俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

蓄積

2015-06-30 10:17:02 | Weblog
 日本人の遺体は腐りにくいそうだ。2つの原因が考えられる。1つは日本人が欧米人よりもスリムであることだ。ミイラのように痩せている人であれば多分、腐りにくいだろう。もう1つは食品添加物の影響だ。合成保存料を含む食品を頻繁に食べていれば幾らかが蓄積されて腐りにくくなっても不思議ではない。
 私は食品添加物の危険性を騒ぎ立てたい訳ではない。食べた物が分解も排泄もされずにしばしば蓄積されるということを指摘したい。砒素であれ有機水銀であれカドミウムであれ、日常的な食品にも微量含まれている。これらは少量であれば毒性を発揮せず許容限度を越えて初めて発病する。許容量は人によって異なるから水俣病やイタイイタイ病の患者は許容限度が低かった人か摂取量が多かった人だろう。
 化学物質に限らず何であれ大量に摂取すれば有害になる。アルコールや塩は勿論のこと、水でさえ飲みすぎれば水中毒を起こす。白菜ばかり食べて奇病に罹った人がいるそうだが、これが白菜中毒なのか栄養失調によるものなのかはよく分からない。
 危険分散ということを考えれば地産地消は良いこととは思えない。カドミウムが多い土地も放射線量が高い土地もある。同じ土地の食べ物に偏れば特定の毒物が蓄積される可能性が高まる。水俣病の患者は地元の魚介類に偏った食生活をしていたのではないだろうか。
 人類は食物によってしか栄養を補給できない。体内で合成できない栄養素は食物として摂取する必要がある。必須脂肪酸や必須アミノ酸、あるいはビタミンやミネラルなどは様々な食品から摂るのが一番安全だろう。足りない栄養素ほど吸収率が高くなると思われるから、神経質になり過ぎずに様々な地域の様々な食材をバランス良く食べることが食の安全に繋がるだろう。偏りが危険という意味ではサプリメントも安全とは思えない。特定の栄養素を吸収しにくい特殊な体質の人であればやむを得ないが、それ以外の人であれば過剰摂取の弊害があり得る。
 食品添加物を目の敵にしても仕方がない。むしる薬に注意すべきだ。薬は許容限度に近い量が処方されるから蓄積されればほぼ確実に毒物になる。

キリギリシャ(2)

2015-06-30 09:44:56 | Weblog
 29日の朝、ユーロが前週末の138円台から一気に133円台まで暴落した。これを受けて日経平均株価も一時は前週末比で600円以上、下落した。これはギリシャのデフォルト(債務不履行)が懸念されたからだ。EU各国が態度を硬化したのは、ギリシャがEU提案の財政再建策の是非を問う国民投票を来月5日に実施すると突然言い出したからだ。
 これは時間稼ぎでもあり狡い政策だ。チプラス政権は年金を削らないことを公約にして政権を奪ったのだから、再建策を受け入れれば公約違反になるし、受け入れなければ財政が破綻する。どちらも選択できないから国民に責任を押し付けた。どちらに転んでも「民意に従う」と言い訳できる。
 古い話を思い出した。平成12年に百貨店の「そごう」が倒産した。そごうは膨大な借金を抱えており潰してしまえば銀行には不良債権が残る。銀行側では一部の債権を放棄してでも存続を図ろうと考えていたが、当時自民党の政調会長だった亀井静香氏の意向により民事再生法を申請したと言われている。
 こんな話を思い出したのは債務者の開き直りという共通点があるからだ。当時のそごうの水島会長は銀行出身であり、「大き過ぎて潰せない」という銀行側の思惑を熟知していたから債権放棄を迫っていた。開き直った債務者は強い。もし亀井氏が横槍を入れなかったら今もそごうはそのまま存続していたのではないだろうか。
 ギリシャのチプラス首相は、EU離脱という前例を作りたくないという各国の思惑に付け込んで放漫財政を続けていた。お人好しのアリさんたちでさえ流石に堪忍袋の緒が切れた。これ以上ギリシャに譲歩し続けていれば国民の反発を招くからだ。窮地に追い込まれたチプラス首相は責任を放棄して国民投票に逃げ込んだ。国民が再建策に同意をすれば「民意」に基づいて堂々と年金削減に着手できる。
 現役時代の96%と言われる年金など維持できる訳が無い。既得権益を見直さなければ財政再建は不可能だ。日本航空やGM(ゼネラルモーターズ)が経営破綻したのは手厚過ぎる年金が原因だったと言われている。薔薇色の未来を約束しても実現できなければ空手形に終わる。かつてルーピー鳩山氏は「最低でも県外」と放言して禍根を残したが、日本の福祉制度も手厚過ぎればギリシャや日航やGMのように破綻しかねない。福祉を「パンとサーカス」のようなポピュリズムの道具にさせてはならない。日本にとって最も危険なのは、現在の既得権益を守るために未来を犠牲にしても構わないと考える「シルバー民主主義」だろう。

