俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

煙草の有益性

2013-08-30 10:37:05 | Weblog
 煙草は百害あって一利無しとされているが、私はストレスを抑制して副交感神経の働きを高める効果があると思っている。最近「『健康情報』はウソだらけ」という本を読んで少なからず驚いた。煙草には自殺抑止効果があるというのだ。JTが2,000人の自殺者を調べたところ「タバコを吸っている人は一人もいなかった」とのことだ。これが週刊誌の記事なら無視するところだが著者は順天堂大学の奥村康教授だ。奥村教授の経歴や社会的地位を考えればいい加減なことなど書ける筈が無い。
 日本の自殺者数が30,000人を超えたのは平成10年だ。その後、14年続けて30,000人を超え続けていた。その一方でかつては80%以上だった男性の喫煙率は30%程度まで急激に下がっている。何らかの因果性は無いのだろうか。
 煙草は悪と決め付けられている。これはCO2による地球温暖化と同じくらい確かなことであるようにマスコミは扱っている。映画で喫煙シーンがあるだけでヒステリックに騒ぐ人までいるご時世だから煙草の有益性を主張することはご法度だ。しかしもし煙草に自殺抑止効果があるのなら鬱病治療薬のSSRIよりも遥かに安全で安価な薬だろう。
 煙草の発癌性は実はかなり疑わしい。コールタールや排気ガスなどの発癌性は動物実験で検証されているが、煙草では未だ確認できていない。煙草の発癌性の根拠になっているのは、喫煙者のほうが非喫煙者よりも発癌率が高いというデータだけだ。しかしこれは原因と結果の取り違えかも知れない。
 つまりこういうことだ。抑鬱的な人は免疫機能が低下し勝ちなので癌に罹り易い。その一方で抑鬱的な気分を軽減するために煙草を吸う。これは癌を予防する効果があると考えられる。ところが効果が自殺抑止力ほど顕著ではないので、抑鬱的な人は煙草という薬を使っても明るい人よりも癌に罹り易い。癌の真因は抑鬱的な気質であるにも関わらず、癌と煙草の相関性が因果性と誤解されている・・・こう考えられないだろうか?
 それでは現代日本の禁煙ブームは一体何なのだろうか。不寛容の表れであり、気に入らないものは禁止しようという排除の論理に過ぎないと私は考える。

失敗に学ぶ

2013-08-30 09:54:02 | Weblog
 イチロー選手は4000本安打のインタビューで「4000安打を打つためには8000回以上も悔しい思いをした」と語った。そのとおりだと思う。人は悔しい思いをした分、強くなる。岡本真夜さんのヒット曲の「トゥモロー」は「♪涙の数だけ強くなれるよ。アスファルトに咲く花のように♪」という歌詞だった。
 試験で100点を取れば達成感が生まれる。このことを否定しようとは思わない。達成感を得ることは快感であり意欲向上に繋がる。しかしもっと良いのは99点を取ることだ。これは達成感と同時に弱点も分かる。何が足りなかったかを反省できる。
 学力の低い生徒は解けた答えに注目する。満足感を得られるからだ。学力の高い生徒は間違えた箇所に注目する。弱点を知るためだ。
 失敗の多くはやり直せない。済んだことをいつまでも悔やんでいても虚しいだけだ。しかし悔やむことと反省することは全然違う。失敗を反省することは向上に繋がる。失敗に対しては悔やむのでも逃げるのでもなく反省することが重要だ。反省してそれを糧にできるかどうかがその人の一生を左右する。近頃はチャレンジを嫌う人が多いそうだ。失敗を回避することによって幻想に過ぎない全能感を維持しようとしているらしい。せっかく失敗して成長するチャンスを逃せばますます幼児化する。勿体ないことだ。
 人は成功よりも失敗から多くを学べる。議論でも論破されるほうが有益だ。論破してもせいぜい自己満足しか得られないが、論破されたら真実を知れる。つまり以前よりも賢くなれる。勝ち負けしか考えなければ多くのものを得損ねる。負けるが勝ちという言葉があるが、これは決して負け惜しみではない。私は「負けるが価値」と敢えて誤変換したい。

