俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

生物

2016-01-30 10:47:16 | Weblog
 生物が非生物と異なるのは、成長することと生殖することだと考えていた。非生物においてはエントロピーは増大し続ける。平衡状態に向かうという意味だ。岩は砕かれて石や砂になる。細石(さざれいし)が巌(いわお)となることはなく、そんなことが起こるためには外部からの巨大なエネルギーが必要だ。ところが生物はエントロピーに逆らって成長する。有性生殖する生物だけではなく無性生殖する生物も成長する。もし細胞分裂によって増える生物が成長しなければ個体はどんどん小さくなってしまう。
 次世代を残すということも生命の特徴だ。命を繋ぐことによって約40億年間生き続けている。但し生殖能力が必須であるのは「個」ではなく「群」だ。生殖能力を持たない個体の例は働き蜂など沢山ある。生殖能力能力を持たない個体であっても生物の定義からは外れない。群としてはちゃんと生殖能力が備わっている。
 最近、全く違った条件があることに気付いた。それは自動修復機能を持つということだ。総ての生物には自動修復機能が備わっている。自動修復機能を欠いた生物は総て絶滅しただろう。自動修復機能は生物として生き延びるための絶対条件だ。もし自動修復機能が無ければ掠り傷でさえ致命傷になってしまう。
 かつてダーウィンが自然淘汰に基づく進化論を発表した時、反対論者は目の精密性を根拠にした。これほど精緻で複雑な機能が偶然によって生まれることなどあり得ないと主張した。しかし自動修復機能は目以上に神秘的な機能だろう。人類の文明は未だその足元にも及んでいない。
 総ての生物が自動修復機能を持つが人工物にそんな機能は無い。だから修理やメンテナンスが欠かせない。人類の文明は自動修復機能を備えた機械を発明していない。だから人工物の中で暮らしている人は、あらゆる生物に自動修復機能が備わっていることに気付かない。人が病気や怪我から快復できるのは自然治癒力が働くからであり、医療にはその支援以上のことなどできない。あたかも医療によって治療ができると思い込んでいるのは全く錯覚であり、これが誤った医療の元凶になっている。自然治癒力は目以上に精緻な仕組みだ。この偉大さを理解せずに人体を操作しようとすること、例えば薬によって血圧を下げるような行為は、全体の複雑な仕組みを破壊しかねない。それは素人が改造車を作るようなものであり高速道を逆走するような愚行だろう。改善されることは滅多になく殆んどが改悪になる。自然治癒力を尊重しない医療は必ず有害になる。
 機械に自動修復機能を持たせることは今後の課題だろうが、総ての生物が当たり前のように自動修復機能を備えておりそれが人智を超えるレベルであることを見逃すべきではなく、いかにして自然治癒力を支援するかが現代の医療に可能な最善の仕事だろう。

正反合

2016-01-30 09:51:28 | Weblog
 カントは二律背反によって、2つの命題が対立したまま解決不可能な場合、命題ではなく設問が誤っているとし、理性には無限や永遠について論評する資格が無いと指摘した。
 ヘーゲルの弁証法は楽観的だ。正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)の対立を止揚(アウフヘーベン)して合(ジンテーゼ)に至ると考えた。静的なカント哲学に対してヘーゲルの弁証法は動的であり使い勝手が良い。
 最古の弁証法はプラトンの対話篇ではないだろうか。ソクラテスと議論をするソフィストはしばしば魅力的であり中でも「ゴルギアス」に登場するカリクレスの主張はソクラテスの主張よりも興味深い。
 良い議論を通じて思考は深まる。「合」に至れるとは限らないが「反」を理解することによって知恵のレベルが高まる。
 哲学的な問題でなくてもこの手法は有効だ。メリットとデメリットを片っ端から列挙すれば問題点がかなり明らかになる。賛成派の人はメリットに、反対派の人はデメリットにばかり注目したがるものだが、双方の主張を列挙すれば意外な落し所が見つかるかも知れない。これもまた「合」だろう。
 事実を客観的に把握しなければ詭弁術の罠に嵌る。例えば不倫関係に悩む女性はこう考えるかも知れない。「彼のことが好きだが彼には妻子がある。」その一方でこう考えることも可能だ。「彼には妻子があるが私は彼を愛している。」前者であれば不倫を諦めるし後者であれば不倫を続ける。同じ事実に基づきながら結論が正反対になるのはこれが論理として不充分だからだ。論理ではなく感情の叙述に留まっているからだ。こんな考え方に捕らわれていても堂々巡りにしかならない。ここは正と反に分解して弁証法的に考える必要がある。一方には今の関係を続けたいという欲求があり、もう一方には妻子があるという現実がある。これは願望対現実の対立として客観化できる。
 願望と現実の対立を解消する最も簡単な方法は願望を改めることだがそれができないなら現実を改めることになる。勿論、現在や過去の現実を改めることなどできないから未来を変えるために励むという選択肢しか無かろう。そのためには現実を徹底的に分析して可能な未来を構想すべきだ。夫婦の関係、親子の関係、経済事情etc.etc.。個々に事情は異なるからどうなるかは分からないが何らかの結論に至るだろう。
 人は願望に基づいて考え勝ちだ。自分を正当化するための事実ばかりを集めようとする。だからこそ反(アンチテーゼ)に関する理解が欠かせない。反を深く理解して初めて合に至り得る。

