俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

退院

2016-02-29 11:04:24 | Weblog
 昨日、一旦退院した。良くなって退院した訳ではなく、予想通り入院以前よりも酷い状態で退院した。
 入院直前は、軽い固形物なら食べられそうな状態になっており、仮に吐血してもすぐに対応できる入院後に試そうという心積もりだった。入院初日は欠食したが2日目の昼から挑戦を始めた。当初の2食は三分粥とはいえ完食できたが3日目からは抗癌剤の副作用で全く食べられなくなった。液体を飲むことさえ苦痛な状態になった。
 副作用による吐き気はある程度予想していたが味覚障害が現れたことには驚いた。甘味と酸味以外の殆んどの味を不快と感じるようになったから、辛党の私には食べる物が無い。ヤケを起こして40年振りに水羊羹を食べてみたがすぐに吐き出した。
 以前にも増して不味く感じるエンシュア・リキッド以外に口に入れるのは今のところ果物ジュースとヨーグルトぐらいだ。
 点滴が終わったのが土曜の夕刻の6時頃でそれから丁度24時間後ぐらいから少しずつ体調がマシになり始めた。抗癌剤の毒を免疫力が消しつつあるのだろう。
 抗癌剤の副作用は人様々だという。私の場合、吐き気と味覚障害と全身疲労と無気力が主な症状だ。検査数値としては低血圧と微熱が続いている。当然知力も低下しており、新聞よりも高いレベルの記事を理解することは難しい。復活は当分望めそうもない。当面ポロポロと余りレベルの高くない記事を書いてお茶を濁すことになりそうだ。

休載のお知らせ

2016-02-21 08:58:16 | Weblog
 明日(22日)から入院するためしばらく休載します。今回の入院は抗癌剤による治療だけですので1週間程度で退院できる予定ですが、薬の副作用で心身共に少なからぬダメージを受けると予想されるため、再開日は未定です。

良性と悪性

2016-02-21 08:49:40 | Weblog
 明日(22日)から入院する。今回は第一回目の抗癌剤治療で1週間程度で退院する予定だ。
 食道の腫瘍が良性か悪性かは今のところ分からない。どうしても知りたければ内視鏡を使って腫瘍の一部を切り取って調べることもできるかも知れないが、既に確定している事実を知っても殆んどメリットは無い。むしろ内視鏡の事故や切ると暴れると言われている癌細胞の反応によるデメリットのほうが大きいだろう。
 良性か悪性かによって治療方法の選択は変わり得る。しかし私の場合、どちらであれ選択の余地は無い。固形物を食べられるようにすることが差し当たっての課題だからだ。
 手術という選択肢は早い段階で消えた。内視鏡手術が可能なレベルではないとのことだから開腹手術しか無い。ところが食道癌の開腹手術の死亡率はかなり高い。30日以内で5%、90日以内で15%と言われている。広く切開するだけに後遺症も少なくない。良性であれ悪性であれ、挑戦に値する手術とは思えない。
 残された治療法は放射線と抗癌剤だ。どちらも有害な治療法と分かっているが贅沢を言っていられる状況ではない。肉を切らせて骨を切るぐらいの覚悟での相討ち狙いしかあるまい。
 呆れるほど不確定要素ばかりだ。放射線や抗癌剤の治療効果は個人差が大きくどの程度効くか、あるいはどれほどの副作用に苦しめられるか全く予測できない。腫瘍が良性か悪性かも分からない。確かなことは腫瘍があって固形物が食べられないということだ。唯一確かである腫瘍の存在に対処することだけが今の私にできることであり、腫瘍を縮小させるためなら我儘など言っていられない。私は抗癌剤による延命効果など期待していないから、腫瘍が小さくなって固形物が食べられるようにさえなれば満足する。
 勿論、私とて良性腫瘍であることを願っている。しかし現実は願望より優先する。手を尽くした末、良性であれば喜び、悪性であれば諦めれば済むことだ。分からないことをくよくよ考えても仕方がない。分かっていることに基づいて最善策を考えるだけだ。分かっている情報だけが頼りであり、分からないことについてはできるだけ情報を集めた上で、試してみるしか無い。放置して餓死する訳には行かない。

