俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

法の不条理

2011-09-30 15:38:11 | Weblog
 秦は厳し過ぎる法のせいで滅んだとも言われている。法に背けば罪人にされるから、庶民は罪人にされないために法=国家から逃れようとさえしたそうだ。
 例えば人夫を届ける任務を負った人が地震や嵐などの天災のせいで期限までに届けられなければ、秦の原始的な法では有罪とされる。遅れただけで罪人にされるよりは、任務を放棄して山賊にでもなったほうがマシだ。
 あるいは重い年貢を全額納めなければ死刑とされたなら少なくない人が第三の選択肢である逃亡を選ぶだろう。
 こんな不条理な法の元では国に服従して罪人にされるよりも国に逆らう無頼漢になることを選ぶ人は少なくなかろう。
 法は秩序を目指すものだ。しかし不条理な法は秩序を破壊する。アメリカの禁酒法が招いたのはマフィアの大繁栄だった。酒を禁じられた国民はマフィアによる密造・密売酒に群がった。結局こんな馬鹿げた法律は13年後には廃止された。
 日本にもかつて生類憐みの令という悪法があった。現代にもダイオキシン類対策特別措置法という愚法がある。これは家庭でのゴミの焼却を禁じる悪法だ。家庭で燃やせば済むゴミをわざわざ自治体が回収するというエネルギーの無駄遣いだ。ゴミの処分の自由を奪っているから震災のゴミが放置されて復興の妨げにさえなっている。

ツケ

2011-09-30 15:23:42 | Weblog
 ツケを後の世代に回すべきではないが、震災からの復興のためでありかつ後の世代のために役立つ投資ならツケ回しも必要だろう。これは企業の減価償却と同様に考えて良いのではないだろうか。
 企業が設備投資をする場合、投資額は投資年度の支出とされる訳ではない。減価償却のルールに基づき各年度に分散される。企業会計では常識なのだが公共事業ではなぜかこの手法は使われておらず、公務員はこういう発想を持たない。
 千年に一度の災害だから千年掛かりで返せば良いとまでは言わないが、津波被害の可能性の低い高台のインフラ整備なら50年償還でも構わないだろう。そういう融通を利かせなければ中途半端な投資になるか、理不尽な税負担をこの10年間の現役世代に強いることとなり景気の更なる悪化を招きかねない。
 家計でも同じだろう。住宅購入のためにローンを組むことは何ら不健全なことではないが日々の生活費を借りるようでは困る。生活費は収入に見合う範囲に収めるべきだが住宅購入費なら一生掛けても、あるいは次世代に跨っても構わない。
 国債が膨らんだのは各年度の不足分を補うという無茶なことをやったせいであり、復興のための国債なら別枠として認められて然るべきだろう。借金を総て悪であると決め付けることはかえって社会を損ないかねない。

治療

2011-09-30 15:08:47 | Weblog
 薬の大半は不快な症状を緩和するという効能しか持っていない。治療効果は皆無どころかマイナス効果のものも少なくない。その典型は解熱剤だろう。体温を下げるという効能しか無いので、免疫力を低下させ細菌やウィルスを活性化させている。これでは治る病も治らない。薬ではなく有害物だ。まやかしの効果しか無いニセ薬だ。
 傷の消毒は細菌と同時に皮膚細胞を破壊している。消毒をすることによってかえって治療は長引く。余程汚い場所で怪我をした場合以外は消毒などせずに水洗いをすべきだ。
 医療は意外なほどオカルト的な世界だ。迷信やニセ科学が罷り通っている。生命や健康に関わることだから最も科学的であるべき筈なのに実状は非科学的であり祈祷や除霊まがいの行為が横行している。
 大半の薬には治療力は無い。対症療法に過ぎない。様々な不快感を緩和しているだけであって、治癒するのは元々体に備わっている自然治癒力=免疫力による。
 その場凌ぎの解熱・鎮痛剤などではなく免疫力を高める薬こそ本当に役に立つ薬だ。しかし不思議なことに免疫抑制剤はあるが免疫力強化剤を私は知らない。医学と薬学は間違った方向に向かっていると思えてならない。

