俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

左側通行

2015-05-31 10:30:13 | Weblog
 明日(6月1日)から自転車に関する交通ルールが一部変更になるが、私が最も不便と感じていることは相変わらず放置されている。歩道を走る時は車道側を走るとしか定められていないことだ。このルールでは逆方向に歩道を走る自転車が正面衝突をすることになる。
 私の場合、左側の歩道を走っていれば躊躇しない。自分が左に寄って建物側を走ることによって相手に車道側を譲る。問題は左側の歩道を走っている時だ。私は相手にも分かるように目一杯車道側に寄る。相手がほんの少し建物側に進路を変えれば無事に擦れ違える。ところが進路を変えようとしない人がたまにいる。そんな時、私は車道に出ざるを得なくなる。これでは車道の右端を走ることになって道路交通法に違反することになってしまう。自転車同士が正面から向き合った場合には左側通行をすることをルール化すべきだと思う。
 ルールが上手く機能しない状況がもう1つある。私がほぼ毎日通っているプールへ行く途中に、宮川という一級河川があり約400mの渡会橋が掛かっている。この橋の片側にだけ歩道があり車道とは金属製のフェンスで区切られている。道幅は自転車2台が丁度擦れ違える程度だ。ここではなぜか90%以上の自転車が車道側ではなく左側通行をしている。道路交通法上正しくないがこうすることによって自転車同士がスムーズに擦れ違っている。ところがたまに左側通行ではなく頑固に車道側を走る人がいる。
 ある日私は歩道の左側かつ車道側を走っていた。すると正面から歩道の右側かつ車道側を突っ走る自転車が向かって来た。困ったことに向かい風を突っ切ろうとして前傾してペダルを踏むことに夢中で前方を見ようとしない。普通の歩道であれば車道に逃れるところだがフェンスに遮られて出られない。やむを得ず左端に止まってベルを鳴らし続けたがまともに突っ込まれて擦り傷を負った。彼(高校生ぐらい)の前方不注意は明白だが、私は右に逃げるべきだったのだろうか。左側通行はこの橋の上だけで通用するローカルルールなのだからどうすべきだったのか分からない。細かいことだが道交法でルールを明確にすべきだろう。

同時性

2015-05-31 09:52:06 | Weblog
 地震や火山の災害を予測する場合、100年周期とかいった理屈がよく使われる。蓄えられたエネルギーが一定周期で放出されるという仮説に基づく。建築物の積年劣化のようなものだろうか。
 周期性は特定の場所を時間軸で捕える。同時性は特定の時間における様々な変動を空間軸で把握する。確実に周期性がある気候を時間軸で捕えるのは正当だが、周期性が不確実な地殻変動については同時性つまり今何が起こっているかを把握することのほうが重要ではないだろうか。
 気象は確実に周期性がある。これは地球の自転と公転が原因だ。しかし地殻変動の周期性は眉唾物だ。サンプル数が少ないので到底法則化できず、一定周期で起こるという仮説は根拠が乏しい。交通事故は一定の確率で起こるが周期性は無いように地殻変動に周期性を押し付けることはかなり無理な理屈だろう。
 私は日本製の家電製品の耐久性に感心することがある。丈夫さではなく部品ごとの耐久性が均質であることに驚く。どこかが故障をして修理をしても他の箇所が次々に故障するから寿命だと諦める。とにかく全体のバランスが良い。正しく使っていれば家電は長持ちするが妙な使い方をすれば特定の場所にだけ負担が掛かってすぐに壊れる。国土も妙な開発をすればそこだけが崩壊する。
 地球という星は絶妙なバランスで成り立っているのではないだろうか。だからどこかで異変が起こるならそれは他の異変の前兆であり得る。そしてそれは我々にはわからない地下で起こっている巨大な異変が原因なのかも知れない。
 世界の火山の7%が集中していると言われている日本列島で火山活動が活発化している。昨年来、西之島、御嶽山、箱根山、桜島、浅間山そして一昨日(29日)の口永良部島と火山活動が顕在化している。これは日本近域の地下の巨大エネルギーが枝分かれして噴出しているのではないだろうか。
 これらの異変は人間の感覚では遠く離れている。しかし地球のレベルで見れば殆んど1箇所に集中しているようなものだ。危機を煽ることは私の本意ではないが、周期性よりも同時性に注目すべきではないだろうか。
 周期性は科学を装っているが実はオカルトだ。それよりも同時性に注意すべきだろう。昨日(30日)の東日本大震災以来の巨大地震は火山活動ではないが、深度590㎞が震源という稀有な地震だ。地殻ではなくマントル層が震源であることに私は恐怖を感じる。

