昨日(4日)愛知県小牧市で市立図書館の指定管理者をCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)とすることの是非を問う住民投票があり、案の定、否決された。一部の住民による「市民の声を聞け」という要求に応えたものだが、こんな住民投票の乱発にはうんざりする。そして市議会議員の無責任さに呆れる。私ならツタヤ図書館の是非よりも議員全員に対するリコールに参加したいところだ。
議員の立場としては、住民が決めたいと言っているのだから決めさせてやれば良い、ということだろうが、そんな投げやりな姿勢で良いのだろうか。これが議会制民主主義の否定であり、議員に対する不信任の表明であることに全く気付いていないようだ。
ツタヤ図書館に長所も短所もあることは佐賀県武雄市の例があるからよく分かる。それを実際に調査して総合的に判断することが議員や市役所職員の役割だ。それを市民に丸投げするような働かない担当者など要らない。
公共図書館の貸し出し数は年間約7億冊らしい。国民一人当たり7冊ほど借りているという計算になるが、利用者は全国平均で38%、つまり1/3の人しか利用していないということだ。そんな状況で住民投票をすれば利用していない62%の人の意向が反映される。私がいきなり「案の定、否決された」と書いたのはこの住民投票が「現在の図書館建設計画」に対する賛否を問うからだ。多数派を占める図書館不要論者の意向が反映されるからどんな図書館の案でも否決されるだろう。もし将来、公営図書館の案が住民投票に掛かってもやはり否決される。民意は「図書館など不要」だからだ。多数決は不合理な制度だ。もし「外国人の居住禁止」という住民投票があれば多くの自治体で可決されるだろう。
中学生の時こんな経験をした。私が3年生の時になぜか突然、生徒全員のクラブ活動への参加が奨励された。私は軽い気持ちで音楽鑑賞部を選んだらいきなり部長に選ばれてしまった。
元々30人くらいの部員数だったが突然100人以上の新入部員を迎えることになりその場で部長を選ぶことになった。なぜか私は下級生にも人気があったために新入部員でありながら部長に選ばれてしまった。選ばれたから仕方がない、部長としての方針を出さねばならない。私はクラシック偏重を脱して幅広い音楽を楽しもうと提案して多数を占める新入部員を大喜びさせた。
それからが大変だった。私は当時「不良の音楽」と位置付けられていたビートルズの大ファンであり当然その公約を果たさねばならない。当時は未だ「レット・イット・ビー」は勿論のこと「ヘイ・ジュード」も「サムシング」も存在しない。クラシックファンの巣窟である音楽鑑賞部でビートルズの曲が流されたのは多分、日本で最初だったと思うが、「イエスタデイ」だけは辛うじて従来の部員にも受け入れられたが他の曲は酷評された。なお私の主な支持層だった新入部員は大半が幽霊部員になった。
こんな個人的な体験を書いたのは多数決が不合理であることの実例を示すためだ。新入部員を加えずに生え抜きの部員だけで投票していれば私のような変な部長が選ばれることなど絶対に無かっただろう。図書館の運営についても、利用者と将来利用する意思のある人だけで決めるほうが良かろう。無関心の人まで加えれば民主主義ではなく衆愚主義になってしまう。
議員の立場としては、住民が決めたいと言っているのだから決めさせてやれば良い、ということだろうが、そんな投げやりな姿勢で良いのだろうか。これが議会制民主主義の否定であり、議員に対する不信任の表明であることに全く気付いていないようだ。
ツタヤ図書館に長所も短所もあることは佐賀県武雄市の例があるからよく分かる。それを実際に調査して総合的に判断することが議員や市役所職員の役割だ。それを市民に丸投げするような働かない担当者など要らない。
公共図書館の貸し出し数は年間約7億冊らしい。国民一人当たり7冊ほど借りているという計算になるが、利用者は全国平均で38%、つまり1/3の人しか利用していないということだ。そんな状況で住民投票をすれば利用していない62%の人の意向が反映される。私がいきなり「案の定、否決された」と書いたのはこの住民投票が「現在の図書館建設計画」に対する賛否を問うからだ。多数派を占める図書館不要論者の意向が反映されるからどんな図書館の案でも否決されるだろう。もし将来、公営図書館の案が住民投票に掛かってもやはり否決される。民意は「図書館など不要」だからだ。多数決は不合理な制度だ。もし「外国人の居住禁止」という住民投票があれば多くの自治体で可決されるだろう。
中学生の時こんな経験をした。私が3年生の時になぜか突然、生徒全員のクラブ活動への参加が奨励された。私は軽い気持ちで音楽鑑賞部を選んだらいきなり部長に選ばれてしまった。
元々30人くらいの部員数だったが突然100人以上の新入部員を迎えることになりその場で部長を選ぶことになった。なぜか私は下級生にも人気があったために新入部員でありながら部長に選ばれてしまった。選ばれたから仕方がない、部長としての方針を出さねばならない。私はクラシック偏重を脱して幅広い音楽を楽しもうと提案して多数を占める新入部員を大喜びさせた。
それからが大変だった。私は当時「不良の音楽」と位置付けられていたビートルズの大ファンであり当然その公約を果たさねばならない。当時は未だ「レット・イット・ビー」は勿論のこと「ヘイ・ジュード」も「サムシング」も存在しない。クラシックファンの巣窟である音楽鑑賞部でビートルズの曲が流されたのは多分、日本で最初だったと思うが、「イエスタデイ」だけは辛うじて従来の部員にも受け入れられたが他の曲は酷評された。なお私の主な支持層だった新入部員は大半が幽霊部員になった。
こんな個人的な体験を書いたのは多数決が不合理であることの実例を示すためだ。新入部員を加えずに生え抜きの部員だけで投票していれば私のような変な部長が選ばれることなど絶対に無かっただろう。図書館の運営についても、利用者と将来利用する意思のある人だけで決めるほうが良かろう。無関心の人まで加えれば民主主義ではなく衆愚主義になってしまう。