くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

おとな 子供

2013年05月23日 21時35分26秒 | 健康

今日の日記は重い話になりますのでどうかスルーしてください。

この日曜日に二人の友人の子供の訃報と悩みを知らされました。

ひと方は二男さんが星となられた話。
Web関係で10年前から知り合いとなった方で同い年生まれの1学年下の女性。
同じように息子が二人で年恰好もほとんど同じなのと出身地や親戚の在住地も共通の所が
あったりして、タマに思い出したように連絡があった者同士。

2年前にお母様を癌で亡くされ、その前にご自身も女性特有の疾患で大変だったり、
長男さんも繊細な心の持ち主で社会との調和が難しかったりしていたのに重ねて
二男さんも病に侵された。

まるで不幸を絵に描いた映画の様な話だけれどフィクションではない。

元気なうちにみんなに集まってもらって生前葬をと考えたこともあったらしいが
ご本人の同意が取れずに寂しく見送ったらしい。

「一昨日亡くなりました」と連絡をもらってお悔やみを返信したところ
家族一同、普通に自然に友人知人で見送りたく思い、知らせはやめました。」と。
いずれは・・・と分かっていたことながら辛かったことと思います。
そんな中「心を察して支えになっていただける方」と知らせてもらえてありがたく思いました。

 

もうひと方は第二子・長男さんのご病気の話。
コチラも子供同士が同じ小学校繋がりのお母様。
ウチの長男と同じく就職のために家を出て別所帯で暮らす生活。

男のこと言う者は若い頃は自分も含めてそんなに頻繁に親に連絡をとる生き物ではない。
こんな年になると親も高齢なので心配で、チョクチョク電話をしたりするようにもなるが
仕事や日々のことに追われてたりしてなかなか連絡するチャンスを逃すようだ。

彼は何と! 脳腫瘍が見つかって自分で入院・手術して「今、入院してんねん。」と
そんな時期になってやっと連絡があったのだと言う。

聞いてみるとウチの長男も最近、体調を崩して平日は仕事に出るものの土日・土日と
寝込んでいたと今頃カミングアウトする。
ウチの場合は冷たい父親が(俺?)『自己管理が出来て無いからだ』と言い放つのが
分かっているから仕方ないかもしれない。

その彼は、緊急手術をしたものの医師の話を聞くと「余に危険な場所にあったので腫瘍を
全部は取り切れなかった。」ということだった。

親御さんの気持ちになると「何でそんな状況になるまで何の連絡もくれないのか?」と
心配以前に悔しさが先立つのは言うまでもない。

子供側の立場に立ってみると「まさかそんな大変な状況になっているとは思いもしなかった」
と言う気持ちと、親に心配をかけたくない思い以前に日々の生活を一生懸命だったのも
十二分に理解できる。

 

人によっては冷たいと思われるだろうが、既に両親を見送ったり友人知人の逝去を見つめ
【生ある者必ず滅す】と自分のことも含めて冷静に見る・考えることが出来るだけに
【次の世界への旅立ち】のための課程の様なお見送りが出来るようになった。

ある意味仏教で言う先導士、カトリックでの牧師みたいな(そんな偉い人物ではないが)
【おくりびと】的な神経なのかもしれない。

死人を忌み嫌ったりするのではなく、ひとつの物体として見る訳でも無い。

理系人間でありながら各人の固有のスピリッツというかインナーマインドがこの世で形を
受けて進化し、次の段階の次元へワープするような事を信じている自分が居る。

だから悲しみや喪失感よりも「ご卒業おめでとう」感覚が強い。
自分がいつこの世界を卒業させてもらえるのかは自分でも分からない。
でも”その時”が来て次の世界へ行ったとき、先達諸氏がそこに居てくれるのか?
また新たな出会いが広がっているのかなどと考えると不安より好奇心に似た期待感が
ずっと増してくるのだ。

 

残念ながらいくら期待感を抱いていても自分の行先はパラダイスではなくて冥界,冥府,
陰府なのだと言うこともほぼ心得ています。
そう ヘヴンじゃなくてヘル。   
まあ、この世でこんだけ気楽に生きさせてもらいましたからね。

 

ただ4日の時間を経てやっと、こんな日記に認められた自分も居ます。
人間という肉体を授かったせいかも知れませんね。