俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

一貫性

2015-10-11 10:48:21 | Weblog
 DV(ドメスティック・バイオレンス)の被害者は相手を庇うことが多いらしい。これは必ずしも愛情からではなく、自分が彼を選んだという判断を否定されたくないからだろう。
 結婚詐欺の被害者も被害を認めたがらないそうだ。この傾向は特に男性に顕著だと言う。これはプライドだけではなく、美しい思い出を穢されたくないからだろう。結局、男女共に、自分の過ちを認めたくないということだ。
 朝日新聞がミスではなく故意に、誤報ではなく捏造の」レベルでの酷い記事を書き続けたのも似た心情が原因なのかも知れない。朝日新聞には大きなトラウマがある。昭和20年の9月、GHQによって2日間の発行停止処分を受けた。朝日新聞の記者は驚愕した。言論の自由の庇護者と思い込んでいたGHQに裏切られたからだ。このショックは絶大だった。これ以降、朝日新聞はGHQに迎合する記事しか書けなくなってしまった。
 当初は渋々従っていたがやがてそれが主体的行動に変質した。これはストックホルム症候群の一種だろう。1973年にストックホルムで起こった銀行強盗人質立て籠もり事件では人質が強盗に協力して警察に敵対した。1974年にはアメリカの新聞王の孫娘のパトリシア・ハーストは自分を誘拐した犯人グループに協力して銀行強盗になった。このように人は、強制されているという事実を否定したいがためにそれを自ら意志するという奇妙な行動を選ぶことがある。
 GHQによる言論統制が終わった時、朝日新聞にはジレンマがあった。弾圧が無くなったのだから本来の自由な報道をするか、それともそれまでの記事との一貫性を重視するかを自ら選ばねばならなかったからだ。
 多分その時点では、アメリカに迎合する記事を書くことに罪悪感を覚えない非良心的な人々が主要なポストを占め、偽りの記事に抵抗する人は閑職に追いやられたり自ら会社を去ったりしていただろう。そんな企業風土になっていたから朝日新聞は言論統制下と全く同じ論調の記事を掲載し続けた。このことはそれまでの記事との一貫性を保つためにも有効だった。
 しかしこれは正常な心理状態ではない。GHQの弾圧に脅え遂にはその意思を我が意とするという心理は尋常なものではない。DV被害者と同質の異常心理だ。
 こんな職場では狂気が支配する。新たに入社した人も感化されるし上司や諸先輩を否定することも難しい。狂気が支配する社会では正常な人が狂人として扱われる。先日の「吉田調書」と「吉田証言」について調査した外部のスタッフは「角度を付ける」という言葉が頻繁に使われることに驚いたそうだ。これは「朝日新聞らしい記事を書く」という意味であると同時に「事実を多少脚色する」という意味でもある。こんな報道機関にあるまじきことが朝日新聞では常識になっていた。こんな新聞が世論をリードしたから日本人の多くが狂気に感染した。多くの日本人を狂わせ世論を操作した罪は重い。

悪税

2015-10-11 09:53:27 | Weblog
 私は消費税を悪税と考えている。それは世間でよく言われているように「逆進性」があるからではなく「平等性」に基づく税制だからだ。日本人の常識として、平等は良いことだ。だから「平等だから悪い」とは言えずに「逆進性」という嘘を根拠にする。根拠が嘘であれば「消費税は悪い」という結論まで嘘に思われてしまう。これは財務省による巧妙なトリックなのではないだろうか。アガサ・クリスティの短編「検察側の証人」をビリー・ワイルダー監督が映画化した「情婦」という作品の大どんでん返しに私は仰天したが、それにも匹敵する巧妙な仕掛けではないかとさえ疑う。
 逆進性の根拠は、消費されない所得には課税されないということに基づく。つまり消費性向の低い高額所得者の負担が少ないということだ。それは消費税÷所得という数式によって算出される。この論理の欠陥は現在しか見ていないことだ。お金は使われない間は抽象的な存在に過ぎず使われて初めて実体化する。今使われなくてもいずれ必ず使われる。その時の消費税÷所得は税率よりも高くなる。多分その時には税率そのものも上げられているだろうから所得があった時点での消費よりも税負担が重くなる。消費税の負担増を免れるためには消費税制度の無い国で消費するか外国で還付制度を利用するかしか無い。もし使わなければ相続税によって目減りする。逆進性などどこにも無い。こんな誤った理屈を使う御用学者がいるから、彼らに対する不信も手伝って日本人が不思議なほど消費税を受け入れているのではないだろうか。
 税金は「平等に」ではなく生活に余裕のある人が多目に負担すべきだろう。これこそ消費税が悪税である根拠だ。平等を正義と信じるから消費税が正当化される。
 人頭税という税制がある。これは等しく受益者である国民全員に一定額を負担させる税制でありこれほど平等な税制は無かろう。しかしこれが悪税であることは言うまでも無い。平等は悪く不平等が正しい。これは常識には背くが、常識やタテマエに捉われていれば事実を見逃す。
 日本の所得税は個人の所得に課税する。これを根本的に見直すべきではないだろうか。フランスでは世帯所得が課税対象になっている。だから夫婦に子供2人の家庭であれば、世帯の総所得を4で割った金額に課税をしてその4倍を収める。家族が多いほど税率が低くなるからこそフランスでは出生率が高いのではないだろうか。勿論、親も世帯に含めれば税率は更に下がる。
 現役世代が親を扶養しないために老人の生活保護が増えているという現状を改めるためにも税制のこんな見直しがあっても良いのではないだろうか。この税制は少子化対策にも有効だ。訳の分からない、実効性の乏しい子育て支援策などよりも、税制を改めたほうが遥かに良かろう。
 このように税制度を改めるだけで様々な問題が一挙に解決するということは、逆に、悪税こそ社会問題の根本原因ということなのではないだろうか。