限定品

2013-08-28 10:05:59 | Weblog
 アサヒビールのドライプレミアムがギフト限定品として売られていた。いつもながらアサヒビールの戦略は巧妙だ。ギフト限定の希少品として付加価値を付けてから一般品として売り出すつもりなのだろう。ギフト限定にしておけば値崩れも起こらない。
 ところがアサヒビールらしからぬヘマをしでかしてしまった。「ギフトだけの特別限定醸造」と印刷したままの製品がセブンイレブンに出回っているらしい。多分これはアサヒビールの意向ではなく問屋が勝手にやったことだろう。
 アサヒビールも時々失敗をする。原発事故で日本中が騒いでいる最中に、第3のビールのクリアをnew clear(nuclearは原発)と改名してしまった。その後newが外されたがプライムリッチではnew clearの肩書きが復活した。
 この程度のことは大した問題ではなかろう。ラガービールを「生」に変えてシェアを激減させたキリンビールによる日本マーケット史上最大級の失敗と比べれば可愛いものだ。キリンビールは対応策も誤った。キリンラガー・クラシックを売り出したのはその数年後でありファンは既に離れていた。実は似た前例がある。アメリカのコカコーラが味を変えて暴動まで起こるほどの騒動になった。コカコーラはコカコーラ・クラシックを急遽発売して難を逃れた。キリンビールはこの前例を真似るべきだった。速やかにラガー・クラシックを売り出すべきだったのにそれを怠った。
 アサヒビールは早急にコンビニに出回っている「ギフトだけの」と表示したドライプレミアムを回収すべきだろう。事実と違った表示を放置することは企業としての信頼性を損なうことにしかならない。

王者と覇者

2013-08-28 09:39:43 | Weblog
 中国の統治形態として王道と覇道がある。前者は徳によって、後者は武力によって国を治める。勿論、古来、前者が理想とされている。しかし残念ながら堯・舜・ウを最後に、徳による治世は廃れた。その後の皇帝は、禅譲という形式を取っているものもあるが総て覇者だ。
 覇者による統治にはどんな正当性があるのだろうか。第一に彼は武力を持っている。武力があれば治安維持力がある。第二に彼の元には命懸けで働く部下が大勢いる。このことを、彼に「徳」があることの証とこじつけることは可能だ。こうして覇道がずっと続いた。
 しかし覇道は不合理だ。意見が対立した時に殴り合いをしてそれに勝ったほうを正義とするようなものだ。喧嘩で勝つことと意見の正当性は必ずしも一致しない。現在の中華人民共和国も共産党と国民党による内戦の覇者に過ぎない。
 では王道は不可能なのだろうか。現実離れした理想に過ぎないのだろうか。実は意外な形で王道が可能になる。国民全員で最も徳の高い人を選べば良い。何のことは無い、大統領を直接選挙で選べば良いのだ。中国人の長年の理想が大統領選挙によって実現するとは何とも皮肉な話だ。
 現在の共産党による一党独裁制は王道から最も懸け離れた統治形態だ。武力で権力を握ったに過ぎない共産党内で、国民が全く与り知らぬまま支配者が決められている。中国人民にとっての古来の理想を実現するためには大統領制が最も相応しい。共産党による一党独裁支配が崩壊すれば大統領制が生まれるだろう。それが中国人民の国民性に合致した制度だからだ。

中国史試論

2013-08-26 10:14:32 | Weblog
 中国現代史についてはこれからしっかりと腰を据えて勉強するつもりでいるが、構想の概略を試論として書く。間違いがあれば指摘して頂きたい。
 古代史はともかく中国の近現代史は惨めだ。800年近くの長きに亘って世界に恥を晒し続けている。これでは歴史を改竄したくなるのも無理は無い。
 1279年に宋が滅んで以降、中国は異民族の支配を受け続けている。途中で明により漢民族による王朝が復興しているが満州人に征服された。私は中国が世界に冠たる文明国であったのは宋までだと思っている。中国による四大発明はいずれも宋代までのもので、それ以降は訓詁学の時代になったのではないだろうか。
 清の末期は惨めそのものだ。イギリスに負け、フランスに負け、日本にも負けた。正に百戦百敗だ。勝ったのは中華人民共和国が誕生してから、第二次大戦後のドサクサ紛れのチベットとウィグルに対する侵略戦争だけだ。
 内政も惨めだ。大躍進政策では数千万人の餓死者を出し、文化大革命も数百万人の犠牲者と国力の低下を招いた。天安門事件の評価は未だ定着していないようだが、私は全く評価していない。
 唯一有効だったのは小平氏の先富論だ。「豊かになれる者から先に豊かになるべきだ」という考えに基いて大胆に市場原理を導入した。しかしこれも検証が必要だろう。一人当たりのGDPが日本の1/10なのだから貧富の差は酷く、公表されてはいないがジニ係数は世界最悪クラスだろう。こんな矛盾を放置したままでの共産党独裁体制が今後も存続し得るとは到底考えられない。近いうちにシリアやエジプトと同様の内乱状態に陥るだろう。

