偏愛気味の映画が2つある。どちらも古い作品で「シベールの日曜日(1962年)」と「あの胸にもういちど(1968年)」だ。
「シベールの日曜日」は日本の評論家にも高く評価された作品だ。とは言え年間ランキングでは「アラビアのロレンス」などに負けて3~5位ぐらいが定位置だった。ところが、残念ながら出展が見つからないが、「過去30年の名作」では堂々の第一位に輝いた。年間トップではなかった作品が歴代トップになるとは誠に奇妙な現象だ。まるでミス日本で3位だった人が世界大会で優勝するような逆転現象だ。これは相対評価と多数決が招いた矛盾だ。候補作品が広がると票が割れ、その結果として一部の評論家が熱烈に支持する作品が上位に浮上する。私と同様に偏愛する評論家が少なくなかったのだろう。
「あの胸にもういちど」は、主演男優がアラン・ドロンということと甘ったるいタイトルのせいで少なからず誤解された作品だと思っている。眠っている夫の元を抜け出して深夜に大型バイクで恋人の元へと疾走して早朝に事故死するという話なのだが、その後のアメリカン・ニューシネマの「イージー・ライダー(1969年)」や「バニッシング・ポイント(1971年)」などの先駆だったと私は評価している。原作はノーベル賞作家のピエール・ド・マンディアルクの`La Motocyclette'であり、マリアンヌ・フェイスフルが演じたヒロインは「ルパン三世」の峰不二子のモデルになったと言われている。
映画を観た後で原作も読んだが映画のほうが面白かった。こんな例は珍しく、他に1例だけある。黒澤明監督の「赤ひげ(1965年)」だ。心を病んだおとよという少女の余りにも拙い愛情表現に堪らない魅力を感じてすぐに山本周五郎氏の原作「赤ひげ診療譚」を読んだが、おとよは最後まで登場しなかった。狐に摘まれたような気分だったが、それから数年後にようやく謎が解けた。おとよのモデルはドストエフスキーの「虐げられし人々」のヒロインのネルリだった。ドストエフスキーの大ファンの黒澤監督が原作を無視して勝手に挿入した物語だった。
「シベールの日曜日」は日本の評論家にも高く評価された作品だ。とは言え年間ランキングでは「アラビアのロレンス」などに負けて3~5位ぐらいが定位置だった。ところが、残念ながら出展が見つからないが、「過去30年の名作」では堂々の第一位に輝いた。年間トップではなかった作品が歴代トップになるとは誠に奇妙な現象だ。まるでミス日本で3位だった人が世界大会で優勝するような逆転現象だ。これは相対評価と多数決が招いた矛盾だ。候補作品が広がると票が割れ、その結果として一部の評論家が熱烈に支持する作品が上位に浮上する。私と同様に偏愛する評論家が少なくなかったのだろう。
「あの胸にもういちど」は、主演男優がアラン・ドロンということと甘ったるいタイトルのせいで少なからず誤解された作品だと思っている。眠っている夫の元を抜け出して深夜に大型バイクで恋人の元へと疾走して早朝に事故死するという話なのだが、その後のアメリカン・ニューシネマの「イージー・ライダー(1969年)」や「バニッシング・ポイント(1971年)」などの先駆だったと私は評価している。原作はノーベル賞作家のピエール・ド・マンディアルクの`La Motocyclette'であり、マリアンヌ・フェイスフルが演じたヒロインは「ルパン三世」の峰不二子のモデルになったと言われている。
映画を観た後で原作も読んだが映画のほうが面白かった。こんな例は珍しく、他に1例だけある。黒澤明監督の「赤ひげ(1965年)」だ。心を病んだおとよという少女の余りにも拙い愛情表現に堪らない魅力を感じてすぐに山本周五郎氏の原作「赤ひげ診療譚」を読んだが、おとよは最後まで登場しなかった。狐に摘まれたような気分だったが、それから数年後にようやく謎が解けた。おとよのモデルはドストエフスキーの「虐げられし人々」のヒロインのネルリだった。ドストエフスキーの大ファンの黒澤監督が原作を無視して勝手に挿入した物語だった。