味覚は人によって大きく異なる。普遍的な美味などあり得ない。甘味に対する感受性だけを捕えても余りにも個人差が大きい。私は大半の菓子が嫌いだ。甘過ぎるからだ。特に和菓子は砂糖の塊りのように感じる。風味などあったものではない。砂糖の甘味が総ての味を台無しにしてしまっている。子供の頃にテレビでうどんに七味を山盛りにして食べる人を見て驚愕したことがあるが、彼は辛味に強いのではなく辛味を感じる能力が乏しいのだろう。
視覚においては個体差が証明されている。色盲あるいは色覚異常者が存在することは個人ごとに色覚が違う可能性を示唆している。それどころか明順応や暗順応があるのだから、同じ個体であっても環境によって色覚が変動するということだ。
最近の話題は嗅覚だ。柔軟剤の強過ぎる匂いが社会問題化しつつある。たとえ芳香であっても敏感な人には悪臭となる。インドールは極端過ぎる例だが、強い光や大きな音が不快であるように強過ぎる匂いも総て悪臭になる。
最も特殊なのは痒みだ。痒みの正体は弱い痛みであり、弱い刺激は辛味のように快感になることが多いのだが痒みだけは痛みよりも不快であり、痒い所をボリボリと掻くのは痒みを痛みに変えるためだろう。なぜこんな反応になるのかは動物の進化という観点からいずれじっくりと考えてみたい。
温感は触覚を超えたものだろう。皮膚で感じるだけではないからだ。X線やγ線が皮膚を透過するように光も体全体に刺激を与える。日向ぼっこの心地良さは全身で感じる快感であり特別なものだ。
視覚においては個体差が証明されている。色盲あるいは色覚異常者が存在することは個人ごとに色覚が違う可能性を示唆している。それどころか明順応や暗順応があるのだから、同じ個体であっても環境によって色覚が変動するということだ。
最近の話題は嗅覚だ。柔軟剤の強過ぎる匂いが社会問題化しつつある。たとえ芳香であっても敏感な人には悪臭となる。インドールは極端過ぎる例だが、強い光や大きな音が不快であるように強過ぎる匂いも総て悪臭になる。
最も特殊なのは痒みだ。痒みの正体は弱い痛みであり、弱い刺激は辛味のように快感になることが多いのだが痒みだけは痛みよりも不快であり、痒い所をボリボリと掻くのは痒みを痛みに変えるためだろう。なぜこんな反応になるのかは動物の進化という観点からいずれじっくりと考えてみたい。
温感は触覚を超えたものだろう。皮膚で感じるだけではないからだ。X線やγ線が皮膚を透過するように光も体全体に刺激を与える。日向ぼっこの心地良さは全身で感じる快感であり特別なものだ。