他人の権利

2013-08-26 09:40:00 | Weblog
 「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」が23日、厚生労働相に、接種の中止や副作用被害者の救済を求める要望書を提出したそうだ。救済を求めるのは当然のことだが、なぜ接種の中止を要求するのだろうか。どんな権限があって推奨の中止では飽き足らず、更に他人の「接種する権利」まで奪おうとするのだろうか。
 私が感情的になっても仕方が無い。彼らの感情を推測すべきだろう。「被害者が出ているのに予防接種を続けるのはおかしい。厚生労働省は薬害を反省していない。」と考えているのだろう。これは正当な考えだろうか。もし飲酒運転事故を起こした人が飲酒運転を繰り返しているなら、反省していないという批判は正しい。しかしこのケースは事情が違う。被害者には残酷な言い方だが、被害者としての甘えと我儘、迷惑な気晴らしと八つ当たりに過ぎない。航空機事故の遺族が飛行機の全廃を求めるようなものだ。加害者側の弱みに付け込んだ悪質な嫌がらせだ。
 このワクチンのメリットとデメリットについては6月15日付けの「子宮頸癌ワクチン」で検討しているので詳しくはそちらを参照して頂くとして、このワクチンによる副作用の発生率は0.02%に過ぎない。万一ではなく「万二」ではあるがそれなりに安全性はあり、99.98%の人にとっては副作用の無い良いワクチンだ。もし予防接種を中止すれば、予防できる筈の恐ろしい病を予防する権利が奪われる。彼らは接種が中止されることによって子宮頸癌に罹る人に対して責任を負う覚悟はあるのだろうか。そんなことなど全く考えていまい。副作用は悪い、悪いものはやめろ、という程度のことしか考えていないだろう。
 気に入らないものを「禁止せよ・中止せよ」という主張を最近よく見掛ける。これは権利意識の肥大だろう。泣き寝入りをしろと言うつもりは無いが、自分の基準を他人や社会全体にまで押し付けようとするのはやめて貰いたいと思う。
 卵アレルギーの人が卵食を禁止せよと訴えて誰が納得するだろうか。卵を食べる権利は誰にでもある筈だ。他人から卵を食べる権利を奪うのではなく自分だけが食べなければ済むことだ。「他人の権利を奪う権利」など誰も持っていない。
 禁止や中止は権利を奪うことになる。勝手に他人の権利を奪おうとすべきではない。仮に副作用があっても不運であり自己責任だという覚悟を持ってまで接種を希望する人の権利を奪おうとすべきではない。

平和主義

2013-08-24 10:01:32 | Weblog
 孫子は諸子百家の兵家に分類されているために、彼を只の兵法家だと誤解している人が少なくない。確かに「彼を知り己を知れば百戦して殆(あや)うからず」といった戦術論も説いている。しかし彼の理想は「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」であり「戦わずして勝つ」を極意とする。戦えば必ず国力を損なう。だから戦いは極力避けるべきだと主張する。彼は現実的平和主義者であり、日本にウヨウヨいる「平和、平和」とお題目のように唱えていれば平和になるという妄想を持つ空想的平和主義者とは大いに異なる合理主義者だ。
 窮地に陥った時、動物は二者択一を迫られる。闘争か逃走か、だ。戦後の日本は一貫して逃走を選び続けた。「謝罪せよ」と言われたら土下座をして、領土を実効支配されても「領土問題は存在しない」と訳の分からないことを言い続けた。これでは只の事勿れ主義だ。逃走一辺倒だ。
 従軍慰安婦は「性奴隷」とされ、南京では当時の人口を上回る30万人が虐殺され、絶対不可能な百人斬りまでが史実扱いされている。当時のペラペラの軍刀では2人も斬れば刃こぼれと血糊で使用不可能になっただろう。これらは正に「戦わずして負けた」歴史だ。「戦わずして勝つ」が最善策であるように「戦いを放棄して負け続ける」ことは最愚策だ。
 ヤクザに弱みを見せれば付け込まれてますます酷い目に会うように、ヤクザ国家の言いなりになっていたらどこまでも歴史は歪められて国益は損なわれる。
 孫子が言うとおり武力は下策だ。武力など使わなくても幾らでも闘争することはできる。ガンジーの非暴力闘争という模範例もある。主張すべきことを主張せずに逃げ回っているから国民は誇りを失う。正しい歴史を知っているのが誰であるかは言うまでも無い。大嘘のプロパガンダを黙認していた日本政府の責任は重い。