腫瘍

2015-06-28 10:25:24 | Weblog
 癌と良性腫瘍の間にはグレーゾーンがある。専門医の間でも評価は一致せず、癌として切除した細胞が本当に癌だったかどうかでさえ意見が分かれると言う。 
 内臓で起こっていることは素人にはさっぱりわからないが皮膚で起こっていることならある程度分かる。歳を取るにつれて皮膚には奇形が増える。シミや瘤やイボなどが現れる。これらは細胞が複製に失敗したから生まれる。白髪も複製し損なった細胞だろう。私の場合、妙な癖毛は大半が白髪だ。色素を失っただけではなく形態まで変質している。体内でも徐々に奇形が増えているだろう。コピーミスの極端なものが癌であり、本来の機能から外れて増殖し続ける。
 内臓に腫瘍が見つかると癌の早期発見として早期治療が勧められる。しかしこれは本当に「癌の芽」なのだろうか。ただの良性腫瘍である可能性はかなり高い。良性腫瘍を幾ら切り取っても癌患者は減らない。私の皮膚の瘤やイボを幾ら切り取っても皮膚癌治療に役立たないのと同じことだ。あるいは白髪を幾ら抜いても黒髪は増えない。白髪が減ったことで黒髪のシェアが高まるだけだ。幾ら白髪を抜いても黒髪が増えないように癌でない細胞を幾ら退治しても癌の防止には繋がらない。
 やや血圧が高いだけであれば高血圧症とは言えない。それどころか高齢者では基準値よりも少し高いほうが長寿であることは多く実証されている。健康な人まで病人に仕立て上げる現代医療は誤っている。
 早期発見・早期治療が有効であるのはその治療法が正しい場合だけだ。もし癌の正しい治療法が無いのなら早期発見をしても何の意味も無い。早期治療で成功したとされる手術の大半が実は良性腫瘍を切り取っただけであり、放置したほうが手術による損傷が無いから安全だろう。
 海外では子供に対して精神病薬を処方することは殆んど無いそうだ。もし精神病に対しても早期治療が有効なら子供の内に治療したほうが良かろう。しかし子供の場合却って悪化することが多いから薬物療法は極力避けられているらしい。成長過程にある子供の脳に酒や煙草が有害であるように精神病薬が脳の発達を阻害するということだろう。日本の精神科医だけが子供にまで安易に処方して医原病患者を大量生産しているのだろう。精神科医によって狂わされた子供が犯罪者になった事例は決して少なくなかろう。