  訂正:31日に気象庁はこの地震について、マグニチュードを8.5から8.1に、震源を地下682㎞に修正した。

沖縄

2015-05-29 10:30:04 | Weblog
 内地にいると沖縄のことがよく分からない。これは沖縄に限ったことではない。先日の大阪市での住民投票も余所者には分からないことだらけだった。30数年住んでいた大阪のことでさえ2年半離れているだけで分からなくなるのだから、十数回旅行で訪れただけの沖縄のことが分からないのはある程度仕方なかろう。
 一番疑問に思っているのは、沖縄県民は本当に普天間基地の撤去を望んでいるのか、ということだ。普天間の移設問題は、1995年に起こった少女暴行という痛ましい事件を契機にして長い交渉を経てようやく辺野古への移設ということで何とか合意に至った。もし辺野古をボツにすれば交渉は1からやり直しになり、この先何年あるいは何十年掛かるか分からない。それよりは辺野古に移設したほうがずっとマシだろう。
 「撤去」という理想論では絶対に解決できない。増してや「辺野古阻止」というスローガンに至っては「普天間存続」という主張と実質的に同じだ。本人に悪意は無いだろうが、「改憲反対」が「解釈改憲」を招いたように目先のことに捕らわれていれば最悪の結果を招くことになるのではないだろうか。
 勿論、私は政府のやり方を全面的に支持する訳ではない。特に怒りを感じるのは翁長知事に大して「代替案を出せ」と迫っていることだ。マスコミはこのことには余り触れないが、これは無理な注文だ。沖縄県知事としては「県外のどこか」としか答えようが無い。こんな発言をすればNIMBY(Not In My Bacck Yard)として非難される。かと言って県内のどこかを指定することもできない。だからこれは沖縄県知事としては回答不可能な詰問だ。
 オスプレイの危険性に関する騒動も上滑りだ。オスプレイが奇妙な形をしているからかつての「未亡人製造機」のイメージで非難するが、現在の老朽化したCH-46よりも危険とは思えない。10万飛行時間当たりでの重大事故発生率はCH-46の1.11に対してオスプレイは1.93であり、確かに高い。しかし速度は2倍ほどなのだから距離当たりで見れば同等あるいは少し安全と言えよう。更に航空機の事故率がバスタブ曲線を描くことも考慮すれば早急に切り替えたほうが安全なのではないだろうか。航空機の事故率は開発当初は高くその後は低くなるが、老朽化すれば急激に高くなる。これをグラフにすればまるでバスタブのようになる。開発当初の危険期を過ぎたオスプレイのほうが老朽化したCH-46より現時点では安全と思える。

