俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

偏愛

2015-10-26 10:36:07 | Weblog
 偏愛気味の映画が2つある。どちらも古い作品で「シベールの日曜日(1962年)」と「あの胸にもういちど(1968年)」だ。
 「シベールの日曜日」は日本の評論家にも高く評価された作品だ。とは言え年間ランキングでは「アラビアのロレンス」などに負けて3~5位ぐらいが定位置だった。ところが、残念ながら出展が見つからないが、「過去30年の名作」では堂々の第一位に輝いた。年間トップではなかった作品が歴代トップになるとは誠に奇妙な現象だ。まるでミス日本で3位だった人が世界大会で優勝するような逆転現象だ。これは相対評価と多数決が招いた矛盾だ。候補作品が広がると票が割れ、その結果として一部の評論家が熱烈に支持する作品が上位に浮上する。私と同様に偏愛する評論家が少なくなかったのだろう。
 「あの胸にもういちど」は、主演男優がアラン・ドロンということと甘ったるいタイトルのせいで少なからず誤解された作品だと思っている。眠っている夫の元を抜け出して深夜に大型バイクで恋人の元へと疾走して早朝に事故死するという話なのだが、その後のアメリカン・ニューシネマの「イージー・ライダー(1969年)」や「バニッシング・ポイント(1971年)」などの先駆だったと私は評価している。原作はノーベル賞作家のピエール・ド・マンディアルクの`La Motocyclette'であり、マリアンヌ・フェイスフルが演じたヒロインは「ルパン三世」の峰不二子のモデルになったと言われている。
 映画を観た後で原作も読んだが映画のほうが面白かった。こんな例は珍しく、他に1例だけある。黒澤明監督の「赤ひげ(1965年)」だ。心を病んだおとよという少女の余りにも拙い愛情表現に堪らない魅力を感じてすぐに山本周五郎氏の原作「赤ひげ診療譚」を読んだが、おとよは最後まで登場しなかった。狐に摘まれたような気分だったが、それから数年後にようやく謎が解けた。おとよのモデルはドストエフスキーの「虐げられし人々」のヒロインのネルリだった。ドストエフスキーの大ファンの黒澤監督が原作を無視して勝手に挿入した物語だった。

気楽な稼業

2015-10-26 09:53:32 | Weblog
 野党とマスコミには意外な共通点がある。それは「気楽な稼業」であることだ。どちらも正義の味方気取りで理想論を唱えていれば役割を果たせる。責任は問われない。
 野党であれば減税と年金の増額と公共施設の無料化などを公約できる。勿論こんなことは不可能だ。何らかの増収策が必要だ。安易な増収策は、未来の人々や外国人からの搾取だが、これは既に自民党政権が実施している。だから民主党は政権を奪うために埋蔵金という幻想をバラ撒いた。しかし実際にはそんなものでは賄えなかった。だから急遽、公約違反の消費増税を主張した。
 与党の仕事は大変だ。政策を実現せねばならない。できもしない薔薇色の未来を約束してしまえば辻褄合わせに翻弄させられる。好き勝手なことを放言していれば済んだ野党とは立場が違う。民主党の最大の不幸は与党になってしまったことだ。野党のままでいればそれなりに支持層を固めることができていただろう。
 マスコミの立場も野党に似ている。だからマスコミと野党は相性が良い。民族対立があれば話し合いで解決せよと言い、児童虐待があれば貧困が原因だと宣う。こんな姿勢には腹が立つ。児童虐待よりも貧困の解消のほうがずっと難しい。もし与党の政治家がこんなことを言えば貧困対策が求められるがマスコミは知らんぷりを決め込む。貧困対策は政治の問題でありマスコミの仕事ではないと平気で言う。何もする気が無いなら偉そうに言うなと思う。
 朝日新聞で旭化成建材を非難する記事を読む度に不愉快な気分になる。旭化成建材の偽装は今のところ一個人によるものだ。それに対して朝日新聞が行った捏造は組織的かつ会社ぐるみでの虚偽報道だ。どちらの罪のほうが重いだろうか。これでは強盗殺人犯がコソ泥を非難しているようなものだ。
 建造物の偽装は人命に関わるから重大だと考える人もいるだろう。しかし情報の捏造が招いた殺人事件がある。先日韓国で、日本統治時代について肯定的な発言をした老人が殴り殺されるという事件があった。韓国の対日感情を悪化させたのは朝日新聞だ。日本の暗黒史を嬉々として報道する朝日新聞は韓国では「日本人の良心」と評価されているらしい。そんな朝日新聞とは違った主張をする日本国政府は嘘つきであり、日本による植民地支配について少しでも肯定的な発言をすれば民族の裏切り者とされる。そんな背景があるからこそこの撲殺事件が起こった。
 朝日新聞の罪は原発事故に似ている。福島第一原発の事故で死んだ人は今のところいない。しかしそのために生活を破壊されて亡くなった人は大勢いるし、少なからぬ国民の健康に悪影響を及ぼしているだろう。朝日新聞の捏造記事は日中韓の国民感情を歪めた。これは金銭では償えない大罪だ。
 あれほど悪質な捏造を行っても朝日新聞社は潰れない。何と気楽な稼業だろうか。出版不況と言われて久しいが、廃業が続出する訳ではないのは、どんなに酷い誤報をしても責任を問われない気楽な稼業だからではないだろうか。通常、自由には責任が伴うが、野党とマスコミには自由と無責任という特権が与えられている。しかし言論の自由には本当に免責ということまで含まれているのだろうか?我々は騙されているのではないだろうか?