便局長による全国組織だ。正式名称と略称が連動しない組織は極めて異例だ。タテマエとホンネのギャップがこの名称にも表れているのだろう。
 郵政民営化の狙いの1つとして特定郵便局制度の見直しがあった筈だが、どういう訳かマスコミは口をつぐんでいる。

なりたい自分

2010-07-30 14:10:50 | Weblog
 「こんな人になりたい」と考える時、それは誰の願望に基づいているのだろうか?「馬鹿なことを言うな」と言われそうだ。「自分がなりたいと思う人」に決まっていると多くの人は考えるだろう。しかし本当にそうだろうか。
 人は周囲の意向に沿って考え行動する。親、友人、学校、社会、マスコミなどが共通して良いと考えることをほぼ無条件に良いものとして受け入れてしまう。昭和の初期の日本人が軍人に憧れて悲惨な目に会ったことを忘れてはならない。人、特に日本人の自我は周囲の期待と自分の願望とを混同してしまうほどに曖昧なものだ。
 芸能人、スポーツ選手、芸術家などになりたいと思う人は本当に自分の願望に基づいているのだろうか。社会的地位が高いから、つまり周囲から一目置かれるという理由からではないだろうか。自分の願望が満たされるからではなく、周囲の人が憧れているからという理由だけでその仕事に憧れているのではないだろうか。
 これでは株の投資のようなものだ。株が値上がりするのは企業の業績が良い時とは限らない。値上がりしそうだと多くの人が期待した時に株価は上がる。
 美人コンテストでも同じようなことが起こる。美しいと思う人にではなく多くの人に美女と評価されるだろうと思われた人に票が集まる。
 この社会において自分で決められることは意外なほど少ない。自分で選べる数少ないチャンスの筈の自分の将来を、株や美人コンテストのような基準で決めるべきではない。周囲の意向に迎合するのではなく自分の本当の願望を見つけるべきだ。そうしないとかっこいい仕事を選んだつもりでいたら過酷な労働を強いられてすぐに転職するということにもなりかねない。

裸のデブ

2010-07-27 14:47:32 | Weblog
 プールサイドにいて奇妙なことに気が付いた。妙にデブが多い。
 構成比ではスイマーらしい均整の取れた体の人が最も多い。次に多いのは余り運動をしていない普通の体型の崩れた人。次がデブ。やせ型の人は殆ど見掛けない。たまに見るやせ型は大抵が老人だ。
 多分デブは世間の評価ほどには自分の体を醜いとは思っていないのだろう。デブは力も強い。相撲は極端な例だが、身長が同じならデブのほうがパワーがある。
 しかしデブには2つの弱点がある。1つ目は皮下脂肪が厚いから暑さに弱いということだ。彼らの分厚い皮下脂肪は脱げないコートのようなものだ。夏にコートを着ていればさぞかし暑いことだろう。
 2つ目は足や腰に負担が掛かることだ。足や腰の強度はデブの体重を支えるためには充分ではない。
 それだけにデブにとって水中は快適だろう。水中ではデブの弱点が2つとも克服できる。だからデブはプールに集まる。
 どういう訳かデブはデブ同士で連れ立って来ることが多い。デブが並んで甲羅干しをしている姿はトドかゾウアザラシの群れのようで「ダーウィンが来た」か「野生の王国」を見ているような気分になってしまう。