バター

2015-05-29 09:49:54 | Weblog
 数年前からバター不足が常態化している。こんなことは正常な状態であれば起こる筈が無い。特定の組織の強欲がこんな事態を招いている。犯人は農林水産省とその天下り団体の「農畜産業振興機構」だ。
 農水省は「チーズ向け生乳供給安定対策事業」と銘打った政策に基づいてチーズ補助金を支給することによって、数年前からバター不足を仕掛けていた。この補助金の効果で、生乳の生産量が減少する中、チーズの生産量だけが増え続けている。生乳の生産量が減っている時にチーズの生産を奨励すれば牛乳とバターの生産量が減るのは当然のことだ。
 バターの需要が減っていないのに生産量が減れば当然品不足になる。ここは輸入に頼らざるを得ない。ところがバターの輸入は酷い仕組みになっている。ベストセラーになった浅川芳裕氏の「日本は世界5位の農業大国」に拠ると「600tまでは一次税率(関税35%)が課せられ、その枠を超えると高率の二次税率(1㎏当り関税29.8%+179円)が課せられる。」それだけではない。更に「キロ当たり806円の輸入差益(マークアップ)」を農畜産業振興機構に収めねばならない。その結果、輸入バターの価格は輸入原価の3倍以上に膨らむ。通常であればこんな高額のバターは殆んど売れない筈だが国産バターが品薄になっているせいで、昨年は何と13,000tを輸入して完売したそうだ。
 要するにチーズ補助金という餌をバラ撒いてバターの生産量を減らすことによって、関税と上納金(マークアップ)によってボロ儲けできる輸入バターの拡販を図っているということだ。このことによって食料自給率は下がるがそんなことなどお構い無しだ。これは小麦の国家貿易や豚肉の「差額関税」と並ぶ農水省の悪質な錬金術だ。農水省はこんなエゲツナイ手を使って私腹を肥やしている。バター輸入の上納金の一部をチーズ補助金に充てるだけで酪農家にバター作りをやめさせることができる。国産のバターを減らして輸入バターでボロ儲けをするという仕組みは単なる省益拡大で済む問題ではあるまい。流石にやり過ぎだろう。露骨に国益よりも省益を優先させている。国民を食い物にするにも程がある。非国民を通り越して国賊と呼ぶべきレベルの悪代官ぶりだ。もしかしたら悪意ではなくただの政策ミスなのかも知れないが、バター不足は明らかに農水省の責任なのだから早急に改善する義務がある。
 政府の発表を無批判に垂れ流すことしかしない腑抜けのマスコミはこんな大切なことを国民に知らせる能力を欠いている。私の知る範囲での唯一の例外は、体制寄りの記事が多い筈の産経新聞の1月31日付けの記事だけだ。他紙やテレビは農水省による「生乳の生産不足」という無責任で白々しい言い訳をそのまま報じるだけだ。最早「大本営発表」と同レベルの虚報翼賛会体制だ。

fat

2015-05-27 10:13:32 | Weblog
 脂肪を英語ではfatと言う。ご存知のとおりfatという単語は「太い」という意味で使われることが多い。このせいもあり脂肪を食べれば太ると思われ勝ちだ。
 確かに脂肪はカロリーが高い。蛋白質や炭水化物が1g当り4㎉であるのに対して脂肪は9㎉だ。これが科学的裏付けになっているようにも思える。
 しかしカロリーだけで評価することは栄養価を余りにも単純視している。食物は決して動力源として使われるだけではない。様々な細胞を作る素材としても使われている。だから必須脂肪酸や必須アミノ酸がある。
 金や鉛は重くアルミニウムは軽い。もし重いことだけで評価するなら金や鉛は良くアルミは悪い。逆に軽いことが良ければアルミが良い。しかし誰もこんな変な評価をしない。他の特性も考慮した上で総合的に評価してどの金属を使うべきかを決める。重さはその金属の特性の1つではあるが決定的な特性ではない。栄養価についても同様に考えるべきだろう。
 人類が自分では合成できないのが必須脂肪酸と必須アミノ酸だ。これらを食物として摂取しなければ栄養失調になる。必須脂肪酸であればまず必要量が体のメンテナンスに使われて残った分だけがカロリーとして消費される。必須アミノ酸も同様だ。これらをカロリーという一元論で括るべきではない。必須脂肪酸が足りなければ細胞の必要な代謝が行われず不健康に痩せる。
 自動車はガソリンだけでは動かない。車体の整備が欠かせない。この2つは独立して行われるから容易に識別できる。しかし動物は食物の摂取という1つの行動によってこの両者を満たさねばならない。カロリーという指標だけで食物を評価すべきではない。メンテナンスで使い切れなければ脂肪は高カロリー食になるがそんな理由だけで目の敵にすべきではない。むしろカロリー源としてしか殆んど使い道の無い炭水化物の過剰摂取こそ醜く太る原因ではないだろうか。私は健康的に痩せている女性を何人か知っているがその殆んどが好んで肉を食べている。