ルール

2015-06-28 09:46:17 | Weblog
 ルールは守るべきものだろうか?私は決してルール違反を奨励したい訳ではない。特に日本人スポーツ選手のフェアプレイは世界に誇れるものだと思っている。しかしルールは与えられるものではなく自ら定めるべきものではないだろうか。
 日本人にとってルールは常に上から与えられたものだった。17条の憲法は聖徳太子が定めたし、御成敗式目であれ武家諸法度であれ大日本帝国憲法であれ権力者が勝手に定めたルールだ。日本国憲法に至ってはマッカーサー憲法とまで呼ばれている。なぜ日本人はルールに従順なのだろうか?
 日本人にはruleとlawの混同がある。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教などの一神教にとってlawはモーゼの十戒のように神が決めたものだ。だからそれに背くことも批判することも許されない。
 日本人は、lawが法律という意味以外に法則という意味を持つ理由を理解していない。これは神が人間に課したlawが法律であり自然に課したlawが法則だという意味だ。万有引力の法則に背けないようにlawに逆らうことはできない。
 当たり前のことだがruleはlawではない。ruleは人間が定めた約束事だ。秩序を保つための社会契約に過ぎない。だから状況が変われば当事者同士で協議をして変更すれば良い。ruleは人間間での規則だから国王が定めたruleを否定して市民が定めたruleに改めるという革命もあり得る。日本人はruleとlawを区別しないからスピード違反と殺人が同列で論じられる。
 日本文化は少なからず中国から影響を受けている。法に関しては儒家と法家の影響が濃厚だ。儒教の影響があるから「祖法」を重んじる。祖法を守ることが前提にされるから「令外の官」のような妙な職制になる。法家の思想とは、法による支配そのものだ。法とは権力者が一方的に定めるものであり庶民は問答無用で服従させられる。市民革命を知らない日本人はruleとlawの違いが分からない。だからruleに過ぎない日本国憲法を不磨の大典と位置付けてしまう。
 モーゼの十戒はlawだから否定することは難しいがruleに過ぎない日本国憲法の「てにをは」を改めても神罰に触れることは無い。一字一句変えさせまいとする人はこれを神授憲法と勘違いしているのではないだろうか。
 神から与えられたlawならともかくruleは人が定めたものなのだから訓詁学に堕して空理空論を弄ぶべきではない。どうあるべきかを議論してそれをruleとして明確化することが立法府の仕事だ。訓詁に終始するなら政治家は要らない。解釈は司法と学者の仕事だ。

病の哲学

2015-06-26 10:27:27 | Weblog
 哲学は生全体を問う。生とは老・病・死を伴う。それにも拘わらず哲学は余りにも病に無関心だった。
 最も身近な病は風邪と怪我だろう。実は人間はこれらにさえ正しく対処できていない。この事実だけでも人間がいかに愚かなのかが分かる。
 風邪症候群を起こすウィルスは200種類以上確認されている。原因が多数でありながら症状がワンパターンである理由が問われねばならない。症状と考えられていたことは自然治癒力の発動と捕え直されるべきだろう。体温の上昇によってウィルスの活動は抑えられ免疫力は活性化される。解熱剤のような有害物が治療薬と詐称している現状は許し難い。
 自然治癒力は不快感を伴う。「良薬は口に苦し」と言うが、体を不快にすることによって安静を促している。その不快感だけを取り除くことは安静の妨害になる。痛み止めを打って連投する投手と同じ悲劇に見舞われる。
 怪我をすれば痛む。痛むからこそ極力そこを動かさないから治癒が促進される。痛みを取り除くことは治療ではない。いつからか分からないが、傷を消毒しないことが正しい治療法とされた。それまで長い間、傷を消毒するという誤った治療法によって却って傷を悪化させていたということだ。
 根本的な誤りは不快感を病気そのものと勘違いすることだ。熱や下痢や腫れや痛みなどは、自然治癒力の発動であり安静を促すための警鐘でもあるだろう。自然治癒力を症状と誤解するから敵ではなく味方を攻撃している。
 痛みや苦しみを取り除くことは治療ではない。投手の肩や肘の痛みを鎮痛剤で抑えることは治療ではない。胃痛を抑える薬は治療薬ではなく不快感を感じにくくしているだけだ。
 苦痛の軽減によって命を失うことさえある。睡眠薬、抗精神病薬、鎮痛剤などは特に危険であり、市販の総合感冒薬の副作用で死んだ人も少なくない。不快の除去のために命を懸けるべきではなかろう。抗癌剤に至っては殆んど毒物に等しくロシアンルーレットに賭けるようなものだ。
 尿管結石という病気がある。腎臓と膀胱を繋ぐ尿管にカルシウムの結晶が詰まる病気なのだが、不思議なことにこれを患うと脇腹が痛む。脇腹を幾ら治療しても痛みは治まらない。このように本当に病んでいる場所と人が感じる不快感が全然異なることは決して珍しくない。心身症やノーシーボ効果による不快感の原因は不快な箇所ではなく精神にその原因がある。これらは対症療法では治療できない。