ゴミエネルギー

2010-07-27 14:31:00 | Weblog
 7月24日付けの朝日新聞にリサイクル教徒の朝日新聞らしからぬ記事があった。「プラスチックごみは、もっと燃やせ」という見出しだった。中央環境審議会の廃棄物・リサイクル部会長の田中勝氏へのインタビューで要旨は「プラスチックごみは燃料、エネルギーとして利用せよ」とのことだった。
 私はこの意見に全面的に賛成する。少し古い私の記事だが2008年1月22日付けの「地球に優しい容器」で「紙容器はリサイクルするよりも燃料にしたほうが良い。ペットボトルも燃料にしたほうが合理的ではないだろうか」と書いたが専門家にお墨付きを貰えたと思っている。
 プラスチックは千差万別だ。これをきちんと分類することは事実上不可能だ。むしろこれをエネルギー源として利用すれば、一度商品として使用してゴミになったものを再利用するのだから、石油を直接燃料として使う火力発電と比べたら桁外れにエコロジカルだ。
 田中氏はプラスチックを燃やして発電すべきだと主張しているが、私は発電よりもその熱を直接利用すべきだと考える。電気に変えることはエネルギーロスを生むからだ。
 むしろ温水プールや温室や工場のようなエネルギー消費型施設を焼却施設に併設したほうが高効率だろう。使い切れない分だけを電気に変換すれば良い。
 原子力発電所のような危険極まりない施設に年間4,500億円も使うのと比べたら温水プールや温室や工場の設置費用など微々たるものだろう。しかもこれらの施設なら収入を生む。

ネズミ講

2010-07-27 14:12:13 | Weblog
 日本の財政はネズミ講に頼っている。だから人口が減ると困るので少子高齢化を大問題だと騒ぎ立てる。
 ネズミ講は子会員・孫会員・曾孫会員さえ増えれば親会員も子会員も孫会員も儲かる仕組みだ。会員が増え続ける限りシステムは破綻しない。逆に、会員が増えなければ必然的に破綻する。国は国民にネズミ講を禁じておきながら自らはネズミ講に頼っている。
 国債は借金を次世代にツケ回しをするシステムだ。投票権のある現世代に媚びて大盤振る舞いをしてその借金の返済は次世代に押し付ける。次世代は前世代のツケを払いたがらないからツケは次々世代に回される。次々世代も・・・・。こうして国債(借金)は膨らみ続ける。
 また年金は本来、本人が積み立てた資金を企業や公的機関が運用して老後に備えるシステムだ。ところが日本の年金はどういう訳か次世代が前世代を支える仕組みになっている。次世代の人数が減れば年金システムは破綻する。これもネズミ講だ。
 こんな馬鹿な仕組みが存在するのは政治家がポピュリズム(人気取り政策)を選んだからだ。現在の有権者だけを見て票にならない将来の国民を無視したからだ。これは民主主義の大欠陥だろう。大衆にパンとサーカスを提供していればその政権が支持されるということはローマ時代から変わっていない。勿論そんな政治家を選んだ国民は阿呆だ。しかし今更文句を言っても仕方がない。できるだけ早くネズミ講依存財政から脱却せねばならない。
 政権が変わればこんなネズミ講依存財政は改まるかと思ったがもっと酷くなった。これは官僚の体質なのかも知れない。

口蹄疫(2)

2010-07-23 14:48:21 | Weblog
 宮崎県の東国原知事は15日に突然それまでの方針を変え、種牛6頭の処分を飼い主に要請した。それまで「国は頭が固い」とか「臨機応変に対応すべきだ」と発言していただけに、知事の変節と誤解されかねない方針転換だ。
 しかし実は、国が移動・搬出制限を盾にしてゴリ押ししたから方針を変えざるを得なかったというのが実情だろう。移動・搬出制限が解除されなければ宮崎県の畜産業は蘇れない。背に腹は代えられず知事は苦渋の決断をしたのだろう。
 種牛6頭を残すべきかどうかは意見が分かれる。どちらの意見にも理がある。しかし「殺さなければ移動・搬出制限を解除しない」と恫喝されたら議論の余地は無くなってしまう。
 この辺の事情をNHKはちゃんと報道していたがどういう訳か朝日新聞大阪版では全く触れられなかった。朝日新聞だけに頼っている人は東国原知事は言うことがコロコロ変わる無節操なタレント知事だと思っただろう。なぜこんな大切な情報を報道しなかったのだろうか。