教師

2016-01-28 10:40:50 | Weblog
 日本の教師に共通する欠点は「世間知らず」であることだ。大学を卒業してからすぐに教師になる人が殆んどだから学校という最も閉鎖された社会しか知らない特殊な人ばかりが集まり極端に視野が狭い。相手の職業を知らずに話をしていても、教師と警察官だけはまるで別世界の住民のような雰囲気があるからすぐに識別できる。だから少なからぬ生徒が教師を半人前の人間として軽蔑している。こんな教師に指導される生徒は可哀想だ。画一的な教師に教えられたら画一的な生徒にされてしまう。アメリカの教師の8割が他の職業の経験者だそうだ。アメリカの教育の多様性を讃える人がいるがそれ以上に評価されるべきなのは教師の多様性だろう。
 教師になるために1年以上学校以外で働くことを義務付けてはどうだろうか。1年以上民間企業で働くというキャリアを義務付ければ教師は随分多様化するだろう。温室で純粋培養された人に教師は勤まらない。
 しかしこんな制度は不可能だろう。職業選択の自由を奪うとして否定されるだろう。教職希望者に他の仕事での経験を義務付けるよりも他の仕事を全うした人を雇用するほうが現実的だろう。
 民間企業を定年退職した人の中には学識豊かな人が少なくない。海外勤務が長くて生きた外国語を使いこなせる教師など皆無だがこんな人材が民間にはゴロゴロいる。こんな人材を活用しない手はなかろう。学識も社会経験も豊富であれば理想的な教師だろう。しかも彼らは一度リタイアした立場だから低賃金で雇用できる。教師の質を高め同時に人件費を減らすことが可能になる。
 私は決して教師をシルバービジネスにしたい訳ではない。私が求めるのは、底の浅い人間が大半を占める教師の質の底上げであり教師の多様化だ。私の同級生に限れば教職に就いた人は大半が常識的で面白味の無い人々であり、一般企業に就職した人のほうがずっと多様で才能に満ちている。現状の画一的な教師の目から鱗を落とさせるような全く違った人材が教育の現場には必要だろう。
 まず試してみるべきだろう。成功すると私は考えるが、何かと理屈を付けて現状維持を図ろうとする教育関係者は少なくなかろう。こんな時こそ実験の精神が生きる。上手く機能すれば拡充すれば良いし上手く行かなければ縮小・廃止をすれば済むことだ。現状を見直さなければ現状を維持することさえできず必ず劣化する。

