「正当な差別」はあり得ない。私は決して「差別は総て悪い」などと言いたい訳ではない。正当なものは区別と呼ばれ正当とされないものだけが差別と呼ばれるからだ。
アメリカでは能力による区別以外は総て差別と見なされる。人種・性別・年齢などによって差別することは禁じられている。だから定年制は無い。老化しても年齢ではなく能力によって区別される。
日本ではなぜか年齢による区別だけが認められている。定年制も年功序列制も年齢による区別と位置付けられているがこれは差別ではないだろうか。
高齢者のほうが個人ごとの能力の差は大きい。同じ年齢であっても身体能力も思考力も大きく異なる。現在、65歳までの雇用が増えているが、大半の企業では一律の低賃金制だ。これは非常に不合理な仕組みだ。高齢者の個々の能力が生かされていない。国の指示だから雇ってやっているという姿勢が露骨に表れている。差が顕著な高齢者に対してこそ、アメリカ式の能力に応じた処遇があって然るべきであり、人事制度改革の実験場としてもふさわしい。
当り前の話だが人は皆異なる。ある仕事に向いている人も向いていない人もいる。芸能人なら容姿によって選別されても差別ではないだろうし、バスケットボールなら身長によって適否が大きく左右される。差別という言葉はかなり恣意的なものだ。
誰でも差別に反対する。しかしそれはその人が「差別」と感じるものを否定するという意味でしか無い。他の人にとってはそれが差別ではなく区別である場合もあろう。「差別反対」という言葉に胡散臭さを感じるのは差別という言葉には予め特定の価値判断が含まれているからだ。私は差別撤廃よりもむしろ個々の違いを尊重し合うことを重視したい。人はお互いに異なるからこそそれぞれに魅力がある。同じであればつまらない。
アメリカでは能力による区別以外は総て差別と見なされる。人種・性別・年齢などによって差別することは禁じられている。だから定年制は無い。老化しても年齢ではなく能力によって区別される。
日本ではなぜか年齢による区別だけが認められている。定年制も年功序列制も年齢による区別と位置付けられているがこれは差別ではないだろうか。
高齢者のほうが個人ごとの能力の差は大きい。同じ年齢であっても身体能力も思考力も大きく異なる。現在、65歳までの雇用が増えているが、大半の企業では一律の低賃金制だ。これは非常に不合理な仕組みだ。高齢者の個々の能力が生かされていない。国の指示だから雇ってやっているという姿勢が露骨に表れている。差が顕著な高齢者に対してこそ、アメリカ式の能力に応じた処遇があって然るべきであり、人事制度改革の実験場としてもふさわしい。
当り前の話だが人は皆異なる。ある仕事に向いている人も向いていない人もいる。芸能人なら容姿によって選別されても差別ではないだろうし、バスケットボールなら身長によって適否が大きく左右される。差別という言葉はかなり恣意的なものだ。
誰でも差別に反対する。しかしそれはその人が「差別」と感じるものを否定するという意味でしか無い。他の人にとってはそれが差別ではなく区別である場合もあろう。「差別反対」という言葉に胡散臭さを感じるのは差別という言葉には予め特定の価値判断が含まれているからだ。私は差別撤廃よりもむしろ個々の違いを尊重し合うことを重視したい。人はお互いに異なるからこそそれぞれに魅力がある。同じであればつまらない。