俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ファン

2015-10-21 10:21:13 | Weblog
 1996年、キリンビールは主力商品の「ラガービール」を生ビールに切り替えた。「ラガー」とは今流行りのラグビーのことではなく「加熱処理」を意味する。だからラガービールとは「加熱処理したビール」という意味であり、これを「生」にするとは論理的にはおかしい。そんな矛盾など気にしていられないほどにキリンは追い詰められていた。一時は独占禁止法に基づいて企業が分割されそうになるほど強かったキリンだが、アサヒビールの大躍進によって急激にシェアを失いつつあった。ラガービールの「生化」はスーパードライに対抗するための切り札の筈だったのだが、このことで自ら墓穴を掘った。ラガーの売上は大幅に減り、長年守り続けていた業界トップの座をアサヒビールに明け渡すことになった。実はこれとよく似た失敗をした企業があり、その教訓を活かさなかったことからマーケッターの失笑を買った。
 1985年、アメリカのコカコーラ社はニューコークを発売した。当時のコカコーラはペプシコーラの追撃に遭いジリ貧になりそうだったからだ。そこで20万人のモニター調査を背景にして自信を持ってニューコークを発売した。ところがこれがとんでもない騒動を招いた。苦情は約40万件、各地では不買運動やデモまで起こり、急遽「コカコーラ・クラシック」を再発売して騒動を鎮めた。
 なぜこんなことが起こったのか。ファンの心理を理解していないからだ。ファンは今のままであることを望む。仮に今よりも良い品質になっても「これまでと違う」ということで低い評価しか得られない。ずっと選んでいた味こそ最高のものだからだ。もしビートルズがリンゴ・スターをクビにしてもっと優秀なドラマーを採用していたらその時点で見限られていただろう。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人であってこそビートルズであり、一人でも欠けたら別のグループになってしまう。
 キリンビールはファンの存在を軽視しただけではなく対応も遅れた。1998年と99年に復刻ラガーが当たるキャンペーンを行ったところ2,600万口という空前絶後の反響があった。このことでようやく旧ラガービールのファンの存在を思い知らされた。2001年になって「クラシック・ラガー」を売り出したが時既に遅し。他の銘柄に移った顧客は帰らなかった。
 ファンとは不思議な人々だ。あらゆるジャンルにファンがいる。私はチキンラーメンを現在市販されている最も不味いラーメンだと思う。麺もスープも時代から取り残された前世紀の遺物だとまで思う。しかしファンがいるから今尚ベストセラーだ。これはソウルフードと似ている。決して旨い料理ではなくても、昔馴染みの味を好ましく思う。この保守性を否定する気は無いが、文化の進歩を阻害して世代間の好みの違いを生みだす一因だろう。あるいは「惚れた目にはアバタもエクボ」と言う。「恋は盲目」という諺もある。一旦好きになってしまえば始末に負えない。だから「贔屓の引き倒し」ということまで起こる。

形骸化

2015-10-21 09:37:48 | Weblog
 「『我々が神を殺した』と狂人は言った」(「悦ばしき知識」125)。ニーチェの代名詞とも言える「神は死んだ(Gott ist tot)」は「ツァラトゥストラ」から引用されることが多いが、その前年の作品「悦ばしき知識」において初めて表明された。神は死んだのではなく人々によって殺された。ニーチェの功績は神を殺したことではなく、神が既に死んでおり、神という虚構に頼らずに生きねばならないと知らしめたことだ。
 憲法を形骸化させたのは安倍首相の率いる自民党ではない。我々日本国民が憲法を形骸化させた。憲法は既に死んでいる。自衛隊の存在を認めることと集団的自衛権の容認など五十歩百歩の違いだ。どちらも明らかに憲法違反だ。
 もし憲法を守るなら国防を完全にアメリカ軍に委託して自衛隊は解散すべきだ。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と明記されているのだからそれ以外の選択肢などあるまい。これが「護憲派」の御意に適うだろうか?
 博覧会で営業施設の管理を担当した時にこんな経験をした。業者は㎡当り幾らで契約するから少しでも自分の領地を広げようとする。私はそのことを知っていたから契約地からのはみ出し営業を一切許さなかった。ところがある日、参加者と博覧会幹部(県庁職員)の懇親会があり、どこかの業者が規制が厳し過ぎると申し入れた。出席していた役員は軽率にも「明日から規制緩和をする」と約束してしまった。翌日それを命じられた私は従うしか無かった。私は所詮民間企業からの出向者であり、主催者は県庁の組織だ。私が規制を緩めると1週間もせぬ内にはみ出し営業が常態化して、通行の妨害をする業者まで現れた。苦情があったらしく「以前のとおり規制せよ」と命じられた。しかし一旦緩んだタガを締め直すことは容易ではなかった。
 これは博覧会などのイベントに特有の現象だ。通常の商取引であれば今後の関係を良好にするために仁義を守る。イベントは1回限りの付き合いだから少しでも多く稼ごうとする。業者の多くは「覧会屋」とも呼ばれる出店のプロ、つまりテキ屋だ。油断や隙を見せれば忽ち付け込まれる。
 曖昧なルールは曲解を生む。人は自分に都合が良いようにルールを解釈する。自転車での傘差し運転は道路交通法違反だが黙認されていた。ところが今年から罰則が適用されるようになると途端にレインコートが飛ぶように売れた。目溢しがルールを空文化させる。
 憲法が軍隊を禁じようとも目溢しをしていれば際限無く曲解され続ける。これを防ぐためには曲解を許さない明確な憲法に修正する必要がある。憲法の条文を一字一句変えさせまいとする護憲を騙る勢力こそ平和の敵だ。