失敗

2015-06-26 09:42:13 | Weblog
 失敗を恐れる人は少なくない。しかし失敗を恐れる余り、一生を台無しにすることもあり得る。
 新しいスポーツに挑戦して初めから上手くできる人などいない。これは当たり前のことだ。泳いだことのない人がいきなり泳げる訳が無い。イルカでさえ母親から泳ぎ方を教わるらしい。ライオンは母や姉妹などから狩りの仕方を教わっている。誰だって最初は初心者だ。失敗を通じて習得する。
 新しいことをすれば失敗する可能性が高い。だから新しいことへの挑戦は回避され勝ちだ。しかしイルカやライオンの例を考えるなら、失敗を避けるとは生きることを放棄するようなものだ。ニートや引き籠りのように外部と関わらなければ失敗の可能性は減る。しかしこれは草食化どころではなく亀化だろう。亀のように甲羅の中に立て籠もっているだけだ。
 どうせできないのなら、初めからやらないほうが得だ、という考え方もある。私はそれを否定しない。無駄な足掻きなど私もしたくない。しかし100mを10秒で走れと要求されている訳ではない。少しでもマシになり得るならやってみる値打ちはある。
 人類は臆病な動物だ。臆病だからこそ生き延びられたとさえ言える。しかし同時に最も好奇心の強い動物でもある。この矛盾する両面性があるからこそ繁栄できたのではないだろうか。
 成功するよりも失敗したほうが得るものは大きい。成功して得られるものは成功体験だが失敗すれば知恵が得られる。これは議論でも同じことだ。論破しても自己満足しか得られないが論破されれば賢くなれる。勝敗に拘ることは実に愚かなことだ。
 「艱難汝を玉にす」と言う。奇妙な話だがこの出典がよく分からない。英語からの訳文らしいが`Adversity makes a man wise'や`Adversities will make a jewel of you'など複数の候補がネット上で見られる。どれにせよここで言う「玉」は、角が取れて丸くなるという意味ではないのだから「珠」と表記したほうが正しかろう。「宝物」の意味だ。人は失敗を経て成長する。
 但し失敗には2種類あることを見逃すべきではない。積極的な失敗と消極的な失敗だ。雄々しく立ち向かった場合と問題を回避しようとした場合だ。前者であれば人事を尽くした末での失敗でありこれは糧になる。前者は名誉ある敗北であり後者は恥辱にしかならない。
 坂本龍馬は「死ぬ時は、たとえ溝の中でも前向きに倒れて死にたい」と語ったと伝えられている。責任逃れに汲々とする人々とは何と懸け離れた理想だろうか。前例踏襲主義に凝り固まった公務員にこんな気概は無い。
 新しいことをすればスポーツと同様、必ず失敗する。人とは失敗を通して学ぶ動物だ。失敗を恐れて傍観者に徹していれば進歩は無い。いつも同じ店で同じ料理を食べるのではなく、たまには違った店で珍しい料理を食べたほうが食べる喜びは広く深くなるだろう。

時間給

2015-06-24 10:11:22 | Weblog
 〔寓話〕2人の男がそれぞれ自家用車で旅行をしていた。偶然、同じ箇所が故障して動けなくなりレッカー車で修理屋に運ばれた。一方は有能な修理屋だったので1時間で修理を終え旅行を続けた。もう一方は悲惨だった。修理屋はどこをどうすれば良いのか分からず完了まで丸一日掛かり、旅行者は予定外の宿泊を強いられた。その上、手間賃も含めてかなり高額の修理代を請求された。
                     *                *
 時間外手当とはこんな不合理なものだと思っている。仕事が遅くて時間が掛かる者に支給される手当だと思う。熟練した者なら短時間で終える仕事を何時間も掛けたほうが報酬が増えるという制度は不合理だ。賃金とは仕事の質と量に対する報酬であるべきだろう。それを時間によって支給することは不合理極まりない。
 「神の手」を持つ天才外科医による1時間の手術とヤブ医者による5時間掛かりの手術とどちらのほうが価値が高いだろうか。時間よりも仕事の質が問われるべきだ。長時間に亘る歯の治療を喜ぶ人はいない。短時間で手際良く治療されることこそ望ましい。
 基本的には現場の担当者以外には時間外手当は不必要だと考えている。具体的には単純作業に従事する人と不特定多数を相手にする店員やスタッフだ。創意工夫をして働く人を時間で評価するのは全く失礼な話だ。創造的な仕事は量ではなく質で評価されるべきだろう。
 日本の労働者の生産性は高いと言われているが、現場では高くオフィスでは低い。だらだら働く人が少なくないからだろう。
 「高度プロフェッショナル制度」が導入されても殆んどの人は「残業代ゼロ」になどならない。年収1,075万円以上の人だけが対象にされるからだ。こんな高収入を得る店員や単純労働者はいない。対象者は中堅以上であり何等かの裁量権を持っているだろう。例外はシステムエンジニアや為替ディーラーなどだが、こんな特殊な例は個々に対応すれば済むことだ。一般論からは外すべきだろう。

