俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

天罰

2016-10-23 10:54:57 | Weblog
 ローカルな話だが愛知県春日井市で救急車が盗まれた。テレビでは責任者らしき人が再発防止策として「今後は必ず施錠をする」と釈明していたが本末転倒だろう。救急車や消防車、あるいは警察用車両などに必須な条件は迅速性だ。必要な場所に一刻も早く到着することが最優先されるべきだ。そのためには車両の鍵を一々保管庫から取り出して解錠をするような無駄な時間から解放される必要がある。緊急時の迅速な対応と比べれば盗難防止など二の次・三の次の問題だ。それでも盗難防止は重要だと強硬に主張し続ける頑固な人には「人命よりも車両を大切にすべきではない」と開き直っても良かろう。これらの車両の到着が一瞬遅れることが命取りになることさえあるだろう。
 共有物を盗んでも余り罪悪感を覚えない困った人が少なからずいる。停止した心臓に電気ショックを与えて再稼働させるいAED、必要な人が自由に補給できるトイレットペーパー、非常時に備えた予備のコードや電線、どこでもすぐに盗まれて補充が追い付かない「善意の傘」、これらは民衆の共有物として扱われるべきであって、知恵や知識と同様一部の人が所有するよりも社会で共有したほうがずっと有意義に使われる。
 軒先販売という手法は外国人には理解し難いらしい。軒下は販売員にとっては死角になるからここに陳列された商品の盗難を防止することは極めて難しい。それは猫の鼻先に魚を置くような愚行であって、一部の心の貧しい人にとっては「盗ってくれ」と誘っているかのように映るらしい。しかし日本ではこんな商品が盗まれることとは滅多に無い。戦前の日本人は現代人よりも貧乏だったが心は豊かだったようだ。軒下販売どころか、外出に際して鍵を掛ける人さえ殆んどいなかったそうだ。
 なぜそんなことが可能だったのか、あるいはどうすれば戦前のような盗難の少ない社会が再現できるかを尋ねても虚しい。現状を踏まえた上で現実的な対応をするしか無かろう。今更古き良き時代に戻ることなど期待できまい。
 共有物の盗難において問題化されるべきなのは被害者の側ではなく加害者の側だろう。盗まれないための対策よりも盗む気を起こさせない方法こそ検討されるべきだ。結局、厳罰化によって遊び気分での窃盗を阻止することが最も現実的かつ合理的な対策だと思う。
 私は共有物を盗むことを私有物を盗むことよりも悪いことだと考えている。私有物を盗んでも被害者は一人であることが多いが共有物の窃盗の被害者は不特定多数でありそれも決して少なくない人が犠牲にされることが多い。そういう認識に基づくなら共有物の窃盗に対する罰を一般の窃盗よりも重くすることは多分多くの人の賛同を得られるだろう。実際にそういう意識が共有されていたからこそ戦前は共有物が大切に扱われていたのだと思う。マスコミは窃盗を許した被害者が悪いとでも言いたいかのような現状での奇妙な姿勢を改めて、共有物を盗むことが如何に卑劣で反社会的な犯罪であるかを広く訴え続けるべきだ。教育などによる抜本的な改善は今すぐに効果が現れないからたっぷりと時間を掛けて取り組んでも良かろう。取り敢えずその第一歩として、共有物の窃盗が如何に邪悪な行為であるかを広く知らしめ、人々の意識が充分に高まるまでは防犯カメラという新たな「神の目」と厳罰という不当に思い「神罰」に頼るということも必要だろう。

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