権利と責任

2010-07-23 14:29:36 | Weblog
 鳥インフルエンザの感染源の1つであるインドネシアがWHO(世界保健機関)へのウィルスの提供を拒んでいるそうだ。ウィルスの提供によって利益を得る先進国に対して見返りを要求しているらしい。全くもって厚かましい話だ。先進国は利益を得ているのではない。パンデミックによる被害を阻止しているのだ。
 新型インフルエンザを発生させることに対して責任を感じないのだろうか。加害者であるという認識を持たないところが恐ろしい。
 中国やインドネシアのように人と鶏が雑居するような環境ではヒトウィルスとトリウィルスの混合を招き易い。インドネシアは新型インフルエンザを発生させることに対して罪悪感を持つべきだ。それをウィルスも資源だと主張するとは盗っ人猛々しい。
 通常の動植物なら所有権を主張しても構わない。しかし病原菌の所有権は認められない。もし所有権を主張するならそれが招いた被害についても責任を負うべきだ。これはメキシコ湾で石油の大量流出事故を起こしたBP社が対策費をアメリカ政府に請求するようなデタラメな要求だ。
 国際問題だからややこしそうに思えるが国内問題に置き換えればこの理不尽さは明白だ。もしある県で伝染病が発生してその県の知事が「病原菌の提供は他県のメリットになるのだから有償であるべきだ」などと主張したらその独善性は大バッシングを食らうだろう。
 インドネシアがこんなスタンスを取るのなら国際社会は連携してインドネシアに圧力を加えるべきだろう。養鶏を規制するとか輸出を禁止するとか、打てる手は色々ある。
 こんな独り善がりの理屈を容認すべきではない。権利を主張する前に責任を全うすべきだ。

個人主義

2010-07-23 14:18:45 | Weblog
 論理的には個人主義は正しい。自分のために生きるのは当然のことだ。
 倫理的には疑問が生じる。人は他人に喜ばれることや誉められることが大好きだ。他人による評価が無いと虚しくなる。
 しかしこれは正しい感情だろうか。子供の頃から利己主義は徹底的に否定され、社会に貢献することが最高善であるかの如く教え込まれたことによる歪んだ感情ではないだろうか。
 一卵性双生児が助け合う姿なら美しい。但しこの2人は本来一人だ。受精卵が何らかの事情で2つに分割されて2人になっただけだ。本来一人である筈の2人が助け合うのと、一人の人が一人のままで自分を助けるのとどこが違うのだろうか。
 個人は確立した自我など持たない。個人とは様々な欲望や意志がぶつかり合う戦場のようなものだ。相矛盾する感情を統合して1つの行為を選ぶプロセスは双生児が協力し合うのと何ら変わらない。
 他人に役立つことが嬉しいのと同じように自分に役立つことが嬉しく感じられるように精神構造を変革しても良いのではないだろうか。

血液型(3)

2010-07-20 15:44:50 | Weblog
 サッカーのワールドカップでの日本代表の先発メンバーの血液型を偶然知って驚いた。A型はわずか1人(大久保選手)。最も多いのはO型で5人。次いで何とAB型が3人。B型は2人だった。
 日本での血液型のシェアはA型が4割、O型が3割、B型が2割、AB型が1割と言われている。それだけにこのギャップは偶然とは思えない。
 血液型占いではこう言われている。A型は几帳面だが神経質で病弱。O型は陽気で健康だが鈍感。B型はマイペース主義。AB型は賢いが性格は悪い、と。
 因みに私はAB型だ。どういう訳かB型とは相性が悪い。かなりいい加減な人間なので嫌いな人は100人に1人もいないのだが、その殆どがB型だった。これも偶然とは思えない。
 血液型と性格に因果性は無いと言われている。多彩な人間性をたった4パターンに分類すべきでないと彼らは言う。しかし人類は男と女の2種類にしか分類されていない。DNAは僅か4つの物質の組み合わせだ。血液型という明らかな特性が意味を持たないとは思えない。何らかの相関性はあると思う。