服薬

2015-06-24 09:39:52 | Weblog
 自分の無知に気付いた人は勉強をする。様々な本を読みネットなどで情報を検索する。理論武装をしようとする人は偏屈になるだけだが、それ以外の人は多少賢くなるだろう。
 健康に不安を持つ人も勉強する。病気や栄養や運動の効果などについて色々と調べる。ところが病気については誤った知識が蔓延している。啓蒙すべき立場の専門家(医師)が間違った知識をバラ撒いているのだから、下手をすれば勉強することによって却って阿呆になる。
 割と頻繁にニセ医師が摘発される。これはニセ医師でもバレないほど権威に頼ったいい加減な職業だということだろう。実力本位のスポーツ選手や職人あるいは技術者などであれば贋物はすぐに化けの皮が剥がれる。贋物でも通用するのは医師と宗教家ぐらいだろう。
 医療は宗教に似ている。宗教に興味を持つことは悪いことではないが、のめり込むと阿呆になる。私は現代の医療は邪教にそっくりだと思っている。
 学ぶことによって却って阿呆になる人には「なぜ」という視点が欠けているのではないだろうか。批判的な思考を欠いて何かを信じ込むから誤った方向に邁進する。
 薬の信者達はどこで誤ったのだろうか。自分の体の不具合に気付いてそれを改善しようとする姿勢に誤りは無い。誤りは、薬によって治療が可能になるという信仰だ。薬とは体に異常反応を起こさせる劇物であることを理解する必要がある。
 私は、薬は効かないと主張したい訳ではない。薬は症状の緩和にはよく効く、しかし病を治す力は全く持っていない。例外は抗生物質であり、強力な殺菌力を持っている。しかし病原菌だけではなく善玉菌まで一網打尽にしてしまう。
 病が治るのは自然治癒力が働くからであり、たとえ本当によく効く薬であっても、ゆっくりとしか働かない自然治癒力の補佐か時間稼ぎをしているに過ぎない。
 切り傷に対する縫合は有効な治療だ。しかし縫合は、自然治癒力によって接合されるまでの時間稼ぎをしているに過ぎない。接合によって治癒されるまでの一時凌ぎだ。
 体に不安を持つ人は薬に頼りたがる。しかし薬には必ず副作用があり、その副作用を治めるために新たな薬が投与される。こういう副作用の連鎖によって病弱な人はますます病弱になる。軽度の神経症の人は薬によって狂人にされている。