性同一性障害

2016-01-28 09:52:12 | Weblog
 「俺はゴリラだ」と主張する狂人にゴリラの肉体を与えることは正当だろうか。性同一性障害の患者に性転換手術を施すことはこれと同じ愚行ではないだろうか?
 現実を否定することはできない。万物は落下するし陽はまた昇る。絶対的な現実を受け入れられないのは何らかの精神障害だろう。「落下しない石がある」とか「俺は人ではなくゴリラだ」と強硬に主張する人がいれば99%確実に統合失調症患者だろう。
 様々な性的倒錯がありその原因は後天的な心的外傷(トラウマ)だ。これらは治療を要する障害だと思うのだがなぜかマスコミと政治家は同性愛と性同一性障害だけは正常と評価したがる。最も奇妙なことは性転換手術をして女性のような体を持った男性に女性としての権利を持たせようとすることだ。たかが外科手術によって性が変わり得るものだろうか。
 老人でも入学すれば大学生になれるし入社できれば正規雇用労働者にもなれる。50歳の人が30歳の人の養子になっても構わない。社会的な役割はどうにでも変更できる。私は同性婚も構わないと考える。但しこれは明らかに憲法違反だからそのためには憲法改正が必要だ。
 しかし人は老人になることはできない。整形手術や化粧によって老人らしくなっても老人ではないから年金は受給できない。同様に小柄な人が整形手術を受けても子供にはなれない。勿論、男が女になれる訳ではないし、実際、整形手術によって可能なのはそれらしき外見だけであり女としての能力は何1つ持っていない。もし脳の移植をすれば女性の肉体を持つ男性と言えるが今のところそんな技術は無い。
 整形手術による人工女性に女性としての権利はあり得ない。贋物は絶対に本物になれない。人工老人に老人としての権利が無いように人工女性に女性としての権利は無い。これらは当たり前のことだろう。社会的な役割とは違って、性や年齢あるいは人間であることは否定不可能な現実だ。正常な人であれば受け入れざるを得ない絶対的な現実だ。
 人は整形手術によって別のものになることはできない。異性にも老人にも子供にもゴリラにもなれない。似た外見を持つだけだ。こんな単純なことをなぜマスコミは否定するのだろうか。彼らには外見で差別する癖が骨の髄まで染み込んでいるのだろうか。ドラマの配役を本人と混同するように女の外見さえあれば女性としての権利があると考えるのだろうか。ゴリラの外見を持った人がゴリラではないように女の外見を持った男も女ではない。
 性同一性障害特例法が制定されたのは平成12年のことだが早々と見直しても良いと私は考える。性同一性障害とされている人の大半はその人独自の個性ではなく精神障害だろう。精神障害者の妄想を後押しする必要などあるまい。
 

糖質

2016-01-26 10:35:32 | Weblog
 食品はカロリーによって一元的に評価されているがこれは根本的に間違っているだろう。
 蛋白質と脂質の本来の用途は体細胞を作ることだ。体細胞を作るために必要な量以上に摂取された分だけがカロリーとして使われる。但しエネルギー源が不足している状況であれば先にエネルギーとして使われてしまうから体細胞の修復が不充分になる。
 現代日本人の食生活を見る限り、蛋白質と脂質を過剰摂取している人は殆んどいない。だから蛋白質と脂質は殆んどが体細胞作りに使われエネルギー源に回されるのはほんの一部だけだろう。
 残念ながら私の知る限りでは、蛋白質と脂質の何割が体細胞作りに使われ何割がエネルギーとして使われるかを調べた研究は見当たらない。多分摂取量のかなり多くが体細胞作りに使われていると思うのだが、カロリー論では総てがエネルギー源として使われるという前提で計算されている。蛋白質は1ℊ当り4㎉、資質は1ℊ当り9㎉とされているが、これはこれらが体細胞作りには全く使われないという現実離れをした前提に基づいている。仮に半分が体細胞作りに使われるならこれらのカロリー量は半減させて計算すべきだろう。
 糖質(食物繊維を除く炭水化物)は体細胞作りには全く役に立たない。だからこそ必須アミノ酸や必須脂肪酸はあるが必須炭水化物など無い。蛋白質と脂質は体細胞のための素材だが糖質は脂肪にしか変換できないから余剰分は体脂肪か皮下脂肪として備蓄される。
 給料の一部を現物支給する材木会社があるとする。社員は汎用性のある現金はすぐに使ってしまうが使い勝手の悪い材木はどんどん備蓄されその内、保管場所にさえ困るようになる。たとえ等価値であっても、汎用性のあるものはすぐに使われ、汎用性の無いものは余る。蛋白質と脂質は現金に当り糖質は材木に当たる。重要なのは汎用性のある現金であり汎用性の無い材木が増えても備蓄が増えるばかりだ。糖質偏重の食事は決してヘルシーではない。多分、脂まみれのメニューのほうが砂糖(糖質)まみれのメニューよりもずっとヘルシーだろう。

