俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

知覚

2013-11-06 10:24:03 | Weblog
 味覚は人によって大きく異なる。普遍的な美味などあり得ない。甘味に対する感受性だけを捕えても余りにも個人差が大きい。私は大半の菓子が嫌いだ。甘過ぎるからだ。特に和菓子は砂糖の塊りのように感じる。風味などあったものではない。砂糖の甘味が総ての味を台無しにしてしまっている。子供の頃にテレビでうどんに七味を山盛りにして食べる人を見て驚愕したことがあるが、彼は辛味に強いのではなく辛味を感じる能力が乏しいのだろう。
 視覚においては個体差が証明されている。色盲あるいは色覚異常者が存在することは個人ごとに色覚が違う可能性を示唆している。それどころか明順応や暗順応があるのだから、同じ個体であっても環境によって色覚が変動するということだ。
 最近の話題は嗅覚だ。柔軟剤の強過ぎる匂いが社会問題化しつつある。たとえ芳香であっても敏感な人には悪臭となる。インドールは極端過ぎる例だが、強い光や大きな音が不快であるように強過ぎる匂いも総て悪臭になる。
 最も特殊なのは痒みだ。痒みの正体は弱い痛みであり、弱い刺激は辛味のように快感になることが多いのだが痒みだけは痛みよりも不快であり、痒い所をボリボリと掻くのは痒みを痛みに変えるためだろう。なぜこんな反応になるのかは動物の進化という観点からいずれじっくりと考えてみたい。
 温感は触覚を超えたものだろう。皮膚で感じるだけではないからだ。X線やγ線が皮膚を透過するように光も体全体に刺激を与える。日向ぼっこの心地良さは全身で感じる快感であり特別なものだ。

2013-11-06 09:54:34 | Weblog
 日本の男のフェチシズムは多分、乳フェチ・尻フェチ・足フェチの順に多いだろう。しかし進化史を遡れば尻フェチの重要性が見逃せない。
 類人猿のオスは、発情したメスの赤く腫れた尻を見て発情する。先にメスが発情して尻を腫らし、それを見たオスが触発されて発情する。オスの性欲が視覚に依存するのは人類独自のものではなく猿から受け継いだ特性だ。
 ところが革命的とも言える大変革が生じた。二足歩行だ。二足歩行の開始により前足(手)が自由になり脳も大きくなった。そして見逃され勝ちなことだが、メスの尻が目立たなくなった。四足歩行なら前を歩くメスの尻が嫌でも目に付く。ところが二足歩行では目立たない。どちらが先なのかは分からないが、同じ頃にメスの発情期が無くなり尻が腫れることも無くなった。これは動物としての一大危機だ。オスが発情できなくなれば種が滅ぶ。
 この危機を救ったのが乳房の肥大という奇妙な進化だ。人類のメスが類人猿の中では異様なほど大きなまるで乳牛のような乳房を持つようになったのは尻に擬態したかららしい。つまり尻が果たせなくなったオスを発情させる役割を乳房が代行するようになったということだ。(「裸のサル」のデズモンド・モリスらに拠る仮説)
 こういう事情から人類のオスはメスの乳房と尻によって発情する。しかしその原点は尻だ。男が女性のお尻を触りたがるのは猿の脳がさせる業であり彼の理性ではない。
 ところで江戸時代に、豊満な女体が「出っ尻・鳩胸」と蔑ろにされたのはなぜだろうか。儒教の禁欲主義が招いた反自然的な倫理だったのだろうか?もしかしたらこのことが現代において草食系男子が増殖する原因になっているのではないだろうか。少子高齢化を憂うなら、妙な対策に金を無駄遣いするよりもグラビアアイドルの写真を中高校生に配布するほうがずっと効果的なのではないかとさえ思える。