再生

2011-09-27 15:32:53 | Weblog
 もし何でも溶かす薬品を作った場合、大問題が発生する。その薬品を収容する容器が無いからだ。この薬品は周囲の物質を悉く溶かし続けて、最終的には地球をまるごと溶かしてしまうだろう。
 では蛋白質を分解する薬品を体内に収容できるだろうか。理屈上は不可能な筈だ。しかし実際には胃液が存在する。胃液は胃壁を消化できる強酸性の液体だ。胃壁が消化されないことについては様々な要因があり、複数のメカニズムによって胃壁は保護されている。
 特に大きな要因は胃壁が消化されるのとほぼ同じ早さで再生されているということだろう。まるで右足が沈む前に左足を出せば水面上を歩けるという眉唾物の理屈のように誤解されそうだが、生物の体とはそういうものなのだろう。
 胃壁だけではなく細胞はどんどん死に続ける。しかしそれと殆んど同じ早さで再生されている。安定しているのは死と再生のバランスが取れているからだ。再生が遅れれば衰弱するし、再生が暴走すれば癌になる。
 生命体以外は再生されない。だから堅固な金属であろうとも劣化する一方だ。生命体の本質は再生力(=自己複製力)だろう。

ルールとマナー

2011-09-27 15:20:53 | Weblog
 「交通ルールを守りましょう」という標語があるがこれは矛盾した言葉だ。ルールとは守らねばならないものであり「守りなさい」が正しい。「守りましょう」と推奨されるべきなのはマナーであってルールではない。
 ルールは守るべきものであり守らない人には罰が与えられる。一方、マナーは守ったほうが社会的には望ましいが守らなくても罰せられることはない。この2つを類義語のように扱うから妙なことになる。
 いじめは本来マナーの問題だ。個人に対する差別や軽視はマナーに反する。ところが暴力や恐喝などの刑事犯罪までいじめとしてマナーの問題に矮小化するから対応が不可能になる。結局、精神論や理想論になってしまって何も解決されない。
 「覚醒剤をやめましょう」などと警察は言わない。違反者はビシビシ取り締まれば良い。これをマナーの問題にすれば覚醒剤は蔓延してしまうだろう。
 歩道の自転車もルールの問題だ。ルールがあるのに処罰されないのは警察の怠慢だ。警察が目こぼしばかりをやっているから歩道が無法地帯になってしまっている。路上喫煙者から罰金を取る暇があるのならもっと有害な無謀運転手から罰金を徴収すべきだろう。ルールの問題をマナーの問題にすり替えるべきではない。

生命の誕生

2011-09-27 15:05:07 | Weblog
 人類が突然降って涌いたとは考えられない。地球史のどこかで誕生した筈だ。これに対する答えとして旧約聖書は神が人間を創ったとしている。しかしこれは答えにならない。人間を創った神も降って湧いたとは考えられないからどこかで誕生した筈だ。そうすると神を創った超神が、更にそれを創った超々神が必要になる。このようにして創造説は破綻する。
 進化論を説く科学界にも馬鹿げた説がある。生命は地球以外で誕生してそれが何らかの方法で地球に辿り着いたと主張する人がいる。彼らは隕石などを調べて生命の起源を探ろうとする。
 この主張は2つの誤りを犯している。
 まず地球外でどのようにして生命が誕生できたかを不問にしていることだ。地球上での生命誕生がもし不可能なら、地球外での生命誕生も不可能だろう。生命誕生の謎を地球外生命によって説明することは問題の先送りに過ぎず、神による人類創造と同様、全く答えになっていない。
 また他の星の生命体が生きたまま地球に辿り着くことは宇宙船でも使わない限り不可能だろう。地球外から生命が辿り着く可能性は無生物の中で生物が誕生する可能性よりも更に低い。
 生命の起源を宇宙に求める人の精神構造は神による天地創造を説く人と大差は無い。

セレンディピティ

2011-09-23 15:40:55 | Weblog
 セレンディピティをまるで神秘的なことと考える人もいるが、実は極めて当たり前のことだ。
 セレンディピティは広辞苑によれば「思わぬものを偶然に発見する能力」とされており、努力を続けていれば狙っていたもの以外での成果が得られるという意味で使われている。
 鍵を探す場合を想定しよう。人は鍵を置きそうな場所を真っ先に探す。それで見つからないのはとんでもない場所に置いているからだ。鍵を持っている時に電話が掛かったり、酔っ払って鍵を放り投げたりしたからだ。こんな場合、まともな場所では見つからない。見つかるのは他の物、例えば薬とか書類とかを探している時だろう。
 豊臣家や徳川家の埋蔵金を探している人がいる。もし埋蔵金が実在するとしたらとんでもない場所に隠されているだろう。当たり前の場所に隠されていたらとっくの昔に発見された筈だ。
 発見の多くは僥倖だ。見つかりそうな所は既に多くの人が探しておりそのことごとくが失敗している。従って偶然、とんでもない所で発見される。これは神秘的なことではなく当然のことだ。

