瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

確信

2005年10月31日 | 瞑想日記
◆確信
土曜出勤の代休であった。平日に休めることはそうないので、銀行や郵便局を回ったり、買い物に行ったりした。かつて使っていた箱庭療法用の箱を再び使用するようになったので、新たにペンキを塗りたいと思い、ペンキを買いに出たりした。思考が浮かぶとサティをして、自転車を走らせている今に戻る。秋の午後の日差しが印象的だった。

一人でパソコンに向かっているときだったか、妻との関係について、深いところに静かな確信があることを感じた。私が変わったからである。すべてと断言はできないが、どんなことでもだいたいは受け入れる覚悟ができているからである。だから争いはありえない。そのことを思うとシーンと脳が静まる。

では仕事はどうなのか。どんなことでも喜んで受け入れていけるか。まだまだである。何が違うのだろうか。

◆The Power of Now
この本は、やはり私にとって重要な本である。翻訳本は、出版者の売らんかなという意図やそれを受けた翻訳者の姿勢で、ヴェールがかかってしまっているのかもしれない。英文から直接伝わってくるものが、静かに心に沁みこんでくる。とくに今、男女の愛のところを読んでいるが、男女関係がいかに迷いと苦しみの原因になるか、と同時に悟りのきっかけとなるか、が語られている。

◆断食
今日が断食明け二日目になるが、昨日より今日の瞑想の方がよかった。言葉で言うと「シーンとした脳の静まり」というワンパターンの表現になってしまうが、今日はしつこいイメージも少なかった。そして瞑想の影響が徐々に日常の生活に広がっている。今日の瞑想の脳の静けさとバイブレーションが、ふと眼を閉じたときにもすぐに広がる。脳のバイブレーションは、頭頂の気の感覚と結びつくことが多い。それは、可能性と優しさに満ちた広がりの感覚だった。