原因不明

2016-02-21 07:43:43 | Weblog
 原因が分かれば対策を立てられる。たとえ複数の複雑な原因が絡み合っていても、どれかを改善することによって幾らかは改善できる。例えば企業の業績低迷の原因は多数あるだろうが、重要と思える弱点を克服できればほぼ確実に向上することが期待できる。
 しかし原因が分からない場合、あるいは分かっていても手を付けられない場合、小手先の対応をしても解決には至らない。例えばJR北海道は構造的な問題点を抱えているから、事故や不祥事を防止することは難しい。
 同じことが医療についても言える。原因が特定されれば医療はそれに対応できる。しかし原因が特定できる病は余りにも少ない。怪我と感染症と欠乏症と中毒ぐらいしか無いのではなかろうか。中には風邪などのウィルス性疾患のように原因が特定できても対処できない病もある。ウィルスは生物ではないから病原菌や寄生虫のように殺すことはできないからだ。
 癌と精神病は原因不明の病気だ。無数の発癌物質が列挙されているのはその原因が分からないという意味だ。中には石綿と中皮腫のように因果性が分かっている癌もあるが原因が分かっても治療できる訳ではない。
 原因が分からない時、医療はどう対応するか?お決まりのパターンになる。対症療法によってその場凌ぎをする。頭痛に鎮痛剤、下痢には下痢止めといった治療効果の無い薬でお茶を濁す。
 しかし原因が分からない病を治療しようとすれば却って悪化させる。かつて精神病の治療法としてロボトミー手術が脚光を浴びノーベル医学賞まで受賞したが、これは人間性を破壊するとんでもない医療だった。現在は抗精神病薬に頼っているが、抗鬱剤の副作用が鬱病の誘発であるように、抗精神病薬の多くが「向精神病薬」だ。
 原因が分からない病に対する治療は期待できない。原因が分かるまでは対症療法に徹するべきであり、分かったという思い込みに基づくオカルト的な医療は却って患者を不幸にする。

期限切れ

2016-02-19 10:32:16 | Weblog
 フランスでは今月3日に、売れ残り食品の廃棄を禁止する法律が成立したそうだ。この法律によると、延べ床面積400㎡以上の大型スーパーが、売れ残った食品を慈善団体などに寄付せずに廃棄すれば3,750ユーロの罰金が科せられるとのことだ。素晴らしい試みだと思うが大きな欠点がある。食品の売れ行きは天候などによって大きく左右されるから、日によっては何tも売れ残る。その際には寄付された慈善団体が廃棄責任を負わされるのだろうか。あるいは日本で言うところの消費期限切れ間近の食材、つまり腐りかけの食材を大量に押し付けられても迷惑なだけだ。
 日本でも食品の廃棄を減らすための取り組みは既に始まっている。YAHOO! JAPANの一部のサイトでは賞味期限切れ間近の食品を20~80%引きで販売しており、多くの小売店での夕刻の安売りは昔からの商慣習だ。比較的新しい物については安売りを義務付けそれで売れ残った物を寄付するという仕組みのほうが、少なくとも消費者と小売業者にとってはメリットが大きい。
 消費者は意外なほど無知で賞味期限と消費期限を正確に理解している人は少ない。私の場合、買い置きしていた食品の消費期限が1日過ぎていれば、匂いなどを確認した上で加熱して食べる。2日以上超過していれば大半を捨てる。その一方で賞味期限切れについては多少の超過など全く気にせずに食べる。
 賞味期限切れの食品は実際には殆んど傷んでいない。しかしそれを売るべきでないことは商業者のマナーだろう。これはスピード違反などと同様、線引きに過ぎない。何㎞/時以上で突然危険になる訳ではないように、賞味期限切れの食品も実際には安全に美味しく食べられる。
 賞味期限切れ間近の食品を安売りすることは、消費者としては支出の削減、小売業者としては収入増と支出減、国家レベルでは食料自給率の向上と貿易収支の改善へと繋がり得る。
 消費者の意識を高めることにもなるのだから、賞味期限切れ間近の食品の安売りは国や自治体がバックアップしても良いほど有益な商業活動であり、食の安全の観点からも何ら問題は無い。