劣人

2015-06-22 10:11:48 | Weblog
 北海道砂川市での一家5人死傷事故は稀に見る不条理な事故だ。無謀運転をした側は全員が助かり、通常の運転をしていた一家4人が死に一人が意識不明の重態とのことだ。これは交通事故ではなく交通犯罪だろう。
 自動車は正面からぶつかると想定して設計されている。つまり前からの衝撃に強い構造になっている。しかし横からの衝撃には殆んど無防備だ。鉄板1枚で守られているだけだ。
 運動する物体は正面や後方と比べて横からの衝撃に弱い。だから50mも跳ね飛ばされた。ラグビーで正面からのタックルよりも横からのタックルのほうが有効なのと同じことだろう。
 私は「悪人」の存在には懐疑的だ。悪とは相対的な概念だからだ。例えば楠木正成は「河内の悪党」と呼ばれていた。これは鎌倉幕府に服従しない土豪だったからだろう。反権力者はしばしば「悪」と位置付けられるから楠木正成のような「正義の悪党」もあり得る。
 昔から「泥棒にも三分の道理」と言われるように、悪とされる行為にも同情の余地があるものだ。私は多くの犯罪の加害者にしばしば同情する。マスコミは「被害者無謬」を原則とするが、多くの犯罪ではどっちもどっちであり、あくどい被害者は決して珍しくない。
 その一方で「劣人」は確実に存在する。彼らは知能も道徳性も協調性も乏しい。彼らの多くは徒党を組んで迷惑行為を繰り返す。仲間内だけでしか通用しない奇妙なルールを設けてそれに背けば集団リンチだ。中学や高校の不良グループがそのまま大人になったような連中であり、昔なら暴走族を経て暴力団員になっていただろう。こんな輩が集団で行動して加害者になる。最近、妙にこんな事件が目立つ。
 この事故の加害者は飲酒運転・スピード違反・信号無視などをしながら反省もせず嘘によって言い逃れようとしている。それが白々しい嘘であって却って立場を悪くするということさえ理解できないほど知能も品性も低い。マスコミを賑わす凶悪犯罪の多くは、悪人ではなく劣人の仕業だ。善悪の判定は難しいが優劣の差は明白だ。認知症患者に自動車を運転させてはならないように、劣人には自動車・バイクや武器の所持を許すべきではなかろう。

怖い

2015-06-22 09:38:37 | Weblog
 人類は弱い。弱い人類は臆病な動物だからこそ繁栄した。もし臆病で注意深くなければ絶滅していただろう。しかし正しく怖がることが必要だ。人類の臆病さに付け込んで一儲けを企む人は決して少なくない。怖いものについて私はマスコミとは随分異なった評価をする。
 残留農薬も食品添加物もBSE(狂牛病)も怖くない。これらによる被害者は、中国製冷凍餃子事件のような人為的混入以外、国内に一人もいないだろう。むしろ豚の生レバーのほうが怖い。私は豚しゃぶでさえ食べようとは思わない。これらよりずっと怖いのが薬だ。薬による被害者は無数にいる。特に精神病薬に至っては、治療された人よりも悪化させられた人のほうが遥かに多いだろう。かつて大騒ぎをしたダイオキシンや環境ホルモン、あるいは正規の料理人が調理したフグなども怖くない。
 癌よりも癌治療のほうが怖い。どれだけ早期発見をしても、本物の癌であればその時点で既に転移しているらしい。だから癌が見つかっても必要最小限の治療しかせずに放置しようと思っている。抗癌剤など使いたくない。むしろモルヒネなどによる苦痛の緩和だけに徹したい。
 私は水道の水を冷やして飲む。海外ではミネラルウォーターしか飲まないが国内では水道水で充分だ。水道水の品質は昔より遥かに高まっておりわざわざミネラルウォーターを購入する必要は無かろう。
 エスカレータで事故があればマスコミは大騒ぎする。逆走など明らかに利用者側に非があってもエスカレータに欠陥があったように報じられる。私はエスカレータで事故に遭った人を一人も知らない。その一方で階段から転落した人なら大勢知っている。階段事故のほうが桁違いに多いだろう。
 自転車は怖い。田舎暮らしだから電車を使えず毎日自転車に乗っているが、今日こそ事故に遭うのではないかといつも怯えている。道路交通法も碌に知らない小学生にこんな危険な乗物を平気で使わせている親の気持ちが理解できない。
 消毒が怖いと知ったのは割と最近のことだ。消毒すれば病原菌だけではなく善玉菌まで殺してしまうし細胞膜を破壊する。一旦更地になってしまえばあとは早い者勝ちになる。運が悪ければ大量の病原菌が繁殖する。
 イラクのフセイン政権は決して良い政府ではなかっただろう。それでも無いよりはマシだった。権力が崩壊したあとに蔓延ったのはIS(イスラミックステート)だ。青大将を追い払ったらマムシが現れたような話だ。私は中国共産党が大嫌いだが、共産党が崩壊したらどんなことになるかと想像すると怖くなる。犬が去ったら豚が来た(狗去豚来)の再現にはなってほしくない。