詐欺

2015-05-27 09:38:50 | Weblog
 振り込め詐欺が巧妙化してドラマ仕立ての詐欺になりつつあるようだ。何人かで様々な役を演じて臨場感を出しているそうだ。詐欺に加担する気は全く無いが、2つの理由から高度化は却って損だと指摘したい。
 1つは当たり前のことだが、共犯者が増えるほど足が付き易い。
 もう1つは全く意外な盲点だが、比較的利巧な人まで引っ掛けてしまうことだ。利巧な人まで狙えるのならそのほうが稼ぎが多くなると思うのは大間違いだ。利巧な人であればどこかで「怪しい」と感付かれる可能性が高くなる。途中で気付かれたらそれまでに積み上げたトリックが無駄になるだけではなく、逆に罠を仕掛けられる恐れさえ生じる。むしろ徹底的に愚か者に絞って仕掛けたほうが確実かつ安全だ。普通の人なら絶対に引っ掛からないようなトリックにすれば普通でない人だけが引っ掛かる。
 宝くじの当選番号を新聞発表の前日に知らせて予め当りくじが分かるかのように装う宝くじ詐欺など、まともな人なら絶対に引っ掛からない。新聞発表が半日遅れであることを知らないお目出度い人だけが引っ掛かる。こんな人だけを狙っていれば手掛かりを残さず簡単に騙せる。大体、宝くじを買うという時点で知的レベルの低さが分かる。配当率が50%にも満たない世界最低のギャンブルに手を出すような人は詐欺師にとっては絶好のカモだろう。
 かつての天下一家の会や豊田商事などは、普通の人であれば引っ掛からないほどレベルの低い詐欺だった。逆説的な言い方だが、低レベルだったからこそ大儲けできたと言える。振り込め詐欺の原点である「オレオレ詐欺」が成功したのもその手口が稚拙だったからだろう。
 今もドイツでは発禁の書であるヒットラーの「わが闘争」にはこう書かれている。「宣伝は総て大衆的で、その知的水準は宣伝がめざすべき者の中で最低の者が分かる程度に調整すべきである。それゆえ獲得すべき大衆が多くなればなるほど純粋な知的高度はますます低くしなければならない。」ヒットラーが狙ったのは「わが闘争」を読もうとさえ思わないほど知的レベルの低い人による熱狂だったようだ。
 大阪都構想は無料の「敬老パス」を取り上げられた老人の怒りによって潰された(と思う)。大阪都構想と敬老パスは全く別の問題なのだが、自民党などはこのことを捕えて「都になれば公共サービスが低下する」と訴えていたらしい。こんないい加減な主張を鵜呑みにする人々の意向によって政策が決まるのだから、民主主義とは不合理な制度だ。