一因

2016-02-19 09:46:27 | Weblog
 17日の朝日新聞に、昨年10月に新潮社などが発表した「新刊本が売れなくなったのは図書館の貸し出しが一因」との主張に対する批判記事が掲載された。様々な理由が並べられているが、要するに見出しになっている「本売れぬ要因は他に」もあるから「主張に矛盾」があるということだろう。
 例の「強制連行」と「吉田調書」の誤報の際にも露呈したことだが、朝日新聞は傲慢であり他者の主張の真意を理解することよりもレッテル貼りをしては勝手な解釈をしたがる。今回の記事にもその悪癖が現れている。
 新潮社の主張は「図書館の貸し出しが一因」であり「原因」とも「主因」とも言っていない。この記事でも2度引用しているが一方では「一因」もう一方では「要因の1つ」と書かれている。なぜこの事実を無視して「要因は他に」もあるから「主張に矛盾」があるなどと書くのだろうか。
 本が売れない原因は幾らでもある。思い付くままに挙げれば、無料情報の氾濫、読書人の減少、書物の質の低下、書店の減少など無数に挙げられる。これらは総て一因であり、図書館による貸し出しもまた一因であることを誰も否定しないだろう。
 朝日新聞の根本的な誤りは、原因は1つという幼稚な因果論に捉われていることだ。だから他にも原因があることを根拠にして新潮社の「主張に矛盾」があると決め付ける。しかし新潮社は元々「一因」と主張しており他の要因の存在を否定してはいない。それどころか新潮社らによる要望書案には「本や雑誌が売れないのは公立図書館以外にも様々な原因があります」と書かれていると、昨年10月29日付けの朝日新聞は報じていた。
 社会現象は単純な物理現象とは違って原因と結果が一対一対応しない。例えば昨今の株安の原因も無数に挙げられる。中国経済の失速、中東の混乱、原油安、アメリカの金融政策、ロシアの動向、アベノミクスとゼロ金利etc.etc.。それぞれが絡み合っているしどれも決定因ではなかろう。複雑な事象においては多くの「一因」があり得るが決定因を定めることは極めて困難だ。
 「これこそ決定因だ」と声高に主張する人は大抵妙なイデオロギーや偏見に凝り固まっている。イデオロギーに基づく世界観は偏狭だ。新聞記事は事実に基づくべきであり何らかの主張や意図を正当化するために書かれるべきではあるまい。

憑依

2016-02-17 09:45:24 | Weblog
 最も好まし医療は完治だろう。たとえ多少後遺症が残ってもその病気ときっぱりと縁が切れることが望ましい。
 次に良いのは延命だ。意識の無い状態でのチューブ巻きは論外だが、生きていなければ他の治療は不可能だ。とは言え、苦痛を伴う延命は患者にとっては有難くない。患者が「死なせてくれ」と訴えるような延命は誰のためにもならない。微妙なのは抗癌剤であり、副作用で苦しむ割には延命効果は乏しい。悪性リンパ腫に対しては特効薬があるらしいが固形癌に対する延命効果はせいぜい数か月らしい。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)とのバランスを測る必要があるだろう。
 最低は対症療法だ。症状を軽減するだけだから病気は悪化する。時には下痢止めのように、症状の緩和と引き換えに命まで奪う愚かな治療もある。
 いざ自分が食道癌の患者になって、不本意ながら対症療法を選んだ。完治は全く望めそうにないないから、よりマシと思えるほうを選らばざるを得なかった。もし完治できる可能性がもう少し高ければ命を賭けた大手術を選んだかも知れないが、成功してもせいぜい5年ほどしか生きられないようだ。そんなギャンブルよりはたとえ3年で死ぬことになろうとも、症状だけを改善することによって通常の生活を営めることのほうが好ましい。
 これまでは多分80歳ぐらいまで生きるだろうという思惑に基づいて15年間のライフプランを立てていたが3年ともなると大幅な見直しが必要だ。充分な時間があるつもりで広いジャンルの勉強をしていたが今後は癌を中心とした医学にかなり偏ることになるだろう。
 綺麗事を言う気は無いが、長く生きるか正しく生きるかを選ぶなら私は迷わずに後者を選ぶ。最悪の生き方とは虚偽に基づいて生きることだろう。私は犯罪者となったオウム真理教の信者に深く同情する。誤った信仰を持ったことは自己責任かも知れないが、麻原彰晃という狂人に振り回された挙句、取り返しの付かないことをしてしまった彼らが幾ら悔やんでも覆水は盆に返らない。しかし誤った信仰を持つ人は彼らだけではない。妙なイデオロギーを盲信することも悪霊に憑依されるようなものだろう。一生を無駄にしないためにも、今の自分の考えが本当に自分本来のものであるかどうかを検証する必要がある。誤った信念に基づいて生きればオウム真理教の信者のように一生を棒に振りかねない。

