俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

偏った集団(続・ランク分け)

2013-11-05 09:52:25 | Weblog
 類似した特性を持った人が集まって議論をすればとんでもない結論が出るものだ。原子力ムラがそうだった。電気が必要だとういうことが絶対条件になっていれば様々な問題が些細なことにしかならない。都合の悪い事実は総て軽く評価される。スーパーコンピュータを使っても同じことだ。ブラックボックスの中は偏った価値評価だらけだ。ウェイト付けを操作すれば都合の良い結論を導き出せる。
 このことが意図的に行われるとは限らないということこそ恐ろしい。偽装が横行するレストラン業界にとんでもない常識があるように、とんでもないことを前提条件にして考えればとんでもない結論が出る。
 私には教育再生実行会議による第二の提言「ランク分けによる競争緩和」の意味が全く理解できなかった。ランク分けになれば却って競走が激化すると考えるからだ。だから「正気とは思えない」という客観性を欠いた表現を使ってしまった。反省せねばならない。
 実行会議のメンバーは正気だった。これで緩和できると本気で考えたのでありこのことは彼らの経験に基いている。なぜなら彼らは「特A」の集まりだからだ。
 ランクの変動を気にせずに済むグループが2つだけある、最上位の特Aと最下位の特Eだ。彼らはランク分けの境界線から大きく離れているのでランクの変動など想定していない。試験を受ける前からAランクまたはEランクとなることが分かっているからだ。
 特Aが警戒するのはAから特Aに上がる者だけであり、自らがBに落ちることなど微塵も考えない。Aランクに入ることが初めから分かっているから余裕を持って課外活動にも励める。
 実行会議のメンバーは多分、特Aだった人ばかりだろう。だからランク落ちの恐怖など感じずにこんな提言をしたのだと思う。彼らが打算も利権も悪意も無くこんなデタラメな提言をするということに偏見の恐ろしさを痛感せずにはいられない。たとえ賢人の集まりであろうとも偏った集団は危険だ。特に教育に関しては受験勝者の集団に決めさせてはならない。今から思えば、ゆとり教育という馬鹿げた政策も特A集団が招いた愚策だったのかも知れない。