自動修復

2016-01-26 09:58:28 | Weblog
 危険と知らずに危険な場所に住んでいる人がいる。福島第一原発近隣の住民がそうだった。原発が危険と分かってから原発周辺の住民は危険に備えるようになったからそれ以前よりも安全に暮らせるようになった。
 南の海には様々な危険な動物が棲んでいる。私が最も嫌うのはクラゲと海蛇だ。私のように潜水をすれば彼らの存在に気付くが多くの人は水の中を見ないから危険に気付かない。こんな人は危険な目に遭い易い。
 たかがクラゲと馬鹿にすべきではない。沖縄には猛毒を持つハブクラゲがいる。小さなクラゲでも群をなせば恐ろしい。大型哺乳類でも食べ尽くすと言われている軍隊アリのようなものだ。彼らに襲われれば全身水疱だらけになる。
 海蛇は沖縄では割とありふれた動物らしい。本島のビーチで泳いでいたら海水浴客の股の間を数匹の海蛇が通り抜けていた。大慌てで監視員に伝えたが無視された。こんな実態を知れば怖くて泳げなくなるだろう。
 日本人の薬好きほど私にとって理解し難いことは無い。毒物である薬を全く用心せずに飲んでいる。彼らは薬がなぜ効くのか考えたことが無いのだろう。有効な薬は2種類しかない。病原体を殺す毒物と不足している栄養素を補充するサプリメントだけだ。それ以外の薬は痛みなどの不快感を緩和する対症療法薬に過ぎない。
 あらゆる生物に自動修復機能が備わっている。誰も治療をしてくれないのだから自力で治さざるを得ない。自動修復力が乏しかった生物は多分総て絶滅したのだろう。
 人類には自然治癒力が備わっているから薬で不快感を抑えている間に自然治癒力が働いて治癒される。薬によって治ると信じ込まされているが鎮痛剤や解熱剤などには全く治療力は備わっていない。
 自動修復機能が備わった機械を人間は未だ作っていないから壊れた機械は修理せねば直らない。しかし自動修復機能に頼る動物の体は修理をしても治らない。このことは最も身近な怪我である切り傷や擦り傷を考えればすぐに分かる。医療にできることは一時凌ぎの対策だけであって傷口は自然治癒力によって修復される。決して医療が修復させる訳ではない。人工物に囲まれていると生物に当たり前のように備わっている自動修復力が見えなくなる。自動修復されているものまで人為と思い込んでいるから必要の無い医療や有害な医療が横行している。薬の危険性を知ることによって生活は今よりも安全になる。

古書

2016-01-24 10:30:39 | Weblog
 古書ほどのネット販売好適品は少なかろう。衣料品であれば色が画像と違っていたり、サイズが合わないことも着心地が悪いということもあり得る。書籍の購入であればそんなことは起こらない。せいぜい思っていたよりも厚かったり薄かったするぐらいだろう。書籍は典型的な多品種少量販売商品であり年間約80,000点が出版されているそうだ。新刊書を総て揃えることはどんな巨大書店でも不可能であり、絶版になれば取り寄せることさえできない。増してや古書であればまるで宝探しのようになる。
 大学生の頃、地元の京都だけではなく大阪まで足を延ばして古書店回りをしたものだが、滅多に目的の本は見つからなかった。当時は変な買い方をしていた。必ずしも欲しい本でなくても珍しい本が見つかればとりあえず買っていた。見つけた時に買っておかなければいざ必要な時に見つからないかも知れないからだ。そんなことをしていたから随分無駄な買い物をしていた。学生時代に手に入らないと諦めていた本がネット上ではいとも簡単に入手できる。これは喜びでもあり驚きでもある。現代の学生はネットを通じて容易に欲しい本が入手できるのだから全く羨ましい。我々が本を探すために費やしていた時間を丸々勉強時間に費やすことができる。
 検索機能も重宝だ。気になる著者がいれば著書の一覧表を見てその中から選べる。
 私が最もよくやる失敗は重複購入だ。流石に新刊書でそんなことはしないが古書ではよくある。私は買った本の半数ほどを売り払っているので書庫を調べても気付かないことがある。店頭であれば立ち読みの時点で以前に読んだ本だと気付くがタイトルだけではしばしば見落とす。その点、私が最もよく利用しているB社は親切だ。購入実績のある本を再注文しようとすると警告してくれる。勿論、他社で買った本や改題された本であればフリーパスになるが、それでも何度も助けられた。
 最も不満な点は無料配送の条件だ。B社の場合1,500円以上から無料配送になるが、合計が1,498円にしかならないことがある。こんな時は購入者が勝手に値上げをして購入できる仕組みがあっても良かろうと思う。