代替品

2016-02-17 08:57:49 | Weblog
 「旨い塩」とも呼ばれる割と知られたジョークがある。
 「塩を一番旨く食べる方法を知っているかい?知らない?じゃ、抜群に旨く食べられる方法を教えてやる。まず肉屋に行って上等のステーキ用の牛肉を買う。これを鉄板で焼きながら、ごく薄く満遍なく塩を振る。こうやって食べる塩が一番旨い。」
 牛肉の旨さは圧倒的だ。そのため世界中の食文化は、いかにして牛肉の旨さを最大限に引き出すかという方向で進歩した。つまりあらゆる食材が牛肉の引き立て役の位置に立たされた。
 神聖な動物として牛を崇めるインド人は牛を食べない。私はインドに行ったことが無いので詳しくは知らないがインドには様々なカレーがありそれぞれ違った美味しさを味わえるそうだ。その一部がイギリスに伝わりビーフカレーが生まれるとこれは絶品となった。
 神道と仏教の双方から肉食が否定された日本では更に独自の食文化が生まれた。魚と海草による「旨み」の創造だ。これがカツオと昆布を頂点とする「出汁」文化だ。主役の不在によって脇役のレベルが極限まで高められた。
 出汁やカレーは単なる代替品ではない。確かに当初は代替品に過ぎなかったが極められることによって頂点に立った。人によっては牛肉以上の美味と評価するだろう。
 「神」という理念は極めて便利だ。共通の神を信じることによって個人の悩みは解消され社会は秩序付けられる。余りにも便利な理念だから人類はそれぞれの神を手放すことができなくなってしまった。中世ヨーロッパではトマス・アキナスによって「哲学は神学の端女(ハシタメ)」とされた。完璧と思われる「神の意思に基づく世界」と不完全で矛盾に満ちた人間社会との差は歴然としている。勿論、神を想定しても現実が変わる訳ではない。しかし人智を超える叡智が存在してそれが万物を支配していると考えれば、人間にとって理解不可能であることこそ神の叡智の現れと解釈できる。こうして世界は全面的に肯定された。
 しかしこれは牛肉信仰とどこか似ている。余りにも旨い牛肉のために他の食材の価値が蔑ろにされたように、余りにも便利な神という理念のために哲学は神学に奉仕させられていた。
 アジアには西洋や中東のような絶対神は無い。だからこそ独自の倫理観が生まれる。その頂点に立つのがガラパゴス化した日本だろう。神という嘘に頼らない倫理を確立したことにおいて日本は世界の模範たり得るのではないだろうか。
 日本の倫理が何であるのかを伝えることは和食を広めることよりも遥かに重要な課題だろう。世界でも稀な神を持たない民族による「神無き社会の高度な倫理」こそ、神を失いつつある総ての文明人にとっての救済になるだろう。

