俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

誉める効果

2013-11-18 10:21:37 | Weblog
 誉める効果は過小評価され、叱る効果は過大評価されているように思える。
 得点が完全にランダムになる試験を想像して欲しい。サイコロゲームのようなものだ。サイコロを振れば1回ごとに1から6までランダムに数字が出る。しかし何度も振れば平均値は3.5に収束する。そんな試験だから平均点が50点になる。そしてこのことが最も重要なのだが、本人も周囲も努力すれば得点が増えると信じ込んでいるということだ。この試験で問題数が充分に多ければ全員がほぼ50点になる。しかし問題数が少なければ0点から100点まで正規分布する。つまり運が良ければ高得点になり、悪ければ低得点になるだけだ。
 こんな試験で30点を取った生徒がいたとする。本人は悔やむし親や教師からは叱られるかも知れない。そして次の試験では確率論のとおり、多分50点ほどの得点になるだろう。これは平均への回帰に過ぎないのだが、叱られた効果だと誤解される。
 70点を取った生徒がいたとする。彼は満足するし周囲からは誉められるかも知れない。しかし次の試験では平均へと回帰して50点程度しか取れない。誉めても効果は無かった、あるいは逆効果だったと誤解される。こんな経験を積み重ねるから、叱ることは有効で誉めることは無効だと思い込まれる。
 実際の試験結果は必ずしもランダムではない。しかし個人ごとに特定のゾーン内でランダムだろう。ある生徒は60点前後でランダムであり、他の生徒は40点前後でランダムだろう。上にぶれるか下にぶれるかは努力と運の両方が作用するが、運によって大きく左右される。こんな結果に一喜一憂している。
 完全にランダムな結果になる試験であれば努力してもしなくても結果は全く変わらない。それにも関わらず叱れば成績は上がり、誉めても効果は無いと誤解される。だから叱ることが過大評価される。
 こういう事情だから現代社会では誉める効果が過小評価されている。豚も煽てりゃ木に登るとまで言われるように誉められればやる気が高まる。それだけに誉めて育てる余地は大きい。誉められれば気分も良くなるから周囲まで明るくなって一石二鳥だ。

ヲタク

2013-11-18 09:45:01 | Weblog
 人類のオスは目で発情する。このことは猿であった時代からのことであり数千万年間継承された本能だ。まず発情したメス猿の尻が赤く腫れ上がる。これが発情期のサインでありそれに刺激されたオス猿が発情する。猿から進化した人類はこの特性を引き継いでいるから人類のオスは視覚を通じて発情する。
 視覚を刺激するものは必ずしも生身である必要は無い。映像でも充分だ。写真やビデオ、あるいは絵によっても発情する。
 絵は現実よりも美しい。現実の世界では美と醜が混在する。例えば現実の富士山はゴミだらけだが絵の富士山には塵1つ無い。同様に絵の女性は現実の女性とは違って醜を持たない。唯一の欠点はバーチャルであることだけだ。
 しかしバーチャルであることは致命的な欠点ではない。例えば小説や歴史の登場人物はバーチャルな存在だ。ナポレオンや織田信長であろうとも今、存在する訳ではないからバーチャルだ。それでも彼らの価値が損なわれる訳ではない。同様に漫画やアニメのヒロインに萌えても構わない。
 醜を持たない女性は美と醜を併せ持つ女性以上に魅力的だ。漫画やアニメのヒロインはAKB48の誰よりも美しい。ヒロインと比べればアイドルなんて汚物だらけの紛い物に過ぎない。アイドルの性器は醜いがヒロインの性器は花のように美しく芳香を放つ。
 しかしこれは所詮、幼稚なレベルに過ぎない。敢えて言えば猿のレベルだ。異性の魅力を視覚でしか理解していないからだ。肌触りという魅力もあるしそれ以上に大きいのはコミュニケーションでの魅力だ。
 私は行ったことが無いが銀座や北新地のホステスは美しいだけではなく、知的レベルも高いそうだ。勿論クズも混じっているだろうが、学問とは質的に異なった賢さを持つ人がいる。充分な教養を備えてしかも男性とは異なる思考回路を持った賢い女性との会話ではしばしば目から鱗が落ちる思いをする。必ずしも高いレベルでなくても質的に違うだけに面白い。漫画やアニメのヒロイン相手では絶対にこういう経験はできない。現実の女性には醜もあるが知恵もある。そのことを知らないから現実の女性をヒロインよりも劣ったものだと思い込んでいる。
 異性との交遊は知的な付き合いのほうが痴的な付き合いよりも楽しい。両方が同じ人によって満たされれば最高だ。