俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

書店

2013-11-24 11:11:45 | Weblog
 大阪在住時は阪和線の杉本町という駅の近くに住んでいた。近隣に大阪市立大学があるので駅前には書店が3店もあったが順次閉店して今では1店も残っていない。これは大学生の本離れが最大の原因だろうが、書店というビジネスモデルの欠陥が現れたとも思える。 
 出版不況の中で大型店が増えているのは資本の論理ではない、単に規模の論理だ。書店は大きいほど有利だ。理由は2つある。
 1つは、大きい書店ほど品揃えが豊富になることだ。出版物は非常に多いので小さな書店ではその一部しか店頭に並べられず、客は品揃えの豊富な大型店に集まる。
 もう1つの原因は委託取引制度だ。委託取引なら返品が自由なので小売店が一方的に有利な制度のように誤解され勝ちだが、決してそうではない。委託取引は利益率が低いからだ。不良在庫という危険を避けるために書店は低い利益率に甘んじなければならない。そしてこれが招く最大の問題は返品作業だ。返品ほど無駄な業務は無い。返品される本とは売れなかった物だ。売れなかった物を返品するために納品と返品という2度の作業が必要になる。つまり利益ゼロのために2度も作業をせねばならないということだ。これと比べれば衣料品店では広く行われているバーゲンセールのほうがずっと合理的だ。たとえ原価割れで販売しても収入にはなり、しかも返品という無駄な作業が発生しない。書店の経営改善のために私は前号の雑誌のバーゲンセールを提案したい。出版社にとってもゴミにしかならない古本に使っている物流費が削減できるので両者にとってメリットがある。
 返品率は小規模な書店ほど高くなる。そのため小規模な書店の従業員は返品作業に多くの時間を割かねばならない。これは本来、販売や商品知識の向上のために割くべき時間だ。返品作業のせいで店頭サービスが低下して売上が減るだけではなく万引きの増加まで招く。このことが更に負の連鎖を生む。返品率が高ければ取次店から逆選別を受ける。つまり売れ筋品が入荷しなくなる。これではジリ貧にならざるを得ない。こういった事情から書店は大型店に集約されている。

アメとムチ

2013-11-24 10:37:10 | Weblog
 人を動かすためにアメとムチのどちらのほうが有効だろうか。私はアメのほうが断然有効だと考える。理由は極めて単純で、私自身がそうだからだ。
 叱られると萎縮する。指摘されたことだけではなく総てに対して消極的になってしまう。できるだけ何もせずに済ませようとする。逆に誉められると積極的になる。やらなくても構わないことまでやろうとしてやたら働く。年間4000時間以上働いた経験もあるがこれは煽てられた豚が木に登ったからであり決して強制された訳ではない。自主的に働く時に人は最もよく働く。
 中国人は全然違った考え方をする。彼らは今尚、戦国時代の法家の思想を受け継いでおり、人をムチによって強制しようとする。しかしムチによる強制には大きな弱点がある。ばれなければ良いと考えるから目の届かない所では手抜きや違法が横行する。市場も正当な競争ではなく騙し合いになる。9月25日付けの「厳罰主義」に書いたことだが「日本人が拾った財布を届けるのは容赦の無い法律があるからだ」と本気で考える国だ。
 多様で自己主張の強い中国人が自由になれば国が崩壊するかも知れない。少なくともウィグルとチベットは独立して中国は分裂するだろう。しかしそれは決して悪いことではなかろう。ソ連の分裂の再現だ。権力者以外の大半の国民は今よりも却って幸福になるだろう。日本のような小さな国でさえ地方分権が必要なのだから、巨大過ぎる中国は超中央集権国よりもEUのような緩やかな連携国家群のほうが多分良かろう。
 西洋人はムチの代わりに神を捏造した。全知全能の神の前では誤魔化しは通用しない。しかしこれにも弱点がある。神が捏造だと分かってしまえば見張り番がいなくなる。
 日本人の倫理の基準は中国人とも西洋人とも異なる。基準になっているのは優しさと思いやりだろう。架空の物語の登場人物にさえ同情する心優しき日本人が現実の人に迷惑をかけようと思う筈が無い。勿論、衣食が足りていることによる余裕に拠るところも少なくなかろう。