紙一重

2016-02-15 09:26:11 | Weblog
 格闘技において紙一重の差で躱すことが最も高度な技術だ。ボクシングや剣道を考えれば分かり易い。相手の攻撃を大きく躱せば反撃できないが、紙一重の差で躱せば間合いに身を置いて、体勢の崩れた相手を攻撃できる。攻防一体の達人を迂闊に攻めれば忽ち隙を突かれる。
 レーシングドライバーが猛スピードで走れるのも紙一重の違いを知っているからだ。最高のコース取りをして曲がれる最高速で運転する。
 紙一重が理想ではあるが思わぬ失敗もあり得る。漫画の「あしたのジョー」では完璧なディフェンス力を誇るチャンピオンのホセ・メンドーサが、パンチドランカーになってパンチの軌道が狂うジョーのパンチを浴びた。
 紙一重が可能なのは相手に相応の力量がある場合に限られる。あるレーシングドライバーが「公道は怖くて走れない」と語った。公道の車の技術レベルはバラバラだ。レースであればお互いが最高の技術レベルを持っていると知っているからたとえテール・トゥ・ノーズで走っても危険性は少ない。素人相手にそんなことをすれば忽ち事故に遭う。
 パトカーのドライバーの中にも公道を怖がる人がいるがこちらは事情が違う。プライベート走行での公道が怖いということだ。パトカーに乗っていれば周囲の車は安全運転を守るが一般車に対しては合法ギリギリ、それこそ紙一重のレベルで運転をする。パトカーに慣れている警官ほどこのギャップの大きさに驚く。
 私は最下位合格を理想としている。所詮は足切りに過ぎない試験であれば、上位で合格するよりも下位で合格するほうが好ましい。やるべきことは幾らでもあるのだから、余裕を持って生活しながら滑り込みセーフとなることがベストだ。
 但しこれは余りお勧めできない。私自身、少なくとも1回、最上位不合格の憂き目を味わった。裏の事情は分からないが、社内の登用試験で私より下位の人が合格し私は最上位不合格者だった。レーシングドライバーと同様、紙一重が有効なのは、相手が信頼できる場合に限られる。
 命も実は紙一重だと知らされた。食道に腫瘍ができただけで他の総てが健康体であっても死と隣り合わせになる。微量の有毒ガスやほんの3分間の水没、あるいは少量の毒物や病原体によって命が失われる。命は余りにも脆くガラス細工のようなものだ。

耐久力

2016-02-15 08:37:11 | Weblog
 癌との戦いは長くしかも圧倒的に不利なものになると覚悟している。味方は余りにも少ない。本来なら絶対的な守護神である免疫力に頼れないからだ。癌細胞は本人の細胞が変異したものだから免疫は癌細胞を異物とは捕えず攻撃しない。免疫力に頼れなければ他の機能を当てにせざるを得ない。
 生命力は2種類あると考える。動物的生命力と植物的生命力だ。動物的生命力は積極的に外敵と闘うための能力であり言わば男性的パワーだ。植物的生命力は苦境に耐える力で言わば女性的な力だ。こちらが本来の生命力だろう。大事故で奇跡的に助かるのは殆んどが女性であり平均寿命も長い。女性のほうが植物的生命力が強い。適切な術語が見当たらないのでこれを「耐久力」と呼ぶ。耐久力の本質が何であるか分からないが、癌が招く様々な不都合から体を守る最後の砦になってくれると期待する。癌との我慢比べにおいて最も頼れるのは自分に備わった耐久力と信じて、たとえ流動食であろうともそれによるエネルギーチャージに努めたい。
 固形物を食べられなくなってから、私の主食はエンシュア・リキッドという栄養飲料だ。私の好みよりもかなり甘くドロドロの液体だから当初は水で流し込んでいた。不思議なものでこれを飲むことが徐々に苦痛ではなくなり楽しみにさえ変わった。やはり空腹こそ最高のスパイスであり、生命を維持するためであれば嗜好など簡単に変化するようだ。このことで自信を持ち飲料のバリエーションを広げようと野菜ジュースも飲み始めた。こちらも徐々に量を増やせるようになった。たとえ液体であっても貴重な栄養源であり耐久力を増強するために少しでも多く飲もうと考えている。
 正確なデータは無いが、癌で激しく痩せた人の癌細胞の成長速度は通常よりかなり速いそうだ。耐久力が低下しているからだろう。食べられなくても飲める間は少しでも多くの栄養を摂取して耐久力を維持したい。無駄な足掻きになるかも知れないが試してみる価値はあるだろう。点滴に頼らねばならない状態になってしまえば耐久力も低下する。
 戦う相手は癌細胞だけではない。皮肉なことに治療に使われる放射線と抗癌剤が当面の敵だ。毒を以て毒を制すという戦略を選んだ以上、正常細胞はこの3つの手強い敵と戦わねばならない。耐久力は免疫力の支援さえ得られず孤立無援の戦いを強いられるのだから、少しでも強化しておくことが今の私にできる唯一の癌対策だろう。