電車の遅れ

2011-09-23 15:23:25 | Weblog
 日本の電車の発着時刻の正確さは世界中に知られている。2005年のJR福知山線での脱線事故で外国人を驚かせたのはその事故の大きさよりも、僅か1分半の遅れを取り戻そうとして運転士が無謀な運転をしたということだった。アジアは勿論、欧米でも電車の遅れは日常茶飯事だからだ。
 但し関西では私鉄と比べてJR西日本は遅れることが多い。2009年度の30分以上の遅れは、走行距離100万㎞当りで私鉄平均が0.5件に対してJRは4.9件と10倍ほど多い。中でも阪和線が多いようだ。
 日本の電車の発着時刻が余りにも正確なので「日本人は実は宇宙人なのではないか」と危惧した外国人が大阪市大に通うために阪和線を利用して初めて「我々と同じ地球人だった」と安心したという話がある。その阪和線が環状線に乗り入れているから全線が玉突き式に遅れてしまう。
 阪和線が遅れ易いのは南部で水害が多いからだろう。和歌山県は台風12号でも15号でも被災した。
 もう1つは折り返し運転の不備によるものだろう。どこか1箇所で事故が起こると阪和線全線が止まってしまうことが少なくない。臨機応変に折り返し運転をする仕組みを持っていれば南部での事故のせいで大阪市内の電車が止まることは無い。
 事故は起こるものだ。起こるということを前提にして起こった時の対応策を準備していなければ全体が機能不全に陥ってしまう。事故の被害を最小限で食い止めることは事故を起こさないことと同じくらい重要だ。このことは電車であろうと原発であろうと一般ビジネスであろうと違いは無い。絶対に事故を起こすな、という精神論こそ最も危険だ。

あの世

2011-09-23 15:08:01 | Weblog
 この世に不満を持つ人は、それに対する見返りとしてあの世での幸福を要求する。この世とあの世でのトータルで公平であるべきだという勝手な理屈だ。いじめられっ子が「ボクが超能力者だったらあんな奴らをやっつけてやる」と考えて悦に入っているのと同じレベルの感情だ。
 この世を憎悪する人があの世に期待する。普通の人なら、存在するかどうか疑わしいあの世に期待するよりも確実に目の前にあるこの世でベストを尽くそうとする。不満に目が眩んだ人は妄想に溺れる。そうでない人は現実を直視する。
 あの世に対する期待はこの世に対する恨みから生まれた歪んだ感情が反映されている。彼らの期待するあの世とはこの世で充たされなかった彼らの欲望の裏返しに過ぎない。
 彼らはあの世を讃美してこの世を呪詛する。この世を呪うことが彼らの生きがいにさえなっている。困ったものだ。そんなにあの世に憧れるのならいつまでもこの世に執着せずに速やかにあの世へと旅立って貰いたいと思う。正直なところ迷惑な連中だ。
 私はこの世だけが実在すると信じている。従って彼らによるこの世に対する呪詛は許し難い。不平・不満を並べるよりも、改善のために努力すべきだろう。ありもしないあの世と比較してこの世を呪うことはただ単にこの世を否定しているだけだ。この世に対する呪いを正当化するためにあの世という妄想で理論武装しているに過ぎない。美しい妄想に浸るよりも醜い現実に対して能動的に対処すべきだ。

相対速度

2011-09-20 15:27:54 | Weblog
 相対速度が等しい状態が最も安全だ。例えば総ての車両が時速100㎞で同じ方向に走っていれば安全だ。車同士の相対速度はゼロだからベルトコンベヤーに乗っているようなものだ。この状態なら接触しても事故にはならない。隣の車の人と手を繋ぐことも可能だ。
 相対速度が最もバラバラなのは歩道だ。進行方向はバラバラ、速度もバラバラ。人と自転車が混在し、右側通行も左側通行も守られていない。そのために頻繁に接触事故が発生する。重大な事故が少ないのは絶対速度が比較的遅いからに過ぎない。
 F1レーサーがインタビューで「公道は怖くて走れない」と答えたことがある。理由は2つ考えられる。
 レーサー同士ならお互いの技量を知っている。変な走り方をしないと分かっているからたとえテール・トゥ・ノーズ(ぴったり後ろに付いた状態)で走っていてもそのままカーブを曲がることができる。ところが公道では技術が低い知らない人と走らねばならない。相手がどう動くかを予測することは難しい。
 もう1つは速度の違いだ。時速40㎞と60㎞では20㎞の差がある。レース場で時速201㎞と200㎞で走っていればその差は僅か1㎞だ。相対速度の差が大きいほうが危険だ。
 道路交通法では、歩道を走る自転車は徐行することと定められている。このことだけでも守られれば歩道の安全性は随分高まる。