修繕

2015-05-25 10:06:12 | Weblog
 建物の一部が壊れた場合、修繕しなければ徐々に破損が広がる。修繕すれば元に戻り破損は広がらない。修繕と修復には因果関係がある。しかし生物の体の場合、多少の破損であれば修繕しなくても、あるいは多少自然治癒力の妨害をしても、自力で修復する。この自然治癒力という特性が実は曲者だ。
 たとえデタラメな治療でも自然治癒力が働いて治ってしまう。デタラメな治療と治癒に因果関係は無い。治療をしたから治ったのではなく、デタラメなことをしている内に自然治癒力が働いて治ってしまっただけだ。これによる治癒率は偽医療や祈祷とほぼ同程度だろう。これらには自然治癒力以外にプラシーボ効果が働くから放置する場合よりもほんの少しだけマシになるだろう。
 対症療法は一時的に不快な症状を緩和する。これで時間稼ぎをしている間に自然治癒力が働いて治る。対症療法など必要無い。それどころか風邪に対する解熱剤などであれば、対症療法を施さないほうが早く治る。
 勿論、総ての医療が無駄な訳ではない。抗生物質には多くの細菌を殺す効力がある。しかしウィルス性疾患には抗生物質は全く効かない。それにも拘わらずウィルスが原因である風邪に対してしばしば抗生物質が処方されている。
 医療の殆んどが迷信と大差は無いが確実に治療効果があるのは歯の治療だ。歯茎とは違って歯には自然治癒力が備わっていない。だから虫歯になれば悪化する一方だ。我慢している内に痛みが鎮まってもいずれ必ず前よりも悪化して再発する。だから歯の治療だけは必須だ。自然治癒力が働かない歯は建物と同じように修繕せねば治らない。
 自然治癒力の存在を無視するから多くの無駄な医療や有害な医療が蔓延る。かつては傷口は消毒することが常識だった。しかしこれが傷口の細胞を破壊し、善玉菌を殺してしまうことが明らかになり、今では消毒せずに水洗いすることが常識になった。関節痛や筋肉痛に対するアイシングもいずれは自然治癒力の妨害をする有害な医療として否定されるだろうと私は思っている。

劣化

2015-05-25 09:33:30 | Weblog
 「同じ場所にいるためには全力で走り続けねばならない。」この言葉はルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」にあり「赤の女王仮説」と呼ばれている。
 何もしなければ劣化する。例えば一流のアスリートは目一杯のトレーニングをして初めて現在の力を維持できる。学者も学問に励まなければ取り残される。芸能人も自分磨きを続けなければ容姿が衰える。このことを理解できない人がいる。多くは低レベルに安住する人だ。
 憲法を一字一句変えなければ刻一刻時代遅れになる。改善しないということは劣化を意味する。安倍首相が憲法を破壊したのではなく、条文の改善を拒み続けた「護憲」を標榜する人々が憲法を空文化させた。彼らは本気で憲法を守ろうとしたのではなく「護憲」を飯のタネにしていただけだった。これはニーチェが神を殺したのではなく「死んでいる」ことを明かしたことと似ている。神を殺したのは他ならぬ聖職者達だった。
 ロートルのスポーツ選手や老人は惨めだ。目一杯の努力によって得られるのは劣化を遅れさせることだけだ。現状を維持することさえ困難だ。
 生物は進化し続ける。進化し続けなければ生き残れないからだ。進化を放棄したシーラカンスは希少生物になる。文化人と称する人の中にはシーラカンスがウヨウヨいる。
 生きるとは挑戦し続けることだ。過去の名声に縋っている人は既に半分死んでいる。彼らにはかつての漫画「北斗の拳」の決め台詞「お前は既に死んでいる」がピッタリだ。
 低レベルに安住するか、努力と自己超克を繰り返して高いレベルを保つかは生き方の選択でもある。学校で習った知識も多くは古い知識として否定される。いつまでも昔教わったことを盲信していてはならない。南進を続ければ極寒の南極に至る。南ほど暖かいのは限られた範囲でしか通用しない知識だ。ユークリッド幾何学もニュートン力学も万能ではない。狭い知識に捕らわれてはならない。アンドレ・ジイド曰く「己を知ろうとする青虫は蝶になれない。」