民主主義

2013-08-24 09:26:35 | Weblog
 民主主義と宗教は相性が悪い。民主主義は「どちらも正しい」であり、宗教は「これだけが正しい」とするからだ。先進国でのみ民主主義がそれなりに上手く機能しているのはキリスト教という枠内に留まっているからだろう。中東情勢を見れば分かるように、イスラム教やユダヤ教が関わると民主主義は途端に機能不全に陥る。お互いに自分が正しいと主張し合うからだ。
 民主主義とは多数決だと思っている人がいるが、私は全く逆に民主主義の「鬼っ子」だと思っている。民主主義の弱点を補完するための苦肉の策だと思う。
 何かを決めるためにお互いに意見交換をする、ここまでは民主主義だ。ところがお互いが正しければ結論は出せない。これでは何も決められない。そこで取り敢えず決めるための方便として多数決が使われる。しかしこれはあくまで暫定的な結論であって、やってみて不都合があれば再度多数決をして見直しをする必要がある。
 昔の修学旅行は常に団体行動だった。かつての農協ツァーのように旗のうしろをゾロゾロと歩いたものだ。最近では目的地での自由行動がかなり認められているようだ。随分「民主的」になったと思う。
 多数者の意向に少数者を従わせることは全く民主的でない。これは多数者による横暴だ。可能な限り個人の自由を尊重して、多数決で決めるのは必要最小限に留め、しかも見直しの余地を残すべきだ。これは定例会議のようなものだ。毎回何らかのことを決めるが次回では再評価をする。QC活動のPDCAサイクルにも似ている。
 多様な意見の共存を認めるのが民主主義だ。できるだけ個人の自由を認め、どうしても拘束する必要がある場合にのみ苦肉の策として使われる非常手段が多数決だ。ソクラテスもガリレオ・ガリレイもダーウィンも少数派であったために虐げられた。多数決はしばしば間違った結論を下す。

フェアプレイ

2013-08-22 20:39:27 | Weblog
 初めて特定の野球チームが嫌いになった。花巻東高校だ。プロ野球も高校野球も一所懸命でありながらフェアプレイを忘れない。花巻東だけはフェアプレイよりも汚く勝つことを優先させた。
 先日、たまたまテレビを見たら156㎝のC選手の打席だった。非常に不愉快だった。初めからまともに打とうとせずにファウルゾーンを狙って打っていた。ルール違反でないかと思った。彼は2塁ランナーになると捕手のサインを盗んでいると思われる行為を繰り返した。退場処分かなと思った。
 マスコミは妙に彼に好意的だった。小さい体に負けず頑張っている、ということだろう。しかし野球は体格が余りハンディにならない素晴らしいスポーツであることを見逃すべきではない。ストライクゾーンが個人の身長に合わせて設定されるから小さい選手はフォアボールを選び易くなる。そんなルールを彼は悪用していた。小さな体をかなり不自然に前屈みにしてストライクゾーンを狭く見せようとしていた。
 臭い球をカットすることは高度な技術だ。見送ればストライクかも知れないが打ってもヒットにならない球を一流選手はカットする。彼の場合は違う。真ん中の球であろうともファウルにして球数を増やして投手を疲れさせようとする。つまり投手潰しが目的だ。報復にビーンボールを投げられても自業自得とも思えるほどの恥知らずのプレイだ。
 大阪や神奈川などの激戦区ではこんな汚い手は使えない。すぐに審判から注意される。彼や監督は野球後進地の岩手の田舎者だから都会のルールを知らなかったのだろう。丁度、中国人が世界の観光地で恥晒しをするのと同じことだ。
 マスコミがヒーロー扱いをするせいで審判が躊躇したのだろう。こんな汚い野球が勝ち上がってしまった。審判はもっと早く制してこんなチームを甲子園から追放すべきだった。私の大嫌いな小沢一郎氏の地元ということもあって、私は岩手県が嫌いになってしまった。

東海

2013-08-22 11:00:33 | Weblog
 韓国は日本海を「東海」と呼ぶべきだと主張している。このことほど韓国人の排他性を曝け出す実例は珍しい。民族としての恥だと思う。
 方位は相対的な概念だ。例えば韓国は日本から見れば西の国だが世界地図で見れば極東の国だ。
 なぜ日本海が「東海」なのだろうか。韓国の東にあるからだ。東にある海を「東海」と国内で呼ぶのは一向に構わないが、日本にとっては西にあるから「西海」だ。従って「東海」も「西海」も客観性が無いから国際呼称たり得ない。外国人にまで「東海」と呼ばせようとするのは自己中心的で非常に偏狭な考え方だ。地球的観点で物を見られず視野狭窄に陥っているとしか思えない。
 日本海(Sea of Japan)という呼称は決してベストではない。日本海には韓国・北朝鮮・ロシアの領海が含まれているからだ。しかし既に定着している呼称の変更を求めるならより適切で普遍妥当性を持つ呼称であるべきだ。例えば「極東海」とか「北シナ海」とか「日朝海」なら妥当だ。しかし「東海」のような余りにも主観的な呼称は適切ではない。これが客観性の欠如と知的レベルの低さを世界に向けて発信することになるということに気付く韓国人はいないのだろうか。賢い筈の韓国人がこんな馬鹿な主張を恥じないのは政府が愚民化策を企んでいるからではないだろうか?この記事を読んだ人に韓国人の知人がいれば是非ともアドバイスして欲しいと思う。