俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ランク分け

2013-11-03 09:00:31 | Weblog
 10月31日に政府の教育再生実行会議がまたまた奇妙な大学入試改革案を提言した。現在のセンター試験を改めて「発展レベル」テストにすると言う。1点刻みの試験にはせず大まかなランク分けにするそうだ。「人物重視」の面接や論文と合わせて、1点刻みの無駄な競争が無くなると言うが、もし本気なら正気とは思えない。
 正規分布曲線を縦割りしてA・B・C・D・Eにランク分けして欲しい。すぐに気付くと思うが、中央のCランク以外では境界線の付近がそれぞれのランクで最多になる。つまりAランクの最多数者はBランクとの境界線上に集まり、Bランクの最多数者はCランクとの境界線上に集まる。境界付近に集まる多数者が境界線の右になるか左になるかで天国と地獄の違いになるのだからこの近辺が最も熾烈な争いになる。
 今までなら1点の差は1点に過ぎず二次試験での挽回が可能だった。しかし僅か1点の違いで下位のランクに落とされた人は災難だ。二次試験で物凄い得点を取らない限り合格できない。これでは1点のために今以上に血眼になるのではないだろうか。受験ビジネス業界は当然このことを指摘して煽り立てるだろう。
 この馬鹿げた制度を審議する国会議員に問いたい、曖昧な当選基準に納得できるだろうか。もし議員定数が無く「特に多くの票を集めたら当選」と定められたらどう考えるだろうか。断固反対して、従来通りの定数制か何票以上とすべきだと主張するだろう。競争に対する判定は公平かつ客観的でなければならない。
 結果だけを曖昧にしても経過が緩和される訳ではない。もしどこがゴールか分からない曖昧なマラソンがあれば選手は無理をせずに済むだろうか。とんでもない、最初から最後まで競争が続いて大変なレースになるだろう。得をするのは勝手にゴールを決めて勝敗を操作できる主催者だけだ。恣意的に合格者を選別することには公平性も公正性も無い。あるのは打算だけだ。