牧師と医師

2015-05-23 10:08:21 | Weblog
 ニーチェの「道徳の系譜」を読み直していたらこんな文章に出会った。「彼らが治療したのは、ただ苦しみそのもの、苦しんでいる者の不快だけであり、その原因でも本来の病気でもなかった。」この文脈での「彼ら」は牧師を指す。私はこれと全く同じ論法を使って対症療法を批判することが少なくない。哲学とは汎用性があるものだと改めて思った。
 牧師であれ医師であれ、人を癒そうとする人は全く同じ罪を犯す。精神的であれ肉体的であれ、苦しんでいる人は誤った救いを与えられて満足している。考えてみれば、医療用語にはオカルト的な言葉がよく使われる。「神の手」とか「魔法の薬」とかいった言葉を平気で使う。医療と宗教はよく似ている。
 人は外界を5感を通じて現象として知覚する。物自体は絶対に知り得ない。このことを説明するためには1冊の本を書く必要があるが、平たく言えばコンサートをテレビで見るようなものだ。音も映像も目の前にあるがアーティストがここにいる訳ではない。だから幾ら声援を送っても相手には届かないし、映像に危害を加えても相手は痛くも痒くもない。ここまで極端ではないにしても、症状と原因との間には巨大な隔たりがある。
 映像に幾ら働きかけても本体には何も届かないように、症状だけを緩和しても病気は治らない。本体に、つまり原因に対処しなければならない。
 皮膚病が分かり易い。白癬菌による水虫や虫刺されによる腫れ以外の皮膚病は殆んどが内因性だ。だから塗り薬では完治しにくい。不足している栄養素の補給や、あるいは逆に知らずに摂取している有害物を絶たなければ治らない。もしかしたら臓器の障害が原因かも知れない。いずれにしても直面している不快感ではなくその原因に対処せねばならない。症状に対する対症療法によって医原病を患い、それに対して更に対症療法を重ねていれば医原病の底なし沼に嵌まることになる。悪い治療法はオウム真理教のようなカルト宗教によく似ている。

ポピュリズム政治

2015-05-23 09:36:52 | Weblog
 多数者の意向を尊重するのが民主主義だが、多数者に迎合するのはポピュリズムだ。昨年の5月22日にタイではクーデターが起こってインラック政権が倒されたが、この政権の政策が典型的なポピュリズムだった。
 タイでは国民の6割が農家だ。だから選挙では農民から支持を得た政党が勝つ。インラック政権がやったことは極端な農民優遇策であり、農民の圧倒的支持を得たから全国レベルでの選挙では絶対に負けなかった。このことに対して農民以外の人が怒った。多数決では絶対に勝てないと分かっている彼らは選挙を否定した。多数決が否定されれば民主主義は機能しない。だから軍によるクーデターが起こった。
 インラック政権の政策は米農家に対する高額融資制度だ。農家を保護・育成するというタテマエの元で、米を担保にして高額の貸し付けを行った。販売価格を上回る貸し付けだから誰も返済しない。その結果として政府は大量の米を保有することになり、引き取り価格を下回る価格で輸出すれば財政赤字は膨らむ一方だ。
 これは実質的には、米の収穫量に応じて金銭を贈与するという制度になる。つまり農家に対する贈賄だ。賄賂を政策の柱に据えるのだから、貰う側の農民は熱烈にインラック政権を支持した。これはとんでもないバラマキ政策だから農民以外は大反対した。こうして収拾が付かない騒動になった。
 最大多数の最大幸福という考え方からすれば、多数者に喜ばれる政策は良い政策だ。しかし少数者を犠牲にしたり、あるいは国益に背く政策であればただの人気取りだ。
 実は日本でもよく似たことをやっていた。食糧管理制度だ。これは政府が米を総て買い上げる制度であり、高額で買い取った米を国民に負担させた。このせいで日本の米は他の食材とはアンバランスに高額になり消費者の米離れに繋がったし、高過ぎる米は幾ら余っても輸出できないから、減反という世界に類を見ない馬鹿げた政策が採られた。今尚、日本の米が国際価格の数倍で高止まりしているのはこの制度の後遺症と778%という保護関税が原因だ。終戦直後は農業人口が多かったのでこの制度を維持することによって自民党は農民票を集めていた。都市から農村への所得移転とも解釈できるが、実際は農民からの集票が目的だった。だからこそこの矛盾が食管法廃止から20年経った今になっても解消されていない。未来を犠牲にしたその場凌ぎの悪政だったということだ。
 今後危惧されるのは高齢者優遇策だ。年金制度の歪みを是正できないのは高齢者の反発を恐れてのことであり、今後更に高齢者が増えれば今以上に見直せなくなる。呆れたポピュリズムだ。多数者に対する利益供与が政策として認められているのだから、多数決という仕組みには致命的な欠陥があると言わざるを得ない。