健康食

2016-01-24 09:52:49 | Weblog
 健康のための王道は節制だろう。暴飲暴食などを改めない限り健康は望めない。同様に大切なことは有害物を避けることだ。たとえ有効な毒消しがあってもそれに頼って有害物を摂取し続ける人などいない。まず有害物を排除すべきだ。
 生活習慣病などの検査数値を薬によって抑えることは実に愚かなことだ。原因を放置したまま症状の一部だけを薬(=毒)で抑えることは二重に有害だ。原因に対処せずに薬で対応することは、毒を飲み続けながら副作用のある毒消しを服用するようなものだ。まず原因を見極めねばならない。
 節制以外で健康のために有効なのは睡眠・休養・栄養および適度のスポーツだろう。しかし残念なことに現代人の栄養に関する知識は余りにも低レベルだ。低カロリー食を「ヘルシー」と呼びそれに誰も突っ込みを入れないのは実に奇妙なことだ。本当にヘルシーな食事とは健康を増進させる食事であって減量食とは全く異なる。そもそも本来「食事」を意味する筈のdietが「減量」という意味でしか使わないことが異常事態だ。
 私は糖質(食物繊維を除く炭水化物)制限を評価するがそれは決して減量を肯定するからではない。アルコールは高カロリーでありながら体脂肪として蓄積されないエンプティカロリーだが、糖質はカロリー源にしかならず余剰分は体脂肪として蓄えられるオンリーカロリー食だ。蛋白質や脂質は体細胞の素材であり脂質は体脂肪のための素材だ。エネルギー源や体脂肪の素材にしかならない糖質が重要な栄養素とは思えない。
 糖質制限の思想は正しいが告知方法はしばしば誤っていると思う。減量を考えている人が少なくないからそんな人々に訴えることは戦略としては有効だが本来の思想からは逸脱している。本来の目的は様々な栄養素の摂取だろう。米やパンを制限することは手段であって目的ではない。人間が食べる量は限られているから、大量の米を食べれば他の食材の摂取量が減る。だから糖質を減らすことによって豊富な食材を摂取できるようにする。糖質を減らせば多分、野菜を多く食べるようになる。このことだけでビタミンやミネラルの摂取量が増える。
 糖質を減らせば減量できるという話ばかりがクローズアップされれば間違った方向へと向かう。糖質制限はカロリー摂取量を減らして減量することではなく、様々な食材(栄養素)を充分に摂ることによって健康になることこそ目標とされるべきであり減量など二の次だ。この辺りのことがしばしば見落とされ勝ちだが、優先されるべきなのは健康であって減量ではない。

爆買い(2)

2016-01-22 10:51:20 | Weblog
 2015年の外国人旅行者による消費額は約3.5兆円で、人数では25%を占める中国人の消費が41%を占めていたそうだ。これを爆買いと呼んでいるが、かつては日本人が爆買いをしていた時代があった。
 ヨーロッパの有名ブランド店に20歳台の日本人女性が群がって買い漁ることに現地の人々は眉を顰めた。ステータスシンボルである筈の高級品が、物の良し悪しなど分からない小娘に買い占められることは真の一流ブランドにとっては恥ずかしいことだった。
 実は彼女らの先駆者がいた。日本人旅行者は誰もが洋酒を免税枠一杯の3本ずつ買って帰った。ウィスキーとブランデーの違いさえ知らない彼らが買い漁ったのは「ジョニ黒(ジョニーウォーカー黒ラベル)」と「ナポレオン」だった。
 なぜこんなことが起こったのか。輸入業者に問題があった。急激に円高が進んでも円高差益を還元しようとはせずに高値安定によるボロ儲けを彼らは企んでいた。当時は並行輸入がビジネスとして成り立つほど輸入業者が暴利を貪っていた。
 並行輸入の商品は本来、正規品と比べて割高になる。卸値ではなく小売値で買って関税も輸送費も支払い輸入代行手数料を負担すればかなり割高になる筈だがそれでも充分なほど国内の市場価格は高かった。輸送費も輸入代行手数料も要らないのだから海外の店舗で買うことは賢明な選択だった。
 輸入代行など本来なら成立しない事業だ。だから今行われている輸入代行は、国内では買えない商品に限られる。本国限定のレア物とか未承認の医薬品あるいは非合法の商品などだ。
 では現代の中国人はなぜわざわざ海外で爆買いをするのだろうか。小売事業者の質が30年前の日本よりも低いからだ。中国製品による健康被害は日米などでしばしば問題にされているが、それなりに品質管理されている輸出品と比べて国内流通品はとんでもないレベルだ。廃棄物をを食品として横流しした「みのりフーズ」のような企業が中国には幾らでもある。大勢の被害者を出したメラミン混入粉ミルクや廃油から作った食用油、あるいはダンボール入り肉まんという事件もあった。これらは氷山の一角に過ぎず、日本で報じられない偽装事件は無数にある。
 中国製の商品を最も信じないのは他ならぬ中国人だ。これは日本人が「国産」と言うだけで安心するのとは余りにも違う。「安全と水は無料で手に入ると信じこんでいる(「日本人とユダヤ人」より)」日本人とは違って、安全も水も高価なのが中国だ。安全な商品が選り取り見取りである日本は買い物天国だ。買えるだけ買いたくなるのは無理もないことだ。
 しかしマズローの欲求分類の第一段階の「生理的欲求」と第二段階の「安全欲求」でさえ充分に満たされていない中国は到底先進国とは言えまい。昔の日本では一部の輸入業者が暴利を貪っていたから一部の輸入品が歪に高かっただけだが、現代中国では流通業界の隅々までが多少悪いことをしてでも儲けようと企んでいる。未だに中国の商業のレベルはかつての日本よりも低いから中国人民の富裕層は海外での爆買いを強いられている。

生存率

2016-01-22 09:53:54 | Weblog
 19日に、国立がん研究センターが癌患者の10年後の生存率を初めて公表した。それに依ると、全患者の生存率は58.2%で、5年後生存率の63.1%と比べて4.9%だけ下がるとのことだ。
 しかし部位別の生存率に注目すると奇妙なことに気付く。5大癌の内、全体平均とほぼ同じように推移するのは肺癌だけでそれ以外は明らかに異なる2つのグループに分けられる。
 胃癌と大腸癌の生存率は5年後以降はほぼ横ばいになる。具体的には、前者は70.9%が69.0%に、後者は72.1%が69.8%と生存率の低下は僅かだ。
 肝臓癌と乳癌の生存率は全く違った推移を示し、5年後以降も生存率は低下し続ける。前者は32.3%が15.3%に、後者は88.7%が80.9%へと、それ以前とほぼ同じペースで低下し続ける。
 なぜこんな違いが生じるのだろうか。肝臓癌は転移し易いと説明されているがこの理屈では乳癌の生存率の低下を説明できない。
 私は逆に、胃癌と大腸癌のデータに薄気味悪さを感じる。5年後以降の死亡率が極端に低いのは特殊な要因があるからだろう。胃癌や大腸癌が転移しにくい訳ではあるまいし、完璧な治療法が確立されているから既に癌が克服されたとも思えない。
 胃癌と大腸癌には大きな特徴があることに注目したい。それは、癌検診による「早期発見」が多いことだ。自覚症状が全く無いのに癌検診で癌が見つかり「早期治療」が勧められる。早期治療をすれば完治する可能性が高いと言われれば殆んどのがそれに同意する。
 しかしこれは本当に癌なのだろうか。何度も書いていることだが日本では癌の基準が非常に甘い。欧米では良性腫瘍と判定されるものまで早期の癌と判定される。「疑わしきは罰す」の原則に基づいてグレーは「黒」と見なされている。もし良性腫瘍を癌として手術をしていれば癌患者数は増えるが5年後・10年後の生存率は高くなる。元々癌ではなかった人なのだから、5年後・10年後になっても癌で死なないのは当たり前のことだ。
 胃癌と大腸癌の5年後以降の死亡率が極端に低いのは早期治療が成功したからではなく、本当の癌の患者は殆んどが5年以内に死んでしまい、元々癌ではなかった人ばかりが癌患者として追跡調査の対象になっているからではないだろうか。
 これは僻みっぽい見方かも知れない。しかしこのデータをこう解釈することは充分に可能であり、そう考えなければ胃癌と大腸癌の5年後以降の生存率の異常な高さを説明できない。私はこれらのデータから、胃癌と大腸癌における過